東亰震災――裏の世界では、東亰冥災とも呼ばれている災厄。
 この災害で命を落とした人の数は一万人を超え、いまだ死体すら見つかっていない行方不明者は三千人を超える。
 多くの死傷者をだした忌むべき災厄。
 その被災者のなかに久我山璃音と、家族の姿もあった。
 震災で大怪我をしながらも奇跡的(・・・)に一命を取り留めた少女。それがリオンだ。
 しかし、本当は奇跡などではなく天使(・・)のお陰だと、リオンには分かっていた。
 意識が朦朧とするなかで必死に「生きたい。生きていたい」と願い、その願いに応えてくれたのが天使だったからだ。

「本当は分かっていた。ただ、目を背けていただけ……」

 しかし、それ以降、リオンの周りでは不可思議な現象が度々起きるようになった。
 物が勝手に壊れたり、機械の調子がおかしくなったり――
 最近では、イベントにきてくれたファンが奇声を上げて暴れ出したりと――
 周りは気にする必要はないと言ってくれたけど、本当は分かっていたのだ。
 あの天使の仕業だと――自分が生きたいと願ったばかりに周りに迷惑を掛けてしまっている。
 とっくに気付いていたのに、そのことから目を背けていただけだと――
 だからリオンは願った。

「寂しくなんかない。最初から、こうするべきだった」

 大切な人たちを傷つけてしまう前に、消えてしまいたい。
 もう、こんなことは終わらせたいと――
 その願いに天使は応え、リオンを迷宮に閉じ込めた。
 誰一人、傷つけることのない。彼女だけの城に――  

「なのに……どうして、彼の顔が浮かぶんだろう」

 しかし、リオンは一つだけ大きなミスを犯した。
 消えたいと願いながら、一人の青年の顔を頭に思い浮かべてしまったのだ。
 ぶっきら棒で、お世辞にも愛想が良いとは言えない青年。見た目はそれなりだが、帰宅部でアルバイトばかりしていて学校でも目立たない青年のことが、リオンは気になっていた。
 彼は覚えているかは分からないが、一度だけ彼に助けてもらったことがあるからだ。

「時坂くん……」

 それに時々、コウが運動部にまじってグラウンドを走っているところをリオンは目にしていた。
 助っ人を頼まれることもあり、運動部から勧誘を受けていると言う話を聞いている。
 だけど自分にはやることがあるからと、断り続けていると言う話も――
 そんな彼のことを、いつしか目で追いかけるようになっていた。
 幼い頃にテレビで見たアイドルに憧れて芸能界に飛び込んだリオンからすれば、時坂洸と言う青年は自分と違った生き方をしている変わった青年に見えたのだろう。
 だから、知りたかったのかもしれない。
 輝けるものをたくさん持っているはずの彼が、どうして周りから距離を置いて(・・・・・・)目立たないようにしているのかを――

「結局、あれから一度も声をかけられないままだったな」

 でも、そのことを尋ねるどころか、声をかけることも出来なかった。
 アイドルをしていると言うこともあり、忙しくてなかなか声をかけるタイミングがなかったと言うのもあるが、いつも一人(・・)でいる彼を見て、迷惑なんじゃないかと躊躇ってしまったからだ。
 だけど、こんなことなら声をかけておけば良かったとリオンは思う。
 もう、誰にも会うことなく、ここで静かに最期を迎えるのだから――

「久我山!」
「え……」

 懐かしい声がしてリオンが顔を上げると、頭に思い浮かべていた青年の姿があった。
 夢や幻を見ているかのように、キョトンと目を丸くするリオン。
 どうして彼がこんなところにいるのか、状況を理解できなかったからだ。

「どうして、ここに……」
「それは、こっちの台詞だ! いま助けてやるからな――」

 意味が分からなかった。
 自分で望んで、願って、ここにいるのに――
 必死な顔で階段を駆け上がってくるコウを見て、リオンは困惑する。

「放って置いて! アタシはここにいなきゃダメなの! 生きてちゃダメなの! もう誰にも迷惑をかける訳には――」
「ごちゃごちゃとうるせえ!」
「う……」
「お前の事情は知らないが、生きるのに誰かの許可なんているかよ。それに、他人に迷惑をかけてない奴なんていねえよ」

 このままではコウにまで迷惑をかけてしまう。
 そう思って叫ぶリオンに、コウは感情のままに反論する。
 コウにとってリオンの言葉は、決して受け入れられるものではなかったからだ。

「あなたには分からないわよ! なにも知らないなら放って置いてよ!」
「放って置けるかよ!」

 階段を一気に駆け上がると、息を切らせながらコウは床に座り込むリオンに手を差し伸べる。
 
「迷惑だって言うなら相談しろ」
「え……」
「話せば楽になることもあるだろう。力になれることがあるなら手を貸してやる。俺なんかじゃ頼りないかもしれないが、これでもいろいろと顔が利くからな」
「どうして、そこまで……」
「そんな顔をしている奴を放って置けないだけだ。それに知らない仲でもないしな」
「な……! し、知らない仲じゃないって……それって、どういう……」

 顔を真っ赤にして慌てるリオンを見て、よく分かっていない様子で首を傾げるコウ。
 同じ学校に通う生徒。それも知り合いという意味で言ったのだろうが、リオンは違う受け止め方をしていた。
 無理もない。ずっと気になっていた男の子が助けに来てくれて、しかも自分を頼れと手を差し伸べてくれたのだ。
 これで動揺しない乙女はいないだろう。
 テレビで見たアイドルに憧れて、自分もあんな風になりたいと夢を見るような少女なら尚更だ。

「どうやら知り合いだったみたいだな」

 そんな二人のやり取りを遠巻きに眺めるリィンたちの姿があった。
 ここがどこかも忘れて、完全に二人だけの世界に入っているリオンとコウに呆れるリィンに――

「リィンも他人のことは言えないと思うよ」

 シズナの鋭いツッコミが入る。
 女性関係だけは、とやかく他人のことを言える立場にないと思っているからだ。
 実際、恋人が二人もいるのにシズナとも肉体関係を持っている時点で、リィンも若干の後ろめたさと自覚はあるのだろう。
 バツの悪そうな表情で、誤魔化すように顔をそらす。
 シズナと関係を持ったのには理由があるのだが、言い訳にしかならないと言うことを理解しているからだ。

「彼女が久我山リオンさん……。でも……」

 なにかがおかしいとアスカは周囲を警戒する。
 普通、迷宮の奥には怪異が待ち構えているはずなのに、その姿が確認できなかったからだ。
 
「リィンさん」
「ああ、分かっている」

 当然、リィンも気付いていた。
 上手く姿を隠しているようだが――

「気配までは隠し切れていないみたいだね」

 刀を抜き、構えるシズナ。
 意識を集中させ、気配を探るように目を閉じると――
 まるで瞬間移動するかのような速さで、一瞬にしてコウとリオンの元に移動する。
 そして、

「な――」
「うん、良い反応だ」

 シズナの刀をソウルデヴァイスで受け止めるコウの姿があった。
 意味が分からないと言った表情で困惑するコウ。
 無理もない。突然、リオンに向かってシズナが刀を振るったのだ。

「なんで、こんなことを――」
「そのことは、そこの彼女が一番よく分かっているんじゃないかな?」

 シズナがなにを言っているのか分からず、困惑するコウの後ろで――

「違う。アタシはそんなつもりじゃ……」

 頭を抱え、悲痛な表情を浮かべるリオンの姿があった。
 苦しむリオンを見て、心配になって声をかけようとするコウだったが、ありえないものを目にする。
 翼を生やした人型の何かが、リオンと重なり合うように姿を現したからだ。

「アアアアアアッ!」

 リオンの口から超音波のような声が発せられ、思わず耳を押さえて膝をつくコウ。
 そして、天使の翼のようなものを羽ばたかせ、宙に浮かぶリオンを見て――

「久我山!」

 コウは彼女の名を叫ぶのだった。


  ◆


「あれは……まさか、こんなことが……」

 天使化したリオンの姿を見て驚きながらも、合点が行ったと言う反応を見せるアスカ。
 グリムグリードの正体。そして、コウが迷宮に囚われた理由を察したからだ。

「なるほど。被害者だと思っていた少女が、元凶だったと言う訳か」

 リィンの言うとおりだった。
 異界化を引き起こしたグリムグリードの正体は、リオン自身だったと言うことだ。
 正確には、リオンの魂と怪異が霊的に融合しているのだと察する。
 だとすれば、異界化を止めるには――

「怪異を殺せば、どうなる?」 
「はっきりとしたことは言えませんが、恐らく彼女も……」

 リオンを殺すしかなかった。
 アスカの表情を見れば、彼女が何を苦悩しているのかが容易に察せられる。
 だからリィンは――

「お前は下がっていろ」
「リィンさん、まさか――」
「必要なら俺は躊躇うつもりはない。それはシズナも同じだ。だが、お前に出来るのか?」

 アスカに下がっているようにと言う。
 人を殺したことのない彼女では、リオンを手にかけることは出来ないと思ったからだ。
 だが、リィンにはそれが出来る。シズナも同じだ。
 知り合いが相手であったとしても、必要なら殺すことを躊躇わないだろう。
 嘗ての仲間や家族が相手であったとしても、それは変わらない。それが、猟兵だからだ。

「待ってくれ! アンタたち、まさか――」
「そこを退け。異界化(イクリプス)を止めなければ、犠牲者を増やすことになる。お前にその責任が取れるのか?」
「それは……」

 翼を生やしたリオンを庇うように間に立ち、リィンとシズナの前に立ち塞がるコウ。
 リィンの言っていることが正しいと言うことは、コウも理解しているのだろう。
 しかし、それでも――

「なにか、何か方法があるはずだ。だから……」
「話にならないな」

 諦めきれずリオンを庇おうとするコウに、リィンはブレードライフルの切っ先を向け、

「そこを退け。これが最後通告だ」

 厳しい選択を迫るのだった。 



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