迷宮の攻略は順調に進んでいた。
そもそもエルダーグリードですら瞬殺するような二人だ。
リィンとシズナがいる時点で、並の怪異では相手にならないと分かっていた。
「……グリムグリードの眷属も瞬殺ですか」
シズナが天使を瞬殺するところを見て、力の差を実感するアスカ。
すれ違い様、刀を振るったところまでは見えたが、斬撃を見切ることは出来なかったからだ。
シズナと戦えば、いまの自分では為す術なく殺される未来しか見えない。
「シズナさんでも、リィンさんに勝てないんですよね?」
「うん。さすがに難しいかな? 十回やれば一回くらいは届く自信はあるけど」
しかし、そういう仮定は意味がないとシズナは話す。
ほとんどの場合、戦場での敗北は死を意味するからだ。
特にリィンとの戦いは、本気の殺し合いになる可能性が高い。
そのくらい死力を尽くさなければ、勝ち目の無い相手だとシズナは考えていた。
それに――
(戦ってみたいとは思うけど、まだその時じゃない)
いずれリィンとは刀を交える時が来ると思っているが、まだその時ではないとシズナは感じていた。
だから、いまは少しでも腕を磨く方が先だと考えていた。
そうしなければ、更に引き離される可能性が高い。
成長しているのはシズナだけではない。リィンも同じだからだ。
(やっぱり、リィンさんは凄い。でも……)
いまのままでは逆立ちをしても、リィンに敵わないことは分かっていた。
それでも、アスカは諦めるつもりはなかった。
難しいからと言って諦めてしまえば、努力を続けてきた意味がない。
その程度の覚悟で、母を超える執行者になれるとは思っていないからだ。
「リィンさん、どうかされたのですか?」
考え込むような仕草を見せるリィンを見て、アスカは声をかける。
グリムグリードの眷属を見て、なにか気付いたことがあるのかもしれないと思ったからだ。
「誰かがここを通った形跡がある」
「え……」
想定外の答えが返ってきて、戸惑いの声を漏らすアスカ。
通常、迷宮に取り込まれた被害者と言うのは、最奥に囚われていることが多いからだ。
勿論、すべてのケースがそうと言う訳ではないが、怪異は人間の持つ強い感情に引き寄せられる特性がある。
だから人間をすぐに殺すのではなく、迷宮の奥に連れ去ろうとするのだろう。
「迷宮に取り込まれた被害者のものでしょうか?」
「いや、戦闘の痕跡だ」
戦闘の痕跡と聞いて、まさかと言った反応を見せるアスカ。
迷宮に取り込まれた被害者に怪異と戦う力があるとは思えない。
だとすれば、第三者が迷宮のなかに足を踏み入れたと言うことになるからだ。
しかも、怪異と戦えるほどの力を持った何者かが――
「まさか、他の組織に先を越された? いえ、でも……」
リィンとシズナが異常なだけで、グリムグリードの仕業だと分かった時点で最大限の警戒をするのが普通だ。
怪異のことを知る者であれば、迂闊に迷宮のなかに足を踏み入れるとは思えない。
攻略をするにしても、十分に準備を整えてから挑むはずだ。
そして、それだけの時間があったとは思えなかった。
その上、
「足跡から察するに一人みたいだね」
一人と聞いて、益々ありえないと言った表情で驚くアスカ。
グリムグリードの迷宮に一人で挑むような人間がいるとは思えなかったからだ。
そんな真似をするのは余程のバカか、リィンやシズナのような規格外の実力者くらいだ。
「出来る限り、戦闘を避けながら進んでいる感じかな?」
「ああ、なかなか勘の鋭い奴みたいだな。危険を回避しながら奥へと進んでる。さっきの天使からも上手く逃げ切っているようだし、身のこなしも悪くなさそうだ」
シズナとリィンの話を聞き、少なくとも相応の手練れが迷宮に入り込んでいるのだとアスカは察するのだった。
◆
「はあはあ……どうにか逃げ切ったみたいだな」
同じ頃、リィンたちのいる位置から更に奥へと進んだ場所に男子学生の姿があった。
学生服の上からフード付きのブルゾンを羽織った少年。
杜宮学園に通う二年生にして、アスカの幼馴染みの時坂洸だ。
「たくっ……分からないことだらけだ。どうして、こんなことに……」
コウは出口を探して迷宮のなかを彷徨っていた。
発生したばかりの異界化に遭遇し、迷宮の中に取り込まれてしまったからだ。
普通の人間であれば無事では済まないところだが、幼い頃から学んできた武術と異界の知識が役に立っていた。
と言っても、異界についてコウが知っていることなど限られている。
それに少しばかり異界の知識があっても、武術を会得していようと、普通の人間では怪異を倒すことは出来ない。
迷宮に取り込まれたら最後、本来であれば為す術なく怪異の餌食になっているところだった。
しかし、
「レイジングギア……まさか、俺が〈適格者〉に目覚めるとはな」
コウの右腕には、ソウルデヴァイスが装着されていた。
幸か不幸か、この土壇場で能力に目覚めたのだ。
異界に対して耐性を持つ〈適格者〉だけが呼びだすことができるとされる召喚器。手甲のようなカタチをしているが尖端には刃のような武器がついており、アスカのソウルデヴァイスと比べても異質な形状をしていた。
だが、どんなに変わった武器だろうと、コウにとってはこの武器が命綱だった。
それに、
「俺は絶対に生きて、ここをでる。ようやく手にしたんだ。この力を……」
ずっと望んでも得られなかった怪異と戦うための武器――異界に関わるための切符を手に入れたのだ。
こんなところでくたばる訳にはいかないと、コウは自分を奮い立たせる。
しかし、幾ら幼い頃から武術を学んでいると言っても、実戦の経験はない。
目覚めたばかりのソウルデヴァイスで、どこまでやれるかは未知数だった。
それはコウ自身も理解しており、可能な限り戦闘を避けてここまで進んできたのだ。
しかし、それでも危険な場面は何度もあった。
そう言う時は決まって、
――随分と慎重だね。
この声が聞こえてくるのだ。
頭の中に直接響くような声にコウは答える。
「また、お前か。一体、何者なんだ。お前は?」
周囲の空間が揺らぎ、ローブのような布きれを纏った青い髪の少女が現れる。
ソウルデヴァイスに目覚めた時も、目の前に現れた少女。
そして、天使から逃げることが出来たのも、目の前の少女のお陰だった。
彼女が時間を止めてくれたお陰で、どうにか天使から逃げ切ることが出来たのだ。
「レム――それがボクの名前だよ。〈異界の子〉と呼ぶ人たちもいるけどね」
レム。それが少女の名前だった。
ここ数十年、異界の発生する場所で度々、姿が目撃されている少女だ。
異界化の起きた地にしか現れないことから〈異界の子〉とも呼ばれていた。
だから、コウも通り名くらいは耳にしたことがあったのだろう。
目を瞠り、驚いた様子を見せる。
「本当はこんな風に手を貸すのもダメなんだけどね。今回は特別。力に目覚めたとはいえ、最初からこんな迷宮に挑まされるなんて、お兄さんが可哀想だしね」
「……その言い方だと、やっぱりやばい場所なのか?」
「うん。レベル一の勇者が、魔王の城に挑むようなものかな?」
薄々と察してはいたが、相当に危険な状況に置かれているのだとコウは察する。
しかし、
「妙に例えが具体的だな……。そういうゲームをやったことがあるのか?」
「ないけど、この世界を観測し、キミたちを観察するのがボクの役目だからね」
「なんだ、そりゃ……なにを言って……」
レムが何を言っているのか理解できず、戸惑いを見せるコウ。
しかし、そんなコウを見てもレムは――
「時間切れのようだ。外から来た彼等には、ボクの力も通用しないからね」
態度を変えることなく、現れた時のようにコウの前から唐突に姿を消すのだった。
◆
「――コウ!?」
コウの名前を叫ぶアスカ。
もうすぐ迷宮の最奥に辿り着くと言った場所で、コウの姿を目にしたのだから無理もない。
「アスカ? そうか。助けに来てくれたんだな」
「えっと……」
そう言うつもりではなかっただけに、返事に困る様子を見せるアスカ。
しかし、コウの右腕に装着されたソウルデヴァイスを目にして、納得する。
「そう言うこと……あなただったのね」
リィンとシズナが言っていた人物と言うのが、コウのことだと察したからだ。
だが、それほどの驚きはなかった。
コウの実力はよく知っているし、適格者に目覚めたのであれば並の怪異に後れを取るとは思えなかったからだ。
とはいえ、
「どういうつもりなの? あなたも迷宮が危険なところだと言うのは知っているはずでしょ?」
それとこれは別の話だ。
適格者に目覚めたと言っても、異界は簡単に足を踏み入れて良い場所ではない。
それもグリムグリードの迷宮に単独で挑むなんて、幾らなんでも無謀が過ぎるとアスカは注意する。
「誤解だ! 俺だって足を踏み入れたくて踏み入れた訳じゃない! 嫌な気配を感じて逃げてたら目の前にゲートが現れて――」
アスカが何を誤解しているのかを察して、必死に弁明をするコウ。
確かにソウルデヴァイスに目覚めて、少し浮かれていたのは否定しない。
しかし、そのために一人で迷宮に足を踏み入れるほど、コウは蛮勇ではなかった。
そもそもユキノにも裏の仕事を手伝う条件として、勝手な真似をしないようにと言い含められているからだ。
そんなコウの話を聞き、
「ゲートが現れた? あなたの前に?」
何か引っ掛かったのか? アスカは考え込む様子を見せる。
コウの言っていることが本当なら、迷宮に呼ばれたと言うことになるからだ。
だとすれば、コウも異界化の原因――迷宮に取り込まれた被害者の一人と言うことになる。
「腑に落ちないと言った顔だな」
「はい……状況から言って、怪異がコウを迷宮に招き入れたとしか考えられません。でも……」
リィンの問いに答えながらも、やはり腑に落ちないと言った表情を見せるアスカ。
複数の人間が迷宮に取り込まれることはあるが、そのほとんどは事故のようなものだ。
偶然居合わせたために巻き込まれてしまったと言うのは良く聞く話だが、今回のケースは迷宮がコウを招き入れたとしか思えなかった。
だとすれば、この迷宮を生み出している怪異とコウには、何かしらの接点があると考えるのが自然だ。
「あんたは……」
「ひさしぶりだな。あの時のガキが随分と見違えたもんだ」
リィンとの再会に驚きと戸惑いを隠せない反応を見せるコウ。
十年前のことが頭を過ったのだろう。
しかし、いまは再会を懐かしんでいる場合ではなかった。
「よく分からないけど奥に行けば、はっきりとするんじゃない?」
シズナの言うとおりだからだ。
どのみち迷宮を閉じるには、グリムグリードを倒すしかない。
なら迷宮の奥にまで行けば、はっきりとするに違いとアスカは考え、
「先に進みましょう」
迷宮の主――グリムグリードの待つ最奥の間へと進む覚悟を決めるのだった。
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