最奥の間へと続く長い廊下を、一心に駆け抜ける一行の姿があった。
アルフィンと、その従者のエリゼ。それに護衛のノエルと親衛隊の隊員が三名。
暁の旅団でリィンに次ぐ実力を持ち、緋の騎神の起動者でもあるシャーリィ・オルランド。
そして、エタニアと言う国からやってきた細剣の達人――ラクシャ・ロズウェルの八名だ。
「ここだけ、随分と雰囲気が違いますね」
最後尾を走りながら、ふとそんなことを口にするラクシャ。
専門は古代種の研究だが、父親が考古学者であった影響から彼女も芸術や文化と言った歴史的背景を持つものに深い造詣を持っている。
そんな彼女だからこそ、誰よりも早く〝違和感〟に気付けたのだろう。
「どういうことですか?」
「ここだけ後から造られたみたいな……年代的に随分と新しいイメージを受けます。調度品や壁の装飾なども、他と特徴が異なるようですし」
そう言われて、エリゼも納得した様子で周囲を見渡す。
ついていくのに必死で周囲に目を向ける余裕がなかったが、いまならはっきりと分かる。
ラクシャの言うように、ここにあるものは〝目にしたことのあるものばかり〟だと――
「確かに。ここだけどこか、離宮に近い印象を受けます」
そんな二人の会話にアルフィンも同意する。
カレル離宮は皇族が生活の拠点としている宮殿ではあるが、バルフレイム宮殿と比べると比較的新しい建造物だ。
しかし地精の遺産と言うことは、この要塞そのものは暗黒時代以前――少なくとも千年以上、昔のものと考えるべきだろう。
だとすれば、ここだけ年代が新しく感じるのは確かに違和感を覚える。
「人の手が入っていると言うことは、生活を営むために環境を整えたと考えるのが自然です」
そのことから近年、地精がここを拠点として使っていた可能性が高いとラクシャは考察する。
すべての区画を改修するのは時間的に難しいことから、自分たちが主に生活の拠点とする場所にだけ手を入れたのだろうと――
「では、やはり……」
この先にセドリックがいる可能性が高いと、アルフィンは確信する。
しかし、
「姫様」
逸る気持ちをエリゼに見透かされ、アルフィンはぐっと堪える。
本当は分かっているのだ。こうして無理を言って同行させてもらったが、自分に出来ることは何もないと。
シャーリィの戦闘力の高さは今更語るべくもなく、ノエルの実力も警備隊ではトップクラスの折り紙付きだ。
他の隊員の実力もノエルと比べれば見劣りするものの決して低いと言う訳ではない。
それにラクシャはリィンが団に誘うほどの剣の使い手。エリゼも実戦経験が足りないくらいで、実のところ細剣の扱いに長けていた。同年代でエリゼを超える剣の使い手は、帝国にもそういないと言って良いだろう。
故に、戦いになれば自分が一番足を引っ張る可能性が高いと言うことをアルフィンは理解していた。
皇家の人間は潜在的な魔力が高くアーツの扱いに長けた者が多いが、アルフィンはオリヴァルトと比べて実戦経験が乏しく戦闘に長けていないことを自覚しているためだ。
それに――
「分かっています。無茶をするつもりはありませんから……」
無理をすれば、エリゼやノエルに負担を掛けることもアルフィンは理解していた。
ノエルたち親衛隊の人間は当然として、エリゼも親友であると同時にアルフィンの従者でもあるからだ。
帝国の貴族に生まれた者として皇家に忠誠を誓い、国のために命を懸ける覚悟は当然できている。
もしもの時は、自分の命よりもアルフィンの命を優先することだろう。
友人として対等でありたいとアルフィンが思っていても、こればかりは仕方のないことだった。
(家族、ですか)
足手纏いになると分かっていながらも、この戦いについてきたアルフィンの気持ちがラクシャも分からない訳ではなかった。
アルフィンの気持ちがすべて理解できるとは言わないが、家族を失うかもしれないという恐怖と悲しみは理解できるからだ。
ラクシャ自身、父の失踪によって半ば強制的に領地の経営を継ぐことになり、どうにか混乱する領地を治めようと奔走するも他家の計略に嵌まって爵位を失い、領地を奪われた兄の姿を目にしている。
確かにラクシャの兄にも悪いところはあった。
貴族としての甘さ、経験のなさが領民に見放された最大の要因であろうが、それでも彼なりに領地を守ろうと行動した結果でもあったのだ。
しかし、結果は伴わず家族は離散。
ラクシャも失踪した父親を追って故郷を後にしたが、いまでもその時の自分の行動が正しかったのかと迷うことはある。
あの時、慣れない領地経営に奔走する兄を支えていれば、結果は違ったのではないか?
自分の夢を優先して家族を捨てた父親のことなど忘れ、ロズウェル家の再興のために自分も残るべきだったのではないか?
後悔と言ってもいいのかもしれない。
リィンに復讐したいのなら力を貸してやると言われた時、まだ自分のなかに未練が残っていることに気付かされた。
だからだろうか? ラクシャは昔の自分に、アルフィンを重ね合わせていた。
「……ラクシャさん?」
ラクシャの視線に気付いてか?
どこか不思議そうな表情で、ラクシャに声を掛けるアルフィン。
察知されると思っていなかったので内心驚きながらも、
「いえ、なんでもありません。先を急ぎましょう」
ラクシャは誤魔化すようにアルフィンを追い抜き、先頭を行くシャーリィの後を追い掛けるのだった。
◆
同じ頃、最奥の間では誰もが予想しなかった激戦が繰り広げられていた。
戦っているのは〈赤い星座〉の副団長にして〈赤の戦鬼〉の異名を持つシグムント・オルランドと――
エレボニア帝国八十八代皇帝、セドリック・ライゼ・アルノールの二人だ。
「あの小僧。まさか、副団長と互角に渡り合うとは……」
そんな二人の戦いを瓦礫の影に身を隠しながら見守るガレスの姿があった。
本来なら援護をすべきところだが、シグムントとセドリックの戦いは人間が立ち入れる領域を超えていた。
ガレスの腕をもってしてもセドリックの動きを捉えることは難しく、戦いの邪魔になる可能性が高い。
それにセドリックから受けた傷が思いのほか深く、思うように狙いを定めることが出来ないという事情もあった。
しかし、そんな最悪の状況にも関わらず、ガレスの表情にはまだ余裕があった。
確かにセドリックは強い。単純なスピードでは、シグムントを遥かに凌駕している。
剣術の腕も達人に迫る〝一流〟の技量を備えているのは間違いない。
不死者として甦ったことで、オルトロスの知識と経験を吸収したと言うのは嘘ではないのだろう。
何よりセドリックが右手に持つ禍々しくも黒い輝きを放つ剣からは、見ていると引き込まれるような強い力を感じる。
身体能力、装備共にセドリックの方が上なのは間違いなかった。
それでも――
「幾ら奴が強くても、副団長が負けるはずがない」
ガレスはシグムントの勝利を疑っていなかった。
確かにスペックではセドリックの方が上だが、戦いはそれだけで勝敗が決まるものではない。
実際、シグムントは一度リィンと戦っているが、スピードで勝るリィンを相手に互角の戦いを繰り広げていた。
互いに本気で相手を殺すつもりはなかったとはいえ、鬼の力を解放したリィンと引き分けたのだ。
オルトロスの知識と経験を吸収したとはいえ、いまのセドリックがあの時のリィンを超えるほどの実力を備えているとは思えない。
ならば〝戦士〟としての〝経験〟と〝力量〟で勝るシグムントが後れを取るはずがないと、ガレスは信じていた。
幾ら強くなったと言っても、まだセドリック自身には〝人〟を殺した経験がないからだ。
「……想像以上です。まさか、偽帝の力を手に入れ、人であることを捨てても敵わないなんて……」
「自ら贄となってまで力を求めた執念は認めてやる。だが、それだけだ」
賭けに失敗すれば、オルトロスに身体を奪われたまま人格が戻らない可能性もあった。
そう言う意味ではセドリックは賭けに成功したと言え、その執念と精神力にはシグムントも一目を置いていた。
しかし不死者となったことで身体能力が向上し、オルトロスの知識と経験を得たことで剣の技量が上がろうと――
所詮は借り物の力だ。セドリック自身が努力して得た力ではない。
「まさか猟兵のあなたから、そんな言葉を聞くとは思いませんでしたよ」
「ククッ、確かにな。俺たち、猟兵は使えるものはなんでも使う。そう言う意味では、お前のやったことは何一つ間違っちゃいないさ」
借り物の力であろうと、ようは結果が伴えばいいのだ。
そう言う意味でセドリックの行為自体を、シグムントは否定するつもりはなかった。
しかし、その力も使いこなせないのでは意味がない。
すべてにおいて凌駕しているはずのセドリックが攻めきれないのは、まだ完全に力を使いこなせていないからだとシグムントは見抜いていた。
こればかりは〝経験不足〟と言うほかない。才能だけで片付く問題ではなかった。
リィンですら自身の中に眠る力を使いこなすのに何年もの歳月がかかったのだ。
不死者となったばかりのセドリックが、十全に力を使いこなせないのも無理はない。
ましてや他人から得た知識と経験を身体に馴染ませるには、どれほどの天才であろうと相応の時間がかかるはずだ。
セドリック自身が気付けていない僅かな誤差。それが隙を生むことに繋がり、戦いの結果に影響を与えていた。
格下であればそれでも通じたであろうが、相手は人外の怪物――嘗ての闘神や猟兵王と並ぶ最強格の猟兵だ。
この僅かな差が、勝敗の結果に与える影響は大きい。
それに――
「お前、最初から勝てると微塵も思っちゃいねえだろ?」
最初から勝ちを諦めてる相手に負けてやるほど、シグムントは甘くはなかった。
「……どうして、そう思ったのですか?」
「いまのお前ならガレスを殺せたはずだ。だが、そうしなかった」
ガレスに向けて放たれた一撃は意識の外を突いた完璧な不意打ちだった。
なのに深手を負ったとはいえ、ガレスは生きていた。
シグムントですら全力をださなければ対応できないようなセドリックの一撃を受けておきながら、だ。
なのにガレスが生きていると言うことは、敢えてガレスがギリギリ回避できるような一撃を放ったと考えるのが自然だ。
それにセドリックの攻撃からは〝殺意〟を感じない。試合ではなく殺し合いをしていると言うのに〝温すぎる〟のだ。
まるで〝殺してくれ〟と言っているかのように――
「やめだ」
「……どういうつもりですか? まさかオーガロッソともあろう人物が、敵に情けを掛けるつもりですか?」
「挑発しても無駄だ。既に〝目的〟は達した。自殺志願者の相手をしているほど、俺たちは暇じゃないのでな」
挑発に乗る様子もなく本当に背中を向けて立ち去ろうとするシグムントに、セドリックは戸惑いと焦りを隠せない様子を見せる。
シグムントの本気を引き出すために、ガレスに深手を負わせたのだ。
彼の性格であれば団員を傷つけられて、しかも敵を前に背を向けて立ち去ることなどないと考えていた。
故に、ここまで順調に進んでいた計画が、まさかこんなカタチで頓挫するとは思ってもいなかったのだろう。
「待っ――」
どうにかしてシグムントの注意を引こうと、セドリックが呼び止めようとした直後のことだった。
彼の身に再び〝異変〟が起きたのは――
「が、あああああ――ッ!?」
心臓が激しく脈打ち、肺が焼けるような息苦しさを覚え、その場に膝をつくセドリック。
そして、アルノール皇家の特徴とも言える金色の髪が〝灰色〟に染まる。
「こいつは……」
その変貌したセドリックの姿に目を瞠るシグムント。
そう、鬼の力を解放したリィンと瓜二つと言っていいほどに〝酷似〟していたからだ。
外見だけではない。全身から溢れる瘴気を纏った闘気も、まさに〝鬼の力〟そのものと言ってよかった。
唯一、リィンと違うところがあるとすれば、それは――
「――――ッ!」
赤く染まった瞳が妖しい光を放ち、まるで獣のような雄叫びを上げるセドリック。
人間らしさの欠片も感じないその姿を見れば、いまのセドリックがどういう状況にあるのかを察するのは難しくなかった。
「ちッ……呑まれやがったか」
――呪いの浸食。贄としての覚醒。
本来の歴史では、リィンが担うはずであった役目。
セドリックの企みにイシュメルガは最初から気付いていたのだろう。
その上で彼を利用したのだ。
儀式を完成させる最後のピースとして――
「だが、悪くねえ」
理性を捨て獣となったセドリックを見て、シグムントは消えかけていた闘争本能が呼び起こされるのを感じる。
そして、鬼の力を解放したセドリックにリィンの姿を重ね合わせ――
「いずれ、アイツとも決着をつける予定だったことを考えれば、前座には丁度良いだろう。お望みどおり、殺してやるよ」
獲物を捕捉した狩人のように、シグムントは笑みを浮かべるのだった。
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