「なんで当たらないんだ!?」
「バラバラに攻撃してもダメ! 三人で同時に仕掛けるわよ!」
「クソッ! なんで俺まで……!」
九重神社の道場に子供たちの声が響く。
この神社の神主――ソウスケの孫のコウと、アスカにカズマの三人が、リィンを相手に格闘で奮闘していた。
左右から挟み込むようにリィンとの距離を詰め、同時に攻撃を仕掛けるコウとアスカ。
しかし、
「狙いが見え見えだ」
二人の放った突きや蹴りは空を切り、あっさりとリィンに回避されてしまう。
更には背後から不意打ちを仕掛けようとしていたカズマの攻撃を振り向かずに避けると、リィンは逆に後ろに回って背中を押す。
バランスを崩し、コウとアスカの方へ頭から突っ込むカズマ。そのまま三人は折り重なるように床へ倒れ込んだ。
「はあはあ……ちゃんと合わせろよな……」
「そっちこそ、少しタイミングがズレてたわよ……」
「……やってられねえ」
道場の床に転がって肩で息をする三人をリィンは一瞥すると、
「すみません。稽古に付き合って頂いて……」
「気にするな。良い気分転換にはなった」
そう言って、トワからタオルとスポーツドリンクの入ったペットボトルを受け取る。
ヤマオカとの約束の期日まで、残すところ二日に迫っていた。
そのため、今日は迷宮攻略を休んで街を観光するつもりでいたのだが、アスカが母親の代わり≠ノ今日は自分が一緒に行くと言って付いてきたのだ。どうやら他に外せない仕事があるからと、両親からリィンの監視役を頼まれたとの話だった。
ちなみにシャーリィはエマを連れて、ヤマオカに呼ばれて彼の研究室へ行っていた。〈赤い顎〉の修理が思った以上に難航しているらしい。
そうしたことからリィンはアスカと二人で街へでたのだが、駅前で偶然カズマを拾い、商店街でトワとばったり遭遇して現在に至ると言う訳だった。
「お祖父ちゃん、最近は帰りが遅くて……」
今日も道場の日だったのだが、ソウスケが帰って来ないことから二人で稽古をするつもりだったとトワは話す。
セイジュウロウが頼りにするほどの友人と言うことは、少なからず裏のことも知っているはずだ。
となれば、ソウスケの帰りが遅いのは、街で最近起きている異変絡みかもしれないとリィンは察する。
ネメシスだけでは対処が間に合っておらず、ここ数日はリィンたちも鍛練を兼ねて迷宮の攻略を手伝っていたからだ。
外部協力者が他にもいると言う話だし、ソウスケの実力なら十分にありえる可能性だと考えてのことであった。
「お祖父ちゃんから何か聞いていませんか?」
「いや、知らないな」
とはいえ、そのことを敢えてトワに教えるつもりはなかった。
言っていないと言うことは家族に隠しているのだろうし、何も知らないのであれば裏の世界に関わらない方が良いという考えはリィンも同じだからだ。
しかし、タイムリミットは刻一刻と迫っている。仮に街が異界に取り込まれるようなことになったら、そうも言ってはいられなくなるだろう。
どうするつもりかは知らないが気にしても仕方がない。そこまで面倒を見るつもりはリィンにはなかった。
(ただでさえ、面倒事を一つ押しつけられているしな)
別の街へ避難するようにと言ったところで、アスカは素直に言うことを聞かないだろう。
だからレイラの代理という名目で、監視役をアスカに頼んだのだと想像が付く。
本人は両親に仕事を任されてやる気になっているみたいだが、リィンからすれば子守り≠押しつけられたのと同じだ。
面倒だと感じるのも無理はなかった。
「誰だろ? ちょっと失礼しますね」
インターフォンの音を耳にして、リィンに断りを入れてから廊下を伝って家の玄関口へと向かうトワ。
道場の隣には二階建ての一軒家が建っていて、道場から直接家の方へでることが出来る構造になっていた。
「はーい、どちら様ですか?」
玄関の引き戸を開け、表へでたところでトワはピシリと固まる。
家の外に立っていたのは、見知らぬ白いスーツ姿の男だったからだ。
目つきは鋭く、スーツの上からでも分かるくらい鍛え上げられた見事な身体をしている。
容姿だけで言えばリィンよりも傭兵らしい、どう見ても堅気の人間には見えない風貌の男と目が合った瞬間、
「……は?」
トワは自分で開けた玄関の扉を閉めてしまう。
声を掛けようとしたところで家の中へ戻っていくトワを眺め、戸惑うスーツの男。
そうしてトワは深呼吸して扉を施錠すると、玄関先の電話を手に取り――
「もしもし、警察ですか?」
「嬢ちゃん、ちょっと待ってくれえええ!」
玄関の向こうで男の叫び声が響く中、淡々と警察に通報するのであった。
◆
「感謝しろよ? もう少しで新聞の一面を飾るところだったんだから」
「ぐっ……!?」
ギリギリのところでリィンが間に入らなければ、今頃エイジは警察に突き出されているところだった。
鷹羽組の次期若頭が女子中学生に通報されて逮捕なんて報じられれば、エイジの人生は終わりだ。
いや、彼だけの問題では済まず、組にも迷惑を掛けることになるだろう。
非常に危ういところだったと自覚しているだけに、エイジは何も言えなかった。
「まあ、こんなスーツを着たおっさんが玄関に立ってたら普通は通報するよな」
「声を掛けたら、その場で叫ばれても文句は言えないわね」
「お前等、言いたい放題だな……」
本物のヤクザを相手に遠慮なく思ったことを口にするコウとアスカに、カズマは呆れる。
一方で、その通報しかけた本人はと言うと、心の底から申し訳なさそうな顔で小さくなっていた。
「すみませんでした。リィンさんの知り合いとは知らなくて……」
「いやまあ、誤解が解けたのなら良いんだが……」
ヤクザものが怖がられるのは当然のことだ。ましてやソウスケの孫とはいえ、相手は中学生――それも女の子なのだ。
通報されかけて焦ったことは事実だが、自分も配慮が足りなかったとエイジも非を認めていた。
なのに被害者の少女に頭を下げられては、どう反応していいのか分からなくなる。
そんな困った様子のエイジの姿に、面白いものを見たと言った感じで苦笑すると、リィンは本題へと入る。
「で? こんなところまで何の用だ?」
「お前さんがいるとは思わなかったんだが……まあ、いいか。九重先生から嬢ちゃんたちに伝言を頼まれてな」
エイジの話を聞き、自分に用があった訳ではないと分かって、それもそうかと頷くリィン。
商店街でトワと会わなければ、九重神社に立ち寄ることはなかっただろうことを考えると、エイジがここにリィンがいることを知っているはずもない。鷹羽組の組織力を使えば人ひとり捜すくらい訳ないことだろうが、それならばセイジュウロウに頼んで連絡を取ってもらえばいいだけの話だ。そうしなかったと言うことは、リィンが目当てではなく他に用があって訪ねてきたと考える方が確かに自然だった。
とはいえ、
「爺さんと知り合いだったのか?」
「ああ、昔ちょっと世話になってな……稽古を付けてもらったこともある」
「なるほど、それで先生≠ゥ」
ソウスケとエイジが知り合いだとは思っていなかっただけに、少しだけリィンは驚いた様子を見せる。
だが、鷹羽組が北都と繋がっていることを考えれば、決して不思議な話ではない。
その辺りの話も聞いて見たい気はするが、それよりもソウスケの伝言と言うのが気になった。
「あの……お祖父ちゃんから伝言って?」
リィンが尋ねる前にトワがエイジに話を聞く。
その不安げな表情を見れば分かるが、何かあったのではないかとソウスケの身を案じているのだろう。
何処へ出掛けているのか? 何を聞いても答えてくれず、最近ずっと帰りが遅いから心配していたのだ。
ソウスケの身に何かあったのではないかと、トワが心配になるのも無理はなかった。
「ああ、俺の言い方が悪かった。九重先生に何かあったって訳じゃ無い。元気にされているよ」
「じゃあ、どうして……」
帰って来ないでエイジに伝言を頼んだのか、とトワは当然の疑問を持つ。
それは一緒に話を聞いているコウも同じだった。
揃って首を傾げるソウスケの孫たちに、エイジは小さく苦笑しながら説明する。
「詳しいことは俺も聞いてないが、なんでも神社の仕事が入ったらしい」
「神社の仕事? それってお祓い≠ニか?」
「まあ、そんなもんだ」
コウの疑問に適当なことを言って答えるエイジに、そんなので良いのかと言った呆れた視線を向けるリィン。
恐らくは、いま街で起きている異変に協力者として担ぎ出されているのだろうと察してのことだった。
怪異との戦いは、ある意味でお祓いと言えなくもないが、相手が子供とはいえ説明が適当すぎる。
案の定、コウは訝しげな目をエイジに向けていた。
「それで、しばらく泊まり込みになるから数日は帰れないそうだ。子供らだけでは心配だから、ついでに様子を見てきて欲しいと言われてな。伝言ついでに立ち寄ったって訳だ」
「そうだったんですね。態々ありがとうございます」
ほっとした表情で安堵の息を吐くと、丁寧に頭を下げながら御礼を言うトワ。
コウの方はまだ少し疑っている様子だが、トワに倣って頭を下げる。
こうした礼儀作法にトワが五月蠅いことを知っているからだ。
「……ってことは、今日は暇なのか?」
その程度のことで、こんなところにまで足を運ぶくらいだ。
時間はあるのだろうと考え、リィンはエイジに尋ねる。
「まあ、時間は確かにあるが……」
「なら、丁度良かった」
「は?」
何が丁度良いのかと戸惑いの声を漏らすエイジ。
そんな彼を見て、リィンはニヤリと笑うと――
「爺さんから武術を学んでたのなら、こいつらの稽古≠見てやってくれ」
そう言って肩を叩き、子守りを押しつけるのであった。
◆
「意外と面倒見が良いんだな」
「人に子守りを押しつけておいてよく言うぜ……」
その日の夜、縁側でリィンはエイジと酒を酌み交わしていた。
リィンが思っていた以上にエイジの面倒見が良く、アスカの負けん気も影響して稽古が終わったのは完全に日が暮れてからだった。その流れから夕食をご馳走になり、今日は泊まっていって欲しいとトワに半ば強引に押し切られてしまったのだ。
ちなみにカズマは施設の門限があるからと途中で帰ったが、アスカとコウは同じく九重家に泊まっていた。
コウは坂を下ったところにある住宅街に両親と三人で暮らしているらしいのだが、まだエイジのことを警戒しているらしくトワのことを心配して自分も泊まると言いだしたのだ。アスカはと言うと『監視役だから』と本人は言っているが、実際には歳の近い友人が出来たことが嬉しかったのだろう。特にトワによく懐いているようで、一緒に風呂に入って今も同じベッドで寝ていた。
ネメシスの関係者と言っても、まだ七つの少女だ。むしろ、いまの姿の方が自然だとリィンは感じていた。
「さてと、ガキどもは寝たことだし、そろそろ聞かせてくれるか?」
「……何をだ?」
「お前、裏のことはどの程度知ってるんだ?」
やっぱりその質問がきたかと言った表情で、溜め息を吐くエイジ。
この場合の裏≠ニは、ヤクザの話ではないと察してエイジはリィンの問いに答える。
「いま街で面倒なことが起きているのは把握している。だが、それほど事情に明るい訳じゃない。テメエ等みたいな化け物と違って、こっちはただの人間≠ネんでな」
エイジの話を聞き、やはりそういう立ち位置かとリィンは納得する。
裏の世界に通じていると言っても、鷹羽組は特別な力など持ち合わせていない普通の人間≠フ集まりだ。
当然、怪異と戦うことは疎か、異界の存在自体を認識することが出来ない。
街で何か異変が起きていることには気付いているのだろうが、出来ることと言えば不測の事態に備えることくらいだ。
「となると、爺さんは災厄≠ノ備えて待機中ってところか」
「ああ……今回の件は相当にやばいらしくてな」
もしもの時は、孫たちを街の外へ逃がして欲しいと頼まれたとエイジは話す。
「お前さんたちも、その災厄って奴との戦いに参加するんだろ?」
「さて、どうしたもんかな?」
「おいおい……」
リィンたちの実力はよく知っている。それだけに重要な戦力に数えていたのだ。
しかし気乗りがしない様子のリィンを見て、そういやそうだったかとリィンたちの立ち位置を思い出す。
金で戦場を渡り歩く傭兵だと、リィンは自らのことを名乗ったのだ。
そうである以上、報酬が満足の行くものでなければ手を貸してはくれないだろう。
「北都からは何も言ってきてねえのかよ」
「組織としての建て前≠烽る。いざとなったら泣きついてくるだろうが、最初から外≠フ人間に頼る訳にはいかないんだろ」
「ああ……そういうことか」
セイジュウロウ個人の考えはともかく、組織としては外部の人間に弱味を見せるような真似は出来るだけしたくないはずだ。
それにリィンたちを動かすとなると、相応の報酬を用意する必要がある。それには周囲を納得させる必要があった。
今回の一件にはゾディアックだけでなく、協力組織であるネメシスも関わっている。
北都グループの会長とはいえ、セイジュウロウ一人の考えだけで進められるほど、単純な話ではないのだろう。
「ましてや、国家存亡の危機なんて話になると国≠ェ絡んでくるしな」
リィンもそんなところに駆り出されるのは、ごめんだった。
そうした面倒事をリィンが嫌っていると承知しているからこそ、いまは何も言って来ないのだろう。
いや、リィンたちの存在をギリギリまで隠しておきたいという思惑もあるのかもしれない。
異世界人だと説明したところで普通は信じてもらえないし、怪異の仲間ではないかと食って掛かるバカもいるだろう。
そんなことになって、リィンたちを敵に回す方がデメリットが大きい。そう、セイジュウロウとヤマオカは考えたのだろう。
だが、
「今回の件が無事に終わったら、一杯奢らせてくれ」
「……まだ、仕事を受けると決めた訳じゃ無いぞ? そもそも俺たちの出番≠ェあるとは限らない」
「それでもだ。他の連中のことはよく知らないが、お前さんたちの実力はよく知っている。それに短い付き合いだが性格≠燉揄しているつもりだ」
リィンたちが義理堅い人間であることをエイジは知っていた。
だからこそ、自分たちの組長もリィンたちのことを気に入ったのだろうと――
筋を通せば、ちゃんと応えてくれる。そんな彼等だからこそ、信じられる。
命を預けるのであれば、よく知らない組織よりもリィンたちの方が信頼できるとエイジは考えていた。
「北都が報酬をゴネるようなら、うちが言い値≠ナ払ってもいい。それだけの仕事をしてくれると期待しているからな」
そう言って笑うエイジに呆れ、リィンはコップに注いだ日本酒を呷りながら夜空を見上げる。
ほんのりと赤みを帯びた月が、よくないことが起きる前触れを報せてくれているようだった。
――東亰冥災。
後にそう呼ばれることになる災厄の日まで、残り二日≠切っていた。
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