全長三メートルほどの鬼のような見た目をした怪物(グリード)が、リィンとシズナの目の前に立ち塞がる。
 エルダーグリード。迷宮の主とも呼ばれている異界の怪物だ。
 そして、その怪物が守る部屋の奥には――

「ターゲットは一人って話だったよな?」
「うん、二人いるね」

 目標と思しき少女の姿があった。
 だが、一人と聞いていたのに二人いることに、リィンは首を傾げる。
 しかも、そのうちの一人は杖のようなものを構え、結界と思しき障壁を展開していた。
 リィンとシズナに気付かないほど疲弊している様子が見て取れる。
 恐らくは精神力だけで意識をギリギリ保っている状態なのだろう。

「あれはソウルデヴァイスだな」

 一目見て、少女の手にしている杖が〈ソウルデヴァイス〉であるとリィンは確信する。

「ソウルデヴァイス?」
「詳しくは後で説明してやる。それより、やらないなら俺がもらうぞ?」

 リィンも詳しく知っている訳ではないが、同じものを目にしたことがあった。
 だから少女の手にしている杖が〈ソウルデヴァイス〉であると気付くことが出来たのだ。
 想念の剣(・・・・)によく似た特殊な力の波長。一度でも目にすれば、忘れるはずがない。

「あ、リィン狡い。私にやらせてくれるって約束でしょ?」

 ブレードライフルを構えようとするリィンの前にでて、自分の獲物だと主張するシズナ。
 そして、

「後ろの子もこれ以上は保ちそうにないし、登場早々で悪いけど片を付けさせてもらうね」

 怪物の前に立つと、シズナは鞘から刀を抜いた。

「奥義――零月一閃」

 勝負は一瞬で決着が付いた。
 斬られたことすら怪物は気付かなかっただろう。
 鞘からいつ刀を抜き、斬ったのか?
 捉えきれないほどの速度で、怪物の身体を一刀両断したからだ。
 しかし、

「相変わらず、良い腕をしてるな」
「うーん……そう言ってくれるのは嬉しいけど、まだまだかな? もう少しで何か掴めそうなんだけど……」

 それだけの剣技を見せても、納得が行っていない様子を見せるシズナ。
 しかし、自分でもどうすればいいのか? よく分かってはいないのだろう。

「はあ……これ以上、強くなってどうするつもりだ?」
「気になる?」
「どうせ、シャーリィと似たような理由だろう」
「否定はしないかな。上を知れば目指したくなる。それは剣士のさがでもあるからね」

 リィンの言葉をシズナは否定するつもりがなかった。
 剣の道に終わりはない。上を知れば、目指したくなる。
 それは戦いに身を置く者であれば、当然のことだからだ。
 そして、その目標と言うのは当然――

「言っておくが、お前とやり合うつもりはないぞ?」
「いまはそれでもいいよ。まだ勝てそうにないしね」

 自分だと言うことに、リィンも当然気付いていた。


  ◆


「随分と早い到着だな」
「お前等なら今晩中に片を付けるだろうと踏んで待っていたからな。それで、無事に保護できたのか?」
「ああ、ベンチで二人とも休ませてる」
「……二人?」

 二人と聞いて首を傾げるエイジ。
 保護を頼んだのは一人だけのはずだったからだ。

「お嬢さん!?」
「やっぱり、知り合いだったのか」
「ああ……北都グループのご令嬢だ。どうして、お嬢さんが……」

 北都グループの令嬢と聞いて、そういうことかとリィンは納得した様子を見せる。
 北都グループは〈ゾディアック〉を構成する十二の企業の一つだ。
 その令嬢であれば、ソウルデヴァイスを使えても不思議ではないと考えたのだろう。

「ターゲットが無事だったのは、そのお嬢さんが守っていたからだ」
「なに? そうか、それで北都は……」
「どうやら、お前も聞かされていなかったみたいだな」

 恐らくはエイジも、北都に都合良く利用されたのだろうとリィンは察する。
 異界絡みの事件ともなれば、警察を頼ることは出来ない。
 だからと言って、捜索対象は北都の令嬢だ。ネメシスに協力を求めれば、組織として借りを作ることになる。
 そこで、鷹羽組を介してリィンたちの協力を得る算段を立てたのだろう。
 だが、

「言い値をだすという話だったな」
「……交渉は任せてもらって構わない。今回はこちらの落ち度でもあるからな」

 はいそうですかと、リィンは終わらせるつもりはなかった。
 利用されたことを怒っている訳ではない。
 このくらいの騙し騙されたと言うのは、裏の世界ではよくあることだ。
 しかし仕事には正当な評価と、相応の報酬が必要だと考えていた。

「今回はお前の顔を立ててやる。だが、爺さんには貸し一つ(・・・・)だと言っておいてくれ」
「ああ……」

 貸し一つと言われ、苦い顔を浮かべるエイジ。
 リィンに貸しを作ることの方が、報酬の上乗せを要求されるよりも厄介だと知っているからだ。
 だが、今回は自分たちに落ち度がある。
 北都には、この条件を呑ませるしかないと覚悟を決める。

「それじゃあ、あとのことは任せた。シズナ、帰るぞ」
「了解。ねえ、リィン。折角だから、なにか食べて帰らない?」
「別に構わないが……上着はどうしたんだ?」
「服がボロボロだったし、貸してあげた。それに新しい服が丁度欲しかったんだよね」
「はいはい。それも買えば、いいんだろう。なら商店街にでも寄って帰るか」

 並んで公園を後にする二人を見て、エイジの口から溜め息が溢れる。
 知り合って随分と経つが、それでもやはりエイジにとってリィン・クラウゼルとは油断のならない男だった。
 たった一人で組織を壊滅させるほどの力を持った傭兵。ワンマンアーミーという言葉が、これほど相応しい人物は他にいない。腕が立つだけでなく度胸もあり、頭も切れる。裏の世界の事情にも精通している。そんな男が組織に身を置く訳でもなく、裏の便利屋のような仕事をしているのだ。北都が警戒するのも当然だ。
 恐らくリィンに仕事を回したのは、探りを入れる狙いもあったのだと考えられる。
 十年前は協力関係にあったとはいえ、リィンと付き合いがあるのは北都グループを率いる会長だけだ。
 いまグループの経営は会長の子供たちが主に担っており、会長の孫――保護された北都(ホクト)美月(ミツキ)も後継者候補の一人と目されている。
 そのことから今回の件も、グループ内で起きている後継者争いが関係しているのだと察せられた。

「まったく、面倒なことにならなければ良いんだが……」

 あの会長が今回のことを把握していないとは思えない。
 だとすれば、敢えて見過ごした(・・・・・)可能性が高い。
 大切な孫娘を危険に晒してまで、見過ごした目的。
 想像するだけでも面倒事の予感しかしないエイジであった。


  ◆


「随分と買ったな。お前はそう言うのに興味がないと思っていたが……」
「これでも人並みには、服装に気を遣ってるんだけど?」

 荷物を〈空間倉庫(インベトリ)〉に仕舞いながら愚痴を溢すリィンに、ムッとした表情で反論するシズナ。
 確かに〈斑鳩〉の戦闘装束は機能性を重視した強化スーツだが、いつも同じ格好をしていると言う訳ではない。潜入捜査やオフの時は、シズナも周囲に溶け込むために相応の格好していた。
 いま着ている服も黒のタンクトップに白のダメージジーンズと、目を引く服装ではあるが浮いていると言うほどの格好ではない。全身黒づくめのリィンよりはマシだろう。
 それに目を引くと言う意味では、リィンもシズナとそれほど変わりはない。
 百八十センチを超える身長に鍛え上げられた肉体。
 灰色の髪(・・・・)は、現代の日本では目立つ。

「その髪の色。戻らないみたいだね」
「ああ、こればかりは仕方がない」

 以前のように黒髪のままであれば、これほど目立つこともなかっただろう。
 しかし、〈灼飆(カムシン)〉との戦いの後からリィンの身体には目に見える変化が現れていた。
 王者の法(アルス・マグナ)を発動した時のように髪が灰色に染まったまま戻らず、黒い瞳にもよく見れば金色が混じっているに見える。

「上手く力が使えないって言っていたけど、まだ快復してないの?」
「いや、もうほとんど全快している。これは単純に力が身体に馴染んだ影響だな」

 だが、それは戦闘の後遺症と言うよりは、力が身体に馴染んだ影響だとリィンは考えていた。

「ふーん……それって、前よりも強くなったってこと?」
「さてな。そればかりは試してみないと分からないが……」

 身体の構造自体が以前とは異なる感覚が、リィンのなかにあった。
 これまでは〈王者の法(アルス・マグナ)〉を使う度に身体への負担を気に掛ける必要があったが、いまは力そのものが肉体に馴染んでいる感覚がある。
 恐らく力を解放したとしても、これまでよりも身体への負荷は小さくなっているはずだ。
 マクバーン的に言うのであれば、完全に混ざり合った(・・・・・・)状態が、まさにリィンの今の状態なのだろう。

「というか、お前わかってて聞いているだろう?」
「どのくらい自覚があるのか、確かめておいた方がいいかなって。心まで化け物になっているようなら、斬らないといけないしね」
「……お前に斬れるのか?」
「いまは無理。だから、もっと強くなる必要があるんだよね」

 シズナなりに気を遣ってくれているのだろうと、リィンは察する。
 身体は既に人間とは呼べなくなっている。
 マクバーンと同じ異質な存在へと、リィンの身体は変化していた。
 だが、心まで化け物になったつもりはない。
 しかし、仮に自分でも抑えきれなくなった時は――

「そうか。じゃあ、その時はよろしく頼む」

 シズナに殺されるのも悪くないと、リィンは考えるのだった。


  ◆


「ヤマオカさん。これから、よろしくお願いします」

 同じ頃、商店街の喫茶店にアスカの姿があった。
 この喫茶店が、彼女がしばらくお世話になる下宿先だからだ。
 そのことからも分かるように――

「七年ぶりですか? あのお転婆だった子が、見違えるほど成長しましたね。アスカくん」
「もう、やめてください。ヤマオカさん」
「ハハ、これは失礼。いまは立派にレイラくんの後を継ぎ、一人前の執行者になったのですから子供扱いするのは失礼でしたね」

 喫茶店のマスター、ヤマオカも裏の世界に身を置く人間だった。
 ネメシスに所属する研究者で、嘗てアスカの父親も勤めていた研究所で所長を任されていたほどの人物だ。
 その縁もあって、ここが下宿先に選ばれたと言う訳なのだが――

(まったく、パパも心配性なんだから……)  

 それもすべて父親の差し金だと、アスカは気付いていた。
 執行者になるのにも、最後まで反対していたことを知っているからだ。
 危険な真似をさせないための監視役が、ヤマオカなのだろう。
 とはいえ、

「一人前かどうかは分かりませんが……精一杯やるつもりです。送り出してくれた母の顔に泥を塗る訳にはいきませんから」

 アスカは甘えるつもりはなかった。
 母親のような執行者になることが、アスカの夢だからだ。

「三階の奥がアスカくんの部屋だ。荷物を置いてくるといい。その間に夕飯を用意しておこう。ナポリタンとサラダでいいかね?」
「はい。ありがとうございます」

 一礼して階段に向かうアスカを見送り、

「ああ、もうこんな時間か。先に店仕舞いを――」

 夕食の準備の前に店仕舞いをしようとした、その時だった。
 カランと来客を告げる鐘の音が鳴り、一組の男女が店の中へ入ってきたのは――

「申し訳ありません。今日はもう店仕舞いで……」

 閉店の時間だからと断ろうとしたところで、ヤマオカの動きが止まる。
 思ってもいなかった来客が、目の前に現れたからだ。
 しかし、驚いているのはヤマオカだけではなかった。

「ん? アンタは……」
「リィン、知り合い?」
「ああ……」

 ヤマオカの顔を見て、「ひさしぶりだな」とリィンは十年越しの挨拶を交わすのだった。



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