怪異と戦うアスカの姿を、真剣な眼差しで見守るリィンの姿があった。
(レイラの娘だけあって才能はある。戦闘のセンスも悪くはない。だが……)
この一週間、アスカを連れて幾つも迷宮を回って分かったことがある。
実力はシズナが見立てたとおり、Bランクの遊撃士に匹敵するくらいはある。
もう少し経験を積めば、Aランクに届くくらいの実力にはすぐに至れるだろう。
だが、アスカには明確な弱点があると、リィンは見抜いていた。
なまじ才能と実力があるが故に格下の相手ばかりで、強敵との戦闘経験がほとんどないのだ。
アスカの母親はアスカよりも強い。アスカよりベテランの執行者は他にもいるはずだが、そうした相手との模擬戦は結局のところ実戦ではない。死と隣り合わせの命懸けの戦いに勝る経験があるはずもなく、リィンとシズナが強いのは、そうした死線を幾つも潜り抜けてきたからこそだった。
だから経験を積ませるために、こうして迷宮巡りに付き合っている訳だが、この程度ではアスカの訓練にならないとリィンは考える。
格下を倒して得られる経験など高が知れているからだ。
「神話級とまで言わなくても、グリムグリードくらいは出てくれないものか……」
そのため、もっと強力な怪異がでてくることをリィンは望んでいた。
異界化によって出現した迷宮の奥には、エルダーグリードと呼ばれる迷宮の主が存在する。
だが、それよりも遥かに強力な怪異が確認されていた。それが、グリムグリードだ。
このレベルの怪異になると門を介さずに、現実世界に直接影響を及ぼすことが可能なほど強大な力を持つ。
いまから十年前、東京冥災の引き金となった怪異もグリムグリードだった。
ただ、グリムグリードと一括りにしても、個体によって脅威度には大きな差がある。東京冥災を引き起こしたグリムグリードは〈神話級〉と呼ばれ、現状確認されている怪異のなかでも最上位のランクに位置する存在で、その力は国を一つ滅ぼしかねないほどのものだと評されていた。
このレベルになると、人類がそもそも太刀打ち出来るレベルの相手ではない。
自然災害と同じで通り過ぎてくれるのを祈るしかない。そんなレベルの災厄だ。
さすがに〈神話級〉の相手は無理でも、グリームグリードのなかで最下位の〈魔女〉クラスであれば、いまのアスカでも良い勝負をするのではないかと言うのがリィンの見立てだった。
しかし、
「冗談でもやめてください。そんなものが出現したら、街にどれだけの被害がでるか……」
グリムグリードはそもそも最下位の〈魔女〉でも『街一つを滅ぼせる災厄』と言われているのだ。
リィンの思わず口にだした言葉を聞いて、アスカが注意するのも無理はない。
強くなりたいとは思っているが、ネメシスの執行者として街を危険に晒す存在の出現を願う訳にはいかないのだろう。
「やっぱりダメか。出現しても被害が大きくなる前に倒してしまえば、問題ないと思ったんだが……」
「それが出来るのは、リィンさんとシズナさんくらいです……」
そもそもの話、迷宮の門を一つ発見するだけでも人海戦術で何週間もかけて行われることなのだ。
大抵の場合は被害がでてから気付くことが多く、事件が発生する前に〈門〉を見つけて対処することなど、ほとんど前例のないことだった。
どれだけリィンとシズナが規格外の存在かが、そのことからも分かる。
とはいえ、
「こんな雑魚を幾ら倒しても、強くはなれないぞ?」
襲い掛かってきた人型の怪異を武器を抜くこともなく、リィンは消滅させる。
リィンがなにをやったのか理解できず、呆然とするアスカ。
「リィンさん……いま、なにを……」
「なにって、殴っただけだが?」
「え、ええ?」
雑魚とは言え、怪異を殴って倒せるのであれば苦労はない。
それならソウルデヴァイスや霊具は必要ないからだ。
「お前等は霊力しか通用しないと思っているみたいだが、こいつら幻獣と一緒で普通に魔力や闘気の攻撃も通るからな。いまのは闘気を纏って、ただ殴っただけだ」
「闘気? 魔力は分かりますが……」
「……まさか、闘気を知らないのか?」
実戦を積ませれば少しはマシになると考えいただけに、猟兵にとっては基礎中の基礎とも言える闘気を知らないと分かって、そこから説明が必要なのかとリィンは溜め息を漏らすのだった。
◆
「なるほど、体内を巡る生命エネルギーですか。東方の〈気〉の考え方に似ていますね」
「なんだ。気は知ってるんだな」
「そういうものがあると知っているだけで、使える人に出会ったことはありませんけど……。そもそも魔力を扱える人だって稀少で、ネメシスにだって魔術を使える人はほとんどいないんですよ?」
「そう言えば、ヤマオカもエマの魔術を見て驚いてたな」
エマは優秀な魔女ではあるが、リィンにとっては見慣れたものだ。
そもそも導力魔法でも似たような効果を持つアーツは存在する。
ロストアーツと呼ばれるもののなかには、隕石や幻獣を召喚するアーツも確認されているくらいなのだ。
そのことを考えると、こちらの世界の方がやはり魔法関連の技術は遅れているのだとリィンは実感する。
とはいえ、アスカの話を聞く限りでは、まったくそう言った技術がない訳ではないのだろう。
これまでは限られた一族だけに継承されてきた力が、怪異の出現によって表舞台に引き摺り出されたと考えるのが自然だった。
「彼女ほどの魔術師には、私も出会ったことがありません。そう言えば、エマさんはどうされているんですか? シャーリィさんも一緒じゃないんですよね?」
アスカに二人のことを尋ねられ、そう言えば説明していなかったなとリィンは思い出す。
そもそもリィンたちが異世界人であることを知っているのは、アスカの両親とヤマオカ。それに北都グループの会長だけだ。
「母親から、俺たちのことをどう聞いているんだ?」
「遠いところに行ったとだけ聞かされました。だから最初は死んだんじゃないかと思って、物凄く心配したんですよ……」
ジロリとアスカに睨まれ、誤魔化すのが下手すぎるとアスカの母親に心の中で不満を漏らすリィン。
この先も一緒に行動するのであれば、話しておいた方がいいかと観念して、
「俺たちは、この世界の人間じゃない。お前たちから見れば、異世界人だ」
と、正体を打ち明けるのだった。
◆
「帰ったらリィンに料理してもらわないとね」
商店街で大量の戦利品を手に入れて、ご機嫌のシズナ。
勿論お金は払ったが、商店街の人々に「これも持っていけ、これも食べてみてくれ」と、かなりのおまけをしてもらったのだ。
白銀の髪をした外国人という物珍しさもあったのだろうが、八百屋や魚屋と言った商店街の男店主たちが鼻の下を伸ばした結果とも言える。
実際、少し前からシズナのことは街で噂になっており、お近づきになりたいと思っていた男性は少なくないのだ。
彼女に声をかけられずにいたのは、いつも近くにリィンがいたからだった。
「ん……この気配、もしかして……」
人目のないところに移動すると〈空間倉庫〉に荷物を仕舞い、代わりに愛用の刀を取り出すシズナ。
そして、怪しい気配のする方へと足を進める。
「周囲の空間が揺らいでいる。これまでの現象とは少し違うみたいだね」
これまでシズナが見てきた〈異界化〉は負の感情を抱く人間を迷宮に取り込むことで、現実世界に干渉すると言ったものだった。
そのため門を介さなければ、現実世界に直接影響を及ぼすほどの力はなかったのだ。
しかし、今回のこれは違う。
まるで空間ごと異界に取り込まれたかのように、現実世界が侵蝕を受けていた。
まだ影響範囲はそれほど広くはないが、強力な怪異が潜んでいることは間違いない。
それに――
「靴跡? 誰かが先にここを通った形跡がある」
何者かが侵入した形跡を見つけ、状況が切迫していることをシズナは確認するのだった。
◆
「異世界人……」
「信じられないか?」
「いえ、ようやく合点が行きました」
リィンの説明を聞き、納得した様子を見せるアスカ。
裏の世界では、正体を隠して活動している人間など大勢いる。二つ名だけで本名が知られていない実力者も存在するくらいだ。
それでも、なにかがおかしいとは感じていたのだろう。リィンたちほどの実力があれば、噂にならないはずがないからだ。
しかし、アスカが組織の一員となってからも、リィンたちの噂は聞こえてこなかった。
いまなら、それも当然だと分かる。
この十年、そもそも彼等はこの世界にいなかったのだから――
しかし、そうなるとどうしても気になることがある。
「異界とは関係がないんですよね?」
「信じてもらうしかないが、無関係だ」
この世界は七十年以上も前から、異界の侵蝕に悩まされてきたからだ。
異界化を異世界からの侵略だと、仮説を唱える者もいる。
アスカが異世界人と聞いて、関連性を疑うのは当然のことだった。
リィンもそこは疑われても仕方がないと考えていた。
だからこそ、自分たちが異世界人だと言うことを公にはしていないのだ。
「信じます。そもそもグリードは会話の通じる相手ではありませんから……」
怪異とは、災厄そのものだ。
リィンたちのように会話が成立するのであれば、これほど苦労はしていない。
ほとんど異界についての情報がないのは、怪異との対話に成功した者がいないからだった。
例外は一つだけ――
「まあ、一つだけ例外がいますが……」
「異界の子だな」
異界化が起きた場所で、レムと名乗る少女の姿が確認されていた。
時折、人間の前に姿を現し、意味深な言葉を残して去る少女。
裏の世界で〈異界の子〉と称されている存在だ。
「知っているんですか?」
「直接の面識はない。エマは言葉を交わしたみたいだが、どうも俺は避けられているみたいでな」
以前、気配を感じることはあったが、リィンはレムに逃げられていた。
エマの前には姿を見せたと言うのに、あれから一度も接近してくる気配はなかったことから、恐らくは意図的に接触を避けているのだろうと推察している。
それに――
(道化師は異界の子も、もう一人の自分だと言っていたな)
カンパネルラは『異界の子』も、もう一人の自分だと言っていたのだ。
しかし、エマから聞いているレムの性格は、カンパネルラと異なる。となれば、キーアとノルンのような関係である可能性が高いとリィンは考えていた。
異なる世界のもう一人の自分と言うことだ。
前例は他にない訳でもない。例えば、マクバーンがその一人と言えるだろう。
異なる世界の自分と融合することで、魔神の力を得たのが現在のマクバーンだ。
だから、人としての姿と魔神の姿の二つの顔をマクバーンは持っている。
「疑問があれば、あとで幾らでも答えてやる。その前に――」
「はい、分かっています」
巨大な蜘蛛の姿をした迷宮の主を前に、アスカは母と同じ細剣型のソウルデヴァイスを構えるのだった。
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