「ノーザンブリアにそれほどの戦力が残っているなど聞いてないぞ!?」
七耀教会の法衣に身を包んだ高位の神官と思しき男の声が天幕に響く。
男の名はヤコブ。アルテリア法国より派遣された僧兵部隊を率いる神官だ。
そして、ここは帝国軍の陣地。
ノーザンブリアから凡そ八千アージュ。ラングドック峡谷を抜けた先に広がる荒野に帝国は軍を展開していた。
元々この辺りはジュライやノーザンブリアへと繋がる要所として知られ、近くには帝国軍の演習地があったため、大軍を展開させるには打って付けの場所だったのだろう。
開戦の準備を進める中、ノーザンブリアの状況を探っていた帝国軍から男の耳に入ってきたのは俄には信じがたい情報だったのだ。
ざっと確認しただけでも四万を超える兵力がノーザンブリアに集結していると言う話だった。
「どうやらノーザンブリアに味方をしている帝国の貴族がいるようです」
「帝国の貴族だと?」
「はい、ラマール州のカイエン公爵家の者だとか……」
「……は?」
僧兵の言葉に耳を疑い、軽い放心状態になるヤコブ。
無理もない。カイエン公爵家とは以前、会談を設けたことがあるからだ。
先の内戦の首謀者とされる前カイエン公が戦死したことで、当主の地位を巡って家督争いが起きていると言う話は教会の耳にも届いていた。
そんななか彼等に接触してきたのが、ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンと名乗る少女だったのだ。
言葉巧みに接触を図ってきた彼女の目論見が、公爵家の後継者問題に関することだと言うのはヤコブにも分かっていた。
聖職者とはいえ、彼等とて人間だ。何もせずとも腹が空くし、軍を動かすには金もいる。
これほど長期に渡って他国へと赴くことは、精神的・肉体的にも大きな負担となっていた。
そこで僧兵たちの負担を減らそうと、ミルディーヌことミュゼは物資と資金の援助を申し出たのだ。
代わりに彼等が求められたのは、公爵家の後継者問題への不干渉と多少≠フ情報提供。
恐らくはバラッド候が最後の手段として、教会を頼ると言った状況にならないように先手を打ったのだろう。
本来、各国の政治に教会が干渉することはない。それは貴族の問題も同じだ。
とはいえ、教会の運営は基本的に寄付≠ノよって成り立っている。
普段から多額の寄付を行っている信者の相談≠ナあれば、断り難いというのが現実だ。
公爵家ともなれば、定期的に教会へ納めている寄付も相当の額に上る。
仮にバラッド候から相談を受ければ、話し合いの場を設ける程度のことはしなければならなかっただろう。
しかし、公爵家の方から先に後継者問題に関与しないでくれという言質を得られれば、それを理由に断ることが出来る。
僧兵たちの目的はあくまで騎神の回収と、黒の工房の引き起こした異変を解決することにある。
いらぬ些事に時間を割きたくない彼等にとって、ミュゼの提案は都合が良かったのだ。
なのに――
「何故、ラマール州がノーザンブリアの味方をする!?」
「分かりません。帝国政府に回答を求めましたが、明確な答えを得られませんでした。考えられるのは……」
帝国の内戦に自分たちは巻き込まれた可能性があると僧兵は話す。
ノーザンブリアで起きている異変を解決するため、僧兵庁は帝国政府に協力を求めた。
帝国からしてもノーザンブリアとの戦争で多くの兵士を失っているため、後には引けなくなっていると分かっていたためだ。
案の定、教会の申し出を帝国政府は了承し、ノーザンブリアへ再び軍を派兵することを決めた。
しかし、この状況が先の内戦から続くもので、いまも政府と貴族の対立が続いているとなると話が変わる。
「帝国政府は最初から貴族たちの動きを掴んでいた? ようするにこの戦争の証人として、政府の正当性を示すための大義名分に我々は利用されたと言うことか……」
「はい。実際、あちらにはアルフィン皇女の姿も確認されていると言うことです。クロスベルからもノーザンブリアを支援する部隊が派遣されているという情報が流れていますし、恐らくは事実かと……」
帝国を利用したつもりでいて、逆に自分たちが利用されていたと言うことだ。
だとすれば公爵家が接触してきたのも、政府の動きに気付いていたからかもしれない。
情報を得るために利用されたのだと、ヤコブは考える。
「あの小娘め!」
実際、ミュゼが正確に帝国軍の動きを掴めていた理由の一つに彼等からもたらされた情報もあった。
とはいえ、情報源は彼等だけではない。政府や軍の中にも協力者は大勢いる。
ミュゼからすれば、彼等の持つ情報など大した意味はないのだ。
どちらかと言えば、政府の側に付くように誘導≠オたと言った方が正しいだろう。
元々あのようなカタチでオルディスを占拠したところで、カイエン公を名乗ることを政府が認めるはずがないとミュゼには分かっていたからだ。
帝国政府はバラッド候を傀儡とすることで、裏では貴族制度の廃止に向けて動いていた。
再び先のような内戦を引き起こさせないため、貴族の力を徹底的に削ぐことを考えたのだろう。
同時にギリアス・オズボーン亡き後、影響力を失った革新派の地位を再び向上させるのが狙いだと考えられる。
鉄血宰相を信奉し、その意志を継ぐ者たちがまだ政府内には数多くいると言うことだ。
だから帝国政府との衝突は避けられないと、最初からミュゼは覚悟を決めていたのだろう。
しかし普通にやったのでは、先の内戦のように戦争を長引かせるだけだ。
故にノーザンブリアを巻き込むことを画策し、リィンと接触することで〈暁の旅団〉の動きも誘導した。
共和国に戦争介入の猶予を与えないため、数十万の兵士の命と引き換えに二度≠フ戦争で早期に決着をつける決断をしたのだ。
それが、誰にも話していない指し手≠ニしてのミュゼの考えた計画の全容だった。
とはいえ、真相を知る者などいない。
一部の人間は薄々と気付いているかもしれないが、ミュゼが計画の全容を語ることはないからだ。
誰にも話すことなく、すべて自分の犯した罪として一生背負っていくつもりなのだろう。
オーレリアだけでなく、あのウォレスまでもがミュゼに一目を置く理由がそこにあった。
しかし、そんな彼女にも幾つかの誤算はあった。
それが想像を遥かに超えたリィンとヴァリマールの力であり、そして――
「それに妙な情報が飛び交っていまして……」
「妙な情報だと?」
「大陸の外からやってきた国がノーザンブリアの背後にいると……」
僧兵の言葉にありえないと言った表情を浮かべるヤコブ。
無理もない。大陸の外へでられないことは彼等も知っているからだ。
女神が存在する証として吹聴したのは他でもない。彼等だった。
仮に僧兵の話が本当だとすれば、教会の教えが間違っていたと言うことになる。
最悪の場合、逆に女神の存在を否定する根拠にもなりかねない。
「その国の名は……」
「エタニアと言うそうです」
◆
同時刻、クロスベルではクロスベルタイムズの号外が配られていた。
内容はノーザンブリアが大陸の外からやってきた国の庇護下に入ることになり、リベールとクロスベルもそれを承認したと言う内容だ。
これまで大陸の外に別の世界が存在するなどと想像もしてこなかった人々にとって、このニュースは信じがたいものだったらしく大きな騒ぎとなっていた。
「これは面白いことになってきましたね」
眼鏡越しに号外の記事を眺めながら、愉しげな笑みを浮かべる男。
共和国最大のシンジケート〈黒月〉の幹部、白蘭竜の異名を持つツァオ・リーだ。
しばらく所用で離れていたのだが、最近になってまたクロスベルに戻ってきていた。
彼の目的は言うまでもなく、リィンと〈暁の旅団〉だ。
と言っても敵対するのが目的ではなく、情報収集が目的ではあるのだが――
彼個人としては、出来ることならリィンとは友好的な関係を続けていきたいと考えていた。
だからこそ――
「突然いなくなったかと思えば、連絡も寄越さず急に帰って来やがって……相変わらず神出鬼没な男だな。白蘭竜」
「これはこれは、ご無沙汰しています。若頭」
ルバーチェ商会とも仲良く♀ヨ係を保っているのだ。
昔は衝突したこともあったが、いまではクロスベルの裏社会を牛耳る組織としてツァオはルバーチェ商会に一目を置いていた。
勿論それには〈暁の旅団〉が背後にいると言うのも大きな理由としてある。
しかしそれだけでなく、最近のルバーチェ商会は飛ぶ鳥を落とす勢いで販路を広げていて部下の育成にも余念がなく、昔と比べても遥かに層の厚い組織へと生まれ変わっていた。
彼等の縄張りに手をだせば、自分たちもただでは済まないと〈黒月〉が警戒するほどに――
「何をしてやがったか聞く気はないが、そっちは聞きたいことがあるみたいだな」
「ええ、驚きましたよ。このニュース、本当なのですか?」
号外を見せながら尋ねてくるツァオに、やれやれと言った様子で頭を掻く大男。
ツァオに『若頭』と呼ばれた彼こそ、西風の旅団の元部隊長にしてルバーチェ商会の本部長。
キリングベアの異名を持つガルシア・ロッシだ。
犬猿の仲とまでは言わないが、ツァオの態度の変化に戸惑っているのはガルシアも同じだった。
以前は何度か拳を交えたこともある相手だけに、溜め息が溢れるのも無理はない。
「事実だ」
「……あっさりと認めるのですね」
「まあ、どうせすぐ分かることだしな」
隠したところで〈黒月〉の情報力なら、すぐにエタニアの存在にまで辿り着くだろう。
実際、ダーナは自分たちの正体を隠そうともしていない。
エタニアの存在をこの世界の人々に周知させることが狙いだからだ。
「なるほど……ということは、あなた方の所持しているその特殊なオーブメントの技術も、外の世界からもたらされたものと言う訳ですか」
ガルシアがズボンのポケットに忍ばせた戦術オーブメントへ視線をやりながら、そう口にするツァオ。
ユグドラシルのことは公にはしていないが、既に気付き始めている組織は存在する。
あれだけ実戦で大っぴらに使っていれば、目に付くのは当然だ。
そして神機を破壊し、帝国軍を撃退した巨大な竜のことも当然噂になっていた。
ツァオがクロスベルへ戻ってきたのは、その調査も理由にあるのだろう。
「よく、こんな話をあっさりと信じられるな」
とはいえ、荒唐無稽な話だとはガルシアも自覚しているのだろう。
事前に説明がなければ、ガルシアとて信じられないと思うくらいにはエタニアの存在は衝撃が大きい。
それだけにツァオがあっさりと信じたことを不思議に感じたのだろう。
「それをあなたが言いますか? 不可思議と言う意味では、そちらの団長さんが一番の謎でしょうに」
「ククッ、違いない」
リィンのことを引き合いにだされれば、ガルシアとて納得するしかなかった。
不可解で非常識と言う意味では、リィン以上の存在はいないからだ。
まだそれなら大陸の外に自分たちの知らない国が存在した。
と言われる方が、まだ信じられるとツァオは言いたいのだろう。
「それで、どうするつもりだ?」
「我々としては、これまでどおり。ビジネスのパートナーとして、良い関係を構築できればと考えています」
「欲のないことだ。てっきり関係者を紹介しろとか、技術供与を求められるかと思ったんだがな」
「信頼を損ねるような真似はしませんよ。それに、いずれ機会は訪れるでしょうし」
食えない奴だと、口ではツァオの方が上手なことをガルシアは認める。
とはいえ、そんな男だからこそ、頼りになることもある。
伊達に共和国の裏社会に名を馳せる組織の一員ではないと言うことだ。
「それじゃあ、ビジネスの話をしようか」
「フフッ、良いでしょう。お互い、有意義な時間を過ごせそうですし」
そうツァオは言葉を交わすと、ガルシアの用意した車に乗り込み、ノイエブランへと向かう。
こうして、長きに渡ったクロスベルにおける勢力争いにも一段落が付き――
裏社会の関係や勢力図も、変化の兆しを見せていくのだった。
後書き
ヤコブは本作品オリジナルの登場人物で、原作には登場しません。
僧兵庁の動きも書く必要があるので便宜上、名前を付けさせてもらいました。
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