お盆が過ぎ、蝉の声にも僅かな哀愁が混じり始めた頃。
 雑居ビルの最上階にある自宅のリビングで、三人の少女たちが机に向かって呻き声を上げていた。

「うう……なんで数学なんてものが、この世に存在するのよぉ……」

 ダイニングテーブルに突っ伏し、魂の抜けたような声を漏らすのはリオンだ。
 その横では、アキラが眉間に深い皺を寄せながら、シャープペンシルで一心不乱にノートを黒く塗りつぶしている。
 レイカに至っては、教科書を睨みつける目が、まるで親の敵を見るかのように殺気立っていた。

「はいはい、文句を言っても宿題は減らないわよ。ほら、ここはこの公式を使うの」

 ハルナが苦笑しながらリオンの背中を叩く。
 一方で、涼しい顔をして優雅に紅茶を啜っているのはワカバだ。

「アキラちゃん、そこの計算、符号が逆になってるよ」
「……あ。ありがとう、ワカバ」

 そう、〈SPiKA〉のメンバーといえど学生の本分は勉強である。
 ハルナとワカバの二人は早々に課題を終わらせていたが、残る三人は温泉と芸能活動にかまけて宿題を放置していたツケが、今まさに回ってきていたのだ。
 そんな地獄のような勉強会へ、チャイムも鳴らさずに侵入してくる影があった。

「やっほー! みんな、元気してる?」

 窓から軽やかに飛び込んできたのは、シズナだ。
 手には極彩色のチラシが握られている。

「シズナさん……どこから入ってきてるんですか」

 ハルナが、呆れたように溜め息を吐く。

「細かいことは気にしない! それより見てよこれ、今日、花火大会があるんだって! みんなで行かない?」

 シズナの言葉に、死んだ魚のような目をしていた三人がガバりと顔を上げた。

「は、花火!?」
「行く! 絶対に行くわ!」

 椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がるリオンとレイカ。
 だが、その前に立ちはだかったのは、鬼軍曹のような笑顔を浮かべたハルナだった。

「ダメに決まってるでしょ? その進捗状況で遊びに行けると思ってるの?」

 ハルナの冷徹な宣告に、三人はその場に崩れ落ちる。

「えー、残念。それじゃあ、リィンと二人で行ってこようかなー」

 シズナが、わざとらしくチラシをひらひらとしながら煽るように言う。
 その瞬間、レイカが般若の形相で復活した。

「ちょ、ちょっと待ちなさい! それは聞き捨てならないわね!」

 さらに、それまでお淑やかに紅茶を飲んでいたワカバが、スッと手を挙げる。

「あの、私は行ってもいいですよね? 宿題、終わってますし」
「ワカバァァァッ! あんた、裏切るつもり!?」

 リオンの悲痛な叫びが響き渡る。
 てんやわんやの騒ぎに、ハルナはやれやれと頭を振った。
 結局、見かねたハルナが条件を出すことで場を収めることになった。

「はぁ……わかったわよ。夕方までに、いまやってる単元のドリルを終わらせたら、息抜きに行きましょう」
「本当!? よっしゃあああ!」
「言質は取ったわよ! アキラ、リオン、死ぬ気でやるわよ!」
「はい!」

 現金なもので、先ほどまでの死に体が嘘のようにペンを走らせ始める三人。
 その変わり身の早さに、シズナが感心したように口笛を吹いた。

「ハルナは操縦が上手いね」
「長い付き合いですから……」

 そう言って、ハルナは苦笑を漏らすのだった。


  ◆


 猛烈なスパートにより、どうにかノルマを達成したレイカたちが「終わったー!」と歓声を上げたのは、陽が傾きかけた頃だった。
 早速、準備を整えて全員で事務所にいるリィンを誘いに向かったのだが、

「気持ちは分かるが……お前たち、アイドルの自覚はあるのか? 俺みたいな男連れで花火大会なんて行ってみろ。翌日の週刊誌が一面トップで埋まるぞ」

 リィンの指摘に、レイカたちが「あ……」と固まる。
 解放感ですっかり忘れていたが、彼女たちは今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気アイドルグループなのだ。
 花火大会なんて人目の多い場所に出向けば、格好のカモと言っていい。
 しかも、男連れとなれば、スキャンダルの的になりかねない。

「むぅ……確かにそうね。だったら、カモフラージュすればいいんじゃない?」
「カモフラージュ?」
「ええ。学校の友達も誘って、大勢のグループで遊びに来たってことにすれば、言い訳も立つでしょ。ミツキやアスカたちにも声をかけましょうよ」

 レイカの機転に、なるほどと全員が頷く。
 早速、サイフォンのソーシャルアプリ〈NiAR〉で連絡を取ると、事情を聞いたミツキから魅力的な提案が返ってきた。

『それでしたら、会場近くにある北都グループのビルを開放しましょうか? 屋上なら人目もありませんし、特等席で花火が見えますよ』

 屋台巡りができないのは残念だが、スキャンダルのリスクを考えれば最善の策だ。
 こうして一行は、リィンの運転する車で現地へ向かうことになるのであった。


  ◆

 リィンがハンドルを握るワンボックスカーが、集合場所として指定された北都グループのビル前に滑り込む。車を降りると、そこには既にミツキとアスカ、それにシオとキョウカの姿があった。

「お待たせ。遅くなって悪かったな」
「いえ、私たちも着いたばかりですから」

 リィンが声を掛けると、ミツキが柔和な笑みで出迎える。
 だが、彼女はすぐにシズナと〈SPiKA〉のメンバーたちに視線を向けると、意味ありげな目配せを送った。

「それではリィンさん、申し訳ありませんが、シオ君と一緒に先に行ってて頂けますか?」
「え? ああ、構わないが……」
「ちょっと野暮用がありまして。――皆さん、行きましょうか」

 ミツキの合図で、アスカとシズナ、そしてレイカたち〈SPiKA〉の五人がぞろぞろとミツキの後についていく。

「楽しみに待っててね、リィン」

 シズナが悪戯っぽくウインクを残し、女性陣はビルの裏口の方へと消えていった。
 その場に取り残されたのは、リィンとシオ、それに案内役として残ったキョウカだけだ。

「……なんだありゃ? 女同士で内緒話か?」

 シオが訝しげに眉をひそめる。
 リィンはなんとなく察した様子を見せるが、敢えて口にだすこともないだろうと肩をすくめる。

「それではリィン様、高幡様。屋上へご案内いたします」

 キョウカに促され、男二人は従業員用のエレベーターへと乗り込む。
 屋上へ上がると、そこには心地よい夜風が吹いていた。
 既に設営は済んでいるらしく、アウトドア用のリクライニングチェアに寝そべったユウキが、携帯ゲーム機から目を離さずに片手を上げる。

「遅かったね」
「いや、お前が早すぎるだけだろう。いつから、いるんだ?」
「三十分くらい前かな? 僕のマンション、すぐそこだからね」
「すぐそこ?」

 ユウキの言葉にシオが何気なく視線を上げると、公園の中にぽつんとそびえ立つ高層マンションが目に入る。

「おい、まさか……」
「そ、あそこの最上階が僕の家」
「嘘だろ……」

 愕然とするシオに、ユウキは小さく溜め息を漏らしながら補足を入れる。

「言っておくけど、親からは一円も支援してもらってないからね。家賃も、生活費も、全部自分でだしてるから」
「全部、自分でって……そういや、情報屋をやってるって言ってたな」
「まあ、その前から株と為替をやってて、あのマンションの部屋はそのお金で買ったものなんだけどね」
「そいつは凄いな」

 ユウキの話に驚きながらも、シオは感心した様子を見せる。
 こんな話を聞いても妬んだりせず、素直に称賛できるあたりは、彼の良いところと言えるだろう。
 ユウキもそのことに気付いてか、どことなく嬉しそうな笑みを漏らす。

「姉さんも参加したがってたけど、仕事があるらしくてね。残念がってたよ」
「仕事? そういや、お前の姉貴はなんの仕事をしてるんだ?」
「美術館の学芸員だよ。近々、展覧会があるらしくて、その準備で忙しいみたい」

 シオの問いにユウキが答える。
 意外な職業に驚きつつも二人が談笑していると、屋上の扉が開いて賑やかな声が響いてきた。
 大きな紙袋を抱えたリョウタを先頭に、コウとジュンが姿を現す。

「差し入れ買ってきたぜ! たこ焼きに焼きそば、お好み焼き! 屋台の味を買い占めてきたからな!」

 リョウタがそう言いながら袋を掲げて見せる。
 さらに、その後ろから意外な二人が顔を出した。
 トワと、眼鏡をかけた知的そうな男性――佐伯吾郎だ。
 思わぬ来客に、リィンがどこか探るような視線でゴロウに尋ねる。

「珍しい組み合わせだな」
「下で偶然、九重先生と会ってな」

 ゴロウが眼鏡の位置を直しながら言うと、トワがえへへと笑う。

「折角だから誘ってみたんだけど、ミツキちゃんにも許可をもらったし、皆もいいよね?」
「うへえ……折角の夏の思い出が、教師同伴とか……」

 あからさまに嫌そうな顔で肩を落とすリョウタ。
 そんな彼の様子を見逃さず、ゴロウがにこやかな笑みを向けた。

「そう言えば、伊吹。英語の課題は終わったのか?」
「……へ? なんで、ここでその話を!?」

 リョウタが分かりやすく狼狽する。

「休み明けに小テストがあるからな。赤点を取ったら、放課後は補習だぞ。しっかりとやっておいた方がいい」
「げえ! 勘弁してくださいよ!」
「全部、見透かされてるね」
「ああ、さすが佐伯先生。リョウタのことをよく分かってる」

 ジュンとコウが呆れたようにツッコミを入れ、屋上は笑いに包まれる。

「うっせえ! 俺は後から本気をだすタイプなんだよ!」

 そんなリョウタの負け惜しみが響いた直後、屋上の出入り口が再び開き、華やかな空気が流れ込んできた。

「お待たせしました」

 ミツキの声を合図に現れたのは、色とりどりの浴衣に身を包んだ女性陣だった。
 ミツキとアスカ、シズナ。そして〈SPiKA〉の五人が、艶やかな姿で並んでいる。

「うおおおおお! す、すげぇ……!」

 リョウタが感涙を流さんばかりに絶叫する。
 しかし、リィンは気付いていたのか、納得した表情を浮かべていた。

「どう? リィン。似合う?」

 最初にくるりと回って見せたのは、黒を基調としたシックな浴衣を着たシズナだ。

「ああ、よく似合っている。みんなも普段とは違った雰囲気で、とても綺麗だ」

 リィンが素直な称賛を口にすると、レイカとワカバは嬉しそうに微笑み、アキラは照れくさそうに視線を逸らした。
 アスカとミツキも、まんざらではない様子で頬を微かに染めている。

「くそっ……なんで、アイツばっかりモテるんだ……!」

 リョウタの怨嗟の声など気にも留めず、女性陣はリィンを取り囲む。
 その時――
 ヒュルルル……ドンッ!
 腹に響くような音と共に、夜空に大輪の花が咲いた。

「わあ……!」
「始まったわね」

 ワカバとレイカの声につられるように、全員が夜空を見上げる。
 次々と打ち上がる光の華が、彼らの顔を鮮やかに照らし出す。
 騒がしくも温かい日常。少年少女たちは過ぎゆく夏の夜を噛みしめるのだった。




後書き
 嵐の前の日常パート回です。これで夏休みの話は、ほぼ終わりです。
 次回。これまで空気だったソラが大会から帰ってきて、物語は再び動き始めます。



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