「キョウカさん。あなたから見て、彼等はどうだった?」
「もしもの時は命を懸けても逃げる時間くらいは稼いで見せますので、お逃げくださいとしか言えません。〈猟犬(アングレカム)〉の隊員を総動員しても時間稼ぎが精一杯かと……」

 雪村(ゆきむら)京香(きょうか)。ミツキの秘書にして、嘗てはゾディアックの実働部隊〈アングレカム〉のメンバーを務めていた人物。その戦闘力は組織のなかでも上から数えた方が早いほどで、ネメシスの執行者にも見劣りしない実力の持ち主だ。
 そんな彼女が嘗ての仲間と共に戦っても足止め程度しか出来ないと答えたのは、ミツキにとっても驚くべきことだった。

「やはり、お祖父様の判断は正しかったと言うことね」

 リィンたちへの接触を祖父が禁じた理由が、いまならミツキにも察することが出来る。
 十年前に受けた恩があると言うのも理由にあるのだろうが、それ以上にリィンたちを敵に回すリスクを恐れたからだと――
 接触のタイミングを誤れば、最悪の場合は敵と見做される可能性もある。
 そうなったら目も当てられない。〈アングレカム〉でも止められない相手を敵に回すなど、愚の骨頂でしかないからだ。
 それだけに――

「キョウカさん。今回の件、内密に()を探ってください」
「……畏まりました」

 この事件、裏を探る必要があるとミツキは考える。
 こうやって迅速に対応することが出来たのは、匿名の情報が北都にもたらされたからだ。
 それは関係者でなければ、知り得ない情報だった。
 つまりリィンたちの実力を推し量るために〈天使憑き〉の少女を利用した可能性が高いとミツキは考えていた。
 もしそれがゾディアックの関係者であった場合、組織そのものが敵と見做される危険がある。

「杞憂であればいいのだけど……」 

 それだけは絶対に避けなければならないと、ミツキは深い溜め息を漏らすのだった。


  ◆


 杜宮総合病院。
 ここに時坂洸、柊明日香、久我山璃音の三人は入院していた。

「よかった。リオン、本当に……」

 ベッドの傍らで涙を浮かべながらリオンの手を握るレイカ。
 その後ろには、同じように涙を滲ませる三人の少女の姿があった。
 一人は柚木若葉。レイカと一緒に不良に絡まれているところを、リィンとアスカに助けられた少女だ。
 そして、長い黒髪の上品な佇まいの少女の名は天堂(てんどう)陽菜(はるな)。アイドルグループ〈SPiKA〉のリーダーを務めているレイカの親友だ。
 最後にショートヘアが特徴のボーイッシュな印象の少女は、七瀬(ななせ)(あきら)。ワカバと一緒に最近〈SPiKA〉に加わった新メンバーだった。
 リィンから入院先を聞いたレイカとワカバが二人に連絡を取り、全員揃ってリオンのお見舞いにきたのだ。
 当のリオンはまだ目を覚めないが、それでも無事を確認できて安心したのだろう。
 涙を浮かべながらも、少女たちの表情は安堵に満ちていた。
 そんな彼女たちの様子を扉越しに確認すると、

「良いの? リィン、会って行かなくて」
「邪魔をするのは野暮だろう。それに――」

 約束は果たしたと、声をかけずに立ち去るリィンの後をシズナは追いかけるのだった。


  ◆


 あれから三日。リィンがシズナと暮らすマンションに――

「なんで、ここにいる? と言うか、どうやって部屋に入った?」

 再びレイカが押し掛けていた。
 どこか呆れた様子で、溜め息を漏らしながら尋ねるリィン。
 外から帰ってきたら、レイカがリビングで寛いでいたのだ。
 疑問に思うのも無理はない。

「インターフォンを鳴らしたら、シズナさんが普通にいれてくれたわよ?」
「おい……」
「リィンに用があるって言うからダメだった?」

 ダメと言う訳ではないが、また勝手なことをと呆れるリィン。
 そもそもアイドルが男の家に上がり込んで良いのかとか、言いたいことはあるが――

「なにしにきた。約束は果たしただろう?」

 取り敢えず、なんの用事かと尋ねる。

「報酬! まだ受け取ってないでしょ?」
「ああ……忘れてなかったのか」

 感心するような呆れるような視線をレイカに向けるリィン。
 ちゃんと契約書を交わした訳でもなく、ただの口約束だ。
 踏み倒そうと思えば踏み倒せるような約束だった。
 実際、リィンも本気でレイカから報酬を受け取ろうとは思っていなかった。
 踏み倒されても仕方がないくらいの気持ちで、レイカの依頼を引き受けたのだ。
 それを忘れることなく払いにきたと言うのだから、律儀な奴だと感心したのだろう。

「そう言えば、身体で払うとか言ってたな」
「――!? あ、あれは言葉の綾で……!」
「冗談だ。真に受けるな」

 からかわれたのだと察し、顔を赤くするも黙り込むレイカ。
 反論してもかなわないことは、先日の一件でよく理解しているからだ。
 いつもは大人びた態度で周囲を引っ張っている彼女だが、リィンの前では年相応の少女に過ぎなかった。
 だから、どうリィンに接していいか分からず、戸惑いもあるのだろう。

「だが、どうやって払うつもりだ?」
「どのくらいが相場なのか分からないから、貯金を全部おろしてきたわ」

 そう言って、お金の入った封筒を差し出すレイカ。
 なかには、日本円で百万ほど入っていた。学生にしては大金だ。
 アイドルをしていると言う話だし、コツコツと貯めた金なのだと察しは付く。
 しかし、

「相場は最低これだけだ」

 五本の指を立てるリィン。一本で百。ようするに五百万が最低ラインだった。
 リィンとシズナの実力を考えれば、むしろこれでも安い方だと言える。
 本来、異界を攻略するにはゾディアックの基準で言えば、最低でも一個小隊を投入する必要があるからだ。
 しかも、グリムグリードの迷宮ともなれば、更に多くの戦力が必要となる。
 一度の攻略で億単位の金が動くこともあるのが、異界攻略の実情だった。
 それをたった二人で攻略できる戦力だ。普通に雇おうと思えば、五百では済まない。
 相手が北都であれば、この十倍は吹っ掛けているだろう。

「ご、五十万?」
「五百だ。言っておくが、これでも最低限の金額だ。高位の猟兵団を雇おうとすれば、一億ミラを超えることもあるからな」
「猟兵団? ミラ?」
「ああ、傭兵のようなものだと思えばいい。金額は十億円ってところだな」
「じゅ、十億!?」

 単純に比較はできないが、物価などを考えれば一ミラ十円程度だろうと言うのが、リィンの見立てだった。
 暁の旅団で仕事を受けるなら、最低数千万から一億ミラ以上。
 任務の危険度によっては、それ以上の費用を請求することもある。
 実際、クロスベルとの契約では、年に十億ミラ以上もの報酬を得ていた。
 いまのリィンとシズナは団を率いている訳ではないが、それでも最強格の猟兵を雇おうとすれば、数百万ミラは掛かる。日本円で数千万からと言ったところだ。
 命懸けの仕事であることを考えれば、決して高い金額とは言えない。
 そしてリィンも報酬を受け取る限りは、安売りをするつもりはなかった。

「というか、あなたたちって傭兵だったの? 普通じゃないとは思ってたけど……」
「そう言えば、話してなかったな。まあ、いまは〈裏解決屋〉を名乗っているが――」
「裏解決屋?」
「裏のなんでも解決屋ってところだ」

 よくは分からないが、普通じゃないことだけはレイカにも察することが出来た。
 自分たちが必死に捜しても見つからなかったリオンを、たった一日で捜し出したのだ。
 間違いなく凄腕なのだろうと言うのは察しが付く。
 とはいえ、

「さすがに五百万は……」

 五百万と言うのは、レイカにとって手の届かない大金だった。
 アイドルと聞くと華やかな世界に思えるが、実際には給料制でそれほど多くの金額を貰っている訳ではないのだ。
 百万も二年の間、コツコツと貯金したものだった。

「だから無理するな。本気で子供(・・)から金を取ろうとは思っていないしな。それにアスカが助けに入らなければ、見捨てていただろう。今回のは、ただの気まぐれ。運が良かっただけだと思って、もう俺たちに関わるな」

 レイカが無理をしていると言うのは、リィンも察していた。
 だから、ここらが落としどころだろうと提案する。
 元々、レイカから報酬を受け取るつもりなどなかったからだ。
 リオンを連れて帰ると約束はしたが、きちんと契約を交わした訳ではない。
 リィンのなかでは、仕事として引き受けたと言った認識ではなかったのだろう。
 しかし、

「子供だからってバカにしないで! プロなら報酬をちゃんと受け取りなさいよ!」

 レイカは怒りを顕わにする。
 リィンが気を遣ってくれているのだと分かるが、それでも子供扱いされて黙っていることは出来なかった。
 確かにまだ学生だし、年齢から言えば子供と言われても仕方がない。
 だけど、本気でアイドルをやっているのだ。お金の重みはよく分かっている。
 だからこそ、子供からは受け取れないと言う理由で、報酬の受け取りを拒否されるのは納得が行かないのだろう。

「リィンの負けだね」

 レイカの方に分があると察したシズナは、クスクスと笑う。
 ここまでレイカが怒ると思っていなかったリィンは、

「悪かった」
 
 自分の失言を認め、謝罪する。
 正直、レイカのことを舐めていたと言うのは本音にあるからだ。
 とはいえ、

百万(これ)で勘弁してやると言っても納得しなさそうだな」
「当然でしょ? 足りない分は、から……働いて返すわ」

 また身体と言いそうになって赤面するレイカに、やれやれとリィンは溜め息を漏らすのだった。



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