「――と言う訳なの。お祖父様に負担を掛けると思うけど、こんなことになってごめんなさい」

 休暇を申請することになった理由を説明しながら、小型の通信端末(ARCUS)に向かって頭を下げるエリィの姿があった。
 通信の相手は、彼女の祖父ヘンリー・マクダエルだ。
 現在は空席となっている市長の代理を務めており、その政治手腕を振るっていた。
 本人は政府の相談役として一線を退くつもりだったのだが、そうもいかない事情があったためだ。
 それが――

『気にすることはない。お前はよくやってくれている』

 エリィのことだ。いまのクロスベル政府がエリィに依存しすぎている現状を、ヘンリーは見抜いていたからだ。
 帝国や共和国派の議員は排斥されたとはいえ、残った政治家たちが無能と言う訳ではない。
 どちらの派閥にも属さず中立を保ちながら政治の世界で生き抜いてきた彼等は、どちらかと言えば優秀な政治家と言えるだろう。
 ただ、そう言ったクロスベルのことを考え、市民のために尽くしてきた彼等にも問題がない訳ではなかった。
 大国の顔色を窺いながら仕事をすることに慣れてしまったが故に、どうしても強者に対して強くでることが出来ず譲ってしまうところがクロスベルの政治家たちにはあった。
 事なかれ主義と言ってしまうと悪い言い方になるが、内政については優秀でも外交面において彼等は余りに弱腰すぎたのだ。
 猟兵のことをよく思っていない者たちでも、正面からリィンと向き合うことも出来ない。先の戦後交渉についてもそうだ。
 エリィが帝国との交渉を一任されたのも、彼等では帝国が強くでてきた場合、安易に譲ってしまう不安があったからだった。
 この実情をヘンリーはよくないことだと感じてはいたが、すぐにどうこう出来る問題ではない。
 結局、エリィに頼るしかない状況に溜め息を漏らし、少しでも孫娘の負担を減らそうと市長の代理を引き受けたと言う訳だった。

『こちらのことは気にせず、ゆっくりしてくるといい。今後のことについては、私にも〝考え〟がある』

 今回のことは逆に良い機会だとヘンリーは考えていた。
 不必要に対立を煽るのも良くないが、いまのクロスベルであれば大国とも対等に交渉することが出来る。
 それを政治家たちに自覚させ自信を持たせることが出来れば、クロスベルは良い方向に変わっていけるはずだ。
 ただ、そのためには時間が必要だと言うこともヘンリーは理解していた。
 だからこそ、密かに彼は準備を進めていたのだ。
 クロスベルのために人生を捧げるのではなく、エリィが進むべき道を自分で選べるようにと――

「考え? それって……」
『まだ決まった訳ではないので詳しくは話せないが、年明けから議会の方は私が纏める方向で調整を進めている』

 四年と期間を区切ってではあるが、議長に就任する方向でヘンリーは密かに話を進めていた。
 帝国派の議長が解任されたことで今は中立派でもそれなりの地位にあった人物に議長を任せているが、クロスベルが置かれている現実と向き合うと自分では力不足だと議長本人も痛感しているのだろう。
 それ故、ヘンリーを議長に推す声は以前からあったのだ。

「議長に就任されるのですか? ですが、それでは市長は……」
『心配せずともいい。お前が乗り気でないことは分かっていたからな。市長には〝ある人物〟を推挙するつもりだ』

 マクダエル家の名はここクロスベルにおいては知らない者がいないほど有名で、市民からの信頼も厚い。
 そのためヘンリーを議長に据え、エリィを市長に推す声が日に日に大きくなっていったのだ。
 とはいえ、これにも問題がない訳ではなかった。
 政府の要職を独占し、マクダエル家の権勢が一層強くなることで独裁的な印象を持たれる可能性がある。
 実際にはそんなことはなくとも、この場合は対外的にどう見えるのかと言うことの方が重要だった。
 しかし諸外国にどう見られようとも、それがクロスベルのためになるのであればヘンリーは迷うことがなかっただろう。
 悩んでいたのはエリィにまで、その重責を背負わせてしまうことだった。
 だからこそ、ある人物にクロスベルへ〝戻って来て欲しい〟とヘンリーは打診していたのだ。
 その返事が遂先日あったと言う訳だ。

「……ある人物ですか?」

 考えても、いまの状況で市長に推挙される人物がエリィには思い浮かばない。
 市長ともなれば大国相手にも臆さず、対等に渡り合えるだけの胆力と交渉術が求められる。
 候補がまったくいないと言う訳ではないが、ヘンリーが求めるような政治家が今のクロスベルには少ないからだ。

『旅行から帰って来る頃には紹介できるだろう。きっと、お前も驚くはずだ』

 そう言って優しげな笑みを浮かべる祖父の顔を見て、エリィはどこか懐かしい気持ちに満たされるのだった。


  ◆


「エリィの様子がおかしかった事情は分かったが……しかし、キーアの夢ね」

 アリサから夢の内容を聞いて半信半疑と言った様子を見せながらも、ただの夢と片付けられないのはリィンもアリサたちと同じだった。
 キーアがノルンから影響を受けて使える力は極一部だが〈零の至宝〉は因果律に干渉し、歴史を改変するほどの力を有しているからだ。
 ましてやキーアは因果律を可視化することで、幾通りもの選択肢から最良の結果を導き出すことが出来る。
 本来は近い未来しか予測が不可能なものだが、無意識に予知夢のようなものが見えたとしても不思議な話ではない。
 実際キーアの能力は至宝を取り込んでいた時よりは弱まっているとはいえ、最近は少しずつ以前の力を取り戻しつつあった。
 ノルンとキーアは別人で同化はしないという話で決着がついたようだが、力の影響は受け続けているのだろう。
 分かり易く例えるのであれば、いまのキーアは〈鬼の力〉の正体を知らずに使っていた頃のリィンに近い状態にあった。
 ノルンとの霊的な繋がりによって、至宝の力の一部が無意識に使えている状態と言う訳だ。

「どうやって場所を特定したんだ?」
「首都イーディスのランドタワーが見えたらしいわ。これね」

 共和国の名所を特集した観光雑誌を開き、目的のページをリィンに見せるアリサ。
 そこには共和国の首都イーディスのランドタワーにもなっている〝トリオンタワー〟の写真が掲載されていた。
 共和国の人間でなくとも話くらいは耳にしたことのある有名な施設だ。

「トリオンタワーか。確か導力革命の黎明期にエプスタイン博士が設計したんだったか」
「ええ、現在は導力波の送信と中継を担う施設として、試験的に運用されているそうね」
「……それ、五十年前には導力波を使った通信網が使われることを、エプスタイン博士は想定していたってことにならないか?」
「一応、当時は気象観測機能を備えた時計塔として設計されたそうよ。いろいろと〝腑に落ちない〟ところはあるけどね」

 リィンが感じた疑問はアリサも思っていたのだろう。
 施設の再利用と言う意味では特に可笑しな点は見られないように思えるが、あくまで設備の拡張だけでタワーの設計自体には手が加えられていないのだ。
 この時点で、ほとんどの技術者はおかしな点に気付く。
 導力波を利用したネットワークの発展を想定した設計になっているとしか思えないからだ。
 五十年前に建てられた施設が、いまも最新鋭の機能を備えているなど本来であればありえないことだった。
 しかしそれもエプスタイン博士なら、と納得させられてしまうあたりが〝導力革命の父〟と今も讃えられている所以なのだろう。

「ありえるのか? そんなこと……」
「普通ならありえないわね。どんな天才であったとしても」

 しかし導力技術は存在し、歴史がそれを証明している。
 腑に落ちない点はあるもののエプスタイン博士が導力技術を世に広め、トリオンタワーを設計したのは確かな事実なのだ。

「エプスタイン博士の正体は未来人だったとか言われても不思議じゃないな」

 それならトリオンタワーの設計が導力波の利用を想定した作りになっているのも説明が付く。
 それに導力技術も前世の記憶を持つリィンからすれば、ファンタジーな技術だと思っていた。
 勿論、こちらの世界は地球と違って危険な魔獣が徘徊する世界だ。地球の常識や科学では説明の付かない現象や、魔法のような技術があったとしても不思議な話ではない。
 技術の発達による生活レベルの向上と言う意味では、地球も科学技術の発展に伴い半世紀ほどで大きく様変わりしたことを考えると不自然と言えるほどではない。日本のような先進国で暮らしていると当たり前に感じる生活も、開発途上国では地域によって未だに電気のない生活を送っている人々は存在するのだ。
 この世界も導力技術の普及が進んでいる大都市と地方の農村では、生活レベルに大きな差がある。
 ここだけを見れば、地球とそれほど変わらないように思えるだろう。
 しかし、

(地精が絡んでいたとはいえ、二足歩行の機動兵器なんて地球でも見たことがないしな)

 人間が乗って操縦するような大きなロボットは存在しない訳ではないが、実用レベルには至っていなかった。
 それも戦車の方がマシだろうと言う程度の動きしか出来ないような代物が精々だったのだ。
 だと言うのに、こちらの世界では機甲兵や魔煌機兵と言った人型の機動兵器が既に実用化されている。
 騎神というモデルがあったとはいえ、模倣できるだけの技術力がなければ再現は不可能だ。
 地球の科学技術で騎神を再現できるかと言われると、恐らくは難しいだろう。
 それを可能としているのが、この世界独自の技術――導力だ。
 夢を現実とする〝魔法〟のような技術。それが、導力技術にリィンが抱いている印象だった。

「異世界人が存在するのだから、未来人がいても不思議じゃないわね」

 本気でそう思っている訳ではないだろうが、リィンの話にアリサは一定の理解を示す。
 実際、エプスタイン博士には謎が多い。これほど有名な人物だと言うのに過去のことがほとんど伝えられていないのだ。
 博士の弟子の三高弟が余り昔のことを語らないと言うのも理由にあると思うが、生い立ちや血縁者がいるのかとかプライベートなことは何一つ分かっていないと言うのが実情であった。
 それが余計にエプスタイン博士の神秘性を高めているとも言えるのだが、以前からアリサも不自然さは感じていた。

「エプスタイン博士について少し調査してもらえるか?」
「別に構わないけど、たいしたことは出て来ないと思うわよ?」

 リィンがエプスタイン博士を気にする理由は何となくではあるが察せられる。
 しかしアリサも気になってシュミット博士にそれとなく尋ねたことがあるのだが、余り昔のことを思い出したくないのか話をはぐらかされてしまったことがあるのだ。
 いま思うと、シュミット博士は何か知っていたのかもしれない。
 とはいえ、素直に答えてくれるとは思えず、無理に聞き出そうとしてもシュミット博士の性格から言って逆効果になるだけだろう。
 目新しい情報を得られるとは思えなかった。

「分かる範囲で構わない。ただ、キーアの見た夢と無関係とは思えなくてな」
「猟兵の勘って奴?」

 キーアの夢に関係しているかもしれないとリィンに言われて、考え込む素振りを見せるアリサ。
 何か根拠があって言っている訳ではないのだろうが、リィンの勘であれば無視は出来ないと感じたからだ。

「なら、ヴェルヌ社に連絡を取ってみるわね」
「ヴェルトと言うと確か、ラインフォルトと双璧を為す共和国のメーカーだったか?」
「ええ、あそこには三高弟の一人、ハミルトン博士がいらっしゃるから」

 アリサの言うハミルトン博士とは、エプスタイン博士の三高弟の一人で共和国の発展に寄与した科学者だ。
 現在は工学都市バーゼルにある理科大学の名誉教授にして、ヴェルヌ社の顧問を務めていた。
 フルネームは、ラミーヤ・ハミルトン。名前からも察せられるように三高弟の中で唯一の女性だ。
 理知的で温厚な女性だという話は耳にしていたので、シュミット博士に話を聞くよりは得られる情報も多いのではないかとアリサは考えていた。

「ハミルトン博士にアポイントが取れそうなら、俺も同席できるように頼んでもらえるか?」
「それは構わないけど……博士を口説いたりしないわよね?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
「無類の女好き」

 そんなつもりはないが否定できる要素がないだけに、何も言い返せずに唸るリィン。
 とはいえ、エプスタイン博士の弟子と言うことはシュミット博士とそれほど歳は変わらないはずだ。
 七十を過ぎた高齢の女性を口説くほど、リィンは特殊な趣味をしてはいなかった。

「冗談よ。でも正直、会ってもらえるかどうかは怪しいところね。共和国の重要人物だし、当然警戒されているでしょうから」

 これまでリィンがやってきたことを考えると、素直にハミルトン博士に会わせてもらえるかは怪しいところだとアリサは話す。
 ハミルトン博士は共和国にとって欠かすことの出来ない重要人物だ。
 政府に危険視され、警戒されている人物に会わせてくれるとは思えなかった。
 アリサだけでも会える可能性は相当低いと考えていたのだ。

「ラッセル博士にも話を聞けないか、連絡を取ってみるわ」

 どちらかと言えば、こちらの方が本命だった。
 リベールとの関係は悪くないことから、政府の介入がある可能性は低い。
 それにアリサが代表を務める〈エイオス〉とラッセル博士が顧問を務める〈ZCF〉とは、技術提携の話が進んでいた。
 その点から言っても、まったく話を聞いてもらえないということはないだろう。
 それよりも――

「……リィン。突然、いなくなったりしないわよね?」

 アリサには心配なことが一つあった。
 エリィの前では何でもないかのように振る舞っていたが、やはりアリサもキーアの見た夢というのが気になっていたのだろう。
 本当に未来のことを示唆しているのなら、リィンに危険が迫っていると言うことになるからだ。
 そんなアリサの不安を察してか――

「大丈夫だ。何せ、俺は〝無類の女好き〟らしいからな」

 と、そう言ってリィンはアリサの唇を奪うように口づけを交わすのであった。



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