アルフィンとミュゼ。それにヴァレリーに向かって――
「ダーナ・イクルシアです。エタニア王国より、女王陛下の名代として馳せ参じました」
恭しく頭を下げながら、挨拶を口にするダーナ。
自身が女王より全権を委任された使者であることも告げるが――
「エタニア王国?」
最初に口を開いたのはヴァレリーだった。
聞き覚えのない国の名を耳にして、思わず口にでたのだろう。
だが、エタニアという名前に聞き覚えがないのは、ヴァレリーだけではなかった。
大陸中の国々の名前だけでなく、各国の政治や経済状況。その国の歴史から習慣の違いに至るまで、ありとあらゆる情報を頭に叩き込んでいるミュゼですら知らないのだ。
それは即ち、ミュゼが知らないと言うことは、このゼムリア大陸に存在しない国と言うことになる。
(東方の国は砂漠に呑まれ、既に滅んでいるはず。となると、海の向こう……別大陸から?)
幾つかの可能性がミュゼの頭に過るが、何れもありえない≠ニ否定する。
大陸の東側は砂漠化が進み、人の住める土地はほとんどなくなってしまっているという話だ。
そのため、昔から交流のあった共和国に東方の移民が流れ込み、文化や風習の違いから対立が起きている現状がある。
少なくとも大陸の東にそのような国があるのなら、噂くらいは聞いてもおかしくないだろう。
大陸の東側でないとすれば海の向こう側、別大陸と言う可能性も考えられなくはないが、これにも否定する根拠があった。
技術の発達と共に外洋への航海は何度も試されてきたが、これまで誰一人として成功した者はいないのだ。
大陸から一定の距離を離れると進路を見失い、元いた場所に戻されてしまう。
それは飛行船も同じで、幾ら進めど同じ空域を突破することは叶わない。
この不可思議な現象に科学者たちは匙を投げ、教会も女神の実在を裏付ける根拠だと語っていた。
この世界にはアーティファクトなどという現代科学では再現は疎か、解明すら出来ない代物も存在するのだ。
リィンたちと出会う前であれば、ミュゼも科学者たちと同様そういうものだ≠ニ思考を放棄し、そのことを特に疑問に思うことはなかっただろう。
しかし――
(まさか……)
アリサが開発し、暁の旅団が独占しているという戦術オーブメントの特殊な能力。
あれこそ、いままで誰にも成し遂げることが出来なかったアーティファクトの再現に成功したと言ってもいいのではないか?
では、アリサはそれほどに優秀な科学者なのかと言うと、彼女自身が認めているように彼女以上の天才は存在する。
ティオやティータなどが、まさにそうだ。
レンやキーアも科学者ではないが、才能という意味ではアリサ以上の天才と呼んで良いだろう。
既存の技術を応用し、活用することにおいては他者を凌駕するが、アリサは天才ではなく秀才だ。
敏腕の経営者として世間から高い評価を得てきた母親と、科学者として周囲に一目置かれるほどの知識と腕を有していた父親。
両親の才能を等しく受け継いだ結果が、ある一点において天才を上回る秀才を生んだのだろう。
そうなると、一つの疑問が湧く。
(ユグドラシルはアリサさんが開発≠オたもの。だけど、その元となったものを発明≠オた人物が他にいる?)
アーティファクトを再現するほどの科学者。
思い当たるのはエプスタイン博士の三高弟が頭を過るが、可能性としては低いとミュゼは考える。
そんな技術があるのならアリサだけに教え、暁の旅団に技術を独占させる理由がないからだ。
以前、月霊窟で目にしたリィンの記憶の断片が、ミュゼの脳裏に思い起こされる。
あの時はすべてを理解することが出来なかったが、
(解析して再現したのではなく、最初から作ることができた?)
ミュゼがその可能性に至った、その時だった。
「エタニアのことを皆さんが知らないのは当然です。この世界には存在しない国ですから」
◆
ダーナの一言に目を瞠り、戸惑いを隠せない様子を見せるヴァレリー。
――この世界には存在しない。
その言葉の意味を正しく理解しきれなかったためだ。
そんななか一人だけ違う反応をする者がいた。
「やはり、姫様はご存じだったのですね」
一人だけ落ち着いた様子のアルフィンを見て、ミュゼは確認を取るように尋ねる。
驚かないのは、ダーナのことを最初から知っていたからだと確信したからだ。
いや、恐らくそれだけではない。
暁の旅団の秘密をアルフィンは知っているのだと――
「まあ……そういうことです。察しの良い貴方なら、もう気付いているのでしょう?」
長い付き合いだ。
ミュゼがこんな風に聞いてくると言うことは、既に答えはでているのだとアルフィンも察する。
「外の理、ですか。薄々はそんな予感がしていましたが、確かにこれは易々と公表できませんね」
そもそも以前から疑問を持っていたのだ。
ノーザンブリアの人々を受け入れることが出来るだけの街など、そう簡単に用意できるものではない。
街を造るには土地の問題もあるし、新たに開拓をしようにも国家に属していない場所など限られる。
それに未開拓の土地というのは、どこも街を造るには向かない強力な魔獣の徘徊する危険な場所ばかりだ。
安全で生活に適した土地が余っているのなら、共和国も移民の問題で頭を抱えたりはしないだろう。
それに〈暁の旅団〉を自国へ取り込むことにも問題がある。
暁の旅団は猟兵団だ。国家に所属する軍隊と違って、国に忠誠を誓っている訳ではない。
力で無理矢理従わせられるはずもなく、権力者にとって制御の利かない力ほど恐ろしいものはないからだ。
そのことから何処に街を建設するつもりなのかと、以前からミュゼは疑問に思っていたのだ。
「えっと……どういうこと?」
非公式とはいえ、ここが公の場であると言うことも忘れ、素で尋ねるヴァレリー。
それだけ頭の中は疑問で一杯で、混乱しているのだろう。
無理もない。この世界には存在しない≠ネどと言われても、普通は異世界など想像できないからだ。
「彼女たちの国はこのゼムリア大陸ではなく、外の世界に存在すると言うことです」
「……別の大陸からきたと言うこと?」
「いえ、文字通りこことは異なる世界≠ナす。異世界と言った方が正しいですね」
ミュゼの話に補足を入れるアルフィン。
しかし頭を抱え、益々混乱した様子を見せるヴァレリーを見て、
「これが普通≠フ反応ですよね」
「ええ、でも彼女にも慣れ≠ト頂かないと……」
この先リィンと関わっていくのなら、このくらいのことで驚いていては話にならない。
どう納得させたのものかと、ミュゼとアルフィンは揃って苦笑を漏らすのだった。
◆
「異世界ですか。それは是非、一度行ってみたいです」
遅れて会合の席に姿を見せたクローゼの反応に、溜め息が溢れるアルフィン。
慣れるどころか、既に手後れなほどリィンに毒されてしまっている人物が目の前にいると理解したからだ。
「説明の手間が省けて助かりますが、そんなにあっさりと信じてよろしいのですか?」
普通に聞けば、荒唐無稽な話だ。からかわれていると思うのが自然だろう。
ヴァレリーの反応が普通で、あっさりと信じたクローゼの方がおかしいのだ。
故にどういうつもりなのかと、ミュゼは真意を探るように尋ねる。
「すぐに嘘や冗談と分かるようなことを、このような場で口にする方々ではないと理解していますので。それに」
「それに?」
「リィンさんが関係しているのであれば、冗談のような話もありえるかと思いまして」
真実だと確信している様子でそう答えるクローゼを見て、ミュゼは観念する。
試すつもりが、逆に試されたのだと悟ったからだ。
ただ話を鵜呑みにするのではなく、どこまで真実なのかをクローゼも周囲の反応を見て、探っていたと言うことだ。
「改めて、ご挨拶を。リベール女王アリシアの娘、クローディア・フォン・アウスレーゼと申します。親しい者はクローゼと私のことを呼びますので、どうかクローゼとお呼び下さい」
「ダーナ・イクルシアです。私のこともダーナとお呼び下さい」
事前にクローゼのことも知っていたのか?
特に驚く様子もなく、挨拶を交わすダーナ。
やはり油断のならない人物だと確信しつつ、
「遅れてきた私が言うことではありませんが、時間も余り残されていません。本題に入りませんか?」
クローゼは本題へ切り込むのであった。
◆
「ふーん、エタニアの存在をこのタイミングで公表するんだ」
ダーナがこちらの世界へとやってきた理由をラクシャから聞き、少し驚くような反応を見せるシャーリィ。
いずれ、エタニアの存在を明らかにする日が来るとは思っていたが、随分と予想よりも早かったのだろう。
「ノーザンブリアの後ろ盾にエタニアがつくことで、帝国との戦争へ介入する口実を作るつもりなのでしょう」
戦争には大義名分が必要だ。
帝国とノーザンブリアの戦争に第三者が割って入ったのでは、あとで問題を複雑化することになる。
だから本格的に衝突が起きる前に、この戦争に介入する理由を用意しておきたいのだろう。
正確には戦後まで見越してのことだと、ラクシャはダーナとサライの考えを読んでいた。
ノーザンブリアの人々をエタニアへ移住させるにしても、一人や二人ならまだしも千や万を超すような人々が姿を消せば、どうしても不自然さが残る。
消えた人々はどこへいったのか?
そうした疑惑は憶測を呼び、人々の不安を駆り立てる。
当然、疑惑の目は〈暁の旅団〉の団長、リィンへと向けられるだろう。
教団事件のこともある以上、よからぬ噂が立つ可能性もある。
だからこそ、いまこのタイミングでエタニアの存在を公表することを決めたのだとラクシャは考えていた。
「それに目的が交易なら、こちらの世界にも拠点は必要でしょう?」
商売の窓口に利用されると言うことだが、ノーザンブリアにとっても悪い話ではない。
めぼしい産業のない街だが、異世界の珍しい品々が集まるとなれば、他の都市にはない大きな武器となる。
大陸中から利に聡い商人が押し掛けてくるだろう。
即ちそれは、ノーザンブリアがクロスベルのような交易都市に生まれ変わる可能性が高いと言うことだ。
「クロスベルじゃダメなの?」
「あの場所はいろいろとしがらみも多いみたいですし、遠回りなようですが何もないところから始めた方が結果的に上手く行くと判断したのでしょう」
クロスベルを拠点にすれば、確かに一から準備する手間も省ける。
しかし同時に、多くのしがらみを抱えることにもなる。
商売の手を広げれば、既得権益を侵されまいと反発する者も出て来るだろう。
そうした対応に手間と時間をかけるくらいなら、何もないところから始めた方がマシだと判断したと言うことだ。
「お嬢様も成長されたようで、嬉しく思います」
「フランツ……」
いつから、そこにいたのか?
シャーリィとラクシャが向かい合わせに座るテーブルの傍で、給仕に勤しむ執事の姿があった。フランツだ。
貴族の家で執事をしていただけあって接客する姿は実に様になっているが、テーブルに並べられたケーキと紅茶を見て、ラクシャの口から思わず溜め息が溢れる。
「こんなところで何をしているのですか?」
「見てのとおり、食堂の手伝いですが?」
ここは〈アウロラ〉の食堂。フランツの言っていることは嘘ではないのだろう。
しかしラクシャが聞きたいのは、そういうことではなかった。
ダーナやキャプテン・リードと一緒に、どうしてフランツまでこちらの世界へきたのかと言うことだ。
「また、よからぬことを企んでいるのでは?」
「お嬢様は私のことをなんだと……」
「ベルの悪巧みに加担していた件、忘れていませんから」
いつぞやのことを指摘され、困った顔を覗かせるフランツ。
しかし、その困っている様子さえも演技ではないかとラクシャは疑っていた。
とはいえ、本気でフランツが自分たちを裏切るとは思っていないのだが――
「何を企んでいるのかは知らないけど程々に、ね。それと、出来ればダーナさんの力になってあげて」
もっと追及されるかと思いきや、予想外のことを頼まれて目を丸くするフランツ。
しかし、微かに動揺を見せたのも一瞬のこと。
一転して笑みを浮かべると、「畏まりました」と恭しく頭を下げるのであった。
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