「ごめんなさい。エリィ、勝手に決めてしまって」
「気にしなくていいわ。私も我慢の限界だったし、あなたの所為じゃない」
アリサの謝罪に対して、気にする必要はないと首を横に振るエリィ。
恋人を嵌められて我慢できるほど、エリィも忍耐強くはなかった。
それに事後承諾になってしまうが、祖父や母の理解も得られるはずだと考えていた。
今後のことを考えれば、有耶無耶に終わらせてしまうのは逆効果だと考えるからだ。
問題は匙加減だった。
「それで、どこまでやるつもりなの?」
「アルタイルを占拠するわ」
アリサのこの一言には、さすがのエリィも目を瞠る。
確かに共和国はやり過ぎた。しかし、そんな真似をすれば共和国軍も後に退けなくなるのではないかと考えたからだ。
「そこまでしたら全面衝突にならない? リィン抜きの状況でそれは……」
例え、共和国と全面戦争になってもリィンがいれば、それほどの不安はない。
しかし、リィンが不在の状況で本気になった共和国を退けられるのかと言った不安がエリィのなかにはあるのだろう。
だが、アリサの考えは違っていた。
「私の見立てではリィン抜きでも五分。いいえ、こちらの方が有利だと考えているわ。忘れたの? こっちの味方はノーザンブリアとリベールだけじゃない」
「ヴァイスラント公国ですね」
そう言って二人の話に割って入ってきたのは、ミュゼだった。
よく見れば、ミュゼの後ろにはアルフィンとエリゼの姿もある。
それに――
「当然、エタニア王国も力を貸します。リィンさんには返しきれないほどの恩がありますから」
「ここまできたら乗りかかった船ですしね」
ダーナとラクシャの姿もあった。
ヴァイスラント公国が加われば、数の差はある程度は埋められる。
それでも共和国軍の方が数では上だろうが、それを覆せるだけの質の差があるとアリサは考えていた。
アリアンロードをはじめとした世界最強クラスの戦力が〈暁の旅団〉には集っているからだ。
問題は彼等が力を発揮できる環境を整えることだ。そのためにも国境線を守れるだけの戦力は必要となる。
それを補うための戦力を同盟国にだしてもらうことが出来れば、共和国と互角に――いや、互角以上に渡り合うことが出来るはずだ。
それに――
「占領するのはアルタイル市までよ。そこからは共和国との停戦交渉を行うつもりでいるわ。この話にサミュエル・ロックスミス大統領であれば、こちらの意図を理解して必ず乗ってくるはずよ」
アリサも本気で共和国を攻め滅ぼすと言ったつもりはなかった。
そんな真似をしてもクロスベルや〈暁の旅団〉では広大な共和国を支配することなど不可能だし、得られるメリットよりもデメリットの方が大きいからだ。
東方からの移民の問題や、迫る砂漠化の被害。
そう言ったものから西ゼムリア大陸を守る緩衝地帯となっているが共和国だ。
共和国を潰してしまえば、それらの問題に直接向き合う必要が出て来る。
正直、労力に見合わないというのがアリサの考えだった。
「ロックスミス大統領の任期は残り二ヶ月。一気に停戦交渉まで持っていく必要がありますね」
「ええ、だから――」
『既に作戦を開始している。ちょっと張り切りすぎなくらいだけどな』
アルフィンの問いにアリサが答えようとした時だった。
通信の映像が開き、ヴァルカンが顔を見せたのは――
『既に大勢は決している。こちらの被害は軽微。共和国軍は壊滅し、敗走の最中だ。このままアルタイルにまで攻め込めばいいんだな?』
「ええ、問題なさそう?」
『誰に言ってやがる。このくらい〈暁の旅団〉なら朝飯前だ。それに――』
誰に喧嘩を売ったのかを思い知らせてやらねえとな。
そう言って、ヴァルカンは通信を切る。
メルキオルの話はアリサたちだけでなく〈ユグドラシル〉を通して〈暁の旅団〉の団員たちにも中継されていた。
共和国だけでなく様々な組織の思惑が絡んだ結果とはいえ、自分たちの団長が嵌められたのだ。
それで何もせずに黙っているようでは、猟兵とは言えない。
「そう言えば、こちらに手を貸してくれるのは助かるけど、エタニアも大変なんじゃないの?」
ふと頭に過った疑問をアリサは口にする。
エタニアは現在、ロムン帝国との戦争状態にあるからだ。
それも当然で、セイレン島に攻め込んできたロムンの艦隊を沈めたばかりか、グリゼルダの要請に応じてセルセタに迫るロムンの軍勢も撃退。その影響で次々にロムン支配下にあった占領区が独立を宣言し、現在エウロペ地方の西側はエタニアを中心とする大同盟が結成されていた。
その立役者となっているのが、ロムン帝国第四皇女のグリゼルダとエタニア王国の女王サライだ。
エタニアに戦力を割く余裕があるのかと、アリサは疑問に思ったのだろう。
「そこは大丈夫だと思う。サライちゃんが上手くやってくれて、いまアフロカ大陸の国と対ロムンの包囲網を敷く交渉を進めているみたい」
「アフロカ大陸……確か、エレシア大陸の南にある大陸ね。なるほど、そう言うことね」
ダーナの話を聞き、アリサは納得した様子で頷く。
現在は作戦を中断しているが、何年も前からロムン帝国はアフロカ大陸に調査団と称した軍隊を送り込み、支配領域を広めようとしていた。
そのため、アフロカ大陸の国々と戦争状態にあったのだ。
敵の敵は味方という言葉もある。アフロカ大陸を味方につけることで、ロムンを左右から抑え込むつもりなのだとアリサは察したのだ。
そうすれば、ロムン帝国も迂闊に他国へ攻め込むことが出来なくなるからだ。
戦争が激化する前に膠着状態に持っていくのが、サライの狙いなのだろう。
その計画に、グリゼルダも手を貸していると言うことだ。
「セドリックがお世話になっている国の女王陛下ですか。一度、お会いしてみたいですね」
「是非、遊びにきて。その時は歓迎するよ。みんなが来てくれるなら、きっとサライちゃんも良い息抜きになると思うしね」
女王と言う重責をサライ一人に背負わせてしまったことに、ダーナは責任を感じていた。
本来であれば〈大樹の巫女〉という立場で自分が支えるべきなのに、その役目もクイナが引き継いでしまったからだ。
いまダーナはサライの名代としてこの世界に来ているが、逆に言えばそのくらいしか出来ることがないとも言える。
他の〈進化の護人〉のように特殊な力を持っている訳でもないからだ。
だからと言って頭を使うよりも身体を動かすことが得意な自分には、サライの役目を変わってあげたくても無理だと客観的に自分の能力をダーナは評価していた。
だから同じような立場にあるアルフィンやミュゼであれば、サライも相談しやすいのではないかと考えたのだろう。
アリサとエリィに頼まなかったのは、二人が相手ではサライも遠慮してしまうと思ったからだ。
リィンはエタニアにとって大恩人と言える相手。その恋人にして〈暁の旅団〉に大きな影響力を持つ二人に気軽に接することは、サライには出来ないと察してのことだった。
「こう言う話をしている時は、自分がいるのが場違いな気持ちになるのよね……」
「分かります。でも、すぐに慣れますよ」
ラクシャの感想に苦笑を漏らしながらも、同意するエリゼ。
ラクシャは元貴族だし、エリゼも男爵家の令嬢と立場がよく似ているだけに気持ちがよく分かるのだろう。
とはいえ、今更なことなのでエリゼはとっくにこの環境に順応していた。
確かに立場に違いはあるが、アルフィンもミュゼも親友であることに変わりは無いからだ。
帝国貴族としてアルフィンと一緒にいる訳じゃない。
ただ、友人を支えたい。一緒にいたいと思っているからエリゼはアルフィンと共にいる。
そうでなければ実家に迷惑を掛けることが分かっていて、アルフィンと共に国を離れる決断など出来るはずもなかった。
とはいえ――
(私が家を離れている間に、弟か妹が出来るとは思ってもいませんでしたが……)
実家からの手紙で、母が妊娠したと言う報せをエリゼは受けていた。
跡継ぎの問題はこれで解決したとはいえ、手紙を受け取ったエリゼが何とも言えない気持ちになったのは語るまでもないことだった。
◆
それから一ヶ月が過ぎ――
クロスベルと共和国との間で、停戦に向けた交渉が進んでいた。
アルタイル市が占拠されただけでなく共和国の首都イーディスも甚大な被害を受け、徹底抗戦すべきだという声も当然上がったのだが、戦争の引き金となったクロスベルの再侵攻に関与した政治家や軍幹部たちの不正が次々に明らかとなり、世論の矛先がクロスベルにではなく彼等に向いたことが、停戦に向けて交渉を進める大きな決め手となった。
その背後に〈黒月〉からの情報提供があったことは間違いないが、それ以外にも――
「最初から、ここまでがキミの筋書きだったのだろう? グラムハートくん」
大統領府の応接室で、ロックスミス大統領の前に座る人物。
まだ四十半ばと政治家にしては若く働き盛りと言った見た目の彼こそ、サミュエル・ロックスミスを選挙で破った新大統領。ロイ・グラムハートであった。
いまは政権交代のための引き継ぎ中で、ロイが新大統領に就任するのは年明け以降だ。しかし、彼が今回の件で裏から糸を引いていたことにロックスミスは気付いていた。
恐らくは不正の証拠も彼が最初から用意していたのだと――
こうなることを見越して、すべての責任を主戦派に押しつける算段をつけていたのだとロックスミスは考えていた。
いや、彼から言わせれば、これも自分が大統領を引き継ぐために必要な大掃除の一貫だったのだと――
「なんのことか分からないと言っても、あなたには無駄でしょうね。ただ、一つ言えることは悠長に事を構えていられるほど、我々に時間は余り残されていないと言うことです」
そのために多くの組織を巻き込み、壮大な芝居を計画した。
それが、今回の騒動の裏にあった真相なのだとロックスミスは理解する。
しかし、
「〈暁の旅団〉の団長を舞台から退場させる必要はあったのかね?」
リィンに手をだした結果、共和国は嘗て無いほどの被害を受けた。
これほどの被害は、さすがの彼も想定していなかったはずだとロックスミスは考える。
ロックスミスでさえ、アルタイル市を占領されるとまでは思っていなかったからだ。
しかし、いま思えば大胆ではあるが、絶妙な一手だったように思う。
単純な国境の争いで終わらせてしまえば、過去にあった諍いと同じように共和国側も知らぬ存ぜぬで事態を収拾させようと動いたはずだ。そうなれば、また同じことが繰り返されかねない。
だが、自分たちが攻める側ではなく逆の立場にあると分かれば、対応は変わって来る。
少なくとも国民の心には、恐怖と共に今回の事件が深く刻まれたはずだ。
首都が受けた被害。アルタイル市が占領されたこと。
いずれも共和国の歴史において、これまでなかったほどの大事件だからだ。
「彼はジョーカーです。たった一人で舞台をひっくり返すことが出来る極めて強力なカードだ。不公平だとは思いませんか? そんなものが盤上にあっては、ゲームが成立しなくなる」
ロイの言っていることが理解できない訳ではなかった。
しかし、
「だから教会に彼を始末させようとしたのか?」
「教会が動いたのは、彼等の都合ですよ。結社も結社の都合で動いただけに過ぎません。彼は正直やり過ぎた。遅かれ早かれ、こうなっていたことはマルドゥックのAIも導き出している」
自分はその流れに乗っただけだと話すロイに、ロックスミスは溜め息を漏らす。
確かに彼は直接手をだしてはいないのかもしれない。関与も限定的なものだったのだろう。
避けられない事態だったのだとしても――
「キミは軍人上がりだったね」
「それが、どうかしましたか?」
「軍人なら猟兵のことをよく理解していると思っていたが、どうやら違うようだ。いや、軍人だからこそ彼等を甘く見ているのか? いずれにせよ、キミは大きな過ちを犯したと私は見ている」
リィンに手をだしたことは間違いであったとロックスミスは考えていた。
ロイにはロイの考えが、どうしても成し遂げたいことがあるのかもしれない。
なら排除するのではなく、まずは話し合うべきだった。
そうしなかったのは、ロイはリィンを恐れたのだとロックスミスは考えていた。
だから安易な行動にでた。
「いずれ、後悔する日が来ないことを祈るよ。この国のためにも」
「……肝に銘じておくことにしましょう」
彼自身それを過ちだと気付いていないことに問題があるとロックスミスは感じていた。
だから、この国の未来を案じて、国民に不幸が訪れないことを祈って――
先達として、新たな指導者に最後の助言を送るのだった。
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