「間一髪でしたね」

 そう話すフランの視線の先には、ゆっくりと崩れ落ちる幻想機動要塞の姿がモニターに映し出されていた。
 周囲を覆っていた外郭は崩壊し、要塞の中央にそびえ立っていた砦も崩落が始まっている様子が見て取れる。
 フランの言うように危ないところだった。
 とはいえ、

「ええ、危ないところだったわ。皆、無事だと良いのだけど……」

 まだ要塞に取り残されているアリサたちのことを考えると、エリィは手放しに喜ぶ気にはなれなかった。
 本来であればアリサたちが帰還するまで出航を待ちたかったのだが、あと数分遅ければ崩落に巻き込まれて脱出はままならなかっただろう。
 状況的には仕方のなかったこととはいえ、本当にこれでよかったのかと不安が過るのは無理のないことだった。

「――レーダーに機影! 何かが高速で近付いてきます!」

 アリサたちの無事を祈る中、船のレーダーが捉えた反応をフランが口にする。
 高速で船に近付いてくる反応は二つ。その飛行船と思しき反応は、カレイジャスに迫る速度をだしていた。

「まさか、帝国軍?」

 三十万を超す死者をだしたと言っても全滅した訳ではない。
 帝国軍がまだ戦えるだけの戦力を残していることは、エリィにも分かっていた。
 仮に近付いている反応が帝国軍の飛行船だとすれば、一戦を交えることになりかねない。
 なし崩し的に停戦の状態にあると言うだけで、正式に合意が結ばれた訳ではない。
 ノーザンブリアと帝国の戦争は、まだ続いているのだから――
 しかし、

「応戦するのは……無理よね?」
「はい。いまの状態では難しいかと……」

 いまの〈アウロラ〉は完全な状態とは言えなかった。
 先の損傷で導力エンジンの出力は上がらず、船体にも痛々しい傷痕が残っている状況だ。
 こんな状態で帝国の戦艦と一戦を交えるのは自殺行為と言っていい。
 となれば、取れる選択肢は一つしかない。

「この空域から離脱しましょう」

 アリサたちのことは心配だが、まずは自分たちの安全を確保するのが最優先だとエリィは決断を下す。
 恐らく向かって来ている船も二隻だけと言うことは、偵察が目的のはず。
 すぐにこの空域から離脱すれば、無理をして追ってくることもないだろうと判断してのことだった。
 エリィの指示に従い、ブリッジのクルーたちも撤退の準備を始める。
 導力エンジンの出力を限界まで上げ、速やかに空域からの離脱を試みようとした、その時だった。

「待ってください! 接近する船から通信。これは……」

 フランの声がブリッジに響いたのは――
 接近する機影から送られてきた船の所属を示す識別コードにフランは驚いた様子を見せ、

「帝国の船じゃありません。近付いてきているのは――」

 七耀教会の船――星杯騎士団の専用艦〈メルカバ〉だと告げるのだった。


  ◆


『いやはや、驚かせてしまったようで申し訳ありません。ああ、ロジーヌくんも無事で何よりです』

 モニター越しにロジーヌの姿を見つけ、親しげな様子で話し掛ける男がいた。
 メガネをかけたどこか人の良さそうな教会の制服に身を包んだ彼の名は、トマス・ライサンダー。
 星杯騎士団の副長にして、第二位〈匣使い〉の異名を持つ守護騎士の一人だ。

「ライサンダー卿、ご無沙汰しております。本来であれば、こちらの船にお招きしたいところですが〝このような状況〟のため、通信越しに失礼します。本日はどのような御用件でしょうか? 〝作戦行動中〟のため、手短にお願いします」

 丁寧に応対しているように見えて、どこか棘のあるエリィの質問にトマスの頬が引き攣る。
 しかし、それも無理のないことだと言うのは、トマス自身が一番よく理解していた。
 僧兵庁の独断とはいえ、教会は帝国と手を組み、ノーザンブリアへと攻め込んだのだ。
 地精に利用されていただけと言い訳したところで、本来中立であるはずの教会が戦争に加担した事実は消せない。
 その上、帝国は現在、ノーザンブリアだけでなくクロスベルとも敵対している。
 エリィが警戒するのは当然だと、トマスも考えていた。

『では、最初の用件から。教会は帝国との休戦に向けて、仲介する準備があります』

 故に下手な駆け引きは心証を損なうだけだと判断し、トマスは本題から入る。
 帝国との休戦交渉。どちらかが滅びるまで戦争をする訳にもいかない以上、エリィも必要なことは理解していた。
 しかし、

「それを信用しろと?」

 事情はどうあれ、教会は帝国に味方をしてノーザンブリアへと攻め込んだのだ。
 しかも〝聖戦〟というお題目を掲げ、リィンを殺害し、ヴァリマールを強奪しようとした。
 たいした被害はなかったとはいえ、クロスベルも帝国からの侵攻を受けている。
 愛する人にナイフを向けられ、故郷を攻撃されて穏やかでいられるほど、エリィはお人好しではなかった。

『当然の反応だと思います。ですが、三十万もの犠牲者がでている以上、帝国も簡単には後に引けないはずです』

 ノーザンブリアから休戦を申し入れたところで、それが受け入れられる可能性は低いとトマスは話す。
 エリィたちからすれば、この戦争は帝国から仕掛けてきたものだ。
 被害を主張するのはお門違いで、非は帝国にあると誰もが分かっていた。
 しかし帝国に責任があろうと、それだけで解決しないのが国と国の問題――外交と言うものだ。
 帝国側は事実がどうあれ、三十万の命が奪われたことを主張し、非人道的な行いとノーザンブリアを非難するだろう。
 そして、その怒りの矛先は〈暁の旅団〉――リィンへと向けられることは簡単に予想できる。
 実際に先の侵攻作戦では、ノーザンブリアへと侵攻してきた帝国軍十万をリィンはたった一人で壊滅させているのだ。
 帝国が経済力・軍事力共に、このゼムリア大陸で共和国に並ぶ大国である事実に変わりは無い。
 帝国の主張が事実かどうかなど関係なく、自国のために帝国の味方をする国も少なくはないだろう。
 小さな潰れかけの自治州と、大陸で一二を争う大国。どちらの味方をした方が得かなど、誰の目にも明らかだからだ。

(確かに帝国にも大国としての面子がある。交渉は簡単にはいかないでしょうね)

 理不尽の一言に尽きるが、それが国と国の駆け引きというものだとエリィも理解していた。
 クロスベルで生まれ育ち、政治家である祖父の背中を見続けてきたからこそ――
 この世界が理不尽で不平等なものだということを誰よりも良く知っている。
 一方で教会が休戦を仲介するのであれば、帝国も面子が保たれ、譲歩する可能性は高い。
 教会も少なからず犠牲者をだしていると言うのもあるが、七耀教会の持つ影響力は大国とて無視できないほどに大きいからだ。
 教会が帝国を利用しようとしたように、帝国も大義名分を得るために教会を利用したことは事実だ。
 聖戦などとお題目を掲げた以上、教会にも責任はあるが、帝国にも教会を政治に利用しようとした負い目があると言うことだ。
 そんな隙を共和国が黙って見過ごすとは思えない。
 となれば、共和国に口実を与える前に教会の仲介で休戦しておいた方が、帝国にとってもデメリットは少ないと言うことだ。
 教会も素早く事態の収拾に動くことで、一部の信徒の暴走という線で早期に決着を試みたい思惑が透けて見える。
 とはいえ、

「それだけが〝理由〟じゃありませんよね?」

 それは帝国と教会の事情。表向きの理由に過ぎないと、エリィは見抜いていた。
 彼等は今回の戦争で〈暁の旅団〉の力を思い知ったはずだ。
 そして、その圧倒的な力の背景に大陸の外からやってきた国――エタニアという未知の勢力が関わっていることを知った。
 危機感を抱いたはずだ。リィンとヴァリマールだけでも厄介なのに自分たちの知らない技術と知識を持つ勢力が背後にいると分かったことで、最悪のシナリオも頭を過ったはず。
 だからこそ教会は安易に敵対するのではなく、彼等の目的と力を探るために時間を稼ぐことにしたのだろう。
 帝国との仲を取り持つことで、自分たちに恩を売る狙いもあるのだとエリィは推察する。
 しかし、それで恩を売ったように振る舞われるのは、エリィとしても納得が行かなかった。

『かないませんね。それで、何がお望みですか?』
「始まりの地」
『それは――!?』
「法国にあるという〝オリジナル〟へ立ち入る許可を頂けますか?」

 故に、簡単には受け入れられ無いであろう対価を要求する。
 しかし上手く行けば、教会との全面戦争を避けられるかもしれないと考えてのことだった。
 リィンの目的は七耀教会の壊滅ではない。アルテリア法国にあるオリジナルの〈始まりの地〉に立ち入ることだからだ。
 そうすることで具体的にどうなるのかはエリィにも分からないが、

(この世界のため……いえ、それは建て前ね)

 愛する人が望むのであれば、それを本気で叶えたいとエリィは考えていた。

『申し訳ありませんが、すぐには返答できません』

 さすがのトマスも困った様子で回答を控える。
 実際、すぐに望む返事が聞けるとはエリィも思ってはいなかった。
 始まりの地のオリジナルがどういうものかは分からないが、教会にとって最重要機密であることは間違いないからだ。
 トマスが話を持ち帰ったとしても、教会が提案を受け入れる可能性は低いとエリィは見ていた。
 しかし仮に提案が受け入れられ無いにしても、これで教会に交渉の主導権を譲ることはない。
 今後の交渉次第では、相当無茶な要求も通る可能性が高いだろう。

『希望に添えるかは分かりませんが、上には必ずお伝えするとお約束します。その代わりと言ってはなんですが……』

 やっぱりそうきたかと、トマスの言葉にエリィは内心で溜め息を溢す。
 教会の思惑に嘘はないのだろうが、トマス自身の狙いが別にあることにエリィは最初から気が付いていたからだ。
 自分の従騎士であるロジーヌをリィンの監視役に選んだのも、他に狙いがあったからだと推察する。
 僧兵庁の暴走以前にも暗殺者を差し向けたりと、教会のリィンに対する対応は分かれていた。
 それは即ち、教会内でも見解は統一されておらず、様々な考えを持つ複数の派閥に分かれていることを示唆していた。
 典礼省、封聖省と言ったように、ただ単純に省庁ごとの派閥争いと言う訳ではないだろう。
 帝国との戦争に教会が関与したことは事実だが、今回の一件が僧兵庁全体の考えとは思えないからだ。
 だとすれば、トマスが所属している派閥とは――

(私の予想が正しければ騎士団とも直接的な繋がりがあり、騎士団の上位組織である封聖省だけでなく典礼省や僧兵庁にも影響力のある〝重要人物〟が、ライサンダー卿の背後にいる可能性が高い)

 一番可能性が高いのは法王だが、まだ結論付けるには早いとエリィは考えていた。
 少なくともトマスは最悪の事態を避けようと、奔走している節がある。
 暁の旅団との全面衝突を回避したいと考えていると言うことだ。
 即ち、それは会話の通じる相手であることを意味していた。
 いずれ敵対する可能性はあるにしても、教会すべてを敵に回す必要はない。
 いまは無理でも交渉次第では、協力関係を取り付けることも不可能ではないだろう。
 リィンがロジーヌを傍においているのも、そのことに気が付いているからだとエリィは察していた。

『――いまの爆発は!?』

 そんなエリィの反応を観察しながらトマスが交渉に入ろうとした、その時だった。
 大気を震わせるような轟音と共に、大きな爆発が起きたのは――
 場所は幻想機動要塞の中心。アリサたちが突入した砦からだった。
 要塞の中央から空に向かって立ち上る光の柱が、アウロラやメルカバからもはっきりと確認できる。

「いまのは集束砲? だとすれば……」

 あの光の正体がリィンの放った集束砲なら、この戦いもいよいよ佳境を迎えようとしているのだと、エリィは察する。
 その証拠と言っても良いのか分からないが、

『いまこちらに入った情報では、帝国の各地に現れた〈塩の杭〉が突然、崩壊を始めたとのことです』

 トマスは入手したばかりの情報を隠すことなくエリィに伝える。
 いまの光がリィンの集束砲だというのは、トマスも予想しているはずだ。
 だからこそ、塩の杭が崩壊を始めた件についても〈暁の旅団〉が関わっているのではないかと疑っているのだろう。
 要塞内で何が起きているのか? トマスが求めているのは情報の共有だとエリィは理解する。
 しかし、

(ライサンダー卿が何を求めているのかは分かる。でも、それを知りたいのは、こちらも同じなのよね……)

 知らないものは答えようがない。
 いま要塞内で起きていること。そして、塩の杭についても何も聞かされていないからだ。
 分かることは、この件に恐らくリィンが関わっていると言うことくらいだ。
 しかし、それを正直に話したところで信じてもらえるかは別の話だった。

「緊急事態なので詳細は後ほど。状況の説明は、ロジーヌさんから受けてください」
「え? エリィさん……」

 そんな話は聞いていないと言った表情をエリィに向けるロジーヌ。
 エリィが何も知らないように、ロジーヌもたいした情報を得ている訳ではないからだ。
 しかし立場的にも拒めるはずもなく、板挟みの状態でどうトマスを納得させたものかとロジーヌは頭を悩ませることになるのであった。



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