「久し振りだな。アスカ」
「はい、お久し振りです。まさか帰国した日に、リィンさんに会えるとは思ってもいませんでした。いつから日本に?」
「三ヶ月ほど前からだ。いろいろとあってな」
レトロながらもお洒落な雰囲気を漂わせる西洋風の景観が特徴の〈レンガ路地〉の一角に、上質な珈琲を味わえる評判のカフェ『壱七珈琲店』がある。
そんな珈琲の香りが漂う店内で、再会の挨拶を交わすリィンとアスカの姿があった。
柊明日香。彼女もヤマオカと同じネメシスに所属する構成員だ。
そして、リィンとは十年前からの知り合いだった。
と言っても当時のアスカまだ幼く、リィンと一緒に過ごした時間も一週間ほどだ。
もう十年も経っているのだから記憶が薄れていてもおかしくないはずなのだが、アスカは当時のことを鮮明に覚えていた。
いや、忘れられるはずがなかった。
いまから十年前、東亰を襲った大災害。死者一万人、行方不明三千人という被害を生んだ〈東亰震災〉――
表向きは地震が原因と報道されているが、実際には異界の怪異が引き起こした事件で、裏の世界では〈東亰冥災〉とも呼ばれている大災厄だ。
その事件を解決に導き、英雄と讃えられている人物こそアスカの母親であった。
しかし、
「ありがとうございました」
「突然、どうしたんだ?」
「ずっと、言いたかったんです。十年前の御礼を――」
アスカは事件を解決に導いたのが自分の母親ではなく、リィンであると知っていた。
母親から直接聞いた訳ではないが、リィンたちの力はよく知っている。
だから、幼いながらも母親の態度から十年前の事件で何があったのかを察していたのだ。
多くの犠牲者がでてしまったことは悲しいが、リィンが元凶を倒してくれなければ、もっと多くの犠牲がでていたはずだ。
東亰は壊滅し、自分や両親も命を落としていたかもしれない。
だから、ずっと御礼が言いたかった。なのに――
「母にだけ別れを告げて、御礼も言わせてくれないんですから」
別れも告げずに去ったリィンのことを、実は少しだけ恨んでいた。
幾らなんでも薄情すぎると思ったからだ。
「あの時は長居すると面倒臭いことに巻き込まれそうだったからな」
仕方がなかったんだと言い訳じみた説明をするリィン。とはいえ、嘘を言っている訳ではなかった。
最後の戦いでリィンは騎神を使用した。その光景は多くの人間が目にしている。
その結果、ネメシスやゾディアックだけでなく、世界中から日本へ諜報員を招き寄せる事態へと発展したのだ。
そのため、面倒事を避けるために事情を知る関係者にだけ別れを告げ、この世界を去ったと言うのがリィンの事情だった。
「分かっていますけど……せめて一言くらい欲しかったです」
「悪かった。次からは気を付けるから許してくれ」
リィンの話を聞き、一先ず納得した様子を見せるアスカ。
しかし同時に、この街に滞在しているのは何か事情があってのことなのだと察する。
そのことから――
「この街にリィンさんがいる目的は、やはり異界ですか?」
自分と同じなのではないかとアスカは考えた。
いま、この杜宮市では十年前の事件のように〈異界化〉が多発している。
東亰冥災も事件が起きる半年ほど前から〈異界化〉の報告件数が急増していたのだ。
そのため、また同じような災厄が起きる前兆なのではないかとネメシスは考え、アスカを派遣したと言う経緯があった。
「私は組織から異界の調査を命じられて日本へ戻ってきました」
「いいのか? それって、極秘任務なんじゃ……」
「ネメシスの〈執行者〉には、ある程度の裁量が認められています。リィンさんの目的も異界にあるのなら、情報を共有した方が衝突を避けられますから。それに――」
「それに?」
「最近、異界絡みの事件を解決して回っている二人組の〈裏解決屋〉がいると噂になっていました。それって、リィンさんのことですよね? 私が組織から命じられたもう一つの任務が、その〈裏解決屋〉の調査と勧誘でしたから」
そういうことかと、アスカの話を聞いて納得するリィン。
いずれ、ゾディアック以外の組織からも接触があるとは予想していたからだ。
それが、まさか最初に接触してきたのがアスカだとは思ってもいなかったが――
「勧誘を受けるつもりはないが、情報交換には応じてもいい。それ以外については、内容と報酬次第だな」
「報酬は私の一存では……あとで上に相談してみます」
「そうしてくれ」
上からの指示と言いながらも、あっさりと引き下がるアスカ。
勧誘が成功するとは、アスカも最初から思っていなかったのだろう。
英雄になろうと思えばなれたのに、その功績をアスカの母親に譲って姿を眩ませたことからも組織や名誉に興味がないのは察せられるからだ。
そのため、最低でもリィンと敵対することだけは避けたいとアスカは考えていた。
「リィン、話し合いは終わった?」
「ああ」
「なら、ご飯にしない? もう、お腹がぺこぺこ」
シズナの前には、たくさんの料理が並べられていた。
一目見ただけで、どれも手間暇をかけたプロの料理であることが窺える。
「こいつは凄いな。全部、アンタが?」
「ええ、この珈琲店も趣味が高じて営んでいるようなものですから」
趣味の領域を超えた料理の出来映えに感心するリィン。
同じく料理を趣味としているだけに、ヤマオカの料理の腕とそこに至るまでの努力が分かるのだろう。
これだけの品数の料理を用意するのは、一朝一夕で身につく技術ではないからだ。
「えっと……」
「そう言えば、紹介していなかったな。こいつはシズナだ」
「シズナ・レム・ミスルギ。リィンの相棒と言ったところかな?」
「あなたが〈裏解決屋〉の……私は柊明日香です」
「じゃあ、アスカって呼ばせてもらおうかな。私のこともシズナでいいよ」
どことなく掴み所の無いシズナに戸惑いを覚えつつも、アスカは差し出された手を握り返すのだった。
◆
「可愛い子だったね。あの子もリィンの恋人?」
「バカ言うな。再会したのは、こっちの時間で十年振りだぞ? しかも、その当時はまだ七歳だ」
女誑しと言われても仕方の無いことをしているという自覚はあるが、それでも要らぬ誤解を持たれるのは勘弁して欲しいのだろう。
リィンが知り合った当時のアスカは、まだ七歳の子供だった。
そんな関係に発展するはずもない。
「そもそも、どうしてそう思ったんだ?」
「目と手かな?」
「うん?」
シズナが何を言っているのか理解できず、首を傾げるリィン。
「あの子の手を握って分かったけど、あれは幼い頃から血の滲むような努力を積み重ねてきた手だった。余程の目的がなければ、あそこまで修練を重ねるのは難しいと思うよ。それにリィンを見る目。あれはシャーリィと同じだね」
「シャーリィと同じ……?」
「何か心当たりがあるんじゃない?」
心当たりと言われても、アスカのことをリィンもよく知っている訳ではない。
あくまで偶然立ち寄った場所で出会った子供程度の認識でしかなかったからだ。
才能があるのは認めているが、
「あ」
思い当たることがあるのか、何かに気付いた様子を見せるリィン。
「その反応、やっぱり心当たりがあるの?」
「心当たりってほどじゃないが、あいつの母親とシャーリィが模擬戦をしたことがあるんだよ」
「それって、シャーリィが勝ったんだよね?」
「ああ、当然。シャーリィが勝った。とはいえ、シャーリィも片腕が使えなくなるほどの重傷を負ったから、引き分けみたいなものだけどな」
「へえ……」
シャーリィが手傷を負わされたと聞き、アスカの母親に興味を持つシズナ。
自分と互角の戦いを繰り広げたシャーリィが、それほどの傷を負うほどの相手がこの世界にいるとは思ってもいなかったからだ。
結局のところ強くなる近道は、実戦を積み重ねるしかない。しかし、平和な世界とまでは言わないがゼムリア大陸と比べれば、この世界は危険が少ない。街の外に魔獣が徘徊している訳でも、街道に野党が出没する訳でも、絶えず近くで戦争が起きている訳でもないからだ。
勿論、紛争地域はあるが、それでも限定的だ。
特にこの国は半世紀以上、戦争を経験しておらず退屈なほど平和な日常に溢れていた。
だから余り期待していなかったのだろう。
「でも、それなら目を付けられるのはシャーリィの方じゃないの?」
「シャーリィが余計なことを言ったんだよ。自分より俺の方が強いって」
「ああ、なるほどね」
それでリィンに勝つために、血の滲むような努力を重ねたのだとシズナは察する。
しかし、
「で? お前の見立てでは、どの程度なんだ?」
「うーん……実際に戦っているところを見た訳じゃないから正確なことは言えないけど」
斑鳩の入団試験を受けられる程度の実力はあると、シズナは答える。
それは即ち、末席とはいえ、東ゼムリア大陸最強と謳われる猟兵団に加われるだけの実力を備えていると言うことだ。
遊撃士に例えるならB級に近い実力は最低あると考えられる。
しかし、それでも――
「かなりのものだな」
「でも、実戦は余り経験していないみたいだね」
戦場にでれば、生きて帰れる可能性は低いだろうとシズナは見ていた。
基礎はしっかりとしているようだが、実戦経験が足りていないからだ。
「逆に言えば、伸び代があるってことだけど。あの子、化けるかもしれないよ」
だが、それは経験を積めば、まだまだ強くなる可能性があると言うことだ。
死線を潜り抜けることが出来れば、大きく化けるかもしれない。
そんな予感を、シズナはアスカから感じていた。
「なら、少し経験を積ませてやるか」
「珍しいね。リィンがそこまで気に掛けるなんて」
「あいつの母親のことはよく知っているしな。面倒事を押しつけた借りもある」
その分、娘に返すのも悪くはないだろうとリィンは話す。
それにシズナの見立てが正しければ、いまのアスカの実力ではエルダーグリードの相手がやっとと言ったところだ。
それ以上の怪異が出現した場合、アスカ一人ではどうすることも出来ないだろう。
いまこの街で起きていることの背後には、もっと巨大な怪異が潜んでいる可能性が高いとリィンは考えていた。
「ねえ、リィン」
「ん? どうかしたのか?」
「もしかして、あの子じゃなくて人妻の方だったりするの?」
ようやく誤解が解けたかと思ったら、更に厄介な疑惑をかけられ――
シズナの誤解をどう解いたものかと、リィンは頭を悩ませることになるのだった。
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