教会の司祭、ヨアヒム・ギュンターが引き起こした事件から数日が過ぎた。
 少しずつ日常を取り戻し始めていたが、その水面下では、巨大なうねりが未だ渦巻いていた。
 北都グループ本社、最上階。
 ミツキは、陽光が差し込む執務室で、キョウカからの事後処理報告を受けていた。

「……犠牲者は、三百人を超えましたか」

 ミツキの声は静かだったが、その響きには鉛のような重さが含まれていた。
 キョウカは淡々と、しかし言葉を選びながら続ける。

「はい。発見された遺体や遺骨から身元が判明した者のほとんどが、この半年で行方不明となっていた人物でした。その中には、〈ケイオス〉や〈BLAZE〉のメンバーだけでなく、孤児院の子供たちや、聖霊教会の信者も……」
「……そうですか」

 ミツキは目を伏せる。被害の大きさに、改めて言葉を失う。
 パンデモニウムで目にした光景から、既に覚悟は決めていた。
 それでも、やはり受け止めるには、あまりに重すぎる現実だった。

「聖霊教会からも、正式に協議の要請が届いております。今回の件を表沙汰にしない代わりに、幾つかの譲歩を提示してくるものと考えられます。政府も、既にその方向で調整を進めているようです」
「……でしょうね」

 ミツキは溜め息を吐いた。
 教会の司祭が引き起こした事件とはいえ、この件が公になれば、政府や国防軍の威信も失墜する。彼らにとって、真実を隠蔽する以外に選択肢はなかった。
 だからこそ、協議に応じるはずだ。
 その上で、現在、国防軍が主体となって進めている対異界を見据えた計画への協力を改めて教会に要請するはずだ。
 落としどころとしては、そんなところだろうとミツキは推察する。

「政府や教会はそれでよくても、問題はリィンさんたちですね……」

 ミツキの脳裏に、リィンとシズナの顔が浮かぶ。
 権力や建前など、彼等には一切通用しない。納得のいかない落としどころを提示すれば、今度は彼らが敵となりかねない。
 それは、最も避けなければならない最悪のケースだった。

「会長もそのことを危惧されているようで、政府と教会に対して、かなり厳しい条件を突きつけたようです」

 キョウカが、二通の重厚な手紙をテーブルに置いた。
 それぞれに、政府と教会の公式な文書であることを示す封蝋が施されている。
 これが、自分のもとに届けられた時点で、ミツキには誰に向けた手紙か察しがついた。

「中身は……確認するまでも、ありませんね」
「はい。政府と教会は、リィン・クラウゼルおよびその関係者への不干渉協定を結びました。この手紙は、その証となります」
「お祖父様のことですから、北都にも相応のメリットがあってのことでしょう」

 ミツキは、祖父――北都征十郎の狙いを察する。
 リィンたちへの窓口を北都が一手に担うことで、彼らを守る盾になると同時に、異世界との技術交流や交易といった、先の利益を見据えているのだと。
 それに、そうしておいた方が、ゾディアックとしてもリィンたちを守る大義名分が成り立つからだ。

「そういえば、入院中の彼の容態は?」

 慎重に手紙を鞄に仕舞い、ミツキはカズマのことを尋ねる。
 キョウカの表情が、わずかに曇った。

「命に別状はないとのことです。ですが、久我山璃音と同様、怪異(グリード)との同化現象と思しき後遺症が見られると」
「リィンさんが仰っていた、魔人の因子ですか」
「はい、恐らくは……」

 事件は終わっても、残された傷跡はあまりにも深い。
 ミツキは、まだ問題が山積みであることを再認識させられるのだった。


  ◆


 杜宮総合病院の廊下は、消毒液の匂いと静かな午後の光に満たされていた。
 シオは、カズマが入院している病室の前で、ただ静かに佇んでいた。
 扉の向こうから、人の声と気配がする。

『……すまねえ、カズマさん。俺は……』

 扉越しに、涙を堪えるような後悔の言葉が、微かに聞こえてくる。
 誰のものかを察したシオはドアをノックすることなく、踵を返す。
 黙って立ち去ろうとするシオの背中に、静かな声がかけられた。

「顔を見て、行かないの?」

 シオの前に人影が立ち塞がる。
 長い亜麻色の髪に、青い瞳。黒を基調としたセーラータイプの杜宮学園の制服に身を包んだ少女。
 それは、アスカだった。

「……邪魔はしたくないからな。あいつらには、時間が必要だ」
「不器用ね……。いえ、時間が必要なのは、あなた()かしら?」

 心を見透かすようなアスカの言葉に、シオは一瞬言葉を詰まらせ、そして苦笑した。

「……そうかもな」

 彼はそれだけ言うと、アスカの隣を通り過ぎ、去っていく。
 引き留めることなくシオの背中を見送ると、アスカは窓から空を見上げる。

「……私も、人のことは言えないか」

 彼女の呟きは誰の耳に届くこともなく、夕暮れの茜色に溶けていった。


  ◆


「リィン、ほら早くしないと、はじまっちゃうよ!」

 シズナに腕を引かれながら、リィンは溜め息を吐いた。
 アクロスタワーの二十階にあるシアター前は、開演を待つファンたちの熱気で溢れかえっている。
 今日は〈SPiKA〉のデビュー二周年を祝う記念ライブの日だった。
 リィンとシズナも、レイカからチケットを貰い、会場に足を運んでいた。

「いやあ、楽しみだな。〈SPiKA〉の記念ライブ!」

 リョウタが、公式グッズのタオルを首に巻き、気合十分といった様子で叫ぶ。
 その隣で、コウが「なんで、俺まで……」とげんなりとした表情で肩を落としていた。
 元々、リョウタは今日のライブを楽しみにしており、熾烈な争奪戦を潜り抜けてチケットを購入していたのだが、なんとか買えたのは後ろのB席で、それを知ったリオンにS席のチケットと交換してもらったのだ。
 勿論、コウの分のチケットも押しつけられて――
 その見返りに、面倒臭がるコウを引っ張ってきたと言う訳だった。

「コウも来てたんだね」

 シズナがコウたちを見つけ、声をかける。

「げ……」
「シズナさん!」

 コウが呻き、リョウタが嬉しそうに声を上げる。
 だが、リョウタはシズナの後ろにいるリィンの姿に気づくと、途端に表情を曇らせた。

「……と、リィン教官」

 先生ではなく教官なのは、学園で定着しつつあるリィンの通り名のようなものだった。
 放課後、毎日のように道場で行っている訓練が、学園の生徒たちの間で噂となっており、まるで鬼教官のようだと誰かが言いだしたことで「リィン教官」という呼び名が定着したと言う訳だった。
 そのため、女生徒からは黄色い声援を送られるリィンだが、男子生徒からは密かに恐れられていた。
 リィンに苦手意識を持っているのは、リョウタも同じなのだろう。

「まったく、なにやってるんだよ」

 そこに、ユウキとアオイも姿を見せる。
 二人も、リィンたちと同様、レイカからチケットを貰ってライブにきていた。

「おお!」

 二人と面識のないコウは首を傾げるも、リョウタの方はというとアオイに見とれ、歓喜の声を上げる。
 年上のお姉さん。それもアオイは気立てが良く、落ち着いた物腰でいながら、かなりの美人だ。
 リョウタの好みにドストライクだったのだろう。
 しかし、

「ご無沙汰しています。あの、ちゃんと御礼を言えてなかったので。先日は助けていただいて、ありがとうございました」
「気にするな。むしろ、巻き込んでしまって悪かったな」
「いえ、リィンさんは何も悪くありません。その、それで御礼がしたいので、今度よかったら……」

 頬を赤らめながらリィンに感謝するアオイを見て、リョウタは絶望する。
 顔か、やっぱり顔なのか……と呟きながら、淡い恋心は一瞬にして打ち砕かれるのだった。


  ◆


 開演のブザーが鳴り、リィンたちは連れ立ってホールの中へと入っていく。
 指定された観客席に座り、ステージが明るくなるのを待つ。
 コウの隣では、リョウタがペンライトを握りしめ、今か今かとその時を待っていた。
 ふっと、会場の照明が落ち、割れんばかりの歓声がホールを揺るがす。
 ステージに五色のスポットライトが当たり、その光の中から、ハルナ、レイカ、ワカバ、アキラ、そしてリオンの五人が姿を現した。

「みんな、今日はきてくれてありがとう!」

 リーダーであるハルナが、マイクを持って観客に呼びかける。
 その横で、レイカが客席にいるリィンを見つけ、一瞬だけ、悪戯っぽくウィンクをした。
 そして、リオンが叫ぶ。

「私たちの想い、全部受け取って! いくよ、まずは新曲――」

 イントロが流れ出す。リィンは腕を組み、静かにステージを見つめていた。
 事件は解決したが、まだ完全に終わったわけではない。
 輝くステージの光が、彼の灰色の髪を照らし出す。
 その横顔は、どこか遠い未来を見つめているようだった。




後書き
これにて、教会編(原作でいうところのBLAZE編)は終了です。
ようやく主要メンバーも揃って、折り返しと言ったところですね。



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