大陸横断鉄道はゼムリア大陸の東西を横断する世界最長の鉄道路線だ。
国家間の国境を越えるカタチで運行されており、大陸横断鉄道公社と呼ばれる国際的な組織が運営を担っていた。
よく鉄道と言うと帝国をイメージする人が多い。それは帝国最大の巨大重工業メーカーである〈RFグループ〉の創設者にして世界的に有名な技術者であるグエン・ラインフォルトが、現在の導力車の雛型とも言える『導力鉄道』を三高弟の一人であるG・シュミット博士と共同で開発したことが大きな理由となっていた。
実際、各国で走っている列車の多くはラインフォルトで製造されたもので、鉄道関係の開発・製造では世界一位のシェアを誇っている。
そう聞くと国際的な組織とはいえ、大陸横断鉄道公社も帝国の資本が入った組織ではないのかと勘繰る人々もいるだろう。
ギリアス・オズボーンの計画に鉄道網の建設があったことは確かだが、それは領土拡大計画を正当化するために利用されたに過ぎない。大陸横断鉄道は三十年も前から計画されている一大事業で、鉄道公社には帝国だけでなく共和国や鉄道の通る国々からも多額の資本が投じられていた。
そのため、大元は同じであっても東西で鉄道の運用も分かれており、大陸の東側は共和国の影響力が大きいと言われている。
それは駅の風景を見るだけでも感じ取ることが出来る。キュレー河と呼ばれる大河に面し、クロスベルとの国境沿いに位置する都市アルタイル。共和国における『西の玄関口』とも呼ばれる都市だが、どことなく西と東の文化が混在したような駅の内装は帝国や共和国よりもクロスベルに近い雰囲気と言えるだろう。
それもそのはずで、元々共和国は百年ほど前までは王制国家で帝国に近い文化を形成していた。
それが共和国の建国以降、幅広く移民を受け入れるようになり、東側の文化や風習を取り込んできたと言う訳だ。
これからリィンたちが向かおうとしている温泉地の龍來や〈黒月〉の本拠地がある煌都ラングポートなどは東からの移民が多く、東方の文化の影響を色濃く受けている。
共和国の領土は広大で、基本的には東の国境に近付くほど東方の文化の影響が強くなる傾向にあった。
西の玄関口であるアルタイルは、そう言う意味では西の影響が強い都市と言えなくもないのだろう。
「はい、お土産」
列車の座席に腰を下ろすと、そう言って両手に抱えた紙袋の一つをリィンに手渡すシャーリィ。
リィンが袋の中を覗き込むと、そこには熱々の焼き栗が入っていた。
「どうしたんだ? これ」
「外の屋台で売ってた。アルタイルの名物らしいよ。他の皆は?」
「アルフィンとミュゼは市長との会談で、フィーとラクシャはその護衛だ。アリサとエリィも共和国の要人と会うらしくて、クロウとリーシャが同行してる」
「リィンは一緒に行かなかったの?」
「エマが周囲の警戒をしてくれているが、誰かが残っていないとまずいだろ? それに――」
お前を一人にしておけないだろうとリィンに言われて、シャーリィは納得した様子を見せる。
駅に到着するなり、こっそりと列車を抜け出してリィンたちに迷惑を掛けた自覚はあるのだろう。
「入国審査はエマが魔術で誤魔化してくれから、ちゃんと礼を言っておけよ」
シャーリィがじっとしていられる性格でないことは分かっているので、そういう行動にでることは織り込み済みだと言っても、入国手続きのためにアルタイルへ寄ることになったのだ。共和国政府との話し合いは済んでいるため審査と言っても簡単な手続きだけだが、本人がいないのでは話にならない。
魔術で入国管理官を誤魔化して無事に手続き出来たとはいえ、面倒な対応を求められたことは間違いなかった。
「でも、前に共和国へ来たときはそんな手続きしなかったよ?」
「猟兵が旅行者と同じ段取りを踏んで入国する訳ないだろ……」
猟兵のように武装した集団が旅行者と同じように手続きを踏んで入国できるはずもない。
当然、大半の場合は密入国が相場で、政府や軍からの依頼であった場合は〝特例〟で見逃されているというのが実態だ。
赤い星座が共和国入りした時も、恐らくは裏のルートを使ったのだろう。
「もう一度言っておくが、今回は〝仕事〟じゃなく〝旅行〟だからな? 騒ぎを起こすなよ」
「何度も言わなくても分かってる。こっちから手をだすつもりはないから」
逆に言えば、売られた喧嘩は買うと言うことだ。
とはいえ、リィンもそこまでシャーリィに我慢をしろと言うつもりはなかった。
こんな仕事をしていれば、恨みを買うことは多い。むしろ、敵の方が多いくらいだ。
休暇中だと言っても、こちらの都合を相手は考えてくれない。襲ってくるのであれば、相応の対応をするというのが猟兵の世界では常識だった。
特に共和国は民主化革命によって王制を廃し、自由・平等・友愛の三精神を掲げるだけあって裏組織の活動が活発な国だ。
民主主義を否定する訳ではないが特権階級が支配する帝国と違い、共和国は裏社会の人間が暗躍しやすい国という一面があった。
クロスベルにも同様のことは言えるのだが、自由や平等というのは良いことばかりではない。
共和国の場合は特に移民を幅広く受け入れてきた過去があり、それが裏社会の拡大へと繋がっていた。
だからこそ、リィンやシャーリィのように恨みを多く買っている人間は警戒が必要な国とも言える。
共和国の裏組織と対立していなくとも、裏の人間に依頼をして襲ってくる者がいないとも限らないからだ。
「でも、襲われるとしたらリィンの方が可能性が高いんじゃない?」
そう言われると、リィンは反論の言葉を失う。
成り行きとはいえ、クロスベルへと侵攻してきた共和国軍を退けたことがあるからだ。
シャーリィも一緒だったとはいえ、暁の旅団の団長はリィンだ。となれば、団長のリィンに被害に遭った人々の恐怖や怒りが向かうのは自然な流れだろう。
実際には、共和国がクロスベルへと侵攻してきた時にはまだ団を結成する前だったのだが、そう言ったところで殺された兵士の家族や恋人が納得するはずもない。もっと言うと攻めてきたのは共和国の方なのだが、どちらが正しいかなど議論したところで無駄だとリィンは理解していた。
それが、戦争と言うものだからだ。
それだけに――
「……まあ、お互い気を付けるか」
リィンはシャーリィに強く言うことが出来ず、可能な限り気を付けると言うことで話に決着をつけるのであった。
◆
要人との会談を終えて戻ってきたエリィたちと一緒に見覚えのある顔を見つけ、リィンは声を掛ける。
「やっぱり、お前だったか。風の剣聖――アリオス・マクレイン」
共和国政府が指名した二人の同行者。
その内の一人は〈風の剣聖〉の異名を持つアリオス・マクレインだった。
とはいえ、驚いた様子を見せないことからも、アリオスがくることはリィンも予想していたのだろう。
「どうして、アリオスさんだって分かったの?」
「監視役なら俺やシャーリィを相手に時間を稼げる人物でないと意味がないだろ?」
それだけの実力者となると対象は限られるとリィンに言われ、エリィは納得した様子を見せる。
他にも候補となる実力者はいるが、そのなかでもロックスミス機関と繋がりのある人物となると更に限られる。
交渉役としてキリカがクロスベルを訪れた時点で察していたのだろう。
そして、もう一人――
「先日は悪かったな。断りもなく室長さんを連れ出してしまって」
「いえ、あとから事情は伺いましたから……」
政府が指名した同行者というのは、カエラだった。こちらも予想は出来ていたのだろう。
リィンたちと面識があり、政府や軍の関係者となると限られるからだ。
そしてキリカを交渉役としてクロスベルに送り、この二人を指名した人物というのも大凡想像が付いていた。
(サミュエル・ロックスミス。あの古狸の仕業と考えて間違いないだろうな)
選挙に敗れたと言っても、まだ三ヶ月ほど大統領の任期は残っている。
監視役の人選に口を挟む程度のことは、あのロックスミス大統領であれば容易だろう。
何かしらの思惑があることは確かだが、詮索したところで口を割る二人ではない。
そのことから、リィンは取り敢えず様子を見ることにする。
それに――
「風の剣聖が一緒なら大丈夫だろう。俺たちが出張らずに済むように頑張ってくれ」
「……なんの話だ?」
アリオスなら任せても大丈夫だろうと、リィンはシャーリィとの会話を思い出しながら丸投げすることを決めるのだった。
◆
「専用列車を一台貸し切ったとの報告は受けていましたが……」
デアフリンガー号の車内を見学しながら、温泉旅行の参加者の顔ぶれと人数に驚くカエラの姿があった。
主な参加者は発起人のアルフィンに親友にして従者のエリゼと、二人の後輩にしてカイエン公の肩書きを持つミュゼ。
他にはエリィとアリサ、あとはフィーとシャーリィ。それにリーシャとエマ。
護衛や世話役として、クロウを始めとしたエイオスの人間が十数名。
他にもラクシャや〈暁の旅団〉からも十人ほどが参加しており、結構な大所帯となっていた。
とはいえ、
「これでも人数を絞った方なのよ」
「そうなのですか?」
これでも人数を絞った方だと、カエラに説明するアリサ。
実のところ旅行の参加者は警護役の人間も含めて、当初は十名ほどを想定していたのだ。
しかし、温泉旅行の話を聞きつけた関係者から我も我もと問い合わせが殺到し、最後は抽選会が開かれる騒動にまでなったのだとアリサは説明する。特にレイフォンなどは走ってでも追い掛けてきそうな勢いだったのだが、ヴァンダール流の師範であるオリエに捕まって泣く泣く参加を諦めたという話があったくらいだった。
いま帝国では、ヴァンダール流とアルゼイド流の〝交流会〟という名の山籠もり合宿が開催されていた。
ヴィクターは当然としてラウラやクルトも自ら望んで参加したそうだが、レイフォンはオリエに連行されるカタチで強制参加となったようだ。
「別にもっと連れてきても構わなかったのよ? 龍來で一番大きな宿を貸し切ってあるのだし」
そんなアシェンの言葉に呆気に取られ、更に驚いた様子を見せるカエラ。
無理もない。龍來で一番大きな宿と言えば、普通に泊まるだけでも数万ミラが必要だ。
そんな宿を貸し切ろうと思えば、一泊で数百万ミラの大金が必要となる。
龍來には一週間の滞在予定なので、途方もない大金が動いていることが想像できる。
それを何でもないことかのように言ってのけるあたり、やはり黒月の令嬢と言うことなのだろう。
「そう言う訳にもいかないでしょ? ただでさえ、リィンは警戒されているんだから」
「え? 気になるのは、そこなんですか?」
「……それ以外の何があるのよ」
むしろ、政府側の人間と言う意味でカエラが気にしないといけないことをついでのように言われて、アリサは怪訝な表情を見せる。
とはいえ、話が噛み合わないのも無理はなかった。
アシェンが共和国の裏社会を牛耳る〈黒月〉の姫であるように、アリサも帝国一と言われる重工業メーカーの令嬢だったのだ。
ホテルを貸し切るくらいのことは幼い頃から経験済みで、招待してくれたことに感謝はしていても驚くようなことではないのだろう。
しかし、別にアシェンやアリサが特別な訳ではない。
それを言うならミュゼはカイエン公爵家の当主だし、アルフィンは皇位継承権を放棄しているとはいえ帝国の皇女だ。
そんな二人と比べると家柄は劣るがエリゼも貴族の子女だし、エリィもクロスベル有数の名家であるマクダエル家の令嬢だ。
そして、フィーやシャーリィは高貴な生まれと言う訳ではないが二つ名持ちの猟兵。エマは〈蒼の深淵〉の二つ名を持つ姉に迫るほどの優秀な魔女だし、リーシャも共和国の裏社会では名前を知らない者がいないほどの実力者だ。
そのことを考えれば、リィンの周りには一般人と呼べる女性が少ないことが分かる。
「今更ながら、皆さんが凄い人たちだということを再確認しました……」
「そう? よく分からないけど、リィンに比べたら私たちなんてたいしたことないと思うわよ?」
アリサの言葉に妙な説得力を覚え、カエラは納得した様子を見せる。
実際、アリサやアシェンがどれだけの財力と後ろ盾を持っていようと、大国と対等に渡り合うことなど出来ない。
それが出来るのは、リィンと〈暁の旅団〉だけだ。だからこそ、共和国も今回の温泉旅行で譲歩を見せたと言える。
やるやらないは別としてその気になれば、リィンの行動を阻むことなど軍であっても難しいと分かっているからだ。
それなら条件付きで監視下に置いた方が、まだマシという判断なのだろう。
「そう言えば、弟さんの容態はもういいの?」
「あ、はい。順調に快復へと向かっています」
首都の病院に入院中の弟の話をアリサに聞かれて、正直に答えるカエラ。
隠すようなことでもないと言うのはあるが、弟のコーディを救ってもらったことに彼女は感謝していた。
そういう約束だったとはいえ、本音を言うともう弟に会えないのではないかと覚悟を決めていたからだ。
「それならよかったわ。一応、エマが応急処置をしたって話だったけど、酷い状態だったと聞いていたから気になっていたのよ」
「まだ記憶の混乱は見られるみたいですが、怪我の方はたいしたことがないそうです」
カエラの話から記憶の混乱が見られるのはグノーシスの後遺症だろうとアリサは察する。
とはいえ、エマが魔術で応急処置を施したと言っていたし、現在はセイランド社が開発した特効薬もある。
完全に記憶が戻るかは怪しいところだが、傷が癒えるのも時間の問題だろう。
それに戻らない方が良い記憶もある。コーディが体験したことは、そういう類の経験だ。
「たぶん大丈夫だと思うけど何かあったら相談に乗るから、いつでも頼って頂戴」
コーディの一件で、カエラはリィンに小さくない恩を感じている。
だからと言って寝返るようなことはないだろうが、繋がりを持っておくに越した事は無い。
そんな計算を働かせながらカエラを労るアリサを見て――
(なるほどね。やっぱり、アリサとエリィがそうなのね)
祖父の言葉を思い出しながら、アシェンは一人納得した様子を見せるのだった。
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