都会の喧騒を離れ、緑豊かな山道をマイクロバスが静かに進んでいく。
 北都グループが所有するそのバスの中は、これから始まる温泉旅行への期待感で、若者たちの陽気な声に満ちていた。
 ハンドルを握るのは、ミツキの秘書である雪村京香だ。
 彼女はバックミラーにちらりと視線を送り、後部座席で繰り広げられる賑やかな光景に、微かに口元を緩めた。

「いやあ、楽しみだな。温泉!」

 後ろから二つ前の席で、リョウタが子供のようにはしゃいでいる。
 その隣で、ジュンは苦笑しながらも、楽しそうな親友の姿を微笑ましげに眺めていた。

「さっきから、ずっとそればっかり口にしてるよ。余程、楽しみなんだね」
「そりゃ、そうだろう。なんたって、あの〈SPiKA〉と一緒に温泉だぞ! しかも、貸し切り! 誘ってくれたコウには頭が上がらねえよ」

 その言葉に、通路を挟んだ反対側の席に座るコウが、やれやれといった表情で振り返る。

「はあ……感謝するなら、俺じゃなくて先輩にしろよ。この旅行を手配してくれたのは、ミツキ先輩だしな」
「わかってるよ。勿論、生徒会長には感謝しております!」

 リョウタが大げさに敬礼すると、前の席でアスカと談笑していたミツキが、上品に微笑み返した。

「フフ、喜んで頂けて、何よりです」

 そのやり取りにリョウタは満足げに頷くと、ふと思い出したようにコウに尋ねた。

「そういえば、コウの妹弟子、ソラちゃんだっけ? 残念だったよな」
「本人も残念そうにしてたけど、空手部の大会があるんじゃ仕方がないだろう」

 コウは少しだけ寂しそうな顔をしたが、すぐに気を取り直した。
 隣に座るリオンが、そんな彼の横顔をじっと見つめている。

「そういうコウくんも、空手部への入部を勧められてたよね? 大会に出れば、優勝できたんじゃない?」
「いや、そんなに甘くないだろう……。ソラなら優勝を狙えると思うが、そもそも九重流は空手じゃなくて古流柔術だしな」

 謙遜するコウに、リオンは少し意地悪な笑みを浮かべた。

「ふーん。でも、本当は可愛い後輩の応援に行きたかったんじゃないの?」
「なんか、今日は偉く突っかかってくるな……」

 コウが困惑した表情を浮かべると、彼の前の席に座っていたアスカが、聞こえよがしに溜め息を漏らした。

「はあ……女心が分かってないわね」
「いま、なにか言ったか?」
「何も」

 呆れた顔で、そっぽを向くアスカに、コウはますます首を傾げる。
 そんな若者たちのやり取りを、一番前の席で見ていたトワが、明るい声で仲裁に入った。

「はいはい、喧嘩しないの。それより、折角みんなで旅行なんだから楽しもう。これから向かう〈神山温泉〉は、多摩でも歴史の古い名湯なんだよ。霊験あらたかな山中にあって、〝美人の湯〟としても有名なんだから」

 その言葉に一番大きく反応したのは、ハルナの隣に座っていたユウキの姉、アオイだった。

「美人の湯!」

 思わずといった様子の大きな声に、バス中の視線が一斉に彼女へと集まる。

「ご、ごめんなさい。つ、遂……」

 顔を真っ赤にして俯くアオイ。
 そんな姉の姿に、通路を挟んで一人で座っていたユウキが、呆れたように呟いた。

「はあ……まだ、気にするような歳でもないと思うけど? あ、でも最近、体重が気になるとか言ってたっけ」
「ユウくん?」

 アオイの笑顔が、すっと温度を失う。
 ユウキは本能的な危険を察知し、顔を引きつらせた。

「あ……待っ――」

 身を乗り出したアオイが、ユウキの頭を容赦なく掴み、グリグリとこめかみを抉る。
 姉弟のじゃれ合いに、バスの中は笑いに包まれた。

「おっかねえな……あんな綺麗なお姉さんなのに……」
「口は災いの元というからね。リョウタも気を付けなよ」

 リョウタとジュンが小声で囁き合う。
 このなかで一番のお調子者がリョウタだ。
 ユウキのように調子に乗って地雷を踏まないかと心配しているのだろう。
 そんな親友の心を知ってか知らずか、暢気な声でリョウタは呟く。

「しかし、あらためて見直すと濃い顔ぶれだよな……」
「あはは……」

 何気なく口にしたリョウタの疑問に、ジュンは誤魔化すような笑みを浮かべる。
 後ろを覗き込むリョウタの視線は、バスの最後尾に向けられていた。
 最後尾の中央にはリィンが座り、その両脇をレイカとシズナが固めている。

「聞こえてるぞ」

 地獄の底から響くようなリィンの低い声に、リョウタの背筋が凍りつく。

「ひ……」
「もう、威嚇しないの。可哀想じゃない」

 レイカがリィンを窘めると、こともなげに皮を剥いた蜜柑を「はい、あーん」と彼の口に放り込んだ。

「美味しい?」
「まあまあ、だな」
「あ、リィンだけずるい。私の分もある?」
「勿論、あるわよ。はい」
「もらうね。それじゃあ、リィン、あーん」
「自分で食べるんじゃないのか……」

 左右から美女に世話を焼かれるリィンの姿に、リョウタは拳を固く握りしめた。

「ぐぬぬ……これが圧倒的、勝ち組の余裕か……」
「張り合わない。そもそも、張り合ってもリョウタじゃ勝ち目がないしね」
「そう、はっきりと言われると傷つくんだが……」

 一方、女性陣の席でも、小さなざわめきが起きていた。

「レイカ先輩、大胆……」
「あわわ……こ、これが大人の世界……」

 アキラとワカバが顔を赤らめる中、ハルナだけが優雅に微笑んでいた。

「フフ、ずっと、楽しみにしていたしね。二人とも、見なかったことにしてあげなさい」
「ちょっと、ハルナ! べ、別に私は楽しみになんて――」

 レイカの慌てる声が、バスの喧騒に溶けていく。
 そんな中、一人静かに窓の外を眺めていたシオに、リィンが声をかけた。

「そういえば、お前は誰に誘われたんだ? ミツキか?」

 その問いに、シオは一瞬言葉を詰まらせ、ちらりとシズナの方へ視線をやった。
 その視線だけで、リィンは全てを察する。

「シズナ、程々にしとけよ」
「うん?」

 心底分かっていない様子で首を傾げるシズナに、リィンは深い溜め息を吐いた。
 その時、運転席のキョウカからアナウンスが入った。

「――皆さん、ご歓談中に申し訳ありませんが、間もなく到着いたします」
「フフ、見えてきましたね」

 ミツキが指さす窓の外には、山の緑に抱かれるように佇む、風格のある温泉旅館の姿が広がっていた。


  ◆


 バスが旅館の玄関前に到着すると、数名の従業員を伴った、上品な着物姿の美人女将が出迎えてくれた。

「ようこそ、いらっしゃいました」
「お世話になります」

 その丁寧な出迎えに、ミツキが代表して挨拶を返す。一行は荷物を預け、広々としたロビーで部屋割りの説明を受けた。
 男女別に分かれることになり、コウ、リョウタ、ジュンが同室。ユウキとシオが同室。女性陣はアスカとミツキ、〈SPiKA〉の四人。そしてトワ、アオイ、キョウカがそれぞれ同室になることが決まった。
 そして、最後に――

「勿論、私はリィンと一緒ね」

 シズナが、さも当然といった様子でリィンの腕に絡みついた。

「まあ、別に構わないが……」
「待ちなさい!」

 リィンが了承しかけたその時、レイカが待ったをかけた。

「そ、そんな男女で同室なんて、ダメよ!」
「え? でも、いつも一緒に寝てるよ? あ、それならレイカも、こっちにきなよ」

 シズナの爆弾発言に、レイカだけでなく、その場の全員が固まる。

「離れの部屋は、内風呂の温泉もついてるって。三人で一緒に入ろ」

 シズナは戸惑うレイカの手を引くと、意気揚々と離れの方向へ歩き出す。
 その後ろを、やれやれと頭を掻きながらリィンが追いかけていった。
 残された面々は、ただ呆然と三人の背中を見送ることしかできない。
 やがて、沈黙を破ったのは、リョウタの魂の叫びだった。

「うおおおおお! これが、持つ者と持たざる者の差なのか!?」

 その悲痛な叫びだけが、山間の静かなロビーに虚しく響き渡るのであった。




後書き
待望の温泉回スタートです。
登場キャラが多すぎて大変すぎる……。


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