それは要塞と呼ぶよりは島≠セった。
いまから千二百年前、地精の祖先が築いた幻想機動要塞。
名は、トゥアハ=デ=ダナーン。
要塞全体を包み込む巨大な外郭。空から地上を見下ろす無数の瞳
そんな不気味な要塞の中央にそびえ立つのが、石造りの巨大な遺跡だった。
「まさか、あんなものを隠していたなんてね」
遠見の魔術で空間に投影された幻想機動要塞を眺めながら、恐らくはあれこそが本来の地精の本拠地≠ネのだろうとヴィータは話す。
グレイボーン連峰の地下深くに隠された工房は、最初から廃棄するつもりで餌≠ノ使ったと言うことだ。
工房諸共〈暁の旅団〉の主戦力を始末できればよし。
ダメでも大地の聖獣をぶつけることで、リィンを真の贄≠ノ覚醒できればと考えたのだろう。
そう考えると、カレイジャスを襲撃した時点から計画を練っていたと推察できる。
レンとキーアを誘拐したのも計画を万全なものとするため、リィンを挑発する狙いがあったのだろう。
しかし、
「予想の斜め上を行かれて、慌てて尻尾を出したってところかしら?」
リィンを真の贄として覚醒させることには成功したが、まさか呪いの力を完全に制御し、騎神抜きで巨イナル一の再錬成に成功するとは思ってもいなかったのだろう。
正直な話、いまの状況はヴィータやローゼリアにさえ、予測しえない事態だった。
巨イナル一は二体の聖獣の力を借り、魔女や地精の祖先が力を結集しても別次元に封印することしか出来なかった代物だ。
その封印も不完全な代物で、封印より漏れ出た呪いの影響は千二百年もの間、この地を蝕み続けた。
黒の騎神が悪意に目覚め、騎神のシステムに狂いが生じたのも巨イナル一の呪いが原因と言っても良い。
実際に封印と言っても呪いの影響を見れば分かるように、巨イナル一がもたらす影響を完全に封じることには成功していない。
それは別次元への完全な隔離は不可能と悟った魔女と地精の祖先が、巨イナル一の力を七つに分けることで現実世界への影響力を最小限に留め、人の力でもどうにか制御可能な仕組みを作り上げようとしたからだ。
それが、七の騎神。
騎神とは、上位次元に封じられた巨イナル一の力を受け止める現実世界の器≠ニして造られた。
そうすることで封印の効力を高めると同時に、呪いによって生じる災厄を鎮めようとしたのだ。
九百年前、帝都に顕れた暗黒竜や〈緋の騎神〉を依り代に呼び出された〈紅き終焉の魔王〉も――
呪いを起因とする災厄によって呼び起こされたものだ。
毒をもって毒を制す。
巨イナル一の呪いによって生じた災厄を、巨イナル一の力を分けることで生まれた騎神に鎮めさせる。
それが魔女と地精の祖先が考えた本来の〈七の騎神〉のシステムと言う訳だ。
話が少し脱線したが、そこまでの手を尽くしても尚、イシュメルガという諸悪の元凶を生み――
人の手に余ることを証明して見せた巨イナル一の呪いを一身に受けて、無事でいられるはずがない。
大地の聖獣でさえ理性を失い、この地を侵す呪いの効力を弱める程度しか出来なかったのだ。
だと言うのにリィンはノーザンブリアへと侵攻した帝国軍を壊滅させると言う方法を取り、敢えて自身に人々の悪意と恐怖を集めさせることで呪いの力を集約することに成功した。
自身の胸にギリアス・オズボーンの心臓が移植されていると言うこと。その心臓が呪いに侵された大地の聖獣と同じく巨イナル一と繋がっていて、呪いの力を吸収する器≠ニしての機能を備えていることに気付いたからこそ、この計画を思いついたのだろう。
そのため、いま帝国を蝕む呪いの力は過去に例がないほどに弱まっている。
本来の役目を果たせなくなった騎神の力も弱まり、これでは七の相克を起こすことも出来ないだろう。
たった一人の存在によって千年に及ぶ地精の計画――アルベリヒの目論見は破綻したと言うことだ。
当初の計画ではリィンに大地の聖獣を殺させることで抑え込まれていた呪いの力を解放し、ギリアス・オズボーンの死によって後退した計画を一気に推し進めようとしたのだろう。
ただの人間に聖獣を狂わせるほどの呪いを抑え込めるはずがなく、本来であれば理性を失ったリィンを傀儡とすることで、ギリアス・オズボーンの代わりにイシュメルガの起動者とする計画だったのかもしれない。
だが、リィンはアルベリヒの予想を大きく超える結果をだしてしまった。
だからこそ、後が無くなって慌てて切り札≠だしてきたのだと推察できる。
「前例がない訳じゃないのにね」
「うん? ノルンとキーアのこと?」
「……自覚はあるみたいね。私たち魔女から見ても、あなたたちの存在はありえないのよ」
こうして並んで座っていると、髪の色が違うだけで双子の姉妹のようにしか見えないノルンとキーアを眺めながらヴィータは魔女としての見解を述べる。
そもそも騎神ですら七つに分けなければ、至宝の力を制御することが出来なかったのだ。
しかしノルンとキーアはたった一人で、零の至宝という規格外の力を制御して見せた。
巨イナル一が〈焔〉と〈大地〉の至宝の力を備えているように、零の至宝も〈時〉と〈空〉。そして〈幻〉の三つの力が合わさって生まれたものだと言うのにだ。
普通に考えて、一人で制御できるような力ではない。
アルティナやミリアムなどOZシリーズもよく出来てはいるが、同じホムンクルスでも目の前の二人は明らかに格が違う。
『当然ですわね。そこの二人はただのホムンクルスではなく〈神の器〉とも呼ぶべき存在。私たちクロイスの錬金術師を、他人の技術を掠め取ることしか出来ない連中と同じにされては困りますわ』
ヴィータがそう感じるのは当然だと、クロスベルから通信で会議に参加していたベルは笑う。
アウロラの艦内に設けられた会議室には、ノルンやキーアの他にも主要となる関係者が集められていた。
騎神の引き渡しを求めてきた僧兵庁への対応と、帝都の上空に出現した幻想機動要塞の対策を相談するためだ。
それに――
「その話は一先ず良いじゃろう。まずは目の前に問題を対処するのが先じゃ。アレ≠熾ってはおけんしの」
そう話すローゼリアの視線の先には、幻想機動要塞と同じく魔術で投影された三本の柱の姿があった。
ラマール州、海都オルディスの近海。
サザーラント州、旧都セントアーク近郊。
ノルド高原の北部、リィンが巨神と激闘を繰り広げた爪痕の場所に――
全高千アージュを超える真っ白な柱がそびえ立っていた。
過去、ノーザンブリアに顕れたものと同じ――〈塩の杭〉と呼ばれるものだ。
「ですね。いまのところ動きはないようですが、あれがノーザンブリアに顕れたものと同じなら……」
オルディスとセントアークは壊滅。
いや、二つの州とノルド高原が地図から姿を消すことになるだろうとミュゼは予想する。
幻想機動要塞の存在も考えると、話はそれだけで済むとは思えない。
タイミング的に考えて、三つの地方に顕れた〈塩の杭〉が地精と無関係とは考えられないからだ。
「教会はこのことをどう考えているのか、聞かせて頂けませんか?」
しかし僧兵庁からの要求は変わらず、態度を変えてはいない。
依然として、ヴァリマールを含む騎神すべての引き渡しを要求している状況だ。
正直この対応には腑に落ちないというのが、アルフィンの考えだった。
まるで教会が地精と手を組んでいるようにしか見えない。そう、感じたのだろう。
「はっきりと申し上げれば、教会はそもそもの原因≠ヘリィン・クラウゼルにあると考えているようです」
当然そのような疑惑を持たれることはロジーヌも理解していた。
星杯騎士団に所属するロジーヌでさえ、教会に対しての不信感と疑念を抱きつつあるのだ。
このような回答しか出来ないのも、トマスと連絡が取れないことにあった。
ツテを使い、教会に問い合わせて集められた情報と言えば――
「ノーザンブリアの空を覆う闇。そして、各地に出現した〈塩の杭〉と思しき柱。それらは悪魔の力を得たリィン・クラウゼルがもたらした異変だと、各地の教会へ通達がなされています」
「兄様が悪魔!? そんなバカな話が――」
ロジーヌの話を聞き、怒りと戸惑いを隠しきれない様子で席を立ち上がるエリゼ。
怒り、呆れ、厳しい視線をロジーヌに向けているのはエリゼだけではない。
真意を探るような厳しい視線が自身に向けられていることにロジーヌは気付いていた。
当然だ。この対応は教会が〈暁の旅団〉へ宣戦布告≠オたと捉えられてもおかしくはないからだ。
「〈塩の杭〉については理解しました。では、帝都の空に出現したアレ≠ノついては、どう考えているのですか?」
そんなピリピリとした空気の中、エリゼとの間に割って入るアルフィン。
教会の対応を巡って、ロジーヌを責めても仕方がないことが分かっているからだ。
当然エリゼもそのことは分かっているはずだが、頭では理解していても納得が行かないのだろう。
「……これは確定した情報ではありませんが、僧兵庁が〈トゥアハ=デ=ダナーン〉と呼称する機動要塞を奪取したとの情報が流れています」
「トゥアハ=デ=ダナーンと言うのは、帝都の空に浮かんでいるアレのことですわね? ですが奪取? まさか、地精からアレを奪ったと?」
地精の切り札と思しき機動要塞を教会が奪取したなどと、俄には信じがたい情報にアルフィンは首を傾げる。
教会の力を侮るわけではないが、それでも地精が易々と切り札を奪われるとは考え難いからだ。
「副長と連絡が取れれば、もう少し詳しい情報が手に入るかと思うのですが……。ただ、バルフレイム宮殿の地下に現れた地精の長を捕縛したとの情報もあります」
「……妙じゃな。あの黒≠ェ、易々と教会の坊主共に捕らえられるとは思えぬ」
黙ってロジーヌの話を聞いていたローゼリアも疑問の声を上げる。
七百年以上もの間、手掛かり一つ掴ませなかった地精の長が捕まるとは信じられなかったからだ。
それにバルフレイム宮殿の地下と言うのは、緋の騎神が封じられていた場所のことだろう。
そんな場所にどうやって教会が部隊を突入させたのかという疑問も湧く。
誰かが内部から手引きでもしなければ、到底不可能なことだ。
アルベリヒのことを快く思わない帝国の人間が、教会を宮殿に招き入れたという可能性も考えられるが――
「もしかして教会は、あの要塞をアタシたちにぶつけるつもりなんじゃ?」
ふと頭に過った可能性を口にするサラ。
しかし、そう考えれば教会の――僧兵庁の強気な態度にも理解が及ぶ。
「教会を私たちにぶつけることで、不足した戦力を補おうと考えた。そういうことですか」
いま、ノーザンブリアには五体の騎神が集まっているが、アルベリヒのもとには紫≠戦力に数えたとしても二体の騎神しか存在しない。
そして幻想機動要塞があるとはいえ、暁の旅団もカレイジャスとアウロラの二艦を所持しているのだ。
後が無いとは言え、正面からぶつかれば自分たちの方が圧倒的に不利だと悟ったのだろう。
だからこそ、策を講じた。
僧兵庁の動きはアルベリヒも掴んでいたはずだ。
だから彼等を利用することを思いついたのだろうと、ミュゼは推察を述べる。
「僧兵庁の部隊を宮殿へ招き入れ、態と捕まったと言う訳か。確かにそれなら……」
ありえない話ではないと、ミュゼの考えに頷くローゼリア。
だとすれば、教会と一戦を交えるのは避けられないだろう。
いや、それどころか、教会だけでなく再び帝国軍を相手にする可能性も出て来たと言うことだ。
教会が地精との関係を問い詰め、帝国政府に協力を要請する可能性は相当に高いからだ。
それに帝国にしても、このままやられっぱなしで黙っていることは大国の威信が許さないだろう。
「それだけで済めば良いのですが……」
「どう言う意味じゃ?」
「ノーザンブリアで起きている異変を解決するために、教会が帝国だけでなく周辺諸国に協力を要請する可能性も考えられます」
協力を要請するのが帝国だけならまだいいが、他の国にも声が掛かる可能性があることをアルフィンは示唆する。
塩の杭の脅威は、大陸中の国々が理解していることだ。
それだけに教会から協力を求められれば、無視すると言うことは難しい。
アーティファクトの扱いに関して、教会と盟約を交わしている国ならば尚更だ。
大陸中の国々が教会の要請に応じ、敵に回る可能性があると言うことだ。
「ない、とは言い切れませんが恐らくは国境の封鎖程度で、戦力を直接送ってくることはないと思います」
「……ミュゼ? どうして、そう言い切れるの?」
「通商会議で、各国の代表はテロリストに殺され掛けたのですよ? そのテロリスト――〈黒の工房〉が帝国政府の背後にいることは察したはずです。そして、リィン団長がいなければ全員あの場で死んでいた。教会からの要請とはいえ、積極的にこの件に関わろうとはしないはずです」
むしろ、帝国と同じように教会も操られているのではないか?
と言った疑惑を各国に抱かせるだけだと、ミュゼはアルフィンの疑問に答える。
教会の要請をはね除け、味方になってくれるとまでは思わないが、積極的な協力はしないだろう。
そんなミュゼの考えを聞き、アルフィンも納得した様子で頷く。
「状況は理解しました。ですが仮に帝国と僧兵庁の部隊だけが相手でも、いまのノーザンブリアの戦力で退けるのは難しいかと」
せめて騎神が動かせれば話は別だが、戦闘をこなせるほどの霊力は残っていない。
それにアリアンロードが一軍を退ける力を持つと噂されていても、相手は帝国軍だけではないのだ。
他にも強者が集まっているとはいえ、厳しい戦いになるとバレスタイン大佐は話す。
「ノルン。リィンとの連絡はまだ取れないの?」
「ツァイトが捜してくれてるけど、まだ見つからないみたい。リィンとの繋がりは感じるから、生きていることだけは間違いないけどね」
まだリィンが見つかってないと聞き、肩を落とすアリサ。
教会の言葉を真に受ける訳ではないが、リィンが原因の一端を担っているというのは嘘ではない。
少なくとも騎神の霊力が回復しないのは、リィンが巨イナル一の力を取り込んだからだと推察されていた。
だとすれば、この問題を解決できるのはリィンただ一人と言うことになる。
まだ試してみなければ分からないが、イオを救ったように眷属とすることで騎神の問題は解決するかもしれないからだ。
「肝心な時に、どこで何をしてるのよ。あのバカ……」
どうしたものかとアリサが溜め息を漏らした、その時だった。
急に席を立ち上がり、明後日の方角に目を向けるノルンとキーア。
「キーアも気付いたみたいだね」
「うん……でも、これって……」
塩の杭が出現した三つの地方でも、帝都でもない。
ノーザンブリアから遠く放れた場所で、強大な力が生まれ≠謔、としているのを二人は感じていた。
どこか懐かしく、それでいて見覚えのある気配――
「アリサ、敵は教会と帝国だけじゃないかも」
敵は教会や帝国だけではない。
より強大な脅威が目前に迫ろうとしていることを、ノルンとキーアは告げるのであった。
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