杜宮市から電車で片道一時間ほど行ったところに〈朱坂〉と呼ばれる街がある。
東亰の郊外に位置する杜宮と違い都市の中心地にあり、オフィスビルや商業施設が集中するビジネス街として知られている他、高級マンションが建ち並ぶ高級住宅地としても有名な街だ。
そんな資本主義の象徴とも言える街の一角に、最近話題のアイドルグループ〈SPiKA〉が所属する芸能プロダクションの事務所があった。
「ごめんなさい! みんなに心配をかけて、アタシ……」
深々と頭を下げる桜色の髪の少女。山吹色のベストに黒のノースリープ。それに動きやすいショートパンツと、活動的な印象を受ける服に身を包んだ彼女の名は、久我山璃音。〈SPiKA〉の起ち上げに関わった一期メンバーで、レイカやハルカの同期だ。
そして、コウやアスカと同じ杜宮学園に通う二年生でもあった。
「本当よ。スランプで悩んでいるのは察していたけど、倒れるまで練習して病院に運ばれるなんて呆れるわよ」
「うん……ごめん」
杜宮市内の病院に運ばれたリオンだったが異界のことは伏せられ、倉庫街で倒れているところを発見されて病院に運ばれたと言うことになっていた。
原因は極度の疲労と衰弱。自主練をしていたら意識を失い、倒れているところを発見されて病院に搬送されたという筋書きだ。
とはいえ、
(結局、リィンも詳しいことは教えてくれなかったけど……なにはともあれ、無事でよかったわ)
そんな話を鵜呑みにするほど、レイカはバカではなかった。
リィンたちが裏稼業の人間――猟兵だと知った今では、リオンが何かの事件に巻き込まれたのだと察するのは難しくないからだ。
そのため、本当のことを教えてくれとレイカはリィンに迫ったのだが、「時期を見て話す」と言われただけで真相は伏せられていた。
「気持ちは分かるけど、そのくらいで。こうして無事に帰ってきてくれたことを、いまは喜びましょう」
そう言って手を叩きながら、二人の間に割って入るハルカ。
レイカなりの叱咤だと分かっているが、病み上がりのリオンを気遣ったのだろう。
それに今回のことはリオンの調子が悪いことに気付きながら、なにも出来なかったリーダーの自分にも責任があるとハルカは感じていた。
「それで……レイカが探偵に依頼して、アタシを捜してくれたって聞いたんだけど……」
「そんなに大層なものじゃないわよ。ちょっとした知り合いに探偵業をやっている人がいて、捜索を依頼しただけだしね」
恩に着せるほどのことはしていないと、レイカは答える。
本当はリィンに借金をしているのだが、そのことを口にするつもりはなかった。
しかし、
「その人のこと、アタシにも紹介してくれないかな?」
「はい?」
食い下がるリオンに、レイカは訝しげな視線を向ける。
自分の知らないところで、やはりリィンとなにかあったのではと勘繰ったからだ。
「ちゃんと御礼を言いたくて……助けてもらった訳でしょ?」
だが、そう言われるとレイカも断り難そうな表情を見せる。
発見が遅れていれば、もっと大変なことになっていたかもしれない。
助けてもらった御礼を言いたいと思うのは、おかしなことではない。
筋は通っているからだ。
「いいんじゃない? 帰りにでも案内してあげたら――」
「……ハルカも知ってるの?」
「ええ。レイカに誘われて、御礼をかねて全員で挨拶に伺ったことがあるから」
「うん……まさか、掃除を手伝わされると思ってなかったけど……」
「でも、お料理は美味しかったよね? あんなに本格的なコース料理が出て来ると思わなかったけど……」
ハルカ、アキラ、ワカバの話を聞いても状況が理解できず、首を傾げるリオン。
全員で御礼を言いに行ったと言うのは理解できるが、掃除と料理が繋がらなかったからだ。
「まあ、とにかく変わった奴なのよ。会えば分かる……としか言えないわね」
上手く説明することが出来ず、レイカは帰りにリィンの事務所まで案内することを約束するのだった。
◆
同じ頃――
「ごめんなさい!」
さんさんロードにある事務所で、ソファーに腰掛けるリィンに頭を下げるアスカの姿があった。
「はあ……顔を上げろ。先日の件なら別に気にしていない」
「ですが……リィンさんの考えを察することも出来ず、あまつさえシズナさんに剣を向けて……」
リオンの無事を知り、リィンの真意を悟ったことで激しく後悔しているからだ。
「こんなことでは、プロ失格ですよね……」
「そうだな。冷静さを欠いたのは経験の浅さが原因だろうが、あの状況で勝てないと分かっている相手に挑むのは勇気ではなく、ただの蛮勇だ」
「う……」
「まあ、年相応と言ったところか」
いつもなら、こんなことを言われたら反発しているところだが、アスカは何一つ言い返すことが出来なかった。
自分のしたことの愚かさに気付いているからだ。
冷静に考えれば察することは出来たはずなのに、頭に血が上って何も見えていなかった。
リィンを信じ切ることが出来なかった。
それが、後悔となってアスカにのし掛かる。
「いじめるのは、そのくらいにしてあげたら? 反省してるみたいだし」
「別にいじめてる訳じゃ……」
「年相応だって、リィンも分かってるんでしょ? なら、求めるハードルが高すぎるんじゃない? 団の一員ならまだしも、彼女は猟兵じゃないんだし」
シズナの言うように、アスカは猟兵ではない。
リィンの言いたいことは理解できるが、いまのアスカにそこまで求めるのは酷だとシズナは考えていた。
「最悪の結果を招くことになってもか?」
「そうさせないために、私たちがいるんじゃないの?」
そう言われると、リィンもなにも言えなかった。
裏には裏の人間が対処すればいいだけだ。
アスカも裏の人間ではあるが、人間ではなく怪異と戦うことを専門とする執行者だ。
シズナの言うように、求めるハードルが高すぎると言うのは納得の行く話ではあった。
とはいえ、
「本音は?」
「アスカの成長は楽しみだけど、おもしろそうな敵を譲るのはちょっとね」
シズナの目的は別のところにあると、リィンは気付いていた。
大方、先日覗き見していた連中のことを気にしているのだと察したのだ。
あれから気配を感じることはないが、なにかを企んでいることは間違いない。
だから、折角の獲物を誰にも譲りたくはないのだろう。
「それって、こちらを監視していた相手のことですか?」
「ああ、あれから視線を感じることはないがな」
アスカも気になっていたのだろう。
自分たちを監視していたという相手の正体が――
少なくともネメシスの可能性は低いと考えていた。
人員に余裕がないから、経験の浅いアスカが派遣されてきたのだ。
そんな状況で、なんの連絡もなく新たな人員が送り込まれてくるとは考え難い。
だとすれば、ゾディアックもしくは聖霊教会の可能性が考えられるが――
「そのことと関係しているのかは分かりませんが、リィンさんに相談というか、お願いがあるのですが……」
「お願い?」
「はい。実は――」
北都グループの令嬢から頼まれたのだと、アスカは話す。
北都美月。杜宮学園の生徒会長にして日本有数の大企業〈北都グループ〉の令嬢だ。
そして、ゾディアックの関係者でもあった。
コウやリオン共々、世話になったこともあり、断れなかったのだろう。
「個人的に依頼したい仕事があるそうです。それで、学園にまでご足労願えないかと」
「北都のビルじゃなくて、学園に?」
仕事を依頼するのであれば、こんなことをせずともエイジに仲介を頼むか、北都のビルに呼び出せばいいだけの話だ。
もしくは事務所に直接足を運ぶと言った手もあるだろう。
なのに態々、学園を指定したことにリィンは違和感を覚える。
(なにかを警戒しているのか?)
そのことから、何かを警戒しているのではないかとリィンは考える。
個人的に――という言葉も引っ掛かる。
遠回しに組織の力を借りたくはないと言っているように聞こえたからだ。
もし、そうなら――
「どうするの? リィン」
「取り敢えず、会ってみるか。例の件と関係がありそうだしな」
何か分かるかもしれないと、リィンは誘いに乗ることにするのだった。
◆
「……留守みたいね」
インターフォンを鳴らしても、誰も出て来ないことから留守だと察するレイカ。
扉に備えつけられた銀色のプレートがリオンの目に留まる。
「クラウゼル解決事務所? クラウゼルって、外国の人なの?」
「ああ、そう言えば話してなかったわね。たぶん……そうだと思うわ」
「たぶん?」
リオンの質問に、曖昧な答えを返すレイカ。
リィンたちが何者なのかという質問に答えられるほど、リィンたちのことを知っている訳ではないからだ。
「日本語は通じるから心配は要らないわ」
「そういう心配をしている訳じゃないんだけど……」
薄らとではあるが、異界での記憶がリオンには残っていた。
リィンに会わせて欲しいとレイカに頼んだのも、御礼がしたいと言う以外に訊きたいことがあったからだ。
とはいえ、そのことをレイカに話すことも出来ず、リオンは話を逸らす。
「携帯の番号とか、知らないの?」
「……いろいろとあって聞き忘れてたのよね」
「レイカにしては珍しいミスね」
しっかりとしているレイカにしては、珍しいと不思議に思うリオン。
それに――
「知り合いって言ってなかった?」
「……ちょっとしたって頭に付けたでしょ。いろいろとあるのよ」
知り合いと言っていた割には、電話番号も知らないことに疑問を持ったのだろう。
「仕方ないわね。もしかしたらマンションの方にいるかもしれないし、そっちに……」
「家に行ったことがあるの?」
「あ……」
失言だったことに気付くレイカだったが、遅かった。
リオンに訝しげな視線を向けられ、どう説明したものかと困った様子を見せる。
ちょっとした知り合いと言っておいて、電話番号も知らないのに家へ行ったことがあると言うのは疑問に思われても仕方がないからだ。
(リィンの所為で調子が狂ってばかりだわ……)
これと言うのも、全部リィンの所為だと理不尽なことを考えるレイカ。
いろいろとあって気が回らなかったと言うのもあるが、リィンを前にするといつもの調子がでないためだ。
「おや、キミたちは……」
事務所の前で話をしていると、後ろから声がして振り返るレイカとリオン。
「やあ、僕のことは覚えているかな?」
「あ、確か御厨グループの……」
仕立ての良い紫色のスーツを着た男性を見て、慌てて頭を下げるレイカに釣られてリオンも頭を下げる。
見覚えのある人物だったからだ。男の名は御厨智明。御厨グループの御曹司であった。
近々アクロスタワーでデビュー三周年を祝う〈SPiKA〉の記念ライブが開かれる予定となっているのだが、そのスポンサーになっているのが御厨グループだった。
だから顔を合わせたことがあったのだろう。
「どうして、ここに?」
「ああ、腕の良い探偵がいると聞いて少し相談したいことがあってね。しかし、その様子だと留守みたいだね。キミたちこそ――」
どうして、こんなところに?
と、人当たりの良い笑みで、智明は二人に尋ねるのだった。
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