どこかまだ現実味のない様子で、窓から外の様子を窺うアシェン。
彼女は現在、煌都ではなく共和国の首都イーディスの〝アパルメント〟にいた。
ライ家の構成員に捕らえられようとしていたところを、フィーに助けられたのが昨日のことだ。
そこから共にデアフリンガー号に乗り込み、逃げるように煌都を脱出したのだが――
「こうも簡単に首都へ入ることが出来るなんて……」
鉄道を使ってクロスベルへ帰還するには、一旦北上して首都イーディスを経由する必要がある。
しかし大統領暗殺未遂の容疑がリィンにかけられていることから、軍や警察の妨害があることが予想された。
実際、首都には検問が敷かれ、デアフリンガー号もイーディス手前の分岐路で軍と睨み合いになり、身動きの取れない状態となったのだ。
そんななか彼女たちが共和国軍の目を掻い潜り首都に潜り込むことが出来たのは、先日エイオスより公表された〝ある技術〟が関係していた。
――そう、転位だ。
戦術オーブメントの拡張ユニットとして開発された〈ユグドラシル〉には導力魔法が使用できなくなると言った欠点がある代わりに、エタニア王国に伝わる秘術――理法の力が込められた特殊なクォーツが用いられている。これには身体能力を強化すると言った機能の他、アーティファクトに似た能力をオーブメントに付与する力があり、潜入任務に適した透明化や〈インベトリ〉と名付けられた空間倉庫に武器やアイテムを仕舞うことが出来る便利な能力が付与されている。
そして、試験的に新たに導入された機能と言うのが〝転位〟であった。
とはいえ、魔女の使う転位のように大勢を一斉に転位させたり、何千何万セルジュもの距離を移動すると言った真似は出来ない。
同時に転位できるのは二人から三人程度。移動できる距離も視認できる範囲――凡そ百五十セルジュほどに限られている。
使用回数に制限はないが連続での使用は不可能で、一度使用すると十分ほどの充填時間が必要という欠点も抱えていた。
それでも個人携帯できる転位装置と言うのは画期的で、そのアドバンテージは計り知れないものがあった。
アシェンも噂程度には耳にしていたが、実際に転位を体験するのはこれが初めてのことだ。
それだけに驚きが隠せなかったのだろう。
「軍や警察の目は外に向いている。彼等がその気になれば、大統領府を落とすことも容易ね……」
いま思えばこのような技術がある以上、彼等はいつでも逃げることが出来たのだと分かる。
これまで敢えて転位を使わなかったのは、軍や警察の目をデアフリンガー号に向けさせる狙いがあったのだと察せられる。
エイオスが発表した転位結晶――通称ゲートを用いた転位であれば、鉄道の駅のように転位先が設置場所に限定されるため、対策する方法はある。しかし条件付きとはいえ、個人で使用できる転位装置となると話は別だ。どんな場所にも潜入が容易で奇襲も仕掛け放題と考えると、これほど厄介な代物はない。
いまなら彼等と手を結ぶと決めた祖父の判断は間違っていなかったと、アシェンは断言できた。
それだけに煌都に残してきた家族のことが気掛かりだった。
ライ家の謀略によって、ルウ家は嘗て無いほどの危機的状況に陥っている。
恐らくこの筋書きを描いた人物と、ライ家は繋がっているはずだ。
軍や警察の対応の早さから考えるに、政府内部に協力者がいるのだろう。
となれば、一連の流れはすべて繋がっていると考えるのが自然であった。
「ライ家の思惑は組織の実権を握ること。だとすれば、黒月の衰退までは望んでいないはず……」
百年以上もの間、共和国の裏社会を支配してきた〈黒月〉とて一枚岩ではない。
嘗て九つあった長老家が現在八つしか存在しないことからも分かるように、過去にも長老家の諍いは起きてきた。
そのため、ライ家が以前からルウ家を追い落とし、長老会筆頭の座を狙っていることは分かっていたのだ。
しかし、そうと分かっていて放置していたのは、ライ家もまた黒月に名を連ねる長老家の一つであったからだ。
ライ家が欲しているのは組織の実権であって、黒月の衰退までは望んでいない。
そのため、一線を越えるような真似はしないという甘い目算があったのだ。
しかし、ライ家は軽々と一線を踏み越えてしまった。
暁の旅団を取り込むことで、これ以上ルウ家の力が大きくなることを危惧し、焦っていたのかもしれない。
「でも、仮にこの推察が当たっているのだとすれば……」
「リィンを嵌めたのは、ライ家ってことになるかな?」
背後からした声に気付き、アシェンが振り返るとそこには買い物袋を抱えたフィーの姿があった。
缶詰などが入った紙袋を机の上に置き、フィーは買ってきたばかりの新聞をアシェンに向かって放り投げる。
「これは……」
一面の見出しを見て、驚きと困惑の声を漏らすアシェン。
そこには龍來での噴火に続き、煌都の沖合で大規模な海底噴火があったことが記されていた。
その影響で観光名所ともなっていた『海蝕洞』が崩れ、軍によって立ち入りが制限されている状況が綴られている。
間違いなくリィンの仕業だと察することが出来るが――
「……大統領が襲撃された事件がどこにも記されていない?」
むしろ、本来であれば一面を飾るはずの大事件が新聞には記されていなかった。
海蝕洞の消失は確かに大きな事件と言えるが、自国の大統領が襲撃されたのだ。
大々的に報じられるはずの事件が、少しも新聞で触れられていないというのは違和感しかない。
となれば――
「軍や警察が情報を隠蔽している? いえ、もしかすると……」
襲撃を受けた大統領自身が事件を公にしないように根回ししたのだとすれば、この状況にも納得が行く。
あくまで容疑と言うだけで、リィンが大統領を襲撃したと犯行が確定した訳ではないからだ。
しかし情報が拡散されてしまえば、真偽はともかく世論の矛先は〈暁の旅団〉へと向くだろう。
そうなればアシェンが最初に危惧したように、クロスベルとの戦端が再び開かれる可能性がある。
最悪の事態を回避するために情報を秘匿したとするなら、考えられない話ではなかった。
しかし、それでも腑に落ちないことがある。
政府にライ家の協力者がいることは間違いないが、リィンを陥れることが目的なら事件を公表してしまった方が都合が良い。
任期終了まで三ヶ月を切り、ロックスミス大統領の政治的な影響力は小さくなっている。
これだけの事件を大統領の一存で隠蔽することは、いまの彼の政治力では難しいと言わざるを得なかった。
そのため、ライ家と手を組んだ政治家がその気になれば、事件を公にすることは難しくないはずだ。
しかし、そうなっていないと言うことは〈暁の旅団〉を糾弾し、クロスベルとの戦端を開くことが目的ではないのだと推察できる。
「軍や警察の動きが早すぎることからも、事前に何かしらの情報を掴んでいたことは間違いない。情報の隠蔽が上手くいっているのも、こうなることが分かっていたから? でも、それだと……」
リィンを犯人に仕立てた理由が分からない。
ライ家には都合が良いが、協力者に何もメリットがあるように思えないからだ。
取り引きである以上、協力者にも何かしらの見返りがなければおかしい。
何かを見落としている。でも、それが何なのかまでは分からない。
この事件には、まだ裏があるとアシェンは考えを巡らせるが――
「あの……言い訳に聞こえるかもしれないけど、これは黒月の総意ではないと理解して貰えると……」
このままではまずいと気付き、フィーに弁明を始める。
理由はどうあれリィンに冤罪を着せ、こうして彼女たちが追われる立場になってしまった責任は黒月にある。
ライ家とて黒月の一派である以上、下手な言い訳が通用しないことはアシェンも分かっていた。
しかし彼等と敵対することだけは、どんなことをしても絶対に避けなくてはならないと考えていた。
祖父の苦労が無駄になると言うのもあるが、黒月だけの問題では収まらないと分かっているからだ。
最悪、共和国が戦場となるかもしれない。
龍來や煌都で見せたリィンの力が共和国の都市に向くことになれば、想像を絶する被害がでることになるだろう。
一種の天災とも言えるあの力に対抗する手段は黒月にない。それは共和国軍も同じだとアシェンは考えていた。
ノーザンブリアへと侵攻し、敗れた帝国と同じ道を辿ることになると――
リィン自身の力も強大だが、やはり騎神の存在が大きいと考えられるからだ。
たった一機でも戦況を一変させる力を持った戦略級アーティファクト。それが騎神に対する各国の認識だった。
そんなものを二機――いや、少なくとも三機以上所持している〈暁の旅団〉の戦力は大国の軍事力を上回る。
数では圧倒的に共和国が勝っているとはいえ、転位という技術があることも考えれば、勝ち目があるとは思えなかった。
転位による奇襲を仕掛けることで、一気に首都を陥落させることも理論上は不可能ではないからだ。
実際いまもこうして軍の目を掻い潜り、首都への侵入を成功させている。
ライ家にせよ、その協力者にせよ、暁の旅団の力を見誤っているとアシェンは感じていた。
本気で理解しているのであれば、国や組織を危険に晒すような真似が出来るはずもないからだ。
「ん……そこは分かってるから大丈夫。ただ、リィンを嵌めた黒幕には責任を取ってもらうけどね」
背筋に冷たい汗を流しながら、アシェンは咽を鳴らす。
フィーが今回のことを、どう対処しようとしているのかが分かってしまったからだ。
彼等は自分たちを嵌めた相手と、本気で〝戦争〟を起こすつもりなのだと――
相手が誰かなど関係ない。喧嘩を売られたから買う。それが、マフィアと猟兵の違い。
ライ家の過ちは自分たちの物差しで彼等を敵に回してしまったことにあると、アシェンは考える。
そして恐らくもう――
(彼女の口調からも、既に動きだしていると見た方が良さそうね……)
自分たちの団長が嵌められたのだ。彼女たちが〝報復〟に動かない理由はない。
そう言えば、昨日からリーシャの姿を一度も見ていないことにアシェンは気付く。
いや、リーシャだけではない。現在、列車に残っている戦力と言えば、シャーリィとラクシャ。それにクロウを始めとしたエイオスの護衛と〈暁の旅団〉の団員だけで、煌都へ入ってからエマの姿を一度もアシェンは確認していないし、リーシャと同様に昨日からシズナも行方を眩ませていた。
だとすれば、エマ、リーシャ、シズナの三人はまだ煌都に残っている可能性がある。
そして、同じく行方知れずとなっているリィンも、まだ煌都に残っているのだとすれば――
(ライ家への報復と、黒幕を突き止めるために動いている可能性が高い……)
デアフリンガー号が先に煌都を脱出したことも、フィーが一足先に首都へ潜入したことにも理由があるはずだ。
行動が計画的なことから、随分と前からこうなることを予想していたのかもしれないとアシェンは考える。
もしかすると旅行の話がでた時から、戦いが起きることを想定していたのだとすれば――
アシェンは背筋に冷たいものを感じ、ゴクリと咽が鳴る音がした。
戦闘に長けているだけでなく政治や謀略でも黒月に引けを取らない力があるのだとすれば、自分たちが考えている以上に彼等は危険な存在なのかもしれないと感じたからだ。
「夜になったら動くから、いまのうちに寝ておいた方がいいよ」
「そう言えば、聞いてなかったわ。一体、私に何をさせるつもり?」
首都に潜入したフィーの目的を、アシェンはまだ聞かされていなかった。
このアパルメントは首都西部のリバーサイド地区にあるもので、ルウ家が所有する〝隠れ家〟の一つだ。
しかし隠れ家を利用するだけなら、アシェンが同行せずとも場所を教えるだけでいい。
仮に鍵がかかっていようと、フィーなら簡単に建物へ侵入することも可能なのだから――
自分が連れて来られた理由は他にあると、アシェンは考える。
「ん……黒芒街の案内を頼みたいだけ」
「案内と言われても、あそこは〈黒月〉の影響が届かない場所なのだけど……」
フィーの言う『黒芒街』というのが、どういう場所かは当然アシェンも知っている。
しかし煌都と違って首都イーディスは、その全域が黒月の影響下にあると言う訳ではない。
特に首都イーディスの〝アンダーグラウンド〟と呼ばれる黒芒街は、非合法な品を扱う商人や犯罪者の巣窟と化していて軍や警察でも立ち入れない危険な場所だ。
最近は社会問題ともなっている半グレと呼ばれる若者たちも出入りしており、黒月の影響が及びにくい場所として知られていた。
謂わば、法律も裏の秩序も通用しない共和国で一番の無法地帯とも言って良い場所だ。
「知ってる。だから黒月も知らないような〝噂〟が耳にできるんじゃないかと思ってね」
「ああ……そういうこと」
フィーの一言で、ようやく自分が連れて来られた理由をアシェンは察する。
確かに黒月の力が及ばない場所だが、それだけに黒月の情報網に引っ掛からない場所でもある。
ライ家の行動を事前に予想できなかったのは、彼等が黒月の影響が及ばない外部の人間と繋がっていたからだ。
そうした情報が集まりやすい場所。それは確かに国中を探しても、黒芒街しかなかった。
黒月の影響が及ばない場所を探すこと自体、この共和国では難しいからだ。
「でも、余り力になれないと思うわよ? 爷爷ならともかく、私の知ることなんて組織の一部に過ぎないから……」
確かにアシェンはルウ家の令嬢だが、ツァオのように重要な役割を与えられた組織の幹部と言う訳ではない。
次期当主には弟がなることが内々で決まっており、ギエン老がリィンのもとへ嫁がせようとしたのもアシェンの立場を物語っていた。
組織内で影響力がないとは言わないが、重要な情報を得られる立場にはないと言うことだ。
ライ家の動きを一早く知ることが出来たのは、リィンの世話と連絡役を任されていたと言うのが大きい。
フィーが求めているのは情報の精査だと思うが、確実に力になれるとは言えなかった。
「それも想定済み。でも、私たちはアシェンよりも〝この国〟のことを知らない。生まれた時から、この国の表と裏を見てきたアシェンなら私たちに見えないものも見えるんじゃないかと思って。エリィの受け売りだけどね」
フィーの話に「そういうことなら」と、アシェンは若干の不安を抱えつつも納得した様子で頷くのであった。
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