マルドゥック総合警備保障――通称MK社がヴェルヌ社の協力を得て開発した最新鋭の戦艦が、空から地上を見下ろすように停船していた。
そこから地上に垂らされたワイヤーのようなものを使って、一人の〝男〟が降りてくる。
身長は百九十センチほど。青みがかった黒髪に、赤いバンダナを額に巻いた二十代半ばと思しき男。
黒い強化スーツの上から白いジャケットを羽織り、右手には身の丈ほどある巨大な〝バスターランス〟が握られている。
直接の面識はない。しかし、その男の噂はリィンの耳にも届いていた。
「――灼飆」
灼飆――それが、男の二つ名であった。本名はカシム・アルファイド。
ゼムリア大陸中東部で活躍する高位の猟兵団――クルガ戦士団で名を馳せた〝猟兵〟だ。
そのなかでも〝灼飆〟の名は、西ゼムリアで活動する猟兵たちの耳にも届くほど有名なものだった。
間違いなくシグムントと並び〝最強〟の一角に名を連ねる猟兵の一人だ。
「あの船にアンタが乗っているってことは、クルガはマルドゥックに雇われていると考えていいのか?」
「……戦士団は関係ない。MK社と行動を共にしているのは俺の意志だ」
微かに驚いた様子を見せるも、少なくともカシムの話に嘘はないとリィンは判断する。
クルガ戦士団は大陸中東部で活躍する猟兵団の中では、最強の一角として知られる高位の猟兵団だ。
彼等は中東に生活圏を持つクルガの民と呼ばれる民族によって構成され、古くから独自の文化を築いてきた。
それ故に活動拠点を中東に限定しており、大陸西側での活動記録がこれまでにほとんどない。
そうしたことから、MK社に協力しているのがカシム一人と言うのはありえない話ではなかった。
しかし、
「それで、どういうつもりだ?」
それはリィンにとって重要な話ではなかった。
カシムが猟兵を辞めてPMCに所属しようと戦士団がどこに雇われようと、リィンには関係のない話だからだ。
むしろ気になるのは、この場にカシムが現れた理由だった。
「リィン・クラウゼル。お前には大統領暗殺未遂の容疑が掛かっている。大人しく同行してもらいたい」
バスターランスの銃口を向けながら投降を促してくるカシムに、やはりそういうことかと納得した様子を見せるリィン。
それなら完全武装で、カシムが〝たった一人〟で姿を見せた理由にも理解できるからだ。
MK社の警備部門は高位の猟兵団を凌ぐ練度を誇ると噂になっているが、それでも〝ただの人間〟でしかない。
理の領域に至った達人でも、異能を持つ人外の怪物でもないのだ。
そんな只人を何百、何千と引き連れて来ようと、いまのリィンにとって敵ではない。
ヴァリマールを召喚するまでもなく、一軍を壊滅させられるだけの力がリィンにはあるからだ。
それに――
「身に覚えの無いことで捕まってやる義理はないな」
濡れ衣を着せられて大人しく捕まるほど、リィンは甘くはなかった。
カシムも一人で来たと言うことは、数で攻めたところで無駄に被害を増すだけだと理解しているのだろう。
しかし、そこまで理解していながら、たった一人で目の前に現れたことにリィンは疑問を持つ。
確かに被害は大きくなるが数で攻めると言う方法も、戦術としてはありえない作戦ではないからだ。
勝てないまでも消耗させてから、最大戦力を投じると言った方法だって考えられる。
カシムとて長く猟兵をしていたのなら、犠牲者をだしたくないと言った甘い幻想は抱いていないだろう。
だとすれば、一人でも勝算があると考えていると言うことだ。
「確かにお前は強い。過去の戦闘データから見ても、以前の俺なら分の悪い相手だっただろう。だが――」
その直後だった。
リィンの視界からカシムの姿が消えたのは――
「バルバトス――レイド!」
一瞬、カシムの姿を見失ったかと思うと、高速で放たれた突きがリィンを捉える。
大気を震わせるような衝撃と、雷の如き轟音と共に物凄い勢いで弾き飛ばされるリィン。
一部始終を見ていたガウランの表情は驚愕に歪む。
月華最強と呼ばれるガウランの動体視力ですら、カシムの動きを捉えきれなかったからだ。
しかし、
「……防いだか」
洞穴の岩盤に叩き付けられながらもダメージを負っている様子もなく、黒い闘気を纏ったリィンが飛び出してくる。
先程まで何もなかったリィンの右手には、愛用のブレードライフルが握られていた。
それで、咄嗟にカシムの一撃を防いだのだろう。
しかし、目の前に迫るリィンに対してバスターランスの銃口を向け、カシムも追撃を放つ。
シャガードストライク。集束砲にも似た一撃が銃口より放たれ、リィンを呑み込もうとするが――
「――七耀の盾」
扇状の光の盾のようなものが現れ、カシムの放った光線を消滅させる。
リィンのスヴェルは魔法攻撃をマナへと分解することで無効化できる強力無比なシールドだ。
カシムの放った光線が物理的な兵器ではなく、導力銃のようなアーツに近い攻撃だと見抜いての行動だった。
だが、同時にリィンは奇妙な違和感を覚える。
(いまの攻撃……明らかに俺の技に酷似していた)
同じような技を使う相手が、この世界にいないとまでは言うつもりはない。
しかしカシムの放った一撃は、余りにもリィンの集束砲に酷似していた。
MK社が開発した最新鋭の武装だと思うが、よく見るとヴァリマールのアロンダイトに似ているようにも見える。
槍と剣の中間のような形状。ブレードライフルをより先鋭化させたような――
「――面白い」
心の底から愉しげな笑みを浮かべるリィン。
カシムの噂は耳にしていたが、まさかこれほどの実力者とは想像もしていなかった。
実力で言えば、シャーリィに匹敵するかもしれない。いや、もしかすると――
「やるな――しかし、甘い!」
距離を詰め、反撃に転じたリィンの一撃を最小限の動きでさばくカシム。
目にも留まらぬ攻防を繰り広げる二人だが、鬼の力を使って尚、カシムの方がリィンの動きに勝っていた。
スピードやパワーで劣っていると言う訳ではない。ただ単純に動きに無駄がないのだ。
まるで未来を予測して動いているかのように対応され、僅かにリィンにも焦りが見える。
「正直ここまでとは思わなかった。噂以上の実力じゃないか」
シャーリィと互角。いや、戦いの上手さと言う点ではシャーリィを凌駕しているとリィンはカシムを評価する。
カシムの戦い方には、経験に裏打ちされた巧みさがある。
その卓越した技術と戦い方は、まるでアリアンロードのようだとリィンは感じていた。
しかし、それはありえない。
二百年以上の歳月を生きたアリアンロードに迫る経験など、普通の人間に積めるはずがないからだ。
「カシム・アルファイド。お前、何者だ?」
だから、リィンは尋ねる。
仮にアリアンロードに匹敵する戦闘の経験値を持っているのだとすれば、カシムは不死者と言うことになる。
ありえない話ではないが、異能を持つ者は同じく人から外れた存在を感じ取ることが出来る。
マクバーンにせよ、アリアンロードにせよ、リィンは確かに人とは違う自分に似た何かを感じ取っていた。
しかし、カシムにはそれがない。どう見ても普通の人間。だからこそ、違和感が拭えなかった。
「特別な才能も、異能も持たないただの人間だ。ただ〝以前〟と違う点があるとすれば、いまの俺には何千、何万回と繰り返すことで蓄積された戦闘経験がある。並行世界の自身と同化することで新たな力を得た〝お前〟のようにな――」
「な――」
想像もしなかった話をカシムの口から聞かされ、驚いた様子を見せるリィン。
オルタとリィンが同化したことを知っている者は、暁の旅団の関係者の中でも一部しかいないからだ。
そもそもゾア=ギルスティンの正体についても公にはされていない。
本来であれば、カシムが知るはずもない情報。それを知っているということは――
「……お前にも異なる世界の記憶があると言うことか?」
カシムにも異なる世界で生きたもう一人の自分の記憶があると考えるのが自然だった。
しかし、カシムはそんなリィンの考えを否定する。
「言っただろう。俺は普通の人間だと――知識は与えられたものに過ぎない。そして、この力は俺自身の力で得たものだ」
カシムの話が本当なら、恐らくはMK社にリィンの秘密を知っている何者かがいると言うことになる。
そして、カシム自身が努力で得た力だと言うのなら、カシムはアリアンロードに匹敵する戦闘経験を僅かな時間で積んだことになる。
荒唐無稽な現実的にありえない話。しかし、明確に否定する材料もない。
並行世界の記憶や同化という現象自体が、そもそも非現実的なものなのだから――
「ガウラン。そろそろ動ける程度に体力は戻ってるだろう? ライ家の連中も逃げたようだし、お前もさっさと避難しろ」
「何を言って……」
「巻き込まれたくなかったら逃げろと言っている。適当にやり過ごすつもりだったが〝全力〟をだしても、灼飆には訊くことがありそうなんでな」
黒い闘気にまじってリィンの身体から白い闘気が漏れ出す。
鬼の力だけでは、カシムに勝利することは不可能。奥の手をだす必要があると考えてのことだった。
しかし全力をだすようなことになれば、恐らくは龍來での出来事を再現するような結果になりかねない。
強いと言っても、ガウランは普通の人間だ。
いまの彼では戦闘に巻き込まれれば、無事では済まないと考えての忠告だった。
「……分かった」
完全に納得は行っていない様子だが、ガウランはリィンの忠告に従い撤退を決める。
敗者は勝者の言葉に従うのが道理。それに彼とてバカではない。リィンがまだ力を隠していることには気付いていた。
それ故、自分が残ることでリィンが全力をだせず、足を引っ張るような真似をしたくはなかったのだろう。
リィンに敗北はしたが、ガウランとて武人の誇りがあるからだ。
「待ってくれるだなんて随分と優しいじゃないか?」
「我々の目的はリィン・クラウゼル――お前一人だ。他の者を巻き込むつもりはない」
ガウランを大人しく逃がしたところから見て、その言葉に嘘はないのだろう。
だからこそ、リィンは気を引き締める。
ここからが本当の戦い。互いに死力を尽くした戦いになると悟ったからだ。
リィンがまだ力を隠しているように、カシムにも奥の手があるのだろう。
しかし、
「王者の法」
黒と白が混じり合い髪は灰色に染まり、瞳は金色の輝きを放つ。
人の身で神の領域へと至る錬金術の秘奥にして、リィンの魂に宿りし究極の異能。
そして、リィンの右手にはブレードライフルの代わりに〝根源たる虚無の剣〟が握られていた。
またの名を『想念の剣』とも呼ぶ概念武装。オルタの置き土産だ。
「危険度SSSオーバーの力か。しかし、想定範囲内だ」
それでも尚、余裕のある態度を崩さないカシムに不審なものを感じながらも、リィンは油断なく剣を構える。
想定を遥かに凌駕するカシムの力。その裏には何か秘密があることは間違いない。
だが、カシムは彼自身が言っていたようにただの人間だ。王者の法を発動したリィンとでは、経験だけでは埋められないスペックの差がある。
不死者でない限り、フィーのように肉体の限界を無視した動きは続かない。普通ならリィンの全力について来られるはずがなかった。
そして力の差が分からないほど、カシムが愚かな人間だとリィンは思っていなかった。
だとすれば、その自信には何かしらの〝根拠〟があるはずだと考える。
「集束砲を模倣して見せたその武器。そして、聖女に匹敵する戦闘経験。腑に落ちないものはあるが、まだ何か隠してるんだろう?」
――死にたくなかったら全力で抗ってみせろ。
そう言って、リィンは〝力〟を解放する。
その日、緋色に染まる空に立ち上る光の柱を煌都の人々は目にすることになる。
龍來の事件に続き、海蝕洞が消失したというニュースが報じられるのは、この翌日のことであった。
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