新章スタートです。
杜宮市。東亰の郊外に位置する街で、人口は四十万人。
日本を代表する大企業、北都グループのお膝元としても知られる街だ。
そのため、未来都市のモデル地区にも指定されているだけあって、東亰の郊外にあるとは思えないほど街の中心部は発展しており、夕方ともなると仕事帰りのサラリーマンや学生で駅周辺は賑わいを見せる。
そんな駅近くにあるホテルのラウンジに、リィンとシズナ――それに白いスーツに身を包んだ男の姿があった。
「食べないなら、リィンのケーキも貰っていい?」
「別に構わないが……そんなに食べると太るぞ?」
「このあと運動する予定だから大丈夫。夜は体力を使うしね」
周りに他の客はいないとはいえ、まだ日も暮れる前から意味深な会話をするリィンとシズナに呆れ、男は溜め息を吐く。
男の名は梧桐栄二。広域指定暴力団〈鷹羽組〉の若頭だ。
そんな男とリィンが一緒にいるのは、十年前の事件が関係していた。
リィンはノルンに導かれ、シャーリィやエマと共に、この世界に一度訪れたことがあるからだ。
と言っても、リィンの体感時間では三年ほどしか経過していないのだが――
「お前等、俺がいることを忘れてないか?」
いい加減にしろとエイジは呆れながら、リィンとシズナの会話に割って入る。
このままでは二人の仲を見せつけられるだけで、話が進まないと思ったのだろう。
「忘れてないから安心しろ。で? 今度はどこの敵対組織を潰して欲しいんだ?」
「なんの話? どこかと戦争するの?」
まだ、なにも言っていないのに物騒な話をはじめる二人。
そう言えば、こういう連中だったと今更ながらにエイジは実感する。
リィンとはじめて出会った時も、組に襲撃をしかけてきた連中をあっさりと全滅させた上、報復に敵対組織を潰して見せたからだ。
その件もあって〈鷹羽組〉の組長は、リィンのことをいたく気に入っていた。
リィンがいつ戻ってきても良いようにと、当時リィンが使っていたマンションの部屋をそのまま残していたくらいだ。
「たくっ、今回はそう言うのじゃねえよ。なんでも戦争に結びつけるな。お前の女はみんなそうなのか?」
「シズナとシャーリィは特別だ」
「特別? そんなにはっきりと言われると、少し照れるかも……」
「……別に口説いている訳じゃないからな?」
妙な勘違いをするシズナに、そう言う意味じゃないとリィンはツッコミを入れる。
「これ以上、話が脱線すると面倒だ。そう言うのは、二人だけの時にやってくれ」
エイジは胸元から取り出した一枚の写真を、リィンに見えるようにテーブルの上に置く。
写真には、年若い女が映っていた。
十代半ばから後半。どう見ても高校生くらいの少女だ。
「人捜しでもさせる気か? そう言うのは警察の仕事だろう」
他に当たれとばかりに、リィンは写真を突き返す。
とはいえ、リィンのその反応はエイジも予想していたものだった。
「普通ならな。だが、今回は裏の事件絡みだ」
裏という言葉を強調するエイジに、そういうことかとリィンは察する。
即ち、異界絡みの事件と言うことだ。
異界――それは、この世界と重なり合うように存在する別世界の総称だ。
怪異と呼ばれる化け物たちが生息する世界で、人間の強い感情に引き寄せられて現実世界に出現することがある。
神隠しや原因不明の失踪事件など、その大半が異界に引きずり込まれ、怪異に襲われたことが原因だとも言われている。
「ゾディアックやネメシスはどうしたんだ? こういうのは、あいつらの領分だろう?」
「既に動いているようだが、原因の特定には至っていないようだ。十年前を最後に異界絡みの事件が減少していたこともあり、対応が遅れているらしい。ネメシスも対応できるエージェントが渡米中で不在という話だしな」
エイジの話に心当たりがあるのか? どこか納得した様子を見せるリィン。
ちなみにゾディアックとネメシスと言うのは、その異界絡みの事件を担当している裏の組織のことだ。
それぞれ別の組織で目的は異なるのだが、どちらも異界から何も知らない人々を守るために活動しているという点は共通していた。
ただ、同じような現象は世界中の至る所で発生していて人材にも限りがあることから、どうしても対応が後手に回る問題を抱えていた。
しかし、それも無理はない。異界は資質のある者にしか視ることが出来ない上、怪異には銃火器などの武器が通用しないからだ。
そのため、エイジも異界のことは聞かされていても、直接関わるようなことはなかった。
リィンやシズナのように特別な力を持っている訳ではないからだ。
「失踪して、どのくらいの時間が経つ?」
「一週間だ」
「一週間って……生きている保証はないぞ?」
なんで、もっと早くに依頼を持ってこないと呆れるリィン。
とはいえ、それも組織の弊害なのだろうとは察していた。
大方、ゾディアックとネメシスが調査を進めていたが進展がなく、依頼主が痺れを切らして〈鷹羽組〉に話を持っていったのだろう。
最近、この街ではある噂が裏社会を中心に囁かれるようになっているからだ。
暁の旅団を名乗る二人組の男女が、警察ですら匙を投げる原因不明の事件を解決して回っていると――
その繋ぎ役、代理人として活動しているのがエイジだった。
と言っても〈鷹羽組〉にも相応の見返りはある。
仲介料を依頼主から取ることが出来るし、依頼主の大半は政財界に顔の利く資産家ばかりだ。
そう言った相手に貸しを作っておくことは、組の利益にも繋がる。
そして、リィンも依頼を受けることで多額の報酬を得ることが出来る。
互いにメリットのある関係だった。
「依頼主も覚悟はしている。だが、生きて連れて帰ってくれるのなら金に糸目をつけないと言っている」
「……どう思う?」
「受けてもいいんじゃない? 私の勘だと、いまならまだ間に合いそうかな?」
シズナの考えを聞き、仕方がないと言う態度で写真を手に取るリィン。
そして、
「分かった。この依頼は〈暁の旅団〉が請け負う」
交渉の成立を告げるのだった。
◆
月明かりの下、軽やかに宙を舞い、夜の街を失踪する二つの影があった。
黒髪の男の名は、リィン・クラウゼル。
そして、長い白銀の髪をなびかせる女は、シズナ・レム・ミスルギ。
杜宮市を中心に活動する裏解決屋だ。
「リィン。あっちから嫌な気配がするよ」
シズナの指示で向きを変え、言われた場所に向かうリィン。
女の勘ならぬ野生の勘とでも言うべきなのだろうか?
シズナの直感の鋭さは、シャーリィに匹敵するほどだとリィンは認めていた。
だからこそ、依頼を受けるかどうかをシズナに確認したのだ。
彼女が間に合うと感じたのなら、まだ生きている可能性があると考えたためだ。
「ビンゴだ。相変わらず、良い鼻をしてるな」
「でしょ? でも、これだけ分かり易い瘴気をだしてたらリィンでも気付いたんじゃない?」
「もう少し近付けばな。あの距離で気付けるのは、お前とシャーリィくらいだ」
少なくとも自分には無理だと、リィンは首を横に振る。
勿論シズナの言うように、ある程度近付けば察知することは可能だ。
しかし、何キロも離れた位置から的確に〈迷宮〉の入り口を見つけるのは難しい。
実際、ゾディアックとネメシスの調査員も、異界の調査には特殊な機器を用いて調査を行っているのだ。
なんの道具もなしに〈迷宮〉の入り口を特定できるのは、シズナとシャーリィくらいだろう。
「はじめるぞ」
路地裏に立ち、リィンが手をかざすと空間が揺らぎ、扉のようなものが現れる。
これが〈迷宮〉の入り口――異界へと繋がるゲートだった。
通称、異界化と呼ばれる現象。放って置けば人間を誘い込むだけでなく、現実世界にも影響を与え始める厄介な代物だ。
いまから十年前。
東亰震災と呼ばれている大災害を引き起こしたのも、この異界が原因であった。
怪異が引き起こした災厄のなかでも最悪と呼べる部類の一つで、裏の世界では『東亰冥災』と呼ばれている事件だ。
だからこそ異界を発見すれば、そのまま放置することは出来ない。
基本的には、ゾディアックやネメシスと言った専門の組織が対処することになっていた。
しかし、
「いくぞ。今回は余り時間をかけてられないしな」
「了解。サクッと片付けちゃおうか」
そんなものは関係ないとばかりにリィンとシズナはゲートを潜り、〈迷宮〉へと足を踏み入れるのだった。
◆
異界のなかは〈迷宮〉と名が付くように、ダンジョンのように入り組んだ構造をしていた。
当然、ダンジョンと言えば――
「零の型――双影」
怪物も存在する。
すれ違い様、一瞬で三体の化け物を切り刻むシズナ。
小さな悪魔のような姿をしたこの化け物こそ、異界に生息する怪異と呼ばれる怪物だ。
その大きさや姿は様々で、強力な個体になると国や街を滅ぼすこともあると言われている危険な存在。
しかし、リィンとシズナは怪異をものともせず、まるで雑草を刈るように迷宮の探索を続ける。
普通の人間には脅威となる存在でも、二人には腹ごなしの運動の相手程度でしかなかった。
もっと強力な魔獣や幻獣を知っているからだ。
怪異のなかでも上位の個体であれば、それ以上のものも存在するのだろうが〈迷宮〉にもランクがある。
そして、この〈迷宮〉のランクは低くもないが特別高くもないと言うのがリィンの感想だった。
「ダンジョンぽくて、それなりに楽しめるけど魔獣は今一つかな? もう少し歯応えが欲しいね」
「魔獣じゃなくて怪異な。まあ、たいした〈迷宮〉じゃなさそうだしな。だが、この規模なら奥には親玉がいるはずだ」
「それって、普通の怪異とは違うの?」
「俺も詳しくないが〈エルダーグリード〉と言って、ようするに迷宮の主ってところだな」
迷宮の主と聞き、目を輝かせるシズナ。
これまでリィンと何度か一緒に潜っているが、それほど強力な怪異とはまだ遭遇していないからだ。
言われてみると、今回の〈迷宮〉はこれまでに潜ったものよりも構造が複雑で、かなりの広さがあることが分かる。
即ち、迷宮の規模と怪異の強さは比例するのだと、シズナは察する。
「なら、ちょっとは楽しめそうだね。ボスは私が貰ってもいいよね?」
「好きにしろ。だが、依頼が優先だ」
「サクッと片付ければいいんでしょ?」
リィンに釘を刺され、分かっていると言った素振りを見せるシズナ。
遊んでいる時間がないと言うことは、シズナも理解していた。
とはいえ、
「腕が鈍らない程度には、運動しないとね」
こちらの世界では、本気を出せる機会など滅多にない。
折角の機会を逃す手はないとシズナは笑みを漏らしながら、リィンと共に迷宮の奥へ向かうのだった。
◆
「やっと着いたわ。まったくパパは心配性なんだから……」
杜宮市の駅に一人の少女の姿があった。
長く伸びた亜麻色の髪に青い瞳。
帰国子女と思しき少女は、両親のことを思い出しながら溜め息を漏らす。
「でも、まさかこんな風にこの街に戻ってくることになるなんてね」
懐かしそうに街の景色を眺める少女。
少女が懐かしむのも当然で、幼い頃はこの街で過ごしていたことがあるからだ。
両親と共に十歳でアメリカに渡り、実に七年ぶりに帰国したことになる。
思い出が残る街に戻って来られたことを嬉しく思う反面、少女には不安なことがあった。
それは――
「異界化。また、この街で同じ現象が多発するなんて……」
最近この街で出現頻度が増しているという異界化現象。
その調査のためにネメシスの本部から派遣された執行者。それが彼女、柊明日香だった。
それにアスカが日本に戻ってきた目的は、異界の調査だけではない。もう一つあった。
「噂の〈裏解決屋〉の調査もしないといけないのよね。本当に厄介だわ」
最近、噂となっている二人組。
どこの組織にも属さず、異界に関連した事件を解決して回っている人物を調査せよとアスカは命じられていた。
本当にフリーランスで活動している〈適格者〉がいるのなら、組織に取り込みたいという思惑もあるのだろう。
異界化が起きているのは、杜宮市だけではない。
世界中で同様の現象が発生し、どの組織も対処できる人材は不足しているからだ。
「報告では男と女の二人組って話だったけど……まさか、ね」
十年前のことが脳裏を過るが、さすがにそれはないだろうとアスカは頭を振り、
「まずは下宿先への挨拶が先ね」
キャリーケースを引き摺りながら夜の街に姿を消すのだった。
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