「大変なことになっているわね」
カフェのテーブルで新聞を広げながら、そう話す金髪の美女の名はイセリア・フロスト。
元〈北の猟兵〉で、現在は〈暁の旅団〉の仕事でカルバード共和国の首都イーディスで潜入任務を行っていた。
と言っても、どこかに忍び込んで機密情報を盗むと言った危険な仕事ではなく、オーベル地区にあるアラミス高等学校で教師をすると言うものだ。
退屈な潜入任務ではあるが、いまの生活をそれなりにイセリアは楽しんでいた。
そんななか起きたのが、クロスベルと共和国の戦争だ。結果は言うまでもなく共和国の惨敗。クロスベルへ侵攻した軍は壊滅状態に陥り、逆にアルタイル市を占領されると言う失態を犯した。
更には〈暁の旅団〉の報復と思われる攻撃で、首都イーディスも大きな被害を受けたのだ。
共和国の人々の心に恐怖を刻み込むには十分すぎる事件だった。
「上から何も指示はないの?」
パクパクと料理を口に運びながら、イセリアに尋ねる少女。
彼女の名はラヴィアン・ウィンスレット。イセリアと同じく〈北の猟兵〉出身の猟兵だ。
歳は十五歳。来年の春からアラミス高等学校に通うことになっていた。
彼女も〈暁の旅団〉から潜入任務の依頼を受けたためだ。
「これまでどおり普通に過ごせだそうよ」
「……そう」
どことなく不満そうな表情で頷くラヴィ。
そんなラヴィの態度に苦笑を漏らすイセリア。
その表情と態度からも納得していないことが窺えるからだ。
「ターゲットが入学してくるまでの辛抱よ」
「そのターゲットを始末すれば、この退屈な任務からも解放されると言うことね」
「違うわよ。私たちの任務はターゲットを陰ながら見守ること。それだけよ。いい、余計なことはしちゃダメよ?」
「……そこまで念を押さなくても分かってる」
納得してはいないようだが、ラヴィもプロだ。
判断を見誤ることはないだろうと、イセリアもそれ以上は何も言わない。ただ、上には言いたいことがあった。仕掛けてきたのは共和国の方だとはいえ、もう少し自分たちに配慮して欲しかったというのが本音だからだ。
クロスベルと共和国の関係が悪化すれば、任務に支障をきたす恐れがある。いまのところ潜入がバレていないとはいえ、これからクロスベルからの旅行者や移住者に対する監視や締め付けが厳しくなることは想像に難くなかった。
「デザートをおもちしてもいいですか?」
難しい顔で今後のことを考えていると声をかけられ、振り返るイセリア。
店員の姿がなく、下に視線を動かすとエプロンをした小さな女の子の姿があった。
「あら、可愛い店員さんね。お手伝い?」
「うん、ユメはおじいちゃんのみせのカンバンムスメだからね」
拙いながらも頑張る少女を見て、思わずイセリアの顔から笑みが溢れる。
クロスベルに共和国が戦争を仕掛けたのは事実だが、それはあくまで国と国の話だ。子供には関係ない。
ましてや戦場の外に恨み辛みを持ち込まないのは、一流の猟兵であれば当然のことだった。
こう言った割り切りの良さや切り替えの早さは、やはり彼女も猟兵なのだろう。
「意外。子供の扱いに慣れてるんだね」
「意外って、どう言う意味よ。これでも学校では生徒から人気の教師なのよ?」
イセリアの胸を見て、確かに男子生徒からの人気は高そうだと、自分の胸を撫でながらラヴィは溜め息を漏らすのだった。
◆
「エレインが行方不明?」
退院してギルドに顔をだしたジンが受付の職員から聞かされたのは、エレインの消息が掴めないという報告だった。
なにかの事件に巻き込まれていないかとギルドの方でも心配はしているそうなのだが、エレインは民間人ではなくギルドの遊撃士だ。それも先日、A級への昇格が決まったばかり。
数日消息が掴めないからと言って、捜索の依頼をだすことは難しいのだろう。
職員が困っている様子は、ジンにも見て取れた。
「ジンさんは心当たりがありませんか?」
「ない……と言いたいところだが、ない訳でもないか」
心当たりは幾つかある。ジンの頭に真っ先に浮かんだのは〈暁の旅団〉だ。
しかし、暁の旅団がエレインを拉致する理由が思い浮かばない。
彼等は猟兵だ。遊撃士との折り合いが悪いことは間違いないが、かと言って戦場の外に私情を持ち込むような相手ではないとジンは考えていた。
それは団長のリィン・クラウゼルを見れば分かる。
エレインが自分から余計なことに首を突っ込むような真似をしなければ、捕まるようなことは――
「いや、ありえるな……」
エレインが〈暁の旅団〉の捕虜になっている可能性は低くないとジンは考える。
幼馴染みのことが絡まなければ優秀な遊撃士なのだが、今回の一件では少し冷静さを欠いているところがあったからだ。
自分が病院のベッドで寝ている間に〈暁の旅団〉との間に何かあったのかもしれないと考え、
「心当たりを探ってみる。それまで、このことは伏せておいてくれ」
そう言って、ジンはギルドを後にするのだった。
◆
「フィーが遊撃士をさらってきた時には驚いたけど……」
アリサの視線の先では、リアンヌから手解きを受けるエレインの姿があった。
あの日、フィーが気を失ったエレインを連れて帰ってきたのだ。
毒に侵され、危ない状態ではあったのだが、どうにか治療を終え――
目を覚ましたと聞いて様子を見に来てみたら、演習場でリアンヌと剣を交えていたと言う訳だ。
「彼女、もう大丈夫なの?」
「ん……毒は抜けてるからね。ちょっと身体を動かした方が回復が早いんじゃない?」
「シャーリィじゃないんだから……」
毒が抜けたと言っても普通は体力が戻るまで絶対安静のはずだ。
病み上がりで身体を動かしても大丈夫なのはシャーリィくらいだと言いそうになるが、フィーを相手にそれを言ったところで無駄であることにアリサは気付く。
血は繋がっていないとはいえ、リィンの義妹だけあってフィーも普通とは言えないからだ。
(そう言えば、フィーもダーナと同じだったわね)
進化の護人――不老不死の肉体を持ち、永遠の時を生きる女神の眷属。
フィーが文字通り普通の人間とは言えない存在になっていることをアリサは思い出す。
「どうかした?」
「いまのフィーって歳を取らないのよね?」
「肉体的にはね」
「それが、ちょっと羨ましいと言うか……」
「ならクイナに頼んで、アリサも〈進化の護人〉になってみる?」
人間をやめてみる? と軽く言われて返答に困るアリサ。
そう簡単に決心できるようなことではないからだ。
「でも、リィンとこの先も一緒にいるつもりなら早めに決めた方がいいと思うよ」
「……それって、リィンも不死者になっているってこと?」
「似たような感じかな? シャーリィも騎神の影響で不老になっているみたいだし、いまのリィンは人間とは呼べない状態にあるしね」
普通の人間と同じ寿命だとは考えない方がいいとフィーは話す。
実際、それがあるからフィーは〈進化の護人〉のままでいることを選んだと言うのがあった。
リィンと同じ時を生きるには、いまの方が都合が良かったからだ。
「クイナが嫌ならリィンの眷属にしてもらうとか? アリサとエリィなら、そっちの方がお勧めかな?」
ラウラとヴィクター。それにエマのことを言っているのだとアリサは察する。
イオやキャプテン・リードなど、リィンと契約して眷属となった存在は他にもいる。
彼女たちも謂わば騎神と起動者の関係に近く、契約者と運命を共にする存在になっているとベルからアリサは聞かされていた。
ようするにリィンが命を落とさない限りは、老いることも寿命で死ぬこともないと言うことだ。
だからこそ、まだリィンが生きていると確信できるのだが――
リィンが行方不明となっているのに、アリサたちが焦っていないのはそれが理由の一つでもあった。
「面白そうな話をしてるね」
見知った声がしてアリサが振り返ると、演習場の塀に腰掛けて三段重ねのアイスを堪能する少女――イオの姿があった。
「でも、その必要はないと思うよ」
「……どう言う意味?」
「アリサとエリィは、とっくにリィンの眷属になってるから。気付いてなかったの?」
「え……」
イオの言葉に戸惑い、固まるアリサ。
リィンと眷属の契約を交わした記憶などないからだ。
「契約って別に呪文や儀式が必要なことでもないしね。血や体液を取り込むことでも成立するから、あれだけ何度も交わってたら――」
「ああ! それ以上、言わなくていいから!」
顔を真っ赤にして、慌ててイオを止めるアリサ。
確かにそれで契約が成立するのであれば、心当たりはある。
ありすぎるくらいリィンと深く交わった記憶がアリサのなかにはあった。
「恥ずかしがるようなことじゃないのに……。アリサって変なことを気にするよね」
確かに恥ずかしがるようなことではないのかもしれないが、イオの見た目で言われると違和感が大きかった。
どう見ても、まだ日曜学校に通っていても不思議ではない少女にしか見えないからだ。
しかし、イオも普通の人間ではない。
その正体はダーナが生まれるよりも遥か過去の時代を生きた大樹の巫女だ。
魔女の里の長、ローゼリアよりも遥かに長い歳月を過ごしてきた思念体だった。
「まあ、いいわ。それより、どうするの?」
「……なんのこと?」
「彼女のことよ。サラみたいに仲間に引き込むの?」
エレインを仲間に引き込む気はあるのかとイオに問われ、アリサは考える。
剣の乙女の評判はアリサの耳にも届いている。
共和国のギルドで最も将来を有望視されている遊撃士。
リアンヌと剣を交えている姿を見ても、実力は申し分ないことが窺える。
しかし、
「彼女次第ね」
選択を強要するつもりはない。エレイン次第だとアリサは話すのだった。
◆
(手も足もでなかった……)
肩で息をしながら実力の差を痛感するエレイン。
リアンヌは本気ではなかった。なのに自分の剣は少しも彼女に届くことがなかった。
模擬戦だからと言い訳をするつもりはない。
剣の技量。戦闘の経験。すべてにおいてリアンヌの方が勝っていたからだ。
(私は弱い……)
剣の乙女などともてはやされていても、この程度の力しかない。
世界は広いと言うことは分かっていたつもりでも、それでも悔しかった。
結局なにも出来なかった。
遊撃士としての務めを果たすことも、幼馴染みを守ることも――
それは結局、自分の弱さが招いたことだとエレインは考えていた。
そして、
「少しは、すっきりしましたか?」
すべてを見透かされていたのだとエレインは察する。
リアンヌが相手を申し出てくれたのは、迷いを察していたからなのだと――
「……あなたほどの人が、どうして猟兵団に?」
だから尚更、分からなかった。
フィーの強さは圧倒的だった。そして、リアンヌもまた底知れない強さを持っていた。
これだけの強さを持っていて、どうして彼女たちは猟兵に身を置いているのかがエレインには分からなかった。
遊撃士がすべて正しいとはエレインも思ってはいない。
しかし裏の世界に身を置かずとも、彼女たちの力なら光の届く場所でも結果をだせるはずだ。
だからと言って、金のために戦っているようにも見えない。なら、なにが彼女たちを突き動かしているのか?
その理由をエレインは知りたかったのだ。
「死に行く運命にあった私に、彼は償いの機会をくれた。それが、この場所だったと言うだけのことです」
「でも、猟兵は……」
「戦場でミラを得る卑しい者たち。戦いを生業とする集団。平和に生きる人々からすれば、猟兵は自分たちの平和を脅かす悪なのかもしれん。ですが、それは先日の共和国軍と何が違うのですか?」
「それは……」
何も言い返せなかった。
猟兵を悪と断じるのであれば、共和国の行いが正当化される訳ではないからだ。
エレインも本当は分かっているのだろう。
誰が悪でも正義でもないと言うことを――
「嘗て、私の戦友もあなたと同じように悩んでいました。あの人は優しすぎたから……でも、剣を取った」
昔のことを懐かしむように、そう話すリアンヌ。
リアンヌにとって、それは大切な思い出なのだろう。
「恨まれても、憎まれても、多くの血を流す結果になったとしても、彼は前に進む決断をしました」
「……それは、どうして?」
「守りたいもの――成し遂げたい目的があったからです」
どんな犠牲を払ったとしても、多くの人間に恨まれる結果になったとしても――
それが、あの人――ドライケルスの願いだったのだとリアンヌは語る。
「私はあの時に果たせなかった誓いを果たすために、ここにいます。あなたはその剣で何を為すのですか? いえ、なにを為したいのですか?」
遊撃士だ、猟兵だのと立場に意味はないと言われている気がした。
大事なのは剣を振るう理由なのだと――
「私は……」
答えを聞かず、エレインに背を向け、立ち去るリアンヌ。
一人残されたエレインは葛藤の中で、もう一度自分を見つめ直すのであった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m