杜宮学園。
 北都グループが出資する学校の一つで、長い歴史を持つ市内でも有数の進学校だ。
 この高校の二年にアスカが転入して、そろそろ一週間が経とうとしていた。

「柊さん、また明日」
「ええ、また明日」

 校舎のエントランスに向かう途中で同級生に声をかけられ、にこやな笑みで挨拶を交わすアスカ。
 アメリカからの帰国子女と言うことで注目を集め、いまや彼女のことを知らない生徒はいないと思われるほど、学園の有名人となっていた。
 容姿端麗。成績も優秀で、様々な運動部から勧誘を受けるほど運動神経も抜群となれば、人気が出ないはずもない。
 性格が悪ければ違ったかもしれないが嫌味なところが一切なく、むしろ転入したてでクラスの委員長に抜擢されるほど面倒見が良く、男女問わずクラスメイトから頼りにされているほどだった。
 しかし、

(目立たないように振る舞うつもりだったのに、完全に失敗したわ……) 

 これは本人が望んだ結果ではなかった。
 アスカなりに出来るだけ目立たないようにと気を付けてはいたのだ。
 しかし、普通にしているつもりでも、アスカの能力は一般的な高校生と比べて特出しすぎていた。
 大災厄から日本を救った英雄の娘。それも最年少で〈執行者〉に選ばれた若手随一の実力者だ。
 才能に溺れることなく幼い頃から血の滲むような努力を重ねてきた彼女と、平和な日本で育った普通の高校生が比較になるはずもない。
 その結果、目立つつもりはなかったと言うのに、いまや学園のアイドル的立場だ。
 放課後は出来るだけ異界の調査に時間を割きたいのだが、学級委員長という立場もある。
 その上、休み時間や放課後と立ち替わり、アスカの周りには相談に訪れる学生の姿があった。
 適当にあしらえばいいのだが、それが出来る性格でもない。
 その所為で任務にも影響が出始めているのが、いまのアスカの悩みとなっていた。

「ん? 委員長(・・・)じゃないか。これから帰りか?」
「ええ、今日は委員会の仕事がないから早めに帰ろうと思って。時坂くん(・・・・)は、これから道場かしら?」
「いや、今日はレンガ小路にあるアンティーク店の店長に呼ばれていてな」
「ああ、なるほど。例の(・・)アルバイトね」

 エントランスで男子生徒に声をかけられ、強張った笑みで返事をするアスカ。
 二人は知り合いらしく、会話の内容からも親しげな様子が見て取れる。
 しかし、

「ねえ、時坂くん。その委員長って呼び方、いつまで続けるつもり?」
「お前こそ、時坂くんって……さすがに気持ち悪いぞ?」

 どこかぎこちなく見えるのは、一週間前の騒動に理由があった。

「やめだ、やめ。もう今更だし、気にしたって仕方ねえよな……」
「そうね。私たちが幼馴染み(・・・・)と言うことは、もう学園中に知れ渡っているし……」
「誰の所為だと思ってやがる。アスカが転入初日に『コウくん』なんて、俺の名前を呼んだからだろう」
「あの時は、その……ちょっと舞い上がってたのよ。十年振りにあの人(・・・)と再会した翌日のことだったから……」

 二人は十年前からの知り合いだった。
 幼少期を共に過ごした所謂、幼馴染みという関係だ。
 家族ぐるみの付き合いをしていたのだが、中学へ進学する前にアスカが両親の仕事の都合でアメリカへ渡り、そのあとは音信不通になっていたのだが――
 一週間前、二年の始業式の日にアスカが同じクラスへ転校してきたのだ。
 しかも朝のホームルームで、彼――時坂(トキサカ)(コウ)のことをアスカが『コウくん』と昔の調子で思わず呼んでしまったことが、二人の関係が学園中に知れ渡る原因となっていた。

「あの人ね……。やっぱり、アイツも帰ってきてるんだよな?」
「ええ、私より三ヶ月も早くね」
「その割に神社にも顔をださないし、薄情すぎないか?」
「別れも告げずにいなくなるような人よ。期待するだけ無駄だと思わない?」
「それはそうだけどよ……」

 アスカの言葉に説得力を感じ、思わず納得しそうになるコウ。
 しかし、

「なによ、煮え切らないわね」
「トワ姉が会いたがってるんだよ。アイツに……」
「まさか、話したの?」
「話したと言うか、バレたと言うか……」
「まったく……」

 引き下がれない理由があった。
 従姉がリィンの話を聞き、本人に会いたがっているからだ。
 コウの従姉は九重神社の神主の孫娘なのだが、普段は学園で教鞭を振るっていた。
 しかも二人のクラスの担任だけに、顔を合わせないというのも難しい状況だ。
 コウの話から、いずれ自分のところにも相談に来るだろうと、アスカは考え――

「この後、合流する予定だから伝えておいてあげるわ」
「なら、俺も――」
「ダメよ。あなたは確かに協力者ではあるけど、組織の人間じゃない。それに約束したはずよ」

 約束と聞いて、苦い顔を見せるコウ。
 コウは三年ほど前からアルバイトと称して、裏の仕事を密かに手伝っていた。
 と言っても雑用がほとんどで、異界に関わるような仕事はほとんど任されていない。
 協力者と言うのも、異界のことを知る人間を組織が庇護するために設けた方便に過ぎないからだ。
 だが、それにはちゃんとした理由があった。

「どう言う訳か、あなたは東京冥災(あの日)のことを覚えているみたいだから、外部協力者にすることを組織は認めた。でも、〈ソウルデヴァイス〉を持つ選ばれた人間にしか怪異(グリード)は倒せない。いまのあなたでは足手纏いにしかならないわ」

 ソウルデヴァイスを持つ〈適格者〉しか、怪異(グリード)と戦うことは出来ない。
 その話は、コウも何度も聞かされていた。
 異界に関わる事件に、自分の判断で首を突っ込まないようにと何度も釘を刺されているからだ。

「あなたが努力をしていることは知っている。この十年、ずっと自分を鍛え続けてきたことも――それでも、ただの人間では怪異(グリード)と戦うことは出来ない」

 だから諦めなさい、とアスカはコウに厳しい現実を突きつけるのだった。


  ◆


「アスカの奴……好き放題、言いやがって……」

 愚痴を溢しながら、モップを手に店の床を磨くコウの姿があった。
 彼がアルバイトしているのは〈レンガ小路〉にある小さなアンティーク店だ。
 見た感じは普通の店に見えるが、

「不機嫌そうね。そんな顔だと、お客さんが逃げちゃうわよ?」 

 モップ掛けをするコウに、カウンターの奥から声をかける女性。
 大人の色香を漂わせる彼女が、このアンティーク店のオーナーのユキノだ。
 そんな彼女には、もう一つの顔があった。
 それが――

「幼馴染みから戦力外通告を受けたと言ったところかしら?」
「どこまで、お見通しなんですか……」

 所謂、裏社会の住人としての顔だ。
 しかし、彼女はネメシスの構成員と言う訳ではない。コウと同じ協力者ではあるがどの組織にも属さず、状況に応じて〈ゾディアック〉や〈ネメシス〉に協力すると言った中立的なスタンスを取っていた。
 それが許されるのは、彼女が裏の世界でも有名な〈情報屋〉だからだ。
 そのツテを使って、コウに様々(・・)なアルバイトを斡旋していると言う訳だった。

「きっと、あなたのことを心配してだと思うわよ」
「わかってますよ。そんなこと……でも、俺は……」

 頭では理解していても納得が行かないと言った態度を見せるコウに、若いわねと苦笑を漏らすユキノ。
 だが、今回ばかりはアスカが正しい。
 力を持たない人間が異界に関われば、命を落とす可能性が高いからだ。
 同じ高校生と比べれば、コウの実力は特出している。しかし、それは一般人の域をでるものではない。
 怪異(グリード)と戦える力は、いまのコウにはなかった。
 せめて、ソウルデヴァイスが使えれば話は別だが、適格者とは望んでなれるものでもない。
 文字通り、適格者は選ばれた人間だ。怪異(グリード)と戦う術を持った特別な人間。
 望んだからと言って、手に入る力ではなかった。

「なにを焦っているの?」
「俺は焦ってなんか……」
「そうかしら? 幼馴染みが組織の〈執行者(エージェント)〉になって帰ってきた。なのに自分は異界に関わることを許されず、協力者とは名ばかりのアルバイトの日々。彼女は街の平和を守るために日夜〈怪異(グリード)〉と戦っているのに、どうして俺はこんなところで床磨きなんてしてるんだろうって、考えているでしょ?」
「モップ掛けを指示したのは、ユキノさんでしょうが……」

 不満を漏らしながらも、バツの悪そうな表情を見せるコウ。
 ユキノの指摘に言いたいことはあるが、反論もできないのだろう。
 概ね、間違っているとは言えないからだ。

「好きな子に格好良いところを見せたいって気持ちは分かるわよ」
「言っておきますけど、俺とアイツはそういう関係じゃありませんから」
 
 誤解を生みそうなところは、きっちりと反論するコウ。
 アスカとは幼馴染みだが、ユキノの言うような関係かと言うと違うと断言できる理由がコウにはあった。

「アイツと俺は……同じ目標を持つライバルみたいなものです」
「目標?」
「見返したい奴がいるんですよ。ああ、もう! この話はここまで!」

 話を打ち切り、モップ掛けを再開するコウ。
 まだユキノがなにかを言っているが、聞こえない振りをして黙々とコウは作業を続けるのだった。


  ◆


「たくっ、あの人は……」

 心配しているフリをして絶対に面白がっているだけだと、コウは愚痴を溢す。
 とはいえ、ユキノには感謝していた。コウがネメシスの協力者としてやれているのも、ユキノのサポートがあってこそだからだ。
 雑用を任されることが多いのは事実だが、ユキノのお陰で裏の世界との繋がりを辛うじて保つことが出来ている。
 ネメシスが自分を外部協力者としたのは、組織の仕事を手伝わせるためではなく異界に関わらせないためだとコウも気付いていた。
 だから、何がなんでも食らいついてやると決めたのだ。
 庇護の対象としか見られていないなら、組織が認めざるを得なくなるほどの成果を上げればいい。そのために出来る努力はすべてやってきた。祖父の道場で武術を学び、ユキノの仕事を手伝いながら様々なスキルを磨いてきた。特別な力がないからこそ、なんでも出来ることはやってきたつもりだ。
 だからこそ、アスカの言葉が心に刺さったのだろう。

「もう二度(・・)とあんなことは……俺は後悔したくない」

 そのためにも力が必要だ。
 理不尽に抗い、運命に立ち向かえるだけの力が――
 それが、

「だから俺は諦めない。絶対に――」

 コウの望みだった。




後書き
 この作品のコウは十年前にリィンたちが介入したことで道場も続けており、原作以上にハイスペックな高校生になっています。



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