さんさんロードの表通りから少し外れた場所にある雑居ビル。
裏解決屋の事務所で、リィンは来客の応対をしていた。
ソファに座るリィンの向かいの席には、いつもの制服ではなく、襟元と袖口に細やかなフリルがあしらわれた白いブラウスと、淡い茶系のロングスカートといった私服姿で、どこか緊張した面持ちを見せる長い髪の女性――北都美月の姿があった。
緊迫した空気の中、ミツキから受け取った手紙に目を通すと、リィンは深々と溜め息を吐く。
「なるほどな。言っておくが――」
リィンが手紙から顔を上げ、静かに口を開く。
そして、鋭く、威圧するかのような視線をミツキに向ける。
「わかっています」
ミツキは、その視線を真っ直ぐに受け止めた。
リィンの言わんとしていることは察せられるからだ。
「北都が責任を持って、政府と教会に約束を履行させます。彼らが二度と、あなた方に理不尽な干渉をしないように」
「わかっているならいい。だが――」
リィンは一瞬、言葉を区切った。
その沈黙が、彼の次の言葉に重みを与える。
「身内にも、目を光らせておけよ」
その一言で、ミツキの脳裏に叔父とトモアキの顔が浮かぶ。
前科があるだけに、信用してもらえないのも無理はないと思ったからだ。
「承知しています。二度と、あのようなことは起こしません。いえ、起こさせません」
だから、 強い覚悟を伴った口調で答える。
それは身内であろうと、甘い対応をするつもりはないという意志の表れだった。
実際、ミツキの叔父やトモアキにも、既に厳しい処罰が下っている。
叔父は監視付きで北都が管理する離島に幽閉されることが決まり、トモアキについても勘当を言い渡され、御厨グループの後継者から外されることが決まった。
もはや再起は叶わないだろう。だが、それだけのことを彼等はしでかしたというのが、ミツキの見解であった。
だからこそ、ミツキの祖父――北都征十郎もこの件については、かなり厳しい対応を取っている。
「なら、いい。こっちも、事を荒立てるつもりはないしな」
リィンがそう言うと、ミツキは胸を撫で下ろす。
一番恐れていたのが、リィンとの協力関係が崩れることだった。
そのため、取り敢えず関係を維持できたことで、ほっとしたのだろう。
「ところで、先日お話していた温泉の件なのですが――」
重くなった空気を払拭しようと、ミツキは話題を変える。
温泉と聞いて、リィンが微妙な顔をした、その時だった。
「そうよ、温泉!」
奥でシズナと様子を窺っていたレイカが、目を輝かせて会話に割って入ってきた。
その食いつきの良さに、リィンは呆れた視線を向ける。
「……随分と、食いつきがいいな」
「当然でしょ、 楽しみにしてたんだから! あれだけ大変だったんだから、少しくらいご褒美がなくっちゃやってられないわよ!」
胸を張って言い切るレイカに、ミツキも思わず苦笑を漏らす。
しかし、レイカが割って入ったことで、重い空気が一気に飛散した。
そのことに感謝しつつ、ミツキは話の続きを口にする。
「旅館の手配は済んでいます。それで、来週末でよろしかったですよね?」
「ええ、ライブも無事に終わったし、みんなでパーッと楽しみましょ! そうと決まったら、善は急げね。ハルカたちも呼んでくるから、待ってて!」
そう言うが早いか、レイカは弾丸のように事務所を飛び出していった。
その嵐のような去り際に、リィンはやれやれと溜め息をつき、ミツキは楽しそうに微笑むのだった。
◆
駅前にあるショッピングモールは、週末ということもあって多くの人々で賑わっていた。
その一角に、ひときわ目立つ一団の姿があった。
「いやあ、持つべきは親友だよな! まさか、俺まで温泉旅行に誘ってもらえるなんて!」
リョウタが、両腕を天に突き上げて喜びを爆発させる。
彼が大はしゃぎなのは、この旅行に〈SPiKA〉のメンバーも全員参加すると聞いたからだ。
「また調子の良いことを言って。リョウタは相変わらずだね」
そんな親友の姿に、ジュンは柔らかく微笑む。
刻印騎士として、白装束を身に纏っていた時のような張り詰めた空気はない。
影のある雰囲気は消え、年相応の穏やかさを見せていた。
「おうよ! それが俺っちのアピールポイントだしな。でも、まさかジュンも一緒とはな。心配してたんだぜ」
「ごめん。いろいろとあってね。でも、もう大丈夫だよ」
「まあ、いいけどよ。それで、戻って来られそうなのか?」
「うん。卒業まで、こっちにいられそうかな」
申し訳なさそうな、それでいてどこか嬉しそうな表情で、ジュンはリョウタの質問に答える。
一時、両親の都合で転校という扱いになっていたジュンだが、二学期から再び杜宮学園に通うことが決まっていた。
不干渉を約束したと言っても、教会としてはリィンたちとの繋がりを残しておきたかったのだろう。
それに日本政府との約定で、対異界のために設立された零号部隊への協力を約束していた。
そのため、ジュンがそのまま杜宮市に残ることになったと言う訳だ。
北都としても監視下においておくには、ジュンを杜宮学園に通わせた方が都合が良い。
そういった、それぞれの思惑が合致した結果だった。
「そっか! なら、これからまたよろしくな!」
ニカリと笑うリョウタに、ジュンもまた心からの笑みを返す。
そんな微笑ましい光景を眺めながらも、コウの心はどこか落ち着かなかった。
なんとなく裏があることを、察していたからだ。
自分の知らないところで、なにかがあったらしいということは勘付いていたのだろう。
だから、そっと隣を歩くアスカに耳打ちする。
「それで、どうなってるんだ? ジュンのこと、何か知ってるんだろう?」
「詳しい事情は後で話すわ。それより、彼女のことはいいの?」
アスカが顎で示した先には、少し離れた場所で、むすっとした表情でショーウィンドウを眺めているリオンの姿があった。
帽子とサングラスで顔は隠しているが、明るい桜色の髪で、すぐにリオンだと分かる。
「ん?」
「さっきから、ずっとああよ。ちゃんと彼女のフォローをしなさい」
アスカはそれだけ言うと、リィンたちがいるであろうスポーツ用品店の方へとさっさと歩いて行ってしまった。
◆
その後、いくつかのグループに分かれて、それぞれの買い物を楽しんでいた。
〈SPiKA〉のメンバー、ハルナ、ワカバ、アキラ、リオンの四人はキャップにサングラスという少し怪しげな変装で、コウたちと一緒に旅行に持っていく鞄を物色している。
そして、リィンはというと――
「これ、俺が付き合う必要あるか?」
「あるよ。どうせなら、リィンの好みに合わせたいしね。レイカもそう思うよね?」
「わ、私は別に、そんなつもりじゃ――」
「アスカさん。こういうのは、どうでしょうか?」
「少し大胆な気がするけど、いいんじゃないかしら?」
シズナとレイカ。それにアスカとミツキに付き合わされて、水着コーナーにいた。
他の客の好奇な視線に晒されながらも、仕方ないと言った様子でリィンは覚悟を決める。
こういう時、下手に逆らわない方がいいと長年の経験で理解しているからだ。
そうして長い買い物を終え、広場のカフェで合流しようとしていた、その時だった。
女性の困惑した声と、男たちの下卑た笑い声が聞こえてきたのは――
「いいじゃん。お茶くらい」
「そそ、ちょっと俺等に付き合ってよ」
「困ります……離してください!」
カフェのテラス席で、一人の女性が黒いジャケットを着た不良二人に絡まれていた。
その女性の顔には見覚えがあった。ユウキの姉、アオイだ。
そして、その不良たちの背中のエンブレムもまた、見覚えのあるものだった。
「お前等、まだ懲りていなかったのか」
不良たちの前に、いつの間にかリィンが立っていた。
その声には呆れが混じっているが、温度というものが一切感じられない。
「な、なんだテメェ……って、ひぃっ!?」
リィンの顔を認識した瞬間、不良たちの顔が恐怖に引きつる。
そして、アオイに絡んでいた不良二人は、腰を抜かすようにその場に崩れ落ち、
『すみませんでしたぁぁぁっ!』
土下座した。それは、見事なまでの土下座だった。
先日のスーパーでの出来事が、二人の頭を過ったのだろう。
その見事な豹変振りに、リィンは怒る気も失せて、溜め息を漏らす。
「ありがとうございました。また、助けてもらいましたね」
クスリと笑いながら、アオイはリィンに御礼を言う。
頬を赤く染め、その表情は嬉しそうで、どことなく恋する乙女のようにも見える。
それを見て、新たなライバルの出現を予感して、リィンの腕を抱き寄せるレイカ。
なぜか楽しそうなシズナ。どこか呆れた様子のアスカと、微笑ましそうに見守るミツキ。
そして、
「おい、あれってリオンじゃね?」
「ワカバちゃんとアキラもいるぞ!」
「ハルナお姉様!」
周囲が一気にガヤガヤと騒がしくなる。
「ごめん! バレた!」
「久我山が、あんなところで大声を上げるから!?」
「はあ!? 悪いのはコウくんでしょ!」
言い争いながら仲良く並んで走ってくるコウとリオン。
その後ろに続く、ハルナ、アキラ、ワカバ。それに、ジュンとリョウタの姿を見て、
「なにやってんだ。あいつら……」
リィンの呆れた声が漏れるのだった。
後書き
ちなみにソラは、空手部の大会に参加していていません。
ユウキは相変わらずの引き籠もりなので、こういうところには来ませんしね。
大会のことは後の話で触れていますが、「ソラは?」と思う人もいると思うので、先に補足しておきます。
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