剥がれ落ちるように元の姿に戻って行くトリオンタワーの姿を、ビルの屋上から眺めるメルキオルの姿があった。
どこか満足げな笑みを浮かべながらメルキオルが愉悦に浸っていると――
「ゆっくりと手をあげて。妙な真似はしないで」
背中に剣を突きつけられ、少し驚いた様子を見せる。
トリオンタワーに意識が向いていたとはいえ、まさかここまで接近を許すとは思ってもいなかったからだ。
「へえ……隠形術もなかなかのものじゃないか」
剣を突きつけているのはエレインだった。
追い詰められていると言うのに、まったく動じた様子を見せないメルキオル。
それもそのはずで――
「手をあげるのは、そっちの方だよ。お嬢ちゃん」
危機的状況なのはエレインも同じだった。
物陰からエレインにニードルガンを向けているのは、アルマータ幹部のヴィオーラだ。
他にも同じくアルマータ幹部のアレクサンドルの姿があった。
「ボスの最期の舞台だからね。みんなで見送ってあげなきゃ寂しいだろう?」
そう言って、笑みを浮かべるメルキオル。
オランピアの姿だけ見当たらないが、多勢に無勢であることに変わりは無い。
ボスの最期という言葉も気になるが、それよりもエレインには確認したいことがあった。
「ヴァンはどこ?」
射殺すような視線でメルキオルに尋ねるエレイン。
銃口を向けられていると言うのに、まったく動じる様子を見せない。
確かに危機的状況ではあるが、メルキオルの命も同時に握っていることに変わりは無い。
彼等に仲間意識があるのかは分からないが、答えを得るまではエレインも引くつもりはなかった。
「なるほど、彼のためにここまで来たのか。美しい友情と言うべきか、それとも――」
「質問に答えて」
有無を言わせぬエレインの問いに、やれやれとメルキオルは肩をすくめる。
そして、
「彼なら、あそこだ」
空を指さすメルキオル。
その方向には一隻の飛行船が浮かんでいた。
「まさか……」
知らないはずがない。
その飛行船はエレインがジェラールを護送する際、煌都から乗ってきたものだからだ。
マルドゥック社。通称MK社が開発した最新の飛行船。
ヴァンがあの飛行船に乗っているというのが事実だとすれば、アルマータとMK社は――
「――ッ!」
注意が逸れた一瞬の隙を狙ってメルキオルが飛び退いた瞬間、ニードルガンがエレインに襲い掛かる。
不意を突かれながらも、剣で短針を弾くエレイン。
しかし、そこに――
「見事だ。だが、詰めが甘い」
アレクサンドルが距離を詰め、エレインの横っ腹にパンチを繰り出す。
ミシミシという音を立てて、貯水槽に叩き付けられるエレイン。
「かはッ……」
そして肺から息を吐き、崩れ落ちる。
「油断大敵だね。感情的になるのは良くないよ。こんな風に隙が生じるからね」
「後ろを取られたアンタが言うと説得力ないけどね」
ヴィオーラのツッコミに、してやられたと言った表情で苦笑するメルキオル。
目の前の光景に魅入っていて、エレインの接近に気付かなかったのは確かだからだ。
「それで、この嬢ちゃんはどうするんだい? ボス」
メルキオルのことをボスと呼ぶヴィオーラ。
アルマータのボスはジェラールだったはずだ。
ダメージから身体が思うように動かない中、困惑するエレインに――
「不思議そうな顔をしてるね。組織を引き継いだのさ。ボスの遺言でね」
メルキオルは自分が組織のボスになった経緯を説明する。
ジェラールも危険な男だったが、メルキオルはそれにも増して何をするか分からない危険人物だ。
エレインからすれば、最悪とも言える情報だった。
しかし、
(ジェラール・ダンテスは死んだのね……)
ジェラールが死んだと言うことは、恐らくリィンが勝ったのだとエレインは察する。
喜ぶべきことかは分からないが、ジェラールよりはまだリィンの方がマシだとエレインは考えていた。
恐ろしい人物であることに変わりは無いが、話の通じない相手ではないからだ。
少なくとも彼には彼の流儀があって、それに反する真似をするような人物ではないと信用していた。
そうでなければ、自分はとっくに殺されていたはずだと――
「取り敢えず、彼女はアジトに連れて帰ろうか。いろいろと利用価値がありそうだ」
「ギルドを相手に身代金を要求する気かい?」
「それもいいけど、まずは手配書を取り下げてもらおうかな。その上で、不可侵条約を結ぶと言うのはどうだい?」
「……マフィアと取り引きするほど、ギルドも腐っちゃいないと思うけどね」
「だろうね。でも帝国の前例もあることだし、やってみる価値はあるんじゃないかな? 少なくともメッセルダムからギルドを追い出すことくらいは出来ると思うんだよね」
ヴィオーラとメルキオルの話を聞き、最悪だと顔を青ざめるエレイン。
メルキオルの言うように、条件次第ではギルドが交渉に応じる可能性はある。
その程度の価値は自分にあると言うことを、エレイン自身も認めているからだ。
しかし、
(交渉の材料にされるくらいなら……)
マフィアに利用されるくらいなら死を選ぼうとするエレイン。
覚悟を決め、舌を噛み切ろうとするが――
(力が入らない……)
全身に力が入らないことに気付く。
身体が痺れ、思うように動かないことに――
アレクサンドルから受けたダメージが原因ではない。
これは――
「ようやく効いてきたみたいだね。この針には毒が塗ってあってね」
ニードルガンの針が身体をかすめていたのだとエレインは気付く。
いまになって全身に毒がまわり始めたのだと――
「舌を噛み切ろうとしたね。まったく油断のならない嬢ちゃんだよ。アレクサンドル」
「わかっている」
布で作った猿轡をエレインの口に噛ませるアレクサンドル。
もはやエレインに抵抗する力はなかった。
悔しげな表情を滲ませ、為す術なくアレクサンドルに身を委ねるエレイン。
そんなエレインの希望を打ち砕くように――
「ああ、そうだ。彼がタイミングよく助けに現れるのは期待しない方がいいよ。ボスを殺したのはキミが考えているとおりの人物だけど、今頃は別の世界に飛ばされているはずだからね」
メルキオルは助けが来ないことを伝える。
しかし、何を言っているのか理解できず困惑するエレイン。
別の世界などと言われても理解できないのは無理もない。
ゼムリア大陸の外に別の世界が存在するなど、この世界に生きる人々であれば考えもしないことだからだ。
「それじゃあ、彼女を連れて僕たちも退散するとしようか」
メルキオルの指示に従い、エレインを肩に担ぎ上げるアレクサンドル。
この場から離脱しようとした、時だった。
「その話の続き、聞かせてもらえるかな?」
妖精の声が響いたのは――
◆
「フィー・クラウゼル。〈暁の妖精〉か。良いタイミングで現れるじゃないか」
「それだけじゃないみたいだよ……」
フィーを前にしても相変わらずの余裕を見せるメルキオル。
しかし、ヴィオーラは額に汗を滲ませながら反対の方向を睨んでいた。
「まぜてもらおうと思ってきたら、もう終わってるし……お姉さんたちがシャーリィの相手をしてくれるってことでいいのかな?」
シャーリィ・オルランド――〈紅の鬼神〉の姿もあったからだ。
数の上ではまだメルキオルたちの方が上回っているが、暁の旅団のなかでもトップクラスの戦闘力を持つ二人を相手に出来ると考えるほどヴィオーラは自惚れていなかった。
嘗ては彼女も組織のトップに立っていたことがある。
しかし、その組織ごとジェラールに潰され、アルマータに拾われた経験があるからだ。
だからこそ、命を脅かす危険には敏感だった。
どう逆立ちしても勝てない相手だと、彼女の本能が訴える。
「待って、シャーリィ。殺すかどうかは話を聞いてから」
「ええ……動けなくしてから話を聞いた方が早くない?」
「そうしたら勢い余って殺すでしょ?」
何気ないやり取りに見えるが、ヴィオーラからすれば笑えない話だった。
全滅させられる自信があると言っているようなものだからだ。
実際、それだけの力がフィーとシャーリィにはある。
メルキオルでも、この二人を同時に相手すれば無事では済まないだろう。
「お嬢ちゃんを人質に取れば、どうにか切り抜けられると思うかい?」
「そう言うのが通用する甘い相手じゃない。人質など、無意味だ」
アレクサンドルから返って答えに、だよねと溜め息を溢すヴィオーラ。
多少、顔を知っている程度の相手。それも遊撃士を助ける義理など猟兵の二人にはない。
エレインを人質に取ったところで、交渉にすらならないと分かっていた。
「止めたのに結局きて捕まったんだ。バカなの?」
アレクサンドルに担がれたエレインを見て、そんな感想を漏らすフィー。
どうして一人で来たのかと、エレインの行動に疑問を持ったからだ。
せめて仲間がいれば、こんな失態を犯すこともなかっただろうと――
「まあ、別にいいけどね。それで? リィンをどうしたの? 返答次第では――」
殺気を込めてメルキオルたちに尋ねるフィー。
返答次第では、ここで彼等を全滅させることを本気で考えていた。
と言っても、逃がす気など最初からないのだが――
リィンと同様、フィーもアルマータは危険な組織だと考えているからだ。
今後のためにも、潰せる時に潰しておいた方がいいと考えていた。
「そう敵意を向けないで欲しいな。むしろ、感謝して欲しいくらいなのに」
「……どういうこと?」
アルマータがリィンに何かをしたのは間違いない。
それにこれだけの騒ぎを起こしておいて感謝しろなど、フィーからすれば巫山戯ているとしか思えなかった。
しかし、
「キミたちも本当は気付いていたんだろう? 今回の件、動いていたのは共和国政府や僕たちだけじゃない。密かに〈結社〉や〈教会〉も暗躍していた。それにマルドゥックも――事の成り行きを見守りつつね。全員が介入のタイミングを窺い、漁夫の利を狙っていたんだ」
メルキオルの言うように、様々な組織の思惑が絡んでいることはフィーも気付いていた。
それが問題を複雑化し、黒幕の狙いや目的を見えにくくしていることも――
ここまで後手に回ってしまったのも、それが最大の原因と言っていい。
「なかでも教会は彼を外法認定して、あわよくば抹殺。それが無理なら封印しようと動いていたみたいだしね」
これにはフィーも驚く。
教会が不穏な動きを見せていたことは知っていたが、まさかそこまで事態が動いているとは思っていなかったからだ。
少なくともトマスやロジーヌからは、そう言った動きは感じ取れなかった。
だとすれば、教会内の別の勢力が動いた可能性が高いと考える。
とはいえ、
「それと、さっきの話がどう繋がるの? 相手が教会でもリィンなら――」
「確かに彼なら守護騎士が相手でも退けることは可能だろうね。でも、動いているのは教会だけじゃない。それぞれ目的や事情は異なるけど、全員が彼を狙っている状況だった」
どれほどリィンが凄かろうと、一人では限界がある。
負けはしなくても、リィンも無事では済まないだろう。
そして、それは更なる争いを引き起こす切っ掛けとなりかねない。
この世界の寿命を縮みかねないと言うことだ。
「だから彼には一時的に退場してもらうことにしたんだ。舞台を整えるには時間が必要だからね」
僕たちにも、キミたちにも――
メルキオルの話には、不思議な説得力があった。
なんとなくではあるが、フィーも同じようなことを感じていたからだ。
世界中の悪意がリィンに向けられようとしている。そんな不穏な気配を――
「殺すなら好きにすればいい。でも、僕たちを殺したところで、この流れは止められない。ボスとアリオッチが命懸けで作った時代が、これから訪れようとしているんだ」
追い詰められていると言うのに、メルキオルの表情は歓喜に満ちていた。
狂っていると、仲間であるはずのヴィオーラやアレクサンドルですら怪訝な顔を見せる。
だが、だからこそジェラールはメルキオルに組織を託したのだと分かる。
まともな人間では、アルマータを率いることは出来ないからだ。
「こいつの言っていること、たぶん本当だと思うよ」
そう話しながら周囲を警戒する様子を見せるシャーリィ。
自分たちやメルキオルたちだけではない。複数の勢力がこの場に集まっていることに気付いたからだ。
それもシャーリィの基準から見ても、かなりの手練れが集まっていた
戦闘になれば、どのような動きを見せるか分からない。
普通であれば躊躇するところだが、そこはシャーリィだ。
「これだけいたら愉しめそうだね」
少しも臆した様子を見せず、むしろ好戦的な笑みを浮かべる。
いつもであれば仲間の誰かが止めるところだが、今回は少し違っていた。
『話は聞いていたわ。思う存分やっていいわよ』
ARCUSから聞こえてきたのは、アリサの声だった。
あらかじめ〈ユグドラシル〉の機能を使って、クロスベルにいるアリサと通信を繋げておいたのだ。
『大人しく手を引くのが賢いのでしょうけど、この筋書きを描いた人物は猟兵をよく分かっていない』
このまま混戦になれば、更に被害が拡大することは避けられない。
より多くの犠牲者がでるだろう。それでも――
『リィンなら、こう言うはずよ。暁の旅団を舐めるなとね』
それが後に共和国史上最悪の事件として語られることになる戦いの合図となるのだった。
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