「ん……了解。それじゃあ、明日の正午に旧市街で」
人目の付かない場所で〈ARCUS〉を右手に持ち、誰かと通信をする銀髪の少女の姿があった。
フィー・クラウゼル。〈暁の旅団〉の団長リィン・クラウゼルの義妹で〈妖精〉の二つ名を持つ高ランクの猟兵だ。
「いまの通信は、もしかして……」
「ん……リィンからだった。明日には、こっちに着くって」
用を済ませて戻ってきたアシェンの疑問に答えるフィー。
いま二人がいるのは首都イーディスの地下に広がる〈黒芒街〉と呼ばれる無法地帯。
猟兵崩れや半グレと言った若者たちが出入りする犯罪者の巣窟だ。
そして実はもう一人、潜入チームに加わった人物がいた。
「そっちも、ご苦労様」
「労うくらいなら面倒事を持ってくるなよ……。たくっ、お前ら兄妹は団長に似てきやがったな」
「それ、リィンが聞いたら喜ぶと思う」
「褒めてねえよ!」
マイペースなフィーにツッコミを入れる大男。
熊のように大きな身体をした男の名はガルシア・ロッシ。
ルバーチェ商会の若頭で、嘗て〈西風の旅団〉で部隊長を務めていた男だ。
ここにいるのはノイエ・ブランの支店を〈黒芒街〉に出店することが決まったからだった。
元々〈黒芒街〉にあったクラブを店ごと買い取って自分たちの店に変えてしまったのだ。
これも情報収集の一環で行ったことだ。
ルバーチェ商会は着実に共和国内での影響力を高めつつあった。
「黒芒街に行きたいと言われてびっくりしたけど、こんなところに店をだしていただなんて……。しかも〈キリングベア〉までいるし……」
「ん? 知り合いだった?」
「ええ、クロスベルでちょっと……」
お見合いのことで頭に血が上っていたとはいえ、ガルシアに食ってかかったのはアシェンの方が先だった。
そのためか、バツの悪そうな表情を浮かべるアシェンを見て、ガルシアの口からは溜め息が溢れる。
「気にするな。あれはリィンが悪い」
「ん……事情はよく知らないけど、リィンが悪いと思う」
そう言ってアシェンを励ますガルシアの言葉に、フィーも同調する。
実際、女絡みのトラブルは大体リィンが悪いと二人は思っていた。
本人が聞けば反論しそうではあるが、女性関係のトラブルの多さを考えると自業自得と言ったところだろう。
「もう、いいわよ……。それに思っていたほど悪い奴じゃないと分かったし……」
「そう言えば、リィンが来るって聞いて嬉しそうだった?」
「ち、違うから! ほっとしただけで、戦力として期待してるって意味だから!」
狼狽えるアシェンを見て、これはいつものアレだと察するフィー。
まったくそのつもりはなくとも、いつの間にか誑されているのだ。
アリサがこの場にいれば、やっぱりそうなったかと呆れつつも納得していただろう。
アシェンがツァオに向けている感情が恋心ではなく、家族に対する親愛や憧れに近いものだと察していたからだ。
それだけに、リィンにほだされるのは時間の問題だと考えていた。
アリサほど恋愛事情に詳しくはないと言っても、フィーでも気付くほどにアシェンの態度はあからさまだった。
「わたしが好きなのはツァオだし、あんなハーレム男じゃ……」
必死に言い訳するアシェンを生温かい目で見守るフィーとガルシア。
ルトガーの女性関係を傍で見てきたガルシアからすれば、やはり血は繋がっていなくとも団長の息子だと納得させられるものがあるのだろう。
とはいえ、これ以上は話が進まなくなると考え、ガルシアは場所を変えることを提案する。
「取り敢えず、店に移動するぞ。どうせ、ここに来るまで何も食べてないんだろう? 少しは腹に入れとけ」
「ん……気が利くね」
「食える時に食っておくのは、猟兵の基本だろう」
確かに、とガルシアの話に納得するフィー。
まだ自分の世界から帰って来ないアシェンの手を引っ張り、ガルシアの案内でノイエ・ブランへと向かうのだった。
◆
「本当に手広く商売をやっているのね」
改装を終えたばかりの店内を見渡しながら、感心した様子を見せるアシェン。
こういうところは、やはりルウ家のお嬢様なのだろう。
裏の顔を持つ〈黒月〉だが、表は真っ当な商売で財をなした名家の集まりでもあるからだ。
ルウ家は特に幅広い商売を手掛けていて、そう言う意味ではルバーチェ商会と競合するところも多い。
だからこそ、参考になる部分も多いのだろう。
「興味があるなら店で働いてみるか? 嬢ちゃんの器量なら、すぐに人気の嬢になりそうだしな」
「未成年を働かせて、捕まっても知らないよ」
「冗談に決まってるだろ。まあ、ここまで警察が出張ってくるとは思えないがな」
フィーのツッコミに冗談だと言いながらも、そうはならないだろうとガルシアは確信していた。
この街はそういう場所だからだ。
麻薬と人身売買以外であれば、大抵のものは手に入るのが黒芒街という場所だ。
前者に関しても〈黒月〉の目が行き届かないのをいいことに、半グレという怖いもの知らずの若者たちを中心に広まりつつあるくらいだった。
とはいえ、ガルシアから見れば、おしめも取れていないひよっこたちだ。
普段であれば、多少の灸を据える程度で気にも留めないのだが――
「これが例の薬?」
「ああ、ブーストドラッグって代物だ。まだ出回っている数は少ないが、高揚感と共に人間離れした反射速度と運動能力を与えてくれるらしい」
薬の効果を聞いてピクリと眉を動かし、何かに気付いた反応を見せるフィー。
話を聞く限りでは、グノーシスに近いと感じたからだ。
「副作用は? 人間が化け物になったとか話を聞かない?」
「いまのところはねえな。一応、知り合いに解析を頼んであるが、そこまでの力はなさそうだな」
「でも、限りなく黒に近い。なら、やっぱりこっちが当たりかな?」
クレアやヴァルカンたちが調べていることと、この件は連動しているとフィーは考えていた。
複雑に絡み合う蜘蛛の糸のように、恐らくはリィンたちが巻き込まれている件も無関係ではないのだろう。
「二人だけで納得していないで、わたしにも分かるように話してくれる?」
「協力者とはいえ部外者だし、黒月には関係のないことかもしれないよ?」
話せば巻き込むことになるとにおわせるフィーに、アシェンは肩をすくめる。
「今更でしょ? それにそれを決めるのは、あなたたちじゃない。わたしよ」
それが、アシェンの覚悟だった。
そのくらいの覚悟がなければ、同行したりはしない。
ここまできておいて、部外者扱いされるのは納得が行かなかった。
「それって、こっちにつく覚悟があるってこと? やっぱりリィンに……」
「話を蒸し返さないでくれる!? 第一、あなたたちを〈黒月〉が裏切ることはないわよ! 少なくともルウ家はね……。恩を仇で返すような真似は絶対にしない。そこだけは信じてもらっていいわ」
今回のことで〈黒月〉はリィンに大きな借りを作った。
特にルウ家は返しきれないほどの恩を受けたとアシェンは考えていた。
ライ家の計画が失敗に終わり、協力者も捕まったと言う話をフィーから聞いたからだ。
それが事実ならルウ家が〈暁の旅団〉を裏切るようなことはないと断言できる。
裏切りが常の世界ではあるが、受けた恩を忘れることもないからだ。
「ん……なら、いっか」
「……いいのか?」
軽いノリで決めるフィーにツッコミを入れるガルシア。
理屈は通っているが、信用できるかどうかは別の話だ。
アシェンから〈黒月〉に情報が漏れる恐れもある。
それにルウ家は信用できても、ツァオについては別だとガルシアは考えていた。
「なにを警戒しているのか分かるけど、このくらいなら時間の問題だと思うしね」
「まあ、それもそうか……」
既に共和国内でこれだけ派手に動いていると言うことは〈黒月〉の情報網に引っ掛からないはずがない。
そして、ツァオがいる以上は一連の流れの繋がりに気付くのは時間の問題だとフィーは考えていた。
そんなフィーの考えにガルシアも納得する。
「まずは帝国内で起きていることから話した方が良さそうだね」
そうしなければ話が繋がらないと、フィーはアシェンに語って聞かせるのだった。
◆
「帝国解放戦線にグノーシス? それに共和国内で出回りつつあるドラッグ。一連の流れにライ家も利用された可能性があるってこと? ごめんなさい……混乱しているのだけど……」
無理もないと、あらためて振り返りながら説明したフィー自身も思う。
まだ情報が足りていないこともあって、どこからどこまで誰がどう関与しているのかまでは、はっきりとしていないからだ。
恐らく問題を複雑にしているのは――
「改めて情報を整理すると面倒臭いことになってんな。少なくとも三つ以上の勢力の思惑が絡んでやがるだろ……」
ガルシアの言うように複数の勢力の思惑が複雑に絡み合っていることにあった。
共和国政府の裏に新大統領のロイ・グラムハートの影があることは間違いない。
そして、その共和国政府とMK社に繋がりがあることも明白だ。
しかし、ライ家やアルマータと一部の政治家が関係している疑いはあるが、新大統領にまで繋がるとは思えなかった。
この大事な時期に裏の組織と手を組むのはリスクが高すぎるからだ。
だからこそ、協力者にMK社を選んだのだと推察できる。
「ドラッグをばらまいているのが政府だとは考え難い。だとすれば、MK社も除外できるわよね? やっぱりライ家とアルマータが……」
「そうとも言い切れない。共和国の件はそれで説明が付くけど、それとは別に帝国の件があるから」
「ああ、それがあったわね……」
一筋縄には行かない状況だと言うのを理解し、頭を抱えるアシェン。
繋がりがあるように見えて、線が細い。確証の持てない状況だった。
それに帝国で使われたグノーシスは従来の物で、やはり共和国で出回っているドラッグとは違う。
偶然と片付けるには出来すぎているが、やはりピースが足りていないように感じる。
だからこそ、ガルシアは三つの勢力が関わっていると言ったのだろう。
共和国政府とMK社。ライ家とアルマータ。
そして、もう一つ〝第三の勢力〟が事件の裏にいると――
「この件、連中が関わっている可能性はないのか? この状況の引っ掻き回し方、心当たりがあるんだが……」
「それって、もしかして〈結社〉のこと?」
ガルシアの指摘は、フィーも可能性の一つとして考えなかった訳ではなかった。
当然リィンもその可能性には思い至っているはずだ。
黒の工房の一件で〈博士〉や〈道化師〉が裏で動いていた時点で、相互不可侵の約束などあってないようなものになっているからだ。
「……あなたたち、敵が多すぎじゃない?」
「だから聞かない方が良いって忠告した。もう、手後れだけど」
「忠告を聞かなかったのは私が悪いけど、これは想像以上よ……」
ここまでカオスな状況になっているとは思わなかったと、アシェンは後悔を口にする。
暁の旅団を取り巻く状況が想像以上に酷いことになっていたからだ。
一つだけ言えることは、渦中にリィンがいることだけは間違いなかった。
「リィンは人気者だから」
「これを人気の一言で済ませられるのが逆に感心するわ……」
フィーの言葉に呆れながらも、敵わないはずだとアシェンは納得する。
この状況でも冗談を言える余裕があることが伝わってくるからだ。
リィンなら何が起きても大丈夫だと、絶対的な信頼があるのだろう。
それは絶望的な状況を何度も乗り越えてきた証でもあった。
暁の旅団にあって、いまの〈黒月〉に足りていないもの。
アシェンが彼等に敵わないと感じるのは、そういうところだった。
「それで、これからどうするつもりなの?」
情報を整理して分かったことは、複数の勢力がそれぞれの思惑で今回の一件に絡んでいると言うことだけだ。
何が目的なのか、第三の勢力は何者なのか、肝心なことは何も分かっていない。
以前として厳しい状況に置かれていることには変わりが無かった。
せめて、リィンに掛かっている大統領暗殺未遂の容疑を晴らさない限りは状況が好転することはないとアシェンは考えるが――
「まさか……」
「そのまさか。リィンが助っ人を連れてこっちに来てくれるから、たぶんどうにかなると思うよ。シャーリィたちの方も明日には動きがありそうだしね」
サミュエル・ロックスミス大統領の救出。
それが、この状況を一変させる唯一の方法だった。
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