「よかったですね。綺麗な婚約者が出来て」
どことなく棘のある言葉を背中から掛けられ、リィンは深々と溜め息を吐く。
アスカが不機嫌な理由を察せられないほど、リィンは鈍くないからだ。
とはいえ、
「分かっていて言ってるだろう? その気は無いから安心しろ」
「べ、別にリィンさんが誰と付き合おうと、私には関係ありませんけど……」
そう言いながらもアスカの目は泳いでいた。
気にしているのが、はっきりと態度にでている。
「でも、こんな依頼をリィンが引き受けるなんて珍しいね。あ、そうでもないのかな? 皇女殿下や大公女からの依頼も引き受けていたし、プリンセスキラーって呼ばれているくらいだしね」
「皇女殿下? 大公女? プリンセスキラー?」
折角丸く収まりかけていたのに話を蒸し返すシズナを、リィンは睨み付ける。
プリンセスキラーなんて不名誉な二つ名で呼ばれているのは確かだが、自分から望んだ結果ではないからだ。
しかし、シズナも〈斑鳩〉の団員や故郷の人々から『姫』と呼ばれていることを考えれば、この話も満更間違っているとは言えなかった。
それにリベール王国のクローディア王女や、ロムン帝国の第四皇女グリゼルダの件もある。
リィンがなにも言い返せないのは、不可抗力とはいえ自覚はあるのだろう。
「……リィンさん」
蔑むような訝しむような視線をアスカに向けられながらも、リィンは気付かないフリをしてビルの中に入る。
下手な言い訳は問題をややこしくするだけだと悟ってのことだ。
「ん?」
ビルに入ってすぐ、なにかに気付いた様子を見せるリィン。
「足跡だな。それも複数人……二、いや……三人か?」
磨き上げられた床の上に、自分たち以外の足跡を見つけたのだ。
余程、注意を配らなければ見落とすような薄い痕跡だが、リィンは正確に人数までを読み取る。
このビルには、リィンの事務所しか入っていない。それに広告を打っている訳でも、外に看板をだしている訳でもないので、ここに解決屋の事務所があることを知っている人間は限られる。
ましてや引っ越してきたばかりだ。
事務所のことを知っているのは関係者だけと言ってもよかった。
「侵入者……ですか。誰かが間違って迷い込んだ可能性はありませんか?」
「足跡はまっすぐ事務所の扉の前まで続いている。そこから引き返しているところを見ると、その可能性は薄そうだな」
「なら、この間の子たちじゃない?」
シズナが〈SPiKA〉のことを言っているのだとリィンは察する。
しかし、
「男の足跡がある」
「男の足跡……ゴトウさんでしょうか?」
「いや、違うな」
足跡を見れば、大凡の察しは付く。
足跡のカタチ、歩幅、歩き方。そう言ったものから個人を特定することは難しくないからだ。
明らかにエイジのものとは違っていた。しかし、他の足跡には見覚えがある。
「他の足跡はシズナの言うとおり、レイカのもののようだ。もう一人は分からないが、たぶん〈SPiKA〉のメンバーだろう」
足跡からレイカのものだと、リィンは当たりを付ける。
そして、もう一つの足跡は、恐らく〈SPiKA〉のメンバーのものだと察する。
「〈SPiKA〉……リオンさんでしょうか? なら、男の足跡と言うのは彼女のマネージャーさんでは?」
アスカの言うとおり、普通に考えればその可能性は高い。
レイカから話を聞き、御礼をしに来たと考えれば説明は付くからだ。
しかし、
「におうね。リィンも気になってるんでしょう?」
シズナの言うように嫌な予感がする。
リィンが険しい表情を浮かべているのも、それが理由だった。
だとすれば――
「アスカ。ミツキに連絡を取ってくれ」
「リィンさん、まさか……」
リィンは自分の勘を信じて、ミツキに連絡を取るようにとアスカに頼むのだった。
◆
「確認を取りましたが、朱坂の事務所をでてからの足取りが掴めていません」
そう話すのはミツキの専属秘書、雪村京香だ。
眼鏡をかけたスーツ姿のクールビューティーと言った例えが似合う女性で、立ち居振る舞いからも只者では無い雰囲気を纏っていた。
調査した結果、如月怜香。そして、久我山璃音の二人の足取りが掴めていないことをキョウカは報告する。
「申し訳ありません。まさか、このようなことになるとは……」
頭を下げ、謝罪するミツキ。
いまミツキとキョウカは、さんさんロードにあるリィンの事務所を訪れていた。
アスカから連絡を貰い、調査した結果をリィンに伝えるためだ。
レイカとリオンがいなくなった。
それだけであれば、ミツキが謝罪するようなことではない。
しかし、これは――
「その反応、やはり情報が漏れている可能性が高いみたいだな」
「……はい」
自分たちの不手際である可能性が高いと、ミツキは考えていた。
余りにタイミングが良すぎるからだ。
リィンが事務所を留守にしている間に起きた犯行。そして、リィンを学校に呼び出したのはミツキだ。
自分が疑われても仕方のない状況。だとすれば、北都から情報が漏れたと考える方が自然だった。
「ですが、情報が漏れるのを警戒して柊さんに伝言を頼みました。なので、このことを知っている人物は限られます。キョウカさん」
「はい、既に二人まで絞り込めています。こちらが、その資料です」
そう言って、鞄から取り出した写真付きの資料を机の上に置くキョウカ。
そこには、身形の良い二人の男の写真が添えられていた。
「恐らく、今回の件には叔父が関わっています。そして、もう一人……」
恰幅の良い四十くらいの男が、ミツキの叔父だとリィンは察する。
もう一人、髪を掻き分けるようなポーズを決める男性の写真があった。
「御厨智明。御厨グループの御曹司で、私の婚約者候補に名乗りを挙げていた男性です」
やっぱりそこに繋がるのかと美月の話を聞き、リィンは溜め息を漏らす。
北都グループの内輪揉めには興味がない。
しかし、リィンがミツキの依頼を引き受けた理由は別にあった。
それは先日のグリムグリードの一件が、北都の後継者問題と関係している可能性が高いことが分かったからだ。
「俺をダシに使って炙り出そうとしていた相手か」
「はい。まさか、先手を打たれるとは思ってもいませんでしたが……」
苦虫をかみつぶしたような表情を見せるミツキ。
それほど、今回の一件は彼女にとって想定外の出来事だったのだろう。
「御厨は〈ゾディアック〉の代表企業に名を連ねてはいないものの〈北都〉に次ぐ力を持つ国内有数の企業です。恐らくは叔父と結託して〈ゾディアック〉の代表企業の座を狙っているものかと……」
「十二の企業が〈ゾディアック〉を代表しているんだったか? でも、そんなことが可能なのか?」
「過去にも何度か入れ替わりを繰り返しているので、不可能とは言えません。恐らく叔父は〈北都〉を売るつもりなのかと……」
「北都の人間が、自分の家の会社を裏切るのか?」
「過去にいろいろとあって叔父は祖父との折り合いが悪いので……後継者の候補からは完全に外されています。なので……」
動機は逆恨みのようなものかと、リィンは大凡の事情を察する。
だとすれば、御厨の御曹司をミツキの婚約者に推した狙いも察せられる。
北都グループを分断し、御厨グループに吸収させることが目的だったのだろう。
「ですが、婚約の話は父と母がきっぱりとお断りしたらしく……」
「計画が思うように行かず困っていたところに、俺たちが現れたと言ったところか」
「……はい」
恐らく十年前のことも知っているのだろうと、ミツキの話からリィンは察する。
これだけ情報が漏れているのだ。リィンたちのことを知っていても不思議ではない。
「御厨は霊子関連の研究を行っていましたから、それで久我山さんに目を付けたのだと思います」
天使憑き――リオンの魂には、天使のグリムグリードが融合していた。
恐らくそのことを御厨グループは――トモアキは知っていたのだろうとミツキは話す。
だから利用した。
リィンたちの力を確かめるために、リオンを利用して事件を起こしたのだ。
グリムグリードが発生するほどの事件が起きれば、リィンたちが動くはずだと考えたのだろう。
そして、その通りになった。
「だが、それならもう目的は達したはずだ。どうして、あの二人を狙った?」
「お二人を味方に引き込むのは難しいと判断したのではないかと……」
「だから人質にってか? バカなのか?」
懐柔が目的であれば、悪手としか思えない。
相手が猟兵なら、まずは十分な報酬を用意して依頼を試みるべきだ。
最初から無理だと交渉を諦めて、人質を取るなど愚策でしかない。
リィンが呆れるのも無理はなかった。
「シズナ」
「了解。今回は手加減抜きでいいよね?」
「ま、待ってください!」
慌てて、リィンとシズナを制止するミツキ。
二人が身に纏う雰囲気から冗談とは思えなかったからだ。
「相手の狙いは、お二人を表に引き摺り出すことだと思われます。十年前の真実を白日の下に晒し、北都グループを糾弾するのが狙いです。ですから――」
「大人しくしていろと? それは北都の都合だろう?」
リィンに睨まれ、なにも言い返せずに息を呑むミツキ。
「うちのアルバイトに手をだしたんだ。ケジメをつけさせる」
「そう言うこと。舐められたら終わりの商売だしね」
リオンのことで怒っているのではない。
アルバイトとはいえ、いまのレイカはクラウゼル解決事務所の一員だ。
仲間に手をだされて黙っているほど、猟兵は甘くなかった。
「リィンさん」
「アスカ、お前も止めるつもりか?」
「いいえ、先日の件で学びましたから……なので、一緒に行かせてください」
アスカからの思ってもいなかった申し出に、目を丸くするリィン。
てっきり、ミツキと一緒になって止めてくるものとばかりに思っていたからだ。
「でしたら、私もご一緒します」
「お嬢様!?」
「こうなった責任は私たちにあるわ。それに止められないのなら被害を最小限に食い止める責任が、私たちにはある。そうでしょ?」
ミツキにそう言われると、キョウカは反対できなかった。
組織内に裏切りものがいたとはいえ、情報の漏洩は自分にも責任があると思っているからだ。
「リィン、どうするの?」
どことなく楽しそうに尋ねてくるシズナに、やれやれとリィンは肩をすくめる。
ダメだと言ったところでアスカはついてくるだろうし、ミツキも諦めるとは思えない。
なら――
「いいだろう。だが、俺のやり方に従ってもらう」
いっそのこと利用してしまおうと、リィンは考えるのだった。
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