静止した時間の中、リィンたちが旅館の裏手に広がる森へと足を踏み入れると、その異変はすぐに目に飛び込んできた。

「なんかこれ、薄らと光ってない?」

 ユウキが、怪訝そうに眉をひそめて指差す。
 指差した先――鬱蒼とした木々の合間に佇む石造りの鳥居が、蛍火のような淡い燐光を放っていたのだ。
 それは神聖さを感じさせると同時に、どこか現世の理から外れた不気味さも孕んでいた。

「ああ、嫌な予感がしやがる……」

 シオが忌々しげに舌打ちをする。
 彼の野生の勘が、この先に待ち受けるモノに対して警鐘を鳴らしていた。
 そんな中、シズナだけは楽しげに口元を歪めた。

「この先にいるね。邪悪な感じはしないけど、かなりの〝大物〟かな」
「ああ、昼に感じた気配と同じだな。だが、一つじゃないな」

 リィンもまた、眼光を鋭くして参道の奥を見据える。
 その言葉に、ミツキが緊張した面持ちで問いかけた。

「お二人が警戒するほどの怪異(グリード)が、複数いるということですか?」
「邪悪な感じはしないって言ったでしょ? たぶん怪異とは違うんじゃないかな?」

 シズナは妖刀の柄を指先で叩きながら、首を横に振る。

「……グリードではない?」

 ミツキが困惑する中、リィンは冗談めかして、しかし真剣な眼差しで告げた。

「案外、本当に神様がいるのかもしれないぞ」
「リィンさんが言うと、冗談に聞こえませんね……」

 アスカが乾いた笑みを漏らす。
 リィンの過去の経験――邪神との戦いなどを聞かされた後では、あながち笑い話としても受け取れなかった。
 その時だった。

「ッ……ぅ……」

 不意に、リオンが苦しげな呻き声を上げて胸元を押さえた。
 顔色は蒼白で、脂汗が額に滲んでいる。

「どうかしたのか?」

 隣にいたコウが慌ててリオンの身体を支える。

「うん……なんか、胸の辺りがザワザワして……私の中の天使が反応しているみたい」

 リオンの内に宿る天使の力。
 それが、この場に満ちる霊力と共鳴し、彼女の肉体に負荷をかけているようだった。
 苦しむリオンを見て、ジュンが懐から銀色の鎖を取り出した。

「これを持っておくといい」

 差し出されたのは、精巧な装飾が施された銀の十字架だった。

「これは……十字架?」
「御守りみたいなものかな。教会で儀式に使われる聖具の一つで、怪異の力や霊的な干渉を抑える効果があるんだ。少しはマシになるはずだよ」

 リオンが震える手で十字架を受け取ると、不思議なことに先程まで胸を締め付けていた圧迫感が嘘のように引いていった。
 呼吸が楽になり、顔色も戻っていく。

「……ジュン、すまない」

 コウがバツが悪そうに礼を言う。
 わだかまりはまだ残っているが、今は純粋に感謝の念が勝ったのだろう。

「あの……ありがとうございます」
「気にしないで。僕には、このくらいしか出来ないしね」

 ジュンは自嘲気味に微笑むと、再び視線を参道の奥へと戻した。
 リオンの呼吸が整ったのを確認し、一行は先へと進むのだった。


  ◆


 長い石段を登りきると、開けた空間に出た。
 そこには、昼間リィンたちが訪れた時と同じように、古びた祠が静かに鎮座していた。
 だが、その空気感は昼間とは決定的に異なっていた。
 張り詰めた静寂。月明かりさえ届かないはずの森の奥で、祠だけが青白い光に照らし出されている。

「姿は見えないけど……気配がするね」

 シズナが周囲の闇に視線を走らせる。

「ああ……いい加減、姿を見せたら、どうだ?」

 リィンが虚空に向かって声を放つ。
 その声に応えるように、空間が揺らいだ。

「――やっぱり、キミたちの目は誤魔化せないか」

 鈴を転がすような声と共に、祠の前に青白い光が集束し、一人の少年の姿を形作った。
 いや、その顔立ちはあまりに整っており、少年とも少女とも取れる神秘的な美しさを湛えている。
 長く伸びた青い髪、アメジストのように澄んだ瞳。全身を覆い隠すような古ぼけた外套を身にまとい、その足は地面から数センチ浮いているようにも見えた。
 明らかに、人ならざる存在。そして、その姿に――リィンは見覚えがあった。
 十年前、この世界に介入した際、一度だけ目にしたことがあったからだ。

「十年振り、とでも言った方がいいか?」
「はは、やっぱり覚えていたんだ。ボクのことを……」

 彼――いや、彼女は楽しげに目を細める。

「ああ、忘れようがないしな。で? 今度は名前を聞かせてくれるのか?」

 かつて邂逅した時は、互いに名乗ることもなく別れた。
 いや、正確には逃げられたと言っていいのだが、そのことを彼女も覚えているのか、悪戯っぽく微笑んで答えた。

「レム。それが、ボクの名前だよ」

 その名を聞いた瞬間、ミツキとアスカが息を呑んだ。

「まさか……」
「こんなところで会うなんて……」

 二人の驚愕ぶりに、コウが怪訝そうに尋ねる。

「知っているのか?」
「ええ、〈異界の子〉――裏の世界では、そんな風に呼ばれている存在よ」

 アスカが警戒を露わにして説明する。

「ここ数十年、異界化が起きた場所で度々目撃されているのですが、神出鬼没で……まさかこんなところで遭遇するなんて」

 ミツキもまた、信じられないといった表情でレムを見つめる。

「正体は一切不明だけど、〈異界〉についての謎のすべてを知っていると噂されているわ」
「それは少し大袈裟かな。ボクにだって分からないこと、知らないことはある。例えば、そこの彼――〈黒の王〉のこととかね」

 レムの視線が、興味深そうにリィンへと向けられる。

「それって、リィンのこと?」

 シズナが口を挟むと、レムは視線を彼女に移し、コクリと頷いた。

「ああ、そうさ。〈白銀の姫〉――キミも興味深い在り方をしているね。特にその腰に提げた刀……凄い力を感じるよ」

 リィンだけでなく、刀のことまで見抜かれたことに、シズナは瞳を輝かせる。

「試してみる?」

 鯉口を切り、殺気を放つシズナ。
 だが、レムは肩をすくめて苦笑した。

「遠慮しておくよ。ボクはあまり、そういうのは得意じゃなくてね」

 戦う意思がないことを示すように両手を広げ、レムは続ける。

「それに、キミたちに用があるのは、ボクじゃないからね」

 そうレムが告げた瞬間、ミツキとアスカがハッとして、即座に〈ソウルデヴァイス〉を召喚し構えを取った。
 レムの背後から彼とは異なる、異質な気配を感じ取ったからだ。
 レムがゆっくりと横に退くと、そこには真っ白な外套を纏った人物が佇んでいた。
 フードを目深く被り、顔はよく分からない。
 だが、胸の膨らみと体つきから、レムと違って女性であることが見て取れた。

「え……」

 その姿を見た瞬間、コウの心臓が早鐘を打った。

「コウくん? どうかしたの?」
「なんだ。この感覚……」

 リオンが心配そうに声を掛けるが、コウの耳には届いていないようだった。
 彼は嘗て無いほど動揺していた。
 異界の子も、目の前の白い外套の女性も、見覚えがあるわけではない。
 なのに、魂が揺さぶられるような、強烈な既視感と郷愁が彼を襲っていた。

「ここからは、彼女が案内してくれる。ボクは仲介を頼まれただけでね」

 レムがそう言うと、白い外套の女性が手をかざす。
 空間が光り輝き、祠の前に純白の扉が出現した。
 禍々しい赤黒いゲートではない。清浄な光に満ちた、異界への門が――

「皆様、こちらへどうぞ。私の後を付いてきてください」

 鈴のような、それでいてどこか儚げな声で女性が告げる。
 彼女は一礼すると、迷うことなくゲートの中へと足を踏み入れた。
 リィンたちは顔を見合わせ、頷き合うと、彼女の後を追って光の中へと消えていった。


  ◆


 光のトンネルを抜けた先に広がっていたのは、白亜の回廊だった。
 どこまでも続く白い石畳。天井はなく、頭上にはオーロラのような光の帯が揺らめいている。
 現実離れした光景の中、リィンたちは白い外套の女性に導かれて歩を進めていた。

「コウくん、本当に大丈夫?」

 まだ顔色の優れないコウを、リオンが気遣う。

「あ、ああ……大丈夫だ。大分、落ち着いた」

 コウは自分に言い聞かせるように頷く。
 だが、その視線は常に先導する女性の背中に注がれていた。
 我慢できなくなったのか、コウは声を張り上げた。

「なあ、アンタ……前にどこかで会ったことがないか?」

 その問いかけに、女性の足がぴたりと止まる。
 だが、振り返ることはない。

「…………」

 沈黙。やがて、彼女は何も答えず、再び歩き始めた。

「だんまりかよ……」

 コウは唇を噛みしめる。
 無視されたことへの怒りではない。
 ただ、どうしてか分からないが、悲しみが込み上げてくる。

「リィンさん、どう思いますか?」

 ミツキが小声でリィンに耳打ちする。

「それは、この先にいる奴についてか? それとも――」

 リィンは顎で白い外套の女性を指した。

「どちらも気にならないと言えば嘘になりますが、〝彼女〟についてです。〈異界の子〉とは違った意味で、異質な感じがして……」

 ミツキの鋭い観察眼は、女性から発せられる特異な気配を感じ取っていた。
 人間であって、人間でない。
 生者と死者の狭間にいるような、不安定で透明な存在感を――

「たぶん、巫女だね」

 シズナが事も無げに答える。

「巫女……それは、もしかして……」
「うん、神に仕える存在。代行者。呼び方は様々だけど、あの感じだと既に〝至って〟いそうだね」

 シズナの言葉に、リィンも同意するように頷く。
 人の身でありながら至宝の力を宿し、デミウルゴスへと至った者の気配。
 同じ力を持つ少女たちのことを、リィンは知っているからだ。

「ああ……だとすれば、この先にいる存在についても察しは付く」

 リィンが呟くと同時に、回廊が終わった。
 目の前に現れたのは、巨大な祭壇のような広間だった。
 白い外套の女性が立ち止まり、静かに跪く。
 その瞬間、広間の中央に青白い炎が渦を巻いて燃え上がった。

『よくぞ来た。異界より訪れし、因果を紡ぐ者たちよ』

 空間そのものを震わせるような、威厳に満ちた声が響き渡る。
 炎が集束し、弾けると共に、その中から巨大な影が姿を現した。
 雪のように白い体毛。優雅になびく九本の尾。そして、全てを見通すような金色の瞳。
 神々しさと畏怖を同時に抱かせる九尾の白獣が、リィンたちを見下ろしていた。



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