「――トワさん!」
トワの名を叫びながら急に起き上がったアルフィンに驚いた様子で目を丸くするエリゼ。
ポカンと呆気に取られているのは、ノエルたちも同じであった。
「姫様! よくご無事で――」
「……エリゼ?」
しかし、すぐに気を取り直すとエリゼは感情を抑えきれずにアルフィンに抱きつく。
そんな光景を眺めながら涙を浮かべるノエルや親衛隊の面々を見て、ようやくアルフィンは自分の置かれている状況を理解する。
セドリックを救出するためにベルの秘術で〈緋の騎神〉の精神世界へと意識を送り込み、そこで――
「セドリックは!?」
「隣のベッドをご覧なさい」
セドリックのことを思い出して慌てるアルフィンに、ベルは隣を見るように促す。
ベルの指示に従ってアルフィンが視線を右に動かすと、そこには仰向けに横たわるセドリックの姿があった。
まるで死んでいるかのようだが肌には色味が差し、呼吸をしている様子が見て取れる。
「死んではいませんが、精神はかなり消耗しているようですわね」
「……目を覚ましますか?」
「はっきりとしたことは言えませんわ。明日、目を覚ますかもしれないし、一年後かもしれない」
ひょっとしたらこのまま目を覚まさないという可能性もゼロではないと、ベルはセドリックの状態を説明する。
少しの遠慮もないベルの説明の仕方に不満を隠せない様子でノエルは睨みつけているが、むしろアルフィンは正直に答えてくれたことに感謝していた。
不安がないと言えば、嘘になる。しかし、希望が潰えた訳ではない。
生きてさえいてくれれば、再び姉弟で語り合える日が訪れるかもしれないと言うことだからだ。
「いろいろと思うところはあると思いますが、セドリックのことをよろしくお願いします」
「あ、はい! 命に代えても御守りします!」
ノエルに指示をだすと、アルフィンは状況を把握するために再び周囲を見渡す。
ベッドが複数並んでいて壁や天井には装飾がなく、無機質な印象を抱かせる。
恐らくは医務室のような場所だと察して耳を澄ませると、アルフィンの耳にエンジンの駆動音のようなものが聞こえてきた。
「もしかして、ここは船の中ですか?」
「あ、はい。驚かないで聞いて欲しいのですが……〈赤い星座〉の飛行船の中です」
複雑な感情を滲ませながら、アルフィンの疑問に答えるノエル。
助かったことは事実だが、赤い星座の船に乗っていると言うことが心情的に複雑な感情を抱かざるを得ないのだろう。
ノエルの説明からなんとなくではあるが事情を察したアルフィンは、いま自分が為すべきことを考える。
セドリックの無事を確認できたと言うことは、目的の大半は達成したと言っていい。
しかし、アルフィンにはやり残したことが――まだ気に掛かることが一つ残っていた。
故に――
「至急、ブリッジへ案内して頂けますか?」
まだ間に合うかもしれない。
そんな僅かな希望を抱きながらアルフィンはベルに頭を下げるのであった。
◆
『――これが、私がトワさんから聞いた話のすべてです』
ベイオウルフ号からの通信でアルフィンの話を聞いたリィンは、何となく察していたと言う様子で深々と溜め息を吐く。
緋の騎神と戦っていた時から、何かがおかしいと感じていたのだろう。
捕食しようとしていた相手に返り討ちにあったのだとすれば、イシュメルガの気配を感じないのも納得の行く話であった。
相手がシャーリィであるなら尚更だ。
それに――
「お前、最初からこのことも気付いていやがったな」
『魔王の狂気にさえ取り込まれなかったシャーリィが、あの程度の相手に主導権を譲るはずがありませんもの』
ベルの言葉に妙に納得してしまう自分に、どうして気付かなかったんだとリィンは頭を掻く。
ベルの言うようにシャーリィがイシュメルガに屈する姿がまったくと言って良いほど思い浮かばないからだ。
呪いが見せる人間の悪意程度で、あのシャーリィが臆する姿など想像も付かない。
そんな彼女を精神的に支配し、主導権を握ろうなどと無理な話だろう。
それに〈緋の騎神〉もヴァリマールと同様、騎神の中でも例外的な存在だ。
暗黒竜の返り血を浴びた影響で〝呪い〟の影響を受け、紅き終焉の魔王の依り代とされた呪われた騎神。
そして今やその魔王の力を完全に自分のものとして、異能を自在に使いこなせるまでに成長している。
騎神は起動者と共に成長するが、テスタロッサはヴァリマールとは別の意味で厄介な存在へと成長しつつあった。
イシュメルガのもう一つの誤算は、テスタロッサの成長速度も計算に入れていなかったことだろう。
「さっきから呼び掛けても〈緋の騎神〉の反応がないんだが、どういうことだと思う?」
『消化の悪そうなものを捕食したようですし、吸収した力を完全に掌握するのに時間が掛かっているだけでしょう』
ベルから返ってきた答えに、やっぱりかと溜め息を漏らすリィン。
ヴァリマールも〝進化〟が完了するのに相応の時間を要した。
即ち、それと同じことがテスタロッサにも起こっていると言うことだ。
だとすれば、まだ不完全な状態で寝ぼけていて、あれだけの戦闘を行ったと言うことになる。
「こいつ、どこまで強くなるつもりだ……」
『勝つまでじゃありませんの? 愛されていますわね』
誰に勝つまでかと言うのは答えを聞くまでもなかった。
いずれは決着をつけなくてはならない問題とはいえ、シャーリィの成長速度を考えると今から頭が痛い。
しかし、
(強くなるしかないな。誰よりも、ずっと強く……)
リィンも成長を止めるつもりはなかった。
随分と強くなったことは確かだが、目的を遂げるにはまだ力が足りないと感じているからだ。
とはいえ、いま考えても仕方のないことなので、いま対応すべき問題にリィンは意識を向ける。
それは――
「……リィン団長か」
トワのことだった。
以前はやめろと言っても〝くん〟付けで呼んでいたと言うのに、敢えてトワが団長と呼んでいたことにリィンは違和感を覚える。
しかし、もしトワが〝零の巫女〟のような力に目覚めたのだとすれば――
(ゾア=ギルスティンの正体に気付いているのかもしれないな)
それなら敢えて『団長』と呼んだ理由にも察しが付く。
そしてそれは――ゾア=ギルスティンの脅威がまだ去った訳ではないことを示唆していた。
アルター・エゴのダブルグラビティカノンで空間ごと消滅したと言う話だが、恐らく生きている。
『それで、どうしますの?』
「どうするも何も……俺がでしゃばるのは野暮ってもんだろ? なあ、クロウ」
『……最初からそのつもりで聞かせておいて、よく言うぜ』
ベルの問いにリィンが答えると、クロウの声が割って入る。
アルフィンが態々ブリッジへ出向いたのは、リィンだけでなくクロウや他の皆とも情報を共有する狙いがあったからだろう。
リィンは確かに強い。しかし、トワが言っていたように何でも出来ると言う訳ではない。
世界の破滅を回避しつつもトワを助けるには、皆の力が必要だと感じたのだろう。
『それなら、私も助けになれるかもしれない』
そう言って通信に割って入ってきたのは、良く見知った男の声だった。
落ち着いた色合いのカジュアルなスーツの上から白衣をまとった眼鏡の男。
「アルベリヒ……いや、フランツ・ラインフォルトか」
ヴァリマールのメインモニターに映し出された男の顔を見て、リィンはすぐに男の正体を察する。
黒のアルベリヒ――いや、シュミット博士の一番弟子にして、アリサの父親。
フランツ・ラインフォルトであると――
「よかったな。親父さんが無事で」
『あ、うん。ありがとう……』
そんな風にリィンから声を掛けられると思っていなかったようで驚きつつも頬を紅く染め、アリサは照れた様子を見せる。
アリサの予想通り、リィンがアルベリヒを殺すつもりでいたことは確かだ。
しかし、リィンが殺そうとしていたのは〝地精の長〟であって〝アリサの父親〟ではない。
最初からアリサの賭けが成功すれば、認めるつもりでリィンはいたのだろう。
『意外な対応ですわね』
「お前が言うか……」
ベルにだけは言われたくないと言った反応を見せるリィン。
自らの意志で行ったのならともかく、フランツは見方を変えれば被害者とも言える。
そもそも悪事を働いたから殺すと言うのであれば、ベルを殺さなかったのは間違いと言うことになる。
(まあ、若干あの時殺しておいた方がよかったかもと思うことはあるが……)
それでもリィンは自分の判断は間違っていないと信じていた。
善悪の判断など立場や視点が違えば、どちらにでも転ぶものだと考えているからだ。
ベルの性格は最悪と言っていいが、彼女なりに自分の中の流儀があることは見て取れる。
イシュメルガの言いなりで悪事を働いてきたアルベリヒよりはマシだろう。
「もしかして、アルベリヒだった頃の記憶があるのか?」
『ああ……夢を見ていたような記憶ではあるが大凡の事情は把握しているし、ここにいる誰よりも〈黒の巫女〉について詳しいつもりだ』
それで自分なら助けになれると申し出たのかと、リィンはフランツの思惑を察する。
ただ一つ、リィンには気になることがあった。
「身体は大丈夫なのか?」
フランツ・ラインフォルトは十年前に死亡している。
アルベリヒの新たな宿主とするため、イシュメルガの力で不死者として甦ったのが今のフランツと言う訳だ。
だからイシュメルガが消えれば、その力で生かされていたフランツもアルベリヒと同様、消滅を待つしかない。
身体に残された僅かな力が尽きた時、この世界から彼は痕跡一つ残さず消えるはずだった。
しかし、フランツの顔色からも察せられるが痩せ我慢をしていると言った様子は見て取れない。
『ああ……どう言う訳か、身体に異常はない。幾つか推論は立てられるが……』
やはりそういうことかと、フランツの反応からリィンも自分の考えが間違っていなかったことを察する。
イシュメルガは倒されたのではなく、テスタロッサに吸収されたのだ。
それは即ち、相克で敗れたのと同じ状況で、イシュメルガの力はテスタロッサの中にあると言うことだ。
アルベリヒだけが消えたのは謎だが、フランツの身体に異常がないと言うことは不死者の契約自体は生きているのだろう。
シャーリィの仕業か、テスタロッサの意志か?
こればかりは当人に確認してみないことには分からないが――
「アリサ、そっちのことはお前に任せる」
「え……あっ、うん! 任せて頂戴!」
アリサのやる気に満ちた表情を見て、まあいいかと一人納得するのであった。
◆
『団長さん、あれで本当によかったの?』
「お前まで、そんなことを聞くのか……俺は鬼でもなんでもないぞ?」
アルフィンたちとの通信を終え、一息吐いていたところにレンからのツッコミが入り、リィンは不満を隠さずに反論する。
すべてアリサに丸投げしたかのように見えるが、フランツの処遇も含めてアリサに任せると言った意味もそこには含まれていた。
リィンの言葉の意図を察したから、アリサも喜びを隠せずにいたのだろう。
レンの言うように甘い処置だと思うが、そもそもフランツを責めたところでアルベリヒの犯した罪が消える訳ではない。
それに――
「シュミット博士も認めてる天才技師らしいじゃないか。なら殺すよりはベルと同様、団のために働いてもらった方が得だと思わないか?」
『まあ、そういうことにしおくわね』
レンの含みのある言葉に、また妙な誤解をしているなとリィンは呆れた様子を見せる。
言動なんかは大人顔負けと言った感じだが、レンの年齢はフィーよりも三つ下だ。
大人の色香とはまた違った妖艶さを纏いながらも、少女特有の幼さがまだ残っている。
こういう話に興味のある年頃なのだろうと、リィンが勝手に解釈していると――
『団長さんこそ、妙な勘違いしてない?』
「ノーコメントだ」
レンに心を見透かされ、リィンは回答を拒否するのであった。
そして――
「お前は一緒に行かなくていいのか?」
『団長さん一人じゃきついだろうし、レンも手伝ってあげようかなって』
「俺一人で十分だ。お前もさっさと行け」
作戦会議が終わったのだろう。
要塞の外へと飛び去っていくアウロラとベイオウルフ号。
そして、その後を追うように飛び立つ二機の教会の船を見送りながら、リィンがレンを追い立てようとした、その時だった。
周囲に空間の揺らぎを感じ取ったのは――
「レン! 気を付けろ――」
リィンがレンに警戒を促そうとした、次の瞬間――
空間を斬り裂くような斬撃が放たれたかと思うと、アルター・エゴの腕が宙を舞った。
しかし、即座に反応してグラビティカノンで反撃にでようとするレンだったが、
『――くッ!』
発射態勢に入ろうとした僅かな隙を突かれ、腰から飛び出た砲身も〝斬撃〟によって両断されてしまう。
爆発と共に地上へと落下していくアルター・エゴの姿を横目に、リィンは爆煙へ向かって飛び込む。
「やっぱり生きてやがったか」
ヴァリマールの大気を震わせるような一撃によって煙が晴れ、姿を現したのは白銀の騎神――ゾア=ギルスティンであった。
あっさりとアロンダイトの一撃を受け止められながらも笑みを浮かべるリィン。
それは――
「それが、その剣の本当の姿か」
黒い瘴気を纏っていたゾア=ギルスティンの剣が、青白い輝きを放っていることに気付いたからだ。
ダーナが言っていたように、ゾア=ギルスティンの剣はイシュメルガと同一のものではなかった。
青い輝きを放つ白銀の剣。この姿こそが、ゾア=ギルスティンの持つ剣の真の姿なのだろう。
そして、
「少しは質問に答えろよ。それとも、そっちの剣に尋ねた方がいいか? なあ――〝アルティナ〟」
リィンはゾア=ギルスティンの持つ剣に向かって、オライオンの名を持つ少女の名を呼ぶのだった。
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