七耀歴一二〇七年一月十日。
クロスベルと共和国の衝突から凡そ三ヶ月が経過しようとしていた。
ロックスミス大統領が任期を終え、共和国が新政権へと移行した今でもクロスベルによるアルタイル市の実効支配は続いていた。
と言うのも――
「随分と交渉が長引いているようだな」
「共和国が強気な姿勢を崩していないそうよ」
ロックスミス大統領のもとで一度は合意に至った交渉だが、ここにきて状況が一変したのは新政権に移行したことが理由だった。
新しく与党となった〈愛国同盟〉が前大統領の弱腰な外交政策を非難し、いまになって無条件でのアルタイル解放を求めてきたことが、ここまで長引いている理由としてあった。
国民の手前、弱気な態度を見せられないのは分かるが、明らかな悪手だ。
スカーレットからその話を聞いたヴァルカンは呆れた様子を見せる。
「正気か? あれだけ、こっぴどくやられておいて……」
「それでも全体からすれば、一部と言える損害よ。共和国の全戦力を集中すれば、負けるはずがないと主張する政治家や軍人も少なくないと言うことよ」
と言うのも、共和国が失った戦力は全体から見れば一部と言えるもので、まだ十分に余力を残している状況だ。そのため、クロスベルに譲歩するべきではないという考えが政府内や軍からでていた。
ここまで共和国の態度が頑ななのは、首都が受けた被害の大きさも理由にある。
恐怖に震える人々がいる一方で〈暁の旅団〉に対して報復を求める国民の声も大きく、無視できないのだろう。
そして、ここが新政権の対応の狡さでもあった。
そう、共和国政府としてはクロスベルを直接非難している訳ではないのだ。
あくまで報復や制裁の対象としているのは〈暁の旅団〉で、テロリストを擁護しているクロスベルに対して自制と協力を求めるという立場を取っていた。
国と国の合意を一方的に反故にすれば国際的な非難を浴びることになるが、これなら大義名分が立つと考えたのだろう。
「あ? ってことは何か? いま、この街は……」
「テロリストに占領された街という扱いみたいね」
そのため、クロスベルの政府内でもアルタイルから警備隊を引き上げるべきではないかという声が上がっているのだと、スカーレットは説明する。
言い掛かりではあるが、共和国の主張に同調する国も少なくはない。
教会などは共和国の味方に付き、首都の事件を挙げて名指しで〈暁の旅団〉を非難していた。
お陰で今や〈暁の旅団〉は強大な犯罪者集団――世界の敵という扱いだ。
クロスベルとの同盟に乗り気だった自治州や国も、さすがに教会を敵に回すことはしたくなかったのか、凡そ半数が交渉を白紙に戻すと言ってきていた。
クロスベルが弱腰になっているのは、それが最大の理由と言っていい。
共和国の狙いは明らかだ。〈暁の旅団〉を世界から孤立させるつもりなのだろう。
共和国の新大統領は、かなりのやり手だ。これが並の猟兵団であれば、潰せていたかもしれない。
ただ――
「相手が悪かったね」
相手が悪すぎたと、スカーレットは話すのだった。
◆
それから、一ヶ月後――
突然、アルタイルからだされた声明にゼムリア大陸の人々は震撼した。
クロスベルの独立宣言を彷彿とさせる突然の発表。アルタイル市からアルタイル自治州へと名前を変え、共和国から独立すると宣言したのだ。
当然、共和国はそんなものは認められないと反発したが、同時にアルタイル自治州はクロスベル、リベール、ノーザンブリア、エタニア。そして新しく帝国から独立したばかりのヴァイスラント公国との同盟を発表した。
更にずっと静観していたエレボニア帝国が、アルタイルの独立を支持する声明をだしたことが大きな決め手となった。
ゼムリア大陸を東西に分け、大きく勢力を二分する対立構造が出来てしまったのだ。
どうして、このようなことになったのかと言うと――
「怒っているのはアリサだけじゃないわ。私たちも怒っているのよ」
エリィを怒らせたことが原因だった。
正確には、エリィだけではない。アルフィンやミュゼ。リベールの王太女クローディアなど、リィンを慕う女性たちが一致団結し、今回の計画に至ったと言う訳だ。
元よりアルタイルはクロスベルとも関係の深い街だ。経済のほとんどをクロスベルとの交易に依存しており、クロスベルとの関係が悪化すれば簡単に街の財政は破綻する。
そのため、共和国軍のクロスベル侵攻に反対する住民は少なくなかった。なのに戦争は起きてしまった。
挙げ句、共和国軍は街の人々を見捨てて敗走し、大きな傷跡を残していった。
街の至るところが破壊されているのは〈暁の旅団〉の侵攻でついた破壊の爪痕ではなく、共和国軍が逃げる際に行ったものだ。
物資の略奪。更には鉄道や発電所の破壊工作など、敵に利用されないための行動だったのだろうが、街の人々からすれば到底許せることではなかった。
あとは簡単だ。共和国派の議員たちに責任を擦り付け、退任に追い込み――
共和国の対応に不満を持つ人々を支援することで独立の気運を高め、一気に計画を実行に移す。
「〈暁の旅団〉はアルタイル自治州の要請で、街を守っていることになっている。猟兵団として依頼を受けているだけで、テロリストだと主張する共和国と真っ向から対立することになるわ」
エリィの言うように、共和国はアルタイルがテロリストに占拠されていると主張しているが、独立となれば話は変わってくる。
それはテロではなく反乱。共和国内のクーデターと言うことになるからだ。
当然アルタイル自治州からは独立に至った経緯と理由が説明され、共和国はアルタイルの主張を否定し、認められないと反論する。
こうなってしまえば、国と国の問題だ。外交で解決すべき話となる。
「共和国が主張を撤回すると思いますか?」
「無理でしょうね。そんなことをすれば、国民の怒りと不満は政府に向かうことになる。発足したばかりの新政権には大きな痛手のはずよ」
だから共和国が主張を変えることはないと、エリィはアルフィンの問いに答える。
しかし、それも計算の内だった。
「でも、これで共和国に同調する国は減るわ。それに教会に対してもけん制になる」
「共和国政府の主張を擁護し、〈暁の旅団〉を非難した教会にも疑惑の目が向けられると言う訳ですね。少なくとも、この一件で教会に対する信頼は揺らぐことになるでしょうね」
エリィの話を補足するように、皆にも分かり易くミュゼが説明する。
信頼の失墜は、信仰の崩壊にも繋がる。
即ち、千年に渡って維持されてきた七耀教会の権威が揺らぐと言うことだ。
七耀教会を敵に回すにあたって最大の障害は、人々の信仰心だとエリィたちは考えていた。
いまのまま七耀教会と事を構えれば、悪となるのは間違いなく自分たちの方だ。
しかし、その信仰が大きく揺らぐような出来事があれば別だ。
今回の一件だけで七耀教会の権威を貶めることは難しいだろう。だが、楔は打てた。
「今回の件は将来、リィンの大きな助けになるはずよ」
だから思い切って、アルタイルの独立という手段に打って出たのだ。
危機的な状況だからこそ活路がある。
クロスベルで政治家の家に生まれ、祖父や両親の背中を見て育ったエリィならではの発想だった。
「これから、どうなると予想されていますか?」
クローゼ――いや、クローディア・フォン・アウスレーゼはリベールの王太女として尋ねる。
共和国や教会の出方次第で、王国としても取るべき対応が変わってくるからだ。
リィンを慕う一人の女性として今回の件には怒りを覚え、エリィの計画に賛同したことは確かだが、同時に次期女王としての責務が彼女にはあった。
「数年はこの状況が続くと思っているわ。最低でも二年から三年は――」
戦争とは外交の手段の一つだ。
アルタイルが独立を宣言したからと言って、いまの共和国がすぐに攻めて来ることはないとエリィは考えていた。
いまだに前大統領の影響が残る中、戦争という手段に踏み切るには政府としてもリスクが高い。
更に失った戦力を補充するのにも相応の時間が掛かる。
最低でも二年。三年は大きな動きはないだろうと言うのが、エリィの考えだった。
「出来ることなら、戦争以外の手段で解決して欲しいものですが……」
「外交努力はしてみるけど、衝突は避けられないでしょうね」
クローディアの気持ちは理解できるが、難しいとエリィは答える。
それが出来るのであれば、今回の衝突も起きていない。
猟兵が必要とされる意味を考えれば、いまのゼムリア大陸から戦争を無くすことなど出来るはずもないからだ。
そんな状況で自分たちに、いま出来ることは――
「私たちに出来ることは、与えられた時間のなかで備えることだけよ」
エリィの言葉にアルフィン、ミュゼ、クローディアの三人は頷く。
猶予は二年。その間に何が起きても大丈夫なように準備を整える。
それが自分たちに出来ることだと、エリィたちは行動を開始するのだった。
◆
「はあ……諦めて欲しかったのだけど、決意は固いみたいね」
困った様子で、溜め息を溢すアリサの姿があった。
と言うのも――
「こういう状況だからこそ、共和国を内側から見定める人が必要でしょ?」
レンとキーアが共和国への留学を決めてしまったからだ。
留学先はアラミス高等学校。開校から百年の歴史を持つ、共和国を代表する名門校だ。
そんな学校に二人して満点での合格を決めたと言う話だった。
しかし、いまのところは人や物の流れに制限はかけられていないとはいえ、クロスベルと共和国の関係は冷戦状態にある。
いつ、また戦争に発展したとしてもおかしくのない状況だ。
そのため、アリサとエリィは二人に帝国の聖アストライア女学院への入学を勧めていた。
なのに、二人が受験したのはアラミスだったのだ。
「あなたたちが心配するようなことじゃないのよ?」
「既に団員を忍び込ませていることは知っているわよ。それでも、レンたち――いいえ、私たちは自分たちの目で見極め、この世界の行く末を見届けたいと思った。それが、アラミスに進学することを決めた理由よ」
まだ納得していない様子のアリサに、理路整然とした説明をするレン。
それでも、納得が行っていない表情のアリサに――
「それにキーアを子供扱いするのは可哀想よ。アリサだって経験あるでしょ?」
「うっ……どうして、それを……」
過去の話を掘り起こす。
アリサがトールズ士官学院に進学するに至った経緯。それは母親への反発が理由にあった。
元はアリサも聖アストライア女学院への進学を勧められていたのだ。
そのことをレンに指摘され、戸惑う様子を見せる。
「フフッ、情報屋〈子猫〉を甘く見てもらっては困るわ」
「そんなこと言って、その情報源ってシャロンでしょ?」
「残念ながら情報源は明かせないの。ごめんなさい」
そうは言っているが、その態度が明らかに情報元を物語っていた。
とはいえ、説得は無理とアリサは諦める。レンの決意が固いことを悟ったからだ。
そんなアリサを見て、満足した様子で立ち去ろうとするレンだったが、
「あ、そうそう。最後に一つだけ。団長さんのことで怒っているのはアリサたちだけじゃないのよ。レンも怒っているんだから――」
「え、それって、どういう……」
質問に答えず最後に言うだけ言って立ち去るレンに、アリサの口からは溜め息が溢れる。
そして、
「はあ……早く帰ってきなさいよ、リィン。でないと、どうなっても知らないから」
いまだ消息の掴めない恋人への不満を口にするのだった。
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