郁島(いくしま)(そら)は〈郁島流〉と言う古流空手の家に生まれ、幼い頃から空手を習ってきた。
 本人の努力もあったが、才能にも恵まれていたのだろう。
 十年に一人の天才と呼ばれ、数多くの大会で優秀な成績を収めてきた。
 まさに空手の申し子とでも呼ぶべき格闘の天才だった。

「凄い……」

 なのに、いまソラは魅入られていた。
 リィンと兄弟子の手合わせに――
 あくまで空手のルールに則ったものだが、二人の戦いは実戦さながらの迫力があった。
 兄弟子――コウの強さは、ソラも知っていたつもりだった。
 郁島流と九重流は昔から交流があり、出稽古と称して幼い頃から何度もお世話になっていた。
 そこで知り合ったのが、コウだ。
 公式の大会でコウを見かけたことはないが、その実力は厳格なソラの父親が認めるほどだった。
 ソラも何度も手合わせをしたことがある。歳は一つ上とはいえ、同年代で自分と互角に戦える相手がいると知った時は、驚いたものだった。
 実際、同年代の大会では無敗で、ソラに敵う相手などいなかったのだから――
 だから玖州(きゅうしゅう)を離れ、遠く離れた東亰に上京してきたのだ。
 兄弟子の傍でなら自分はもっと強くなれる。そう信じて――
 父親からの勧めもあった。「若いうちに見聞を広め、己が修行の場を見出すべし」と背中を押してくれた父の言葉は、いまでも忘れられない。
 その選択は間違っていなかったと、いまでは確信している。前に会った時よりも、更にコウは成長を遂げ、強くなっていたからだ。
 それでも――

(コウ先輩……こんなにも凄かったなんて)

 自分との稽古では手を抜いていたのだろうかと思うくらいコウの動きは凄かった。
 相手も凄いが、自分をコウに置き換えた時、これほどの時間を打ち合うことができるだろうかとソラは考える。
 いまの自分では無理だと言うのが、ソラのだした結論だった。
 リィンが使っている技は間違いなく九重流の技だ。
 恐らくコウにあわせて手加減をしているのだと察せられるが、あれほどの使い手をソラは知らなかった。
 もしかしたら郁島流の師範である父や、コウの祖父――九重宗介にも匹敵するほどの達人かもしれないと、リィンの実力をソラは見抜く。
 だからこそ分かるのだ。コウの凄さが――
 簡単にあしらわれているように見えるが、あのレベルの相手に食らいつけているだけでも凄いことだと、ソラは理解していた。

「時坂くんって、こんなに凄かったの?」
「凄いなんてもんじゃないぞ。なんだ、あのスピードと動き」
「それより相手のイケメンは誰よ! あんな人、この学校にいた?」
「あなた知らないの? 新しく赴任してきた体育の先生よ。リィン教官!」

 リィン教官! と学校の道場の外から黄色い声援が飛んでくる。
 なぜ教官なのかと言うと授業でスリーオンスリーをすることになり、リィンがバスケ部の三人を一人で相手にすると言ったハプニングがあったのだ。
 自分たちよりも目立っていて、女生徒から応援されているリィンが気に食わなかったのだろう。
 リィンに勝負を吹っ掛けたのはバスケの部のエースだったのだが、三対一と言う不利な状況でリィンは完勝したのだ。
 その話を聞きつけたバスケ部の部長が、リィンにコーチをお願いすると言った出来事があった。
 その後も、水泳、剣道、陸上にバトミントンと――様々な競技で、オリンピック選手も真っ青の身体能力を見せつけたリィンは、僅か一週間で運動部から一目を置かれる存在になったと言う訳だ。
 いまでは「教官」と呼ばれ、リィンに教えを乞う学生が後を絶たない状況だ。
 リィンは少しアドバイスをしただけなのだが、この短期間で成果も出ており、日曜日にあったバスケ部の練習試合では、何度も全国大会に出ている強豪校を相手に接戦の末に勝利すると言う快挙を成し遂げていた。

「モテモテじゃないか」
「羨ましいか? なら、俺に一撃を入れてみせろ。そしたらモテモテになれるかもしれんぞ?」
「ぐ……」

 皮肉が通用しないどころか、あっさりと返され、コウはリィンの隙を窺いながら突きと蹴りのコンビネーションを放つ。
 しかし、それも読まれていたらしく、あっさりとリィンに回避される。
 こんな攻防を、既に三十分近く続けているのだ。滝のように流れ出る汗からも分かるように、コウの体力は限界に近い。

(このままじゃ、今日も一撃もいれられないまま負ける。なら――)

 体力の限界が近いと悟って、一か八かの賭にでる。
 足を使い、フェイントを織り交ぜてリィンの隙を窺うコウ。
 なにかを狙っているのだと察して、リィンは愉しげに笑みを浮かべる。

「リィン! そろそろ時間だよ。ミツキが呼んできて欲しいって」

 リィンの名を呼ぶシズナの声が道場の外から聞こえた、その時だった。

(いまだ――)

 リィンの意識が逸れた一瞬の隙を突いてコウは間合いを詰め、渾身の突きを放つ。
 だが、不意を突いたと言うのに、それもあっさりと回避される。
 しかし――

(掴んだ!)

 突きのように見せかけた一撃はフェイント。コウの狙いはリィンの腕を掴むことにあった。
 九重流柔術はその名の通り、相手の力を利用することを得意とした古流武術だ。
 相手の力を利用して投げ飛ばしたり、組み伏せたりと言った技を得意としている。
 リィンの動きは何度も目にしてきた。だから、その癖も把握している。
 こう突けば、こう動くと言ったことを何度も頭の中でシミュレーションしてきたのだ。
 リィンの腕を掴み、力に逆らわずに流れに身を任せるままコウは身体を回転させる。
 そして――道場にバアンと畳を叩く、弾けるような音が響くのだった。


  ◆


「くそ……タイミングは完璧だと思ったのに、なんで勝てないんだ」

 投げ飛ばされたのはリィンではなく、コウの方だった。
 どうして腕を掴んだ自分の方が投げ飛ばされたのか分からず、コウは頭を抱える。
 本人に聞ければいいが、リィンはシズナに連れられて既に道場を後にしていた。

「たぶん、誘われたんだと思います」

 そんなコウの疑問に答えたのは、ソラだった。
 タオルとスポーツドリンクをソラから受け取り、「サンキューな」と御礼を言うコウ。
 ソラの頬が赤く染まるが、コウは気付いていない様子で話を続ける。

「誘われた?」
「あ、はい。たぶん態と隙を見せて、コウ先輩の動きを誘導したんだと思います。先輩が仕掛けた時、半歩横に動いて重心をズラしていました」
「……こっちの動きが読まれていたってことか。全然、一撃を入れられる気がしねえ……」

 手加減されてこれでは、いつになったら一撃を入れられるんだとコウは肩を落とす。
 リィンに一撃を入れられるようになれと無茶を言ってくれると、内心では祖父に悪態を吐いていた。
 この先、裏に関わる条件としてリィンに一撃を入れられるようになれと言うのが、祖父――ソウスケからの言葉だったからだ。
 裏の世界に関わると言うことが、どれほど危険なことなのか――
 強くならなければ、大切なものを守れないと言うのはコウも理解していた。
 だから祖父の言葉に従い、大人しくリィンの指導を受けることにしたのだが、この一週間で分かったのはリィンが凄すぎて、まったく勝てる気がしないと言うことだけだった。

「コウ先輩も十分凄いと思いますよ。あんな人と三十分も打ち合えるなんて。私なら十分と保たないと思います」
「それは男女の差だろう。ソラは小さいしな」
「小さいと言われるのは心外ですが……でも、それだけじゃない気がします。コウ先輩、凄く強くなっていますから」

 強くなっていると言われて、コウは訝しげな表情を浮かべる。
 相手が悪すぎるだけだが、いつもリィンに軽くあしらわれているため、強くなっているという実感が湧かないのだろう。
 それにアスカもコウに看過されたのか? シズナに剣の手解きを受けていた。
 だからコウからすれば、差が縮まっている感じがしないのだ。

「コウ先輩、私とも一手、手合わせ願えますか?」
「それは構わないが、もうしばらく待ってくれ。さすがに体力が限界だ……」
「あ、すみません。そうですよね。見てたら私も身体を動かしたくなっちゃって……」
「相変わらずみたいだな。まあ、その方がソラらしいけど」

 昔のことを思い出しながら、コウは苦笑する。
 ソラが上京してきて再会するまで、ずっと男だと思い込んでいたくらいに幼い頃のソラは活発な少女だったからだ。
 いまでもそうだが髪が短く、空手をやっているとは思えないくらいスラリとした体型をしているので、それも理由にあるのだろう。

「でも、あんなに強い人がいるなんて知りませんでした。海外の人みたいですけど、コウ先輩の親戚だったりしますか?」
「いやいや、どうしてそう思ったんだ?」
「え? だって、先生が使っていた技って九重流ですよね?」

 あれだけの腕を持つのだから、九重流の関係者に違いないとソラは思ったのだろう。
 幼い頃から余程厳しい訓練を積んでこなければ、あの若さであれほどの実力を身に付けられるとは思えなかったからだ。
 そんなソラの勘違いを察したコウは、頭の後ろを掻くような仕草で――

「ああ……非常に言い難いんだが、あの人は九重の人間どころか、門下生でもない」
「……え?」
「祖父ちゃんの知り合いって言うのは間違っちゃいないんだが、九重の技を覚えたのも最近だと思うぞ」

 信じられないようなことを口にする。
 自分でも逆の立場なら信じられないような話なので、

「ええええええ!?」

 ソラの反応は当然だと、コウは思うのだった。



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