共和国との国境に位置する関所〈タングラム門〉では、いま緊迫した空気が漂っていた。
 基地内に足音を響かせながら、臨時に設けられた作戦司令室へと急ぎ足で向かう女性。
 警備隊の制服に身を包んだ眼鏡の似合う彼女の名はソーニャ・ベルツ。クロスベル警備隊の最高司令官だ。
 一時はクロスベル独立国の初代大統領に就任したディーター・クロイスの下で〈国防軍〉と名を変えた警備隊だが、大統領のディーターが逮捕されたことからクロスベルがエレボニア帝国に併合されることになり、再び〈警備隊〉に名称を戻して組織の再編に動いていた最中のことだった。
 帝国とノーザンブリアの戦争が始まり、ノーザンブリアと内通していた疑いを掛けられてクロスベルへも帝国軍が侵攻してきたのは――
 結果だけを言えば、〈暁の旅団〉の活躍で帝国軍の侵攻は阻止され、北方の戦いもノーザンブリアの勝利に終わったことでクロスベルは再び帝国からの独立を果たすことになった。
 多くの市民は自由を勝ち取ったと歓喜に湧いたが、実際のところ良いことばかりではなかった。
 情勢が目まぐるしく変わるなかで、翻弄されてきたのがクロスベルの警備隊だからだ。
 組織の再編とは簡単に終わるものではない。それが僅か一年半ほどの間で、こうも二転三転と情勢が変わっては、どれだけ綿密に計画を立てたとしても上手く行くはずもない。それでも可能な限り、組織の建て直しを急いできたのだ。
 そして、ようやく組織再編の目処が立ち始めたと言った矢先に――

「それで共和国軍からの回答は?」

 クロスベルから最も近い国境の街〈アルタイル市〉の郊外に、共和国軍が集結しつつあるという情報を飛び込んできたのだ。
 どこか疲れた表情を、ソーニャが滲ませるのも無理はない。

「ただの演習だと」

 その上、共和国軍の回答は予想通りのものだった。
 それだけに、これがただの演習でないことは明らかだ。

「司令、政府は何と……」

 そう言って、尋ねたのはミレイユ一尉だ。
 一時はアルフィンの警護を担当する親衛隊に所属していた彼女だが、クロスベルが帝国から独立したことで警備隊の本隊へと戻り、ソーニャの副官として敏腕を振るっていた。
 その際、二尉から一尉に昇進したと言う訳だ。
 と言うのも、アルフィンは帝国の元皇女だ。そのため、独立後はクロスベルのことはクロスベルの人々が政治を担うべきだと考え、総督の権限を新政府へと移譲する手続きを進めていた。
 もっとも、アルフィンが持つ政治的な影響力は本人が考えているよりも大きく、なかなか思うように権限の移譲が進んでいないのが現実ではあった。
 クロスベルの顔となる政治家がいないことが理由として大きい。
 そのためエリィを市長に推す声があるのだが、本人がその器ではないと辞退していることもあって思うように話が進んでいないと言う訳だ。

「こういう時のために雇っているのだから〈暁の旅団〉に任せればいい、だそうよ」

 ソーニャが遅れてやって来たのは、政府と対応を協議していたからだ。
 その内容が〈暁の旅団〉に対応を任せるという他力本願なものだった。
 確かに政治家たちの言い分には一理ある。〈暁の旅団〉には年間十億ミラを超える予算が割り当てられている。
 クロスベル全体の予算から見れば一パーセントに満たない額だが、猟兵に支払う報酬としては大きな金額だ。
 金額に見合った働きを期待するのは、当然と言えるだろう。
 しかし、この契約はあくまでクロスベルに有事が起きた際、協力すると言った内容で〈暁の旅団〉に命令する権限は政府にも警備隊にもない。その辺りを政治家たちは理解していなかった。
 いまだに猟兵を下に見ている政治家がいるのが、クロスベルの実情だ。

「不満そうね」
「正直に言うと悔しいです。また、彼等に頼るしかないなんて……」

 ミレイユの気持ちはソーニャにも理解できるものだった。
 政府の言い分は理解できるが〈暁の旅団〉に頼ってばかりでは警備隊の存在価値は薄れる一方だ。
 その所為でミレイユのように自分たちの役割に疑問を持ち、部隊を離れる者も出始めていた。
 警備隊の再編計画が思うように進んでいない原因の一つともなっている。
 そのため〈暁の旅団〉には感謝しているが、クロスベルの防衛を担う立場としては痛し痒しと言ったところなのだろう。
 それでも――
 
「いまは彼等に頼るしかない。私たちだけでは共和国の侵攻を止められないのも事実よ。それでも、やれることはあるわ」

 確かに〈暁の旅団〉に頼ることでしかクロスベルを守ることは出来ない。
 しかし、警備隊の役割は侵略者と戦うことだけではない。
 クロスベルの秩序を保ち、市民の生命と財産を守ることも警備隊の仕事だ。
 それに自分たちだけでクロスベルを守れないのなら――

「クロスベル全域に避難指示を――二十四時間以内に市民の避難を完了します」

 せめて彼等が戦いやすいように動くことが自分たちの役割だと考え、ソーニャは警備隊に指示をだすのだった。


  ◆


「貴族制度を非難していても、共和国も内情は帝国と余り変わらないわね」

 アルタイル市郊外の演習場に集結しつつある共和国軍の部隊を、呆れた様子でスコープ越しに観察する一人の女性がいた。
 赤毛のどこか男勝りな印象を受けるショートヘアの彼女の名はエミリー。
 嘗て帝国軍に所属していた元軍人だ。

「政治なんてそういうものよ。あなたはそれが嫌で軍を辞めたのでしょ?」
「はは……否定できないわね。でも、あなたまであたしに付き合う必要はなかったのよ――テレジア」

 そして、もう一人。
 肩に掛かる程度の長さの明るい金髪に、青い瞳の彼女の名はテレジア。
 彼女も帝国軍の元軍人で、エミリーとは士官学院に通っていた頃からの腐れ縁であった。
 いま二人はアリサが代表を務める企業〈エイオス〉の警備部門に所属していた。
 先の北方戦役で〈暁の旅団〉に捕まって捕虜となっていたのだが、人質交渉がはじまることなく帝国軍の再侵攻が始まり、しばらくノーザンブリアに身を寄せていたのだ。
 その後、ノーザンブリアの勝利で戦争が終わったことで戦後交渉が行われ、帝国に帰ることも出来たのだが、自分たちが戦死扱いになっていることを知って軍を抜ける決意をして今に至ると言う訳だった。
 丁度、アリサから〈エイオス〉に誘われたことも決断の理由として大きかった。

「いいのよ。今更、戻っても政略結婚の道具に利用されるだけ。それに男爵家はもう……」

 エミリーは平民だが、テレジアの実家は帝国貴族だった。
 それも貴族派に所属し、先のノーザンブリアとの戦争ではバラッド候の派閥に参加していたのだ。
 テレジアが帝国貴族の在り方を強いる父親に反発して、軍に志願したのはそれが理由だ。
 それにバラッド候の考えに賛同してノーザンブリアへ出兵した貴族の多くは跡継ぎを失い、戦争責任を問われて多額の賠償を政府から要求され、断絶の危機に陥っている家も少なくない。
 テレジアの実家も、そうした厳しい立場に置かれていた。
 いま戻れば間違いなく家を存続させるための道具として利用される未来しかない。
 貴族の家に生まれた以上、政略結婚は覚悟していたとはいえ、正直このようなカタチで利用されることをテレジアは望んでいなかった。
 だから彼女もエミリーと一緒に軍を抜け、帝国から離れることを決意したのだ。

「なんか、ごめん……」
「あなたが謝ることではないわ。昔からデリカシーがないのは分かっているしね」
「ぐ……それ、フォローになってないからね? というか、内心では怒ってるでしょ」

 テレジアの遠慮のない言葉に、胸を押さえるようなリアクションを取るエミリー。
 とはいえ、自分の配慮が足りなかったことは認めていた。
 生まれも育った環境もまったく違う二人だが、それだけに互いの良いところも悪いところも認め合っているからだ。

「それより大体の情報は得られたし、ここから離れるわよ」
「監視は続けなくていいの?」
「戦いに巻き込まれたいなら止めないわよ。私は先に逃げるけど……」

 リィンが領邦軍をたった一人で壊滅させた時のことを思い出しながら話すテレジアに、エミリーの記憶にも当時のことが蘇る。

「ほら、さっさと行くわよ!」

 態度を一変させ急ぎ足で離れるエミリーの後を、テレジアは呆れた表情で追いかけるのだった。


  ◆


「久し振りに連絡を寄越したかと思えば……」 

 他を当たれと、にべもない態度を取る男。
 モダンなスーツに身を包んだ眼鏡の似合うインテリ風の彼の名はルネ・キンケイド。CIDに所属する新米の分析官だ。
 将来を期待される優秀なエリート官僚で、エレインとは同じ学校を卒業した幼馴染みでもあった。
 その幼馴染みから久し振りに連絡をもらったかと思えば、協力を持ち掛けられたのだ。
 しかし、

「お願い、あなたにしか頼めないの」
「無茶を言うな。軍事施設に潜入するのを手伝って欲しいなんて……」

 幾ら幼馴染みの頼みとはいえ、素直に応じられるような話ではなかった。
 市外にある軍の駐屯地に潜入するのを手伝って欲しいと頼まれたからだ。
 CIDの立場を使えば、軍事施設へ入ることは確かに不可能な話ではない。
 しかし、かなりの危険を伴う行為だ。
 最悪、事が露見すればルネの立場も危うくなる。

「俺からも頼む。代わりと言っちゃなんだが、アルマータの件はCIDに預けても構わないと思っている」
「まったく、あなたまで……」

 CIDに手柄を譲ると話すジンに、ルネは困った顔を見せる。
 アルマータのボスを捕らえ、首都まで連行したのはエレインとジンの二人だ。
 ギルドも民間の組織である以上、公的機関の要請に協力する義務はあるが、だからと言って彼等の手柄を横から奪うような真似は出来ない。
 そんな真似をすれば、世論を的に回すことになるからだ。
 それを貸し借りなしと出来るのであれば、CIDにとっても悪い話ではない。
 だが、そのために軍事施設への潜入に協力して欲しいというのは無茶が過ぎる。

「あなたたちも既に情報を掴んでいるのでしょう? クロスベルへの侵攻作戦が計画されていることを――そして、既に作戦は始まっている」

 このままではクロスベルとの戦争が再び起き、大きな犠牲がでることになるとエレインは話す。

「ギルドとしても民間人に犠牲がでる可能性がある以上、黙っている訳にもいかないと言う訳だ」

 国家間の問題に介入することはギルドと言えど出来ない。
 しかし、民間人の生命と財産が脅かされるのであれば話は別だ。
 民間人を守るための盾となり、保護するのがギルドの使命。
 ジンとしては、その方向で話を持っていきたいのであろうことが窺える。

「確かにその情報はCIDも掴んでいる。しかし、既にクロスベルとの国境に軍は集結しつつある。今更、戦争を止めることなど……」
「可能性はあるわ。大統領を救出することが出来れば――」
「……やはり、その情報をギルドも掴んでいたのか」
 
 サミュエル・ロックスミス大統領の安否はCIDも調査していた。
 そのなかで浮上したのが、市外にある軍の駐屯地だった。
 確定情報ではないが、かなりの確率で大統領が基地内に監禁されている可能性は高いとルネは睨んでいた。
 しかし事が事だけに、外部に情報が漏れないように政府内には箝口令が敷かれていたのだ。
 とはいえ、いまの混乱した状況では完全な情報封鎖は難しい。
 与党派の議員のなかには、大統領を救出しようと積極的に動いている議員もいる状況だ。
 マスコミには関係機関から圧力を掛けてはいるが、情報が広まるのは時間の問題だとルネも考えていた。

「この件で、あなたたちは動かない。いや、動けないと言った方が正解かしら?」
「……ご明察だ」

 CIDと言えど、国の機関であることに変わりは無い。
 本来は大統領に指揮権があるが、その大統領が不在のため、政府からの指示がなければ動けない状態にあった。
 そして政府内では、足の引っ張り合いが起きている。軍もクロスベルへの再侵攻を主張する強硬派と、戦争に反対する慎重派の二つに割れ、足並みが揃っていないのが現状だ。
 エレインの言うように、動かないのではなく動けないと言った方が正しかった。

「だから、私たちに任せなさいと言っているのよ」
「正気か? 最悪、国とギルドの関係を悪化させることになるぞ」

 実際のところ、国とギルドの関係は良好と言えるほどではない。
 帝国ほど極端ではないが、どの国でも民間人から高い支持を得ているギルドの存在を煙たく思っている権力者は少なからずいるからだ。
 そのため、下手に政治の問題に介入すれば、政府からの反感を買うことになる。
 この問題が上手く片付いたとしても、必ず大きなしこりを残す結果になるだろう。

「それでも、最悪の結果を招くよりはマシよ。責任は私が――」
「全責任は俺が取るから安心してくれ」

 エレインの言葉を遮るように、話に割って入るジン。
 この件に首を突っ込むと覚悟を決めた時から、既に腹を括っていたのだろう。

「ジンさん……」
「このくらいは格好をつけさせろ。それに俺ならそこまで大きな問題にはならないはずだ。上を説得するくらいの貢献はしていると思うしな」

 若者に責任を負わせるような格好の悪いことをするつもりは、最初からジンにはなかった。
 そんな二人のやり取りを見て、ルネは溜め息を漏らす。

「まったく、なにをそんなに焦っている? 民間人に犠牲が及ぶ可能性がある以上、戦争を回避したい気持ちは理解できるが……」
「……そういうことじゃないのよ」
「どういうことだ?」

 ギルドの使命や正義感からエレインが戦争を止めるために必死になっていると考えていたルネは、自分の考えを否定されて訝しむ。
 エレインとの付き合いは長いが、他にこれと言った理由が思い浮かばなかったからだ。

「〈暁の旅団〉……いえ、リィン・クラウゼルだけは絶対に敵に回してはダメなのよ。クロスベルを攻撃して彼に大義名分を与えるようなことになれば、最悪の場合――」

 共和国軍は壊滅すると、エレインは真剣な表情でルネを説得するのだった。



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