「なるほどな。それで、助手を雇うことにしたってことか」
また新しい女を引っ張り込んだのかと思った、と笑えないジョークを口にするエイジにリィンは「そんな訳あるか」と呆れる。
リィンに電話で相談を持ち掛けられてマンションに足を運んでみれば、見知らぬ女子高生がいたのだ。エイジが勘違いするのも無理はない。
「新しい女って……まさか、シズナさん以外にもいるの?」
二人分の飲み物をテーブルに置きながら、訝しげな視線をリィンに向けるレイカ。
なんとなくリィンとシズナの関係は察していたが、他にも女がいるとは思っていなかったのだろう。
「俺が傭兵をやっていることは話しただろう? エイジが言っているのは団の仲間だ」
すべてを話してはいないが、嘘は言っていない。
シャーリィが〈暁の旅団〉の団員であることは間違いないからだ。
それに恋人かと問われると、エリィやアリサと違ってシャーリィのことはリィンにもよく分からなかった。
リィンとの子供が欲しいと言いながら、恋人のような関係を望んでいる訳ではないからだ。
いまだにリィンに勝つことを諦めていないくらいだ。本気でリィンとの殺し合いを望んでいる。
その辺りの価値観や常識は猟兵らしいとも言えるが、どちらかと言えばオルランド一族に流れる狂戦士の血が原因なのだろうとリィンは考えていた。
「それって、アリサのこと?」
「違う。アリサじゃなくてシャーリィだ。十年前のことは話しただろう」
「ああ、そっちね。恋人の話をしてるから、アリサのことかなって」
「シャーリィ? アリサ?」
背中に突き刺さる視線に気付き、しまったと冷や汗を滲ませるリィン。
狙ってやった訳ではないのだろうが、シズナの誘導尋問に引っ掛かってしまったと気付いた時には遅かった。
「べ、別にリィンが誰と付き合っていようと、私には関係ないし……」
そう言いながらも気になっている素振りを見せるレイカに、やれやれとリィンは溜め息を漏らす。
リィンは決して鈍くない。レイカが自分に好意を寄せていることくらいは気付いていた。
だから、シズナ以外にも女がいると言う誤解を解こうとはしない。それで諦めてくれるのであれば、その方がレイカのためだと思っているからだ。
ちなみにレイカがリィンのことを名前で呼んでいるのは、慣れない様子で『クラウゼル所長』と呼ぶレイカに対して、畏まる必要はないとリィンが名前で呼ぶことを許可したためだ。
エイジを呼んだのは、その件もあってのことだった。
「それで、電話で相談した件はどうなった?」
「ああ、手頃な物件を幾つか見繕ってきた」
そう言って、机の上に不動産の資料を広げるエイジ。
机の上に並べられた資料を見て、レイカは不思議そうに尋ねる。
「引っ越すの?」
「いや、事務所を借りるだけだ」
エイジに事務所に使えそうな物件はないかと相談したのだ。
シズナと二人だけなら必要はないが、
「もしかして、私のため?」
自分のことだけにレイカも察したのだろう。
「学校や事務所にアルバイトのことを尋ねられても、少しは言い訳がつくだろう」
うら若き女子高生が、それもアイドルが男のマンションに出入りしているというのは外聞が悪い。
バレなければ良いと言う話ではないし、せめて体裁くらいは整えておく必要があると考え、事務所を借りる決断をしたのだ。
表向きは探偵の助手と言うことにしておけば、少しはマシと考えたからだ。
「ごめんなさい。なんか、余計に迷惑をかけちゃったみたいで……」
「気にするな。そろそろ頃合いだと思っていただけだ」
殊勝な態度を見せるレイカに、気にするなと答えるリィン。
これも嘘を言っている訳ではなかった。
基本的にはエイジを通して依頼を受けるカタチを取っているが、世間体を考えればマンションよりも事務所をちゃんと構えておいた方が信用が違う。
面倒事を避けるためにも、こう言った体裁は必要だと経験則でリィンは知っていた。
猟兵が本業以外にフロント企業を経営しているのは資金や情報を得る以外にも、そういう表向きの立場があった方が何かと便利だからだ。
「これが良さそうだな」
一つの物件が目に留まり、こいつにするとリィンは告げるのだった。
◆
リィンが選んだのは〈さんさんロード〉にある雑居ビルだった。
さんさんロードと言うのは、杜宮市の駅から徒歩数分の距離にある商業エリアだ。
駅から近いこともあって地元の買い物客だけでなく観光客も多く訪れ、賑わっている場所だった。
リィンがこの場所を選んだ理由は、それが主な理由だ。
街の外の人間が多いため、日本人離れした容姿をしているリィンやシズナも目立つことが少ない。
それにレイカのことを考えてのことでもあった。
賑わっている場所ならエイジの組の事務所がある蓬莱町という選択肢もあるが、夜の店が多く建ち並ぶ繁華街と言うこともあって学生が出入りするには悪目立ちする。商店街やレンガ通りも人通りは多いが、利用客のほとんどは地元の人間だ。そんなところに事務所を構えれば、すぐに噂となるだろう。
だからと言って人通りの少ない場所を選べば、それはそれで妙な噂を呼び、痛くない腹を探られる恐れもある。
このくらい適度に賑わっていて外部の人間が出入りしても不思議ではない場所の方が、かえって目立たないと考えた訳だ。
「表通りからは少し外れてるけど、駅にも近いし良い立地ね。でも、普通ビルごと借りる? 毎月のテナント費だけでも、バカにならないんじゃない?」
「いや、借りたんじゃないぞ」
「え?」
「エイジには購入を打診した。都合良くテナントも全部空いてたしな」
「か、買った!? ビルを!」
五階建ての小さなビルとはいえ、借りたのではなく買ったと聞かされて驚くレイカ。最低でも数億はくだらないと想像が付くからだ。
リィンやシズナへの依頼料が高いことは知っていた。しかし、それほどの資金力があるとは思ってもいなかったのだろう。
レイカの考えが的外れと言う訳ではない。猟兵の依頼料が高額とはいえ、幾つか依頼をこなしただけではビルを購入するなど不可能だ。しかし、リィンたちが攻略した異界の数はこの三ヶ月で二桁を軽く超える。
危険度の低いものでも数百万。ものによっては一件当たり数千万の稼ぎを得ていた。買い取り先は限られるが、迷宮で取れた魔石などの素材も高値で売買されているためだ。
そう言った金がどこから出ているかと言えば、異界を利用することを目的とした組織――ゾディアック。ひいては、この街を管理する北都グループからでていた。
レイカからリィンが報酬を受け取ろうとしなかったのは、鷹羽組を通して北都から報酬が振り込まれていたからだ。
そうやって得た報酬が結構な額にまで貯まっていたことから、思い切ってビルを購入したと言う訳だ。
「まあ、金を使うこともないしな。仲間と合流した時のために拠点を確保しておきたかったと言うのもある。それに――」
「それに?」
「いや、なんでもない。それより、早速仕事をしてもらうぞ」
それにビルを借りるのではなく購入したのは理由があってのことだ。
十年前と、いまとでは状況が異なる。先のことがどうなるかは分からないが、帰還の目処が立った後もエタニア王国のように、この世界との交流を続ける可能性は低く無いとリィンは考えていた。
だから、その時のために足場を作っておきたかったのだ。実際アリサあたりなら、この世界に興味を持つはずだ。
「仕事って?」
「そんなの決まってるだろ」
あらかじめ用意してあった掃除用具一式をレイカに渡すリィン。
それが、なにを意味するのか理解できないほど、レイカは察しが悪くなかった。
しかし、リィンとシズナの仕事が傭兵と聞いていたので、どんなものかと興味と期待もあったのだろう。
気合いを入れていた分、最初の仕事が事務所の掃除では肩を落とすのも無理はない。
とはいえ、
「アルバイトをさせて欲しいって言ったのは、私の方だしね……。それで、どこから手を付ければいいの?」
仕事である以上、しっかりと文句を言わずにやるのはレイカらしかった。
リィンの指示で、バケツに水を汲みに行こうとしたところで――
「そう言えば、シズナさんは? さっきから姿を見ないけど……」
シズナの姿がないことに気付く。
ビルの前までは一緒にいたことから疑問に思ったのだろう。
「シズナなら敵襲に備えて周辺の地理を把握してくる、とか言って出掛けた」
「それ、掃除が嫌で逃げたんじゃ……」
こんなところで敵襲があるとは思えないことから、掃除が面倒で逃げたのだとレイカは察する。
「でも、二人だけで掃除をするのは大変じゃない?」
「今日一日で全部やる必要はない。取り敢えず一階の共有部とここの事務所だけ片付けたら、あとはのんびりとやるさ」
小さなビルと言っても、それなりの広さはある。
一日で全部を掃除するのは無理があることくらいリィンも分かっていた。
取り敢えず使うところだけ片付けられれば、あとはゆっくりと進めていくつもりだったのだが、
「それなら良い考えがあるわ」
なにかを思いついた様子で、レイカはリィンに提案するのだった。
◆
「レイカ先輩。こっちのモップ掛けは終わりました」
「ありがとう。これで大体、終わったわね」
レイカの思いつきと言うのは、仲間を頼ることだった。
二人だけで厳しいのなら人手を増やせばいいと考えたからだ。
「本当にアルバイト代はいらないのか?」
「ええ、みんなリオンの件で御礼がしたいって言ってたから丁度良かったのよ」
そういうことかと、レイカの話にリィンは納得する。
「あらためて、自己紹介をさせてください。天堂陽菜です」
「七瀬晶です。よろしくお願いします」
掃除が一段落付いたところで、あらためて自己紹介をする二人の少女。
いまは私服を着ているが、二人ともレイカやワカバと同じ〈SPiKA〉のメンバーだった。
「リオンのこと、ありがとうございました」
ハルナに続くようにレイカ、それにアキラとワカバも揃って頭を下げる。
それほど四人にとって、リオンは大切な仲間なのだろう。
素直に少女たちの感謝を受け取るリィン。
既に報酬を受け取っている以上は気にする必要はないのだが、それを口にするほどリィンは野暮ではなかった。
お金の問題ではなく、気持ちの問題だと理解しているからだ。
本人たちがそれで納得するのであれば、水を差す必要はないと考えたのだろう。
とはいえ、それはそれ、これはこれだ。
「手伝ってもらった礼だ。メシくらいは食っていけ」
「あ、私も手伝うわ」
そう言って、厨房へ向かうリィンのあとをレイカは追いかける。
この物件をリィンが選んだもう一つの理由が、ビルのオーナーの老夫婦が経営する喫茶店が入っていたらしくキッチンなどの設備が撤去されず、そのまま残っていたからだ。
手入れをすれば、まだ使えることが分かったので、このビルに決めたと言う訳だ。
レイカたちが掃除をしている間に、リィンは設備の点検と食材の補充を行っていた。
もっとも食材はユグドラシルの〈空間倉庫〉にいれてあったものを冷蔵庫に詰め替えただけなのだが――
「いつの間に買い出しにいったのよ……」
キッチンに並べられた食材を見て、いつの間に準備したのかと驚くレイカ。
しかし驚くのは、それだけではなかった。
「なんか、随分と手際がよくない?」
手伝いを申し出ようと思ったら、既に下拵えは済ませてあってシチューまで仕込まれていたからだ。
しかも、見る見るうちに料理が仕上がっていく様は、器用というレベルではなかった。
「……本業は料理人じゃないの?」
「料理は趣味だ」
とても趣味のレベルに思えないことから、訝しげな視線をリィンに向けるレイカ。
店の外にまで良い匂いが漂い始めると――
「ただいま。良い匂いがするね。今日の晩ご飯はなに?」
良いタイミングで、シズナが姿を見せるのだった。
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