「くそ……なんで、こんなことに……ぐは!」

 苦しげな表情で呻き声を漏らす男の頭を、躊躇無く踏みつけるシズナ。

「はあ、やっぱりこうなったか……」

 虫の息で倒れているのは〈ディザイア〉に所属する半グレたちだ。
 数は三十人ほど。半数は既に事切れていて、残りの半分も身動きが取れないほどの重傷を負っていた。
 人目の付かない裏路地とはいえ、一般人が目にすれば卒倒するような惨劇が街中で繰り広げられているのだ。
 ガルシアが溜め息を漏らし、半グレたちに同情するのも無理はない。

「お前等、ちょっとやり過ぎだ」
「この手の連中は甘い態度を取ると、すぐに忘れて同じことを繰り返すからな」
「一応、手加減したしね。まあ、半分は生きてるしセーフじゃないかな?」

 シズナの言葉にアウトだと答えそうになるが、リィンの言葉にも一理あることをガルシアは認める。
 裏社会には裏社会の秩序がある。猟兵やマフィアにも守るべき流儀と仁義がある。
 それを無視して好き放題やってきたのが、ここに倒れている半グレたちだ。
 全員殺されなかっただけマシというのは、確かにその通りではあった。

「キリングベアの口からそんな甘い言葉がでるとはな。少し丸くなったんじゃないか?」
「そんなんじゃねえよ。後始末が面倒だと思っただけだ」

 昔に比べて甘くなったと言うリィンに対して、そんなことはないとガルシアは反論する。
 甘く見えるのだとすれば、猟兵であった頃よりもしがらみ(・・・・)が増えたからだとガルシアは考える。
 とはいえ、同じことはリィンにも言えるはずなのだが――

「まあ、お前はそれでいいのかもな」
「なんの話だ?」

 ルトガーもそうだったと思い出し、ガルシアはリィンに注意するのを諦める。
 猟兵王は自由(・・)な男だった。
 最強の猟兵団を率いる団長でありながら、それを感じさせないほど自然体で不思議な魅力を感じさせる男であった。
 リィンにもルトガーと同じようなところがあると、ガルシアは感じていた。 
 血は繋がっていないはずだが、生き様や在り方がよく似ているのだ。
 だからこそ、何者にも縛られない。

「な、なんなんだ! お前等――お、俺たちにこんなことをして無事に済むと――」
「面白い冗談だ」
「ぐああああああああッ!」

 リィンに右手を踏み砕かれて、悲鳴を上げる半グレの男。
 気に入った奴がいれば自分の命を狙ってきた敵だろうと仲間に誘うし、逆に気に入らない相手であれば誰であっても容赦はしない。
 圧倒的な強さとカリスマ。
 その両方を持ち合わせているからこそ、許される横暴。
 世界で最も自由で、最も恐れられる男。それが、猟兵王と呼ばれる男だった。

「お、俺の手が……」
「骨が折れたくらいでギャアギャア騒ぐな。手首を斬り落とされなかっただけマシだろう? それとも、そっちの方がよかったのか?」
「ひ、ひぃッ! ゆ、許してくれ!」

 普段のリィンを知っている者からすれば、目を疑うような光景だろう。
 しかし、これもリィンの一面だった。

「死にたくなかったら答えろ。このなかにお前等のボスはいるか?」
「い、いない! リーダーは今日、大事な取り引きがあって出掛けている!」
「なら、行き先を教えろ。まだ死にたくはないだろう?」

 完全に心が折れた様子で、リィンの問いに首を縦に振る男。
 首都最大の半グレ集団などと言っても、所詮は不良上がりの半端物でしかない。
 自分たちよりも弱い人間には強気にでられても、本当の恐怖を体験したことはなかったのだろう。
 裏の世界には、表の常識では通用しないような化け物がゴロゴロといる。
 そんななかで最強の一角に数えられ、魔王と畏れられる男がリィン・クラウゼルだ。

「素直なのは良いことだ。なら、そのリーダーのところに案内してもらおうか」
「わ、わかった……そ、そしたら殺さないんだな?」
「お前に利用価値がある限りはな。だが、嘘を吐いたり少しでも裏切るような真似をすれば……」

 仲間の死体を見て、ゴクリと息を呑む半グレの男。
 自分たちが何を敵に回したのか、男はようやく理解するのであった。


  ◆


「酷いですね。これは……」

 何者かの通報があって警察が駆けつけた時には、すべてが終わった後だった。
 犯人は逃走した後で、現場に残されたのは複数の死体と半死半生の半グレたち。

「おい、お前。ここで何が――」
「ゆ、許してくれ! お、俺はなにも見てない! 知らないんだあ!」

 こんな風に耳を塞いで喚き立てるだけで、会話になりもしない。
 息のある者たち全員が、まともに口がきけるような状態ではなかった。

「警部、やっぱりこの連中。〈ディザイア〉のようです」

 新米と思しき捜査官の男が、聞き取りの結果を上司に報告する。
 彼の名はネイト。まだ捜査官になって一年に満たない新人だ。
 そして、

「となると、やはりこれはマフィアの仕業か? しかし……」

 ネイトの上司にして、大陸中部出身の黒人と思しき彼の名はダスワニ。
 首都イーディスに配属されている警察官で、階級は警部だった。
 ダスワニ警部の愛称で部下からも慕われているベテラン捜査官だ。
 そんな彼の目から見て、この現場には奇妙な点が幾つか残されていた。
 まず一つ目が、これだけの犠牲者がでているにも拘わらず、争った形跡がほとんど見られないことだ。
 マフィアの抗争なら銃撃戦の跡くらいは残るものだが、銃が使われた形跡すら見当たらない。
 警官が駆けつけるのが遅くなったのも、周辺住民が銃声などの大きな音を聴いていなかったことが理由として挙げられる。
 となれば、銃を用いずにこれだけの人数を短時間で制圧したと言うことになる。
 プロの仕業であることは容易に想像が付くが――

「これだけの人数を銃を用いずに制圧したのだとすれば……」

 相当の手練れだと、ダスワニ警部は考える。
 幾ら〈ディザイア〉が素人の集まりだと言っても、マフィアですら対応に手を焼く連中だ。
 銃を抜く暇も与えず、制圧することなど並の人間に出来ることではない。
 それも現場の状況から、犯人は少数だと見当が付く。

「警部、どうしましょうか?」
「どうもこうも情報が少なすぎる」
「となると……連中、吐きますかね?」

 あの様子を見る限りでは、半グレたちが素直に話すとは思えなかった。
 なにかに脅えているかのような反応を見るに、余程怖い目に遭ったとしか思えない。
 仲間の半数が命を落としているのだ。それも当然ではあるが――

「目撃者が他にいないか、周辺住民から聞き取りするぞ」
「うえ、いまからですか。俺、今日の夜は彼女との約束が……」
「残念だったな。今日は帰れそうにない。ほら、いくぞ」

 茜色に染まる空を見上げながら溜め息を溢し、ネイトは渋々と言った様子でダスワニ警部の後を追うのだった。


  ◆


 黒芒街の一角にある廃棄区画。
 黒芒街の住民ですら滅多に足を踏み入れない荒れ果てた一角に〈ディザイア〉のメンバーと、マフィアと思しき者たちの姿があった。

「こいつが今月分の報酬とブツ(・・)だ」

 マフィアから受け取ったトランクの中身を確認する半グレたち。
 既に何度も行われてきた取り引きなのだろう。手慣れた様子が見て取れる。
 大金の詰まったトランクと小分けされた袋のようなものを半グレたちが確認した、その時だった。

「ジェ、ジェフリーさん! 大変です!」

 半グレたちの仲間と思しき男が、取り引きの現場に駆け込んできたのは――

「いま大事な取り引きの最中だぞ。なにがあった?」
「何者かにアジトが襲撃されました。半数が殺されて、残りは警察に捕まったと連絡が……」

 仲間の報告に目を瞠る茶髪の男。
 彼の名はジェフリー。半グレたちを束ねる〈ディザイア〉のリーダーだ。

「アジトが襲撃を受けただと! どこの連中だ! そんな舐めた真似をしたのは――まさか、〈黒月(ヘイユエ)〉か?」

 ジェフリーの頭に真っ先に浮かんだのは〈黒月〉の存在だった。
 人身売買や麻薬の取り扱いを〈黒月〉が掟で禁じていることは有名な話だ。
 そのため、遂に〈黒月〉が粛清に動いたのではないかと考えたのだろう。
 それでも、これほど派手に動くとはジェフリーも思ってはいなかった。
 ディザイアは厳密には裏の組織ではない。半グレと呼ばれる不良の集まりだ。
 そのため、心の何処かで自分たちは大丈夫だと思い込んでいるところがあったからだ。

「おい、お前等どこに行く気だ!」
「取り引きは終了した。そちらの件は我々に関係のないことだ」
「ふざけるな! お前等から持ち掛けてきた取り引きだろう!」

 話の一部始終を聞いていたマフィアたちが何食わぬ顔で立ち去ろうとしているのを見て、ジェフリーは激昂する。
 この麻薬の取り引きは、マフィアの方から持ち掛けてきたものだ。
 勿論〈ディザイア〉も甘い汁を吸ってきたことは間違いないが、一蓮托生と言えるものだった。
 それを――

「お前等、最初からそのつもりで……」

 いざと言う時は自分たちを切り捨てるつもりだったのだと、ジェフリーは気付く。
 しかし、

「そこを退け。もう、お前たちに用はない」
「く……」

 それがどうしたとばかりに、マフィアは半グレたちに銃口を向ける。
 ジェフリーが考えたように、最初から切り捨てるつもりで彼等は〈ディザイア〉を利用していたのだろう。
 だが、半グレたちも黙って従うほど大人しくはなかった。

「ふざけるな! お前たちこそ、ただで済むと思うなよ」

 ジェフリーの指示で、同じくマフィアに銃を向ける半グレたち。
 一触即発の状態のなか、互いに銃の引き金に手を掛けた――

「見つけた」

 その時だった。
 凛と透き通る女の声が辺り一帯に響いたのは――
 背筋が凍るような悪寒を感じ、後ろを振り返る半グレたち。

「す、すみません……リーダー」

 すると、そこには〈ディザイア〉のメンバーと思しき男の襟首を掴んで、ズルズルと引き摺る白銀の長い髪の女の姿があった。
 相手は女一人だ。ビビるような相手ではないと分かっているはずなのに――

(なんだ。これは……)

 自分の手が震えていることにジェフリーは気付く。

「まさか〈白銀の剣聖〉か! どうして、こんなところに――」

 そんななかマフィアの声が響く。
 驚いていると言うよりは、どこか恐怖で強張っているかのような反応。
 自分たちを嵌めたマフィアが取り乱す光景に、ジェフリー以外の半グレたちも何かがおかしいと気付き始めた、その時であった。

「先走るなと何度言ったら分かるんだ。お前は……」

 呆れた口調で女に注意しながら、一人の男がマフィアと半グレたちの前に姿を現したのは――
 黒髪の男に続いて、クマのように大きな身体をした男まで姿を見せる。

「お、お前は……キリングベア!」
「キリングベアって、まさかルバーチェ商会の!」
「それじゃあ――」

 声を揃え、慌てた様子を見せるマフィアと半グレたち。
 白銀の剣聖と〈キリングベア〉と一緒にいる男の正体に気付いたからだ。
 いまや表と裏を問わず、その名を知らない者はいないと噂されるほどの人物。
 暁の旅団の団長にして、世界最強の猟兵――

「ま、魔王! リィン・クラウゼル!」

 猟兵王リィン・クラウゼルであった。



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