「……子供?」
空に浮かぶ青い髪の子供を見上げ、戸惑いの声を漏らすリィン。一瞬、キーアかと思ったが、すぐに別人だと悟ったからだ。
古ぼけた外套を羽織った少年とも少女とも見分けがつかない中性的な顔立ちをした――何処か神秘的で不思議な印象を抱かせる子供であった。
リィンがキーアと見間違えそうになったのも無理はない。
至宝の力をその身に取り込み、覚醒したキーアと身に纏っている雰囲気がそっくりだったからだ。
「――ちッ! 邪魔だ!」
声を掛けようとしたところで怪異に邪魔をされ、苛立ちをぶつけるようにリィンは武器を振り下ろす。
そうして、押し寄せる怪異を淡々と処理していくリィン。
最後の一匹を倒し終えたところで、再び空を見上げるも――
「……逃げられたか」
既に子供の姿は見当たらなくなっていたのだった。
◆
「まさか、ボクの気配に気付くなんてね」
今度は見つからないように十分な距離を取ったところで高層マンションの屋上に降り立ち、青い髪の子供はそう呟く。
異界に関わる裏の人間から『異界の子』と呼称されている国籍・性別・年齢不詳の子供。そもそも人間かどうかすら判明しておらず、異界化が起きた現場で度々存在が確認されているということしか分かっていない謎の多い少女(?)。それが彼女――レムだった。
謎めいた言動が多く、時に人間の味方をするかのような行動を取ることから、異界についてすべて≠フ謎を知るとされ、様々な組織から注目を浴びる存在でもあった。
彼女から異界に関する情報を得ようと、その足取りを追っている人間も少なくない。異界化が起きている場所で彼女の姿が目撃されているのは、少なくとも事実ではあるからだ。実際、今回もレムは街を呑み込むほどの強大な怪異の気配に導かれ、この街へとやってきた。しかし、その怪異よりも更に大きな力を感じ取り、原因を探るために気配の先へと向かって見れば、そこにリィンがいたのだ。
リィンのなかに眠る力を、レムは正確に感じ取っていた。だからリィンに興味を持ち、密かに観察をしていたのだ。
あっさりと見つかってしまったのは想定外だったが、それでも懲りた様子はなく興味深い人物を見つけたと言った顔をレムは浮かべる。
「あの力……彼はもしかしたら……」
何か心当たりのある様子で、リィンの力の正体に考察を巡らせるレム。
異界化と呼ばれる現象が確認されて凡そ半世紀以上。
ずっと世界を観察し続けてきた彼女だけが、この世界で唯一リィンが持つ力の正体に近い答えを持っていた。
「――王の力。差し詰め、彼は黒の王≠ニ言ったところかな? だとすれば、彼こそ世界の要≠ニなる存在なのかもしれない」
もしそうなら、怪異では絶対≠ノリィンに勝つことは出来ない。
異界で生まれた存在には相性の悪すぎる相手だと、レムはリィンの力を分析する。
「もっとも、まだ完全≠ノ目覚めてはいないみたいだけど」
リィンが自分自身の力を完全に自覚していれば、こんな風に逃げきることは難しかっただろうとレムは考えていた。
とはいえ、力を使いこなせていないとは言っても、リィンが驚異的な力を持つことに変わりはない。
街を呑み込み、国を滅ぼすほどの強大な力を持つ神話級グリムグリードであったとしても、恐らくリィンには敵わないだろうとレムは見立てていた。
「ボクは運≠ェいい。いや、これも運命≠ネのかな?」
それでも、リィンの力を見定めるには丁度良いイベントだとレムは小さな笑みを漏らす。
もしかしたら彼は、ずっと縛られてきた役目≠ゥら解放してくれる存在かもしれない。
彼がザナドゥ≠ヨと至れる可能性を僅かにでも持つのだとすれば――
「見定めさせてもらうよ。黒の王――キミの持つ可能性≠――」
選択にたり得る資格をリィンが持つかどうかを、自分の目で確かめたい。
後に『東亰冥災』と呼ばれることになる大災厄。
その異変を引き起こした元凶にではなく、レムの興味は異世界からやってきた一人の人間――
リィン・クラウゼルへと向けられるのであった。
◆
九重神社の拝殿には、近隣から避難してきた人々が集められていた。
命からがらと言った状況で逃げてきたのだろう。手荷物などはなく、店のエプロンをつけたままの商店の従業員や、夕飯の買い物途中だったと思しき主婦に幼い子供。仕事帰りの会社員や学生と言った感じに、着の身着のままでここまで逃げてきた人たちがほとんどだった。
そんななか怪我人に寄り添い、励ましの声をかけながら治癒術を施すエマの姿があった。
本来、魔術は秘匿されるべきものと言うのはエマも理解しているが、状況的に放っては置けなかったのだ。
特に逃げる途中で怪我を負った老人や子供を、魔術の秘匿を理由に放置するような薄情な性格をエマはしていなかった。
結果――
「きっと、神様が遣わされた御遣い様≠ノ違いない」
「ありがたや、ありがたや」
ここが神社――それに巫女装束を着たトワが治療の手伝いをしていたと言うことも理由にあるのだろう。
何やら妙な勘違いをされ、怪我を治療した人たちに拝まれると言った事態にエマは遭遇していた。
とはいえ、魔術について詳しく説明する訳にもいかない。ましてや本当のことを話したところで、誰も信じてはくれないだろう。
「まあ、お陰で皆さん少し落ち着いたみたいですし……」
結果オーライだと、トワはエマにフォローを入れる。
実際、不安と恐怖からパニックに陥りかけていた人も中にはいたのだ。
そう言う意味でエマの取った行動が人々に希望を与え、支えとなっていることは確かだった。
とはいえ、不安なのはトワも同じはずだ。トワが何も説明を求めて来ないことを訝しみ、エマは尋ねる。
「……何も聞かないのですか?」
「驚いていないと言えば嘘になりますけど、そのお陰で助かった人たちがいるのは事実ですから」
いまはそれで十分です、とトワは笑顔で答える。
中学生とは思えない大人びたその気遣いに苦笑しつつも、感謝するエマ。
とはいえ、この先なにがあるか分からない。怪異の脅威からここにいる人たちを守るためにも、やはり彼女にだけは状況をきちんと説明しておくべきだろうとエマは考える。
せめて危険が迫っていることだけでも知ってもらおうと、そのことをエマが口にしかけた、その時だった。
「エマさん! コウが――」
拝殿にアスカが飛び込んできたのだ。
コウの名を聞き、拝殿の外へと飛び出していくトワを急いで追いかけるエマ。
そこで二人を待っていたのは――
「ゴトウさん? それに……コーくん!?」
エイジの腕のなかで、ぐったりとした表情を浮かべるコウの姿を見て、慌ててトワは駆け寄る。
しかし、トワの呼びかけにコウが応える様子はない。意識を失っているのだろう。
全身血塗れで明らかに重傷と言った感じのコウを見て、トワは顔を青ざめる。
そんな冷静さを欠いたトワを諌めるようにコウとの間に割って入り、エマはエイジに指示をだす。
「こちらへ彼を寝かせてください」
どうするつもりなのかとは聞かずに、黙ってエマの指示に従うエイジ。
リィンとシャーリィの仲間でもあるエマなら、もしかしたらとコウを助けられるかも知れないと考えたからだ。
実際、まっすぐ病院に連れて行かず神社へ立ち寄ったのは、リィンたちと合流できるかもと期待してのことだった。
どのみち地震の影響で電気やガスは止まっていて、交通機関も麻痺している状態だ。そんな状況で病院に連れて行ったところで、満足に治療を受けられるかは怪しい。
コウと同じように怪我を負った人たちが大勢押し寄せているはずだと、冷静に状況を分析しての行動でもあった。
「これは……」
「どうした? そんなにやばいのか?」
「いえ、逆です。血を流してはいますが、傷は塞がっているんです。まるで最初から怪我≠ネどしていなかったかのように」
そんなバカなと言った顔で、コウの傷口を確認するエイジ。そして、目を瞠る。
エマの言うように衣服に血が付いてはいるものの、どこにも怪我を負っている様子がなかったからだ。
ありえない、とエイジは呆然とした声で呟く。
当然、ここまで運んでくる途中で、簡単にではあるがコウの状態を確認している。出血を止めるために応急処置を施したのはエイジなのだ。
簡単に塞がるような怪我ではなかった。命に関わるような傷をコウは負っていたはずだ。
それなのに――
「どういうことだ?」
「分かりません。ですが……」
見た目は酷い有様だが、ただ眠っているだけで命の危険はないとエマは答える。
そんなエマの診断に、ほっと安堵の息を吐くトワとアスカ。
全身血塗れで運ばれてきたコウを見て、心臓が止まるかと思うくらい驚かされたからだ。
どんな事情があれ、コウが無事だったことを喜ばずにはいられなかった。
「ゴトウさん。ありがとうございました」
「気にするな。九重先生からお前等のことを頼まれていたしな」
むしろ駆けつけるのが遅れたためにコウに酷い怪我を負わせ、トワに心配をかけたことをエイジは申し訳なく思っていた。
異変が起きることは分かっていたのだ。なのに、こんな事態を招いたのは自分の認識が甘かったからだとエイジは考えていた。
「あの……それで、保護したのはコーくんだけですか?」
「は? 俺が見つけた時には、この坊主一人だったが……」
落ち着きを取り戻すと、何かを思いだしたかのようにトワはエイジにそう尋ねる。
「もしかして、カズマのこと?」
「ううん、カズマくんのことじゃなくて……あれ?」
アスカにそう尋ねられるも、トワは答えられずに言葉を詰まらせる。
自分でもどうしてこんな質問をエイジにしたのか分からなかったからだ。
「大丈夫?」
様子のおかしいトワを心配してアスカは声を掛ける。
そんなアスカの声で、我に返るトワ。何か引っかかっているのは事実だが、いまは他に優先べきことがあるのを思い出す。
コウのことも心配だが、ここには同じように不安を抱え、避難してきた人たちが大勢いるのだ。
祖父が留守にしている今、自分がしっかりとしないととトワは気を引き締め直した。
「ゴトウさん。お願いがあります」
「ああ……出来れば、嬢ちゃんと坊主には、別のところへ避難して欲しいんだが……」
無理そうだな、と覚悟を決めた様子のトワを見て、エイジは諦める。
本当はソウスケとの約束で、二人を街の外へ避難させるつもりで神社へやってきたのだ。
その途中で、血塗れで倒れていたコウを拾ったと言う訳だった。
しかし、なんとなくこうなるのではないかと言った予感もあった。
この間の一件でトワとコウがソウスケの孫だと言うことは、嫌と言うほど実感させられたからだ。
そんななか――
「俺からも頼む」
割って入った声に反応してエイジが振り返ると、いつの間にか後ろにはリィンが立っていた。
二本のブレードライフルを腰に携え、物々しい雰囲気を纏ったリィンを見て、頬を引き攣るエイジ。
完全武装したリィンの姿を見れば、どこで何をしていたのか容易に察することが出来たからだ。
「商店街から使えそうなものを集めてくれば、数日は凌げるだろ」
「……そう言うからには、あの化け物どもは?」
「ああ、一掃しといた。しばらくは沸いてでないだろ」
事もなげに答えるリィンを見て、やっぱりと言った顔で溜め息を吐くエイジ。
特に心配をしていた訳ではないが、リィンの非常識なまでの強さを改めて実感させられたからだ。
そしてリィンの説明に目を瞠り、呆気に取られているのはアスカも同じだった。
「この短時間で? 百体以上いたのに?」
リィンと別れてから、まだ三十分ほどしか経っていないのだ。
それなのに百体以上いた怪異を、あっさりと始末してきたと言われて驚かない訳がなかった。
ましてや、なかにはグリムグリードクラスと思しき怪異もまじっていたはずなのにだ。
そんな真似、ネメシスの執行者でも難しいだろうと言うことは、子供のアスカにも理解できる。
「さすがに数が多かったから、少し手間取ったけどな」
手間取って三十分……と明らかに自分のなかの常識と、リィンの認識に大きな差違があることをアスカは自覚する。
強いことは分かっていたつもりでも、ここまで差があると張り合う気にもなれなかった。
今更ながら、とんでもない約束をしてしまったのではないかとアスカは考える。
母親の敵を討つと、シャーリィやリィンに啖呵を切ったことを思い出したからだ。
「いまの状況だと何処に避難をしても危険なのは同じだ。なら、ここの守りを固めて異変が収まるのを待つのが最善だろ」
「まあ、それもそうか……」
リィンの言葉に一理あることをエイジも認める。
トワとコウの二人を街の外へ避難させると言ったところで、途中で怪異と遭遇しない保証はない。
それに情報が錯綜していて市外もどうなっているのか、はっきりとした状況は分かっていないのだ。
一応、避難先を確保しているとは言っても、そこも安全かと問われるとエイジも確信を持って答えることは出来なかった。
「それで、お前さんはこれからどうするつもりだ?」
リィンの提案に賛同しつつも、これからどうするつもりなのかとエイジは尋ねる。
騒ぎが収まるまで拠点に籠もって大人しくしている性格には思えなかったからだ。
そんなエイジの疑問にリィンは逡巡し、「そうだな」と一言頷くと――
「まずは腹ごしらえするか」
と、答えるのだった。
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