「ここは……」

 困惑を隠せない様子で、周囲を見渡すミツキ。
 トモアキが大きな時計のようなものを胸元から取り出したかと思うとリオンが暴走し、周囲の景色が一変したのだ。
 まるで天地がひっくり返ったかのような光景。
 雲海の上にキューブ状の足場が浮かび、遥か上空にまで続いている。
 驚くのも無理はない。こんなものは迷宮でもありえない。いままでに見たことの無い光景だった。

「まさか、異界化(イクリプス)……でも、どうしてこんな……」
「あの導力器(オーブメント)の力だ」

 やれやれと溜め息を溢しながら、ミツキの疑問にリィンは答える。
 この景色。そして、トモアキの持っていた導力器に見覚えがあったからだ。

「オーブメントですか? それは一体……」
「これと同じものだ」

 そう言って、懐から〈ARCUS〉を取り出すリィン。
 それを見て、ミツキは――

「……サイフォンですか?」
「そう言えば、こっちにも似たようなものがあったな。まあ、そんな感じのものだ。あのボンボンが持っていたのは、かなりの年代物だがな」

 サイフォンと言うのは、こちらの世界で普及している情報端末のことだ。
 通話やメール以外にも多彩なアプリのインストールやネットワークへの接続が可能で、リィンたちの世界で言うところの戦術導力器(オーブメント)に近い機能を有していた。
 似ているのは、それだけではなく――

「そのサイフォン。異能者だけが使える機能があるだろう」
「え……どうして、それを……」
「十年前、開発に協力させられたからな」

 リィンたちから得たデータや技術を使って完成したのが、いまのサイフォンだった。
 だからソウルデヴァイスを強化したり、身体能力を向上させたりと言った機能がサイフォンには組み込まれている。
 それを開発したのが、ネメシス――アスカの父親だからだ。

「そう言った技術の原型(・・)になったものだな。あいつが使ったのは……」

 そして、トモアキが使っていた導力器についてもリィンは察しが付いていた。
 導力革命の折に作られた導力器の原型となったもの。
 クロード(・・・・)エプスタイン(・・・・・・)が残した遺産の一つだと――
 
「どうして、そんなものを彼が……」
「ああ……それは……」

 思い当たることがあるようで、どこかバツの悪そうな表情を見せるリィン。
 そんなリィンの反応を見て、なにかあるのだと察してミツキは訝しむ。

「話してください」
「……あれは俺の落としものだ」

 そして、強い口調で尋ねると観念した様子でリィンは答えた。
 
「落とし物ですか?」
「ああ、こっち(・・・)にきたのは事故みたいなものでな。その時に落としたんだ。一応、探してはいたんだが……」

 まさか、あの男が持っているとは思ってもいなかったとリィンは肩をすくめる。
 すべてを話してはいないのだろうが、少なくとも嘘は言っていなさそうだとリィンの態度からミツキは察する。
 だとすれば――

「この状況はリィンさんの所為だとも言えますね」
「ぐ……」

 トモアキが諸悪の根源であることに変わりは無い。
 しかし、その導力器がなければ、あそこでトモアキは捕まって事件は解決していたのだ。
 このような状況を招いたのは、リィンの責任と言えなくもなかった。
 その自覚はリィンにもあるのだろう。それだけに反論が出来ない。

「……なにが望みだ?」
「いえ、リィンさんを責める気はありませんよ? そもそも今回の事件の原因は、叔父と御厨の暴走にありますから」

 そう言って強かな笑みを浮かべるミツキを見て、リィンは観念する。

「分かった。この件で、北都の責任を追及するつもりはない」

 この辺りが手打ちだろうと悟ったからだ。
 すべてミツキの叔父とトモアキがやったことにして、お互いに責任を追及しない。
 その代わり、オーブメントのことも聞かなかったことにする。
 そうミツキは言っているのだと、察してのことだった。
 
「やれやれ……」

 ミュゼやアリサを相手にしているみたいだと、疲れた表情で溜め息を溢すリィン。
 交渉相手と言う意味では、この二人が一番厄介だとリィンは思っていた。
 エリィとアルフィンはまだ甘いところがあるが、ミュゼとアリサは少しでも隙を見せると、そこを容赦なくついてくる怖い一面があるからだ。
 鉄血宰相にも匹敵する稀代の指し手に、天才的な技術者の孫にして経営者の母を持つ若き女社長。
 その二人と同じ強かさを、リィンはミツキから感じていた。
 同行を願いでたのも、そう言った思惑もあったのだろうと、いまなら分かる。

「ところで、これからどうしましょうか?」
「ソウルデヴァイスは召喚できるか?」

 リィンに言われ、ミツキは思い出したかのように意識を内側に向ける。
 すると眩い光を放ち、ミツキの手には身長ほどある長杖が握られていた。

「大丈夫そうです」
「ロッドタイプのソウルデヴァイスか。魔法が使えたりするのか?」
「はい。砲撃タイプの魔法と、障壁を張れる程度ですか……」
「そう言えば、結界を使ってたな」

 ミツキが結界で身を守っていたのを思い出し、納得した様子を見せるリィン。
 導力魔法のように広く普及している魔法技術はないとはいえ、この世界にも魔術は存在する。
 恐らくミツキのソウルデヴァイスは、そう言った力を増幅する効果があるのだろうと察したのだ。

「なら、自分の身くらいは自分で守れるな?」
「はい。足手纏いには、ならないつもりです」

 力強く答えるミツキに「上出来だ」と言って、頭をポンポンと軽く撫でる。
 そして、

「いくぞ。さっさと、この茶番を終わらせる」

 リィンの言葉を合図に、迷宮の攻略を開始するのだった。


  ◆


「ん……ここは……」
「あ、起きたみたいだね。おはよ」
「……シズナさん(・・・・・)?」

 レイカが目を覚ますと、シズナの姿があった。
 状況が呑み込めず、何度も瞬きをするレイカ。
 そして、

「な、なによ――これええええええ!?」

 驚きを隠せない様子で、大声で叫ぶ。
 状況を確認するために周囲に目をやると、目に飛び込んできた景色が余りに現実離れしていたからだ。
 まだ夢でも見ているのかと、頬を抓るレイカ。
 しかし、痛みはある。紛れもなく、目の前の光景は現実だった。

「はじめてだと驚くよね。うん、分かるよ」

 さも当然と話すシズナに、レイカは訝しげな視線を向ける。
 異常な状況だと言うのにシズナが冷静なことから、なにか知っていると察したからだ。

「……説明してもらえますか?」

 なので、説明を求める。
 それも当然かと考えたシズナは――

「誘拐されたことは覚えてる?」

 レイカの問いに答えるのだった。


  ◆


「異界……それに迷宮と怪異……。そんな漫画やアニメみたいなことが現実にあるなんて……」

 話を聞いても、信じがたいと言った表情を見せるレイカ。
 それも無理のないことだった。明らかに現実離れした話だったからだ。
 これまで異能と関わってこなかった一般人からすれば、信じられないような話だった。
 しかし、

「やっぱり、信じられない?」
「……いえ、信じます」

 この光景を前にすれば、信じるしかなかった。
 それに前々から薄々と気付いていたことがあるからだ。

「この景色が夢や幻だとは思えないし、それに……」

 不良たちから助けてもらった時に見たリィンの異常な力にも説明が付く。
 ここ最近、周りで起きていたおかしな出来事も怪異が関係していたと言われれば、納得が行く。
 そう話すレイカに、シズナは楽しそうに笑う。

「なにか、おかしなこと言いました?」
「ううん。リィンの周りには、面白い子ばかりが引き寄せられるなと思っただけ」
「……?」
 
 シズナの言っていることの意味が分からず、首を傾げるレイカ。
 異能と関わりの無い生活を送ってきた一般人であれば、普通はもっと取り乱すものだ。
 なのにレイカは、あっさりとこの状況を受け入れている。
 戦う力も、知識も、覚悟も、なにもない普通の少女が泣き叫ぶ訳でも動揺する訳でもなく、冷静に自分の置かれている状況を見極めていた。
 それが、どれほど凄いことかレイカは分かっていないのだろうが、シズナはその異常性(・・・)に気付いていた。
 だから、面白いと言ったのだ。

「あの……ありがとうございました」
「なんのこと?」
「シズナさんが助けてくれたんですよね?」

 レイカに感謝されて、目をきょとんとするシズナ。
 一瞬呆けるも、なんのことを言っているのか察する。
 誘拐犯から助けだしたことを言っているのだと――

「リィンも一緒だけどね」

 一応、そのことは付け加えておく。
 はぐれてしまったが、リィンも一緒だったからだ。
 リィンの名前を聞き、異界の説明を受けた時よりもあからさまな反応を見せるレイカ。
 頬を紅潮させ、どことなく挙動不審な様子が見て取れる。
 その反応を見れば、なにを考えているのかは察せられた。

「それじゃあ、行こうか」
「えっと……どこにですか?」
「勿論、迷宮の(ヌシ)を捜しに。そうしないと、ここから出られないからね」

 シズナの話を聞き、なるほどと納得した様子で立ち上がるレイカ。
 そんなレイカを見て、やっぱり面白い子だとシズナは笑みを漏らす。

「ああ、そうだ。私のことはシズナ(・・・)でいいよ。敬語もいらないからね」

 敬称は必要ないと話すシズナ。
 それはシズナが、レイカを認めた証でもあった。



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