「さてと……」
ヴァリマールに乗り込み、どうしたものかと思案するリィン。
無理をすれば、もう一撃くらいはグングニルを放てるかも知れない。
だがヴァリマールの力を借りても、頭上に浮かぶ黒い太陽を消滅させられるかと言うと難しいだろう。
となれば、残された手は〈黄金の剣〉しかない。〈塩の杭〉を消滅させたあの力なら通用する可能性は高い。
しかし、
(いまの状態では無理だな)
自分の身体のことだからよく分かる。
仮に命を燃やしたとしても、あの時のように〈黄金の剣〉を錬成することは不可能だろうと――
オーバーロードはそもそも〈王者の法〉の力を限定的に解放することで、ゼムリアストーン製の武器の性質を変化させ特性を付与する戦技だ。ゼムリアストーン以外の武器にも使えなくはないが、錬成に耐えられずに崩壊を招く弱点がある。そして〈黄金の剣〉は、そんな〈王者の法〉の力を完全≠ノ解放することでしか使えない錬金術の奥義とも言える技だ。
限定解除もやっとの状態で使えるような技ではない。こればかりは気合いでどうにかなるような話ではなかった。
となれば――
「ヴァリマール。無理をさせることになるが、付き合ってくれるか?」
リィンの言葉に霊力を解放し、双眸に光を灯すことで答えるヴァリマール。
リィンがヴァリマールの起動者となってから、まだ一ヶ月と経っていない。
本来、騎神には幾つものリミッターが課されている。しかし、リィンは最初からヴァリマールの力を十二分に引き出していた。
クロウでさえ、オルディーネの力を完全に引き出すのに四年もかかったと言うのにだ。
普通は起動者の成長に合わせて段階的に解除していくものなのだが、リィンの力が騎神の想定を超えていたのだろう。
そこに加え、リィンのヴァリマールとの同調率は歴代の起動者と比較しても飛び抜けた数値を示していた。
これはリィンが生まれ持った先天的な力――特異な体質に理由があるのだろう。
「そう簡単には近付けさせてくれないか」
黒い太陽を守るように無数の怪異が顕れる。熾天使と呼ばれる天使の姿をした怪異だ。
神話級グリムグリードと比較すれば、たいした敵はない。
しかし、少しでも力を温存しておきたいリィンからすれば面倒な敵だった。
(仕方がないか)
多少の消耗は仕方がないと諦め、リィンが戦技を発動しようとしたところで、地上から放たれた無数の剣や槍が熾天使を貫く。
まったく予期せぬ方角からの援護射撃に戸惑い、目を丸くするリィン。
だが、すぐに誰の仕業かを察する。こんな真似が出来る人物は一人しか思い当たらなかったからだ。
「シャーリィか。獲物は譲ってくれたんじゃなかったか?」
『大物は、ね。でも、こんないるんだから少しくらいは貰ってもいいよね?』
そう言って、再び無数の武器を召喚し、怪異に目掛けて射出するシャーリィ。
千の武器を持つ魔人。それが、シャーリィを起動者に選んだ〈緋の騎神〉の二つ名だ。
魔王の放つ狂気に呑まれ、偽帝オルトロスも扱いきれず、暴走させた騎神。
しかし、
『アハハ! いいね、いいよ! 〈緋の騎神〉――アンタの力をもっとシャーリィに見せてよ!』
リィンの〈鬼の力〉に勝るとも劣らない強力な異能。
その名が持つ圧倒的な殲滅力で、無数の熾天使を瞬く間に屠っていく。
シャーリィが〈緋の騎神〉の起動者となったのは、数奇な運命と偶然が重なった結果だが――
僅かな期間で騎神の能力を引き出し、乗りこなしているシャーリィも規格外の存在と言えるだろう。
「……完全に自分の世界に入っちまってるな」
だが、いまは都合が良い≠ニリィンは考える。
チャンスは一度切り。無駄に出来る力は一欠片とて残されていない。
そんな状況の中でシャーリィの乱入は、リィンにとって幸運だった。
『ちょっと! 私が乗ってることを忘れてない!?』
通信にレイラの悲痛な声がまじっている気がするが、取り敢えず聞かなかったことにするリィン。
こうなったら何を言ったところで、シャーリィは止まらないと分かっているからだ。
そして、地上では――
「胸の下に見えるコアを狙ってください!」
ソウスケたちと合流し、魔煌兵の相手をするエマの姿があった。
グリムグリード級の力を持つ魔煌兵だが、数と地の利を生かすことで一体ずつ確実に処理していく。
魔術による支援をしながら的確な指示をソウスケたちに送るエマを見て、さすがだなとリィンは評価する。
エマ自身の戦闘能力はリィンやシャーリィと比べれば、それほど高くはない。
だが、一流の魔女となるために学んできた豊富な知識と、盤上を見据える力はリィンも一目を置いていた。
リィンの記憶を覗き見ることで得た原作知識があったとはいえ、仮にもヴィータの裏を掻いたことすらあるのだ。
何より原作のエマにはない力が、いまのエマにはある。
ティオ・プラトーにも劣らない高い感応力。影の魔術や騎神のリンクを利用した念話なども、この能力によるところが大きい。
教団の実験で備わった忌まわしき力ではあるが、エマは自らの力を卑下することなく使いこなしていた。
「俺たちも行くぞ、ヴァリマール」
そんな二人に負けてはいられないと、リィンは自らを奮い立たせ――
黒い太陽へ向かって、真っ直ぐに飛び立つのだった。
◆
「あれは……」
真っ直ぐに黒い太陽へ向かって飛んでいく騎神に気付き、ヴァリマールだとエマは察する。
しかし、どこか様子がおかしいことに気付くエマ。そして――
「リィンさん、何を……まさか!?」
黒い太陽に吸い込まれるように姿を消す騎神を見て、悲鳴にも似た驚きの声を上げる。
まさか、そんな行動にでるとは思ってもいなかったのだろう。
リィンの力なら、もっと簡単に黒い太陽――聖杯を壊す方法があると考えていたからだ。
なのに――
「どうして……」
グングニルが通用しなかったのは、エマも自分の目で確認している。
しかし〈塩の杭〉を消滅させた〈黄金の剣〉なら、聖杯と言えど跡形もなく消滅させられるはずだと考えていた。
キーアも言っていたようにリィンの力は女神によって歪められた因果を否定し、至宝すらも消滅させるほどの力を秘めているからだ。
神秘に造詣の深い魔女だからこそ、それがどういうことを意味するのかが誰よりもよく分かる。
少なくとも、この世界の怪異と呼ばれる存在では、決してリィンに敵うことはない。
それが分っているからこそ、リィンに任せておけば大丈夫だとエマは安心していたのだ。
「……力の余波で周囲に被害が及ぶのを避けた?」
黄金の剣であれば聖杯を消滅させることは可能だろうが、同時に周囲にも大きな被害をもたらす可能性は高い。
まだ完全にリィンが力を御し切れていないことは、並行世界のユミルの被害を見ても察せられる。
仮に力を暴走させれば、塩の杭以上の被害をもたらす危険も考えられた。
そのことを心配して、聖杯に自ら飛び込むと言った行動にでたのではないかとエマは考える。
「無茶をするんですから……」
世間のイメージから懸け離れた猟兵らしからぬリィンの行動を思い、エマの表情から思わず笑みが溢れる。
後に、それが勘違いであることを知ることになるのだが――
「必ず、無事に帰って来て下さいね」
いまはただ、リィンが無事に帰って来ることを祈るのだった。
◆
「ここが聖杯の中か」
真っ暗な空間。上下の感覚すら曖昧な場所で、リィンは周囲に気を配る。
エマの話によると、この聖杯は地脈からマナを吸い上げているという話だった。
なら、その大元を断ってしまえば、聖杯の機能を停止させられるのではないかと考えたのだ。
「この感覚……こっちか」
霊力の流れのようなものを感じ取って、その方角に向かってヴァリマールを操作するリィン。
すると――少し進んだところで、あたたかな光のようなものが見えてくる。
無色透明な力。あれこそが、聖杯の核と言えるものだとリィンは確信する。
「視認できるほどの霊力か。凄まじいな」
本来、霊力というものは目に見える力ではない。
しかし地脈から集められた膨大な霊力が一つの塊となって、太陽のような輝きを放っていた。
エマはまだ完成していないと言っていたが、至宝にも匹敵するほどの力を秘めていると見て、間違いないだろう。
人々の願いを聞き、奇跡を起こす神器。高度な文明を築く礎となったアーティファクト。
それが、空の女神エイドスがゼムリア大陸で暮らす人々に授けたとされる〈七の至宝〉だ。
思わず圧倒されそうになる強大な霊圧。確かにこれなら、どんな願いも叶いそうだとリィンは思う。
だが――
「――〈集束砲〉」
リィンは迷いなく戦技〈オーバーロード〉を発動する。
ヴァリマールの右腕がライフルの形状へと変化し、その銃口が聖杯の核へと向けられる。
女神の至宝はどんな願いも叶えてくれる一方で、人々の心を惑わし、様々な災いを招いてきた。
エマが教団にさらわれ、人体実験の被験者となったのも元を辿れば、女神の至宝が原因とも言える。
キーアの話が真実なら、リィンが転生した原因にも女神の至宝が関わっていると言うことだ。
力に魅入られ、自ら破滅の道を歩んだ人間たちにも悪いところはあるだろう。
しかし、争いの種になると分っているものを人間に与え、無責任にも姿を眩ませた女神に対してリィンは良い感情を抱いていなかった。
「こんなものを残していくと、争いの種にしかならないだろうしな」
人間の欲深さは、世界が違っても変わるものではない。
仮にこんなものが世にでれば、確実に人間同士の奪い合いへと発展するだろう。
聖杯とは言い得て妙だと、リィンは納得する。
なら、ここで完全に消しておくべきだと、引き金に力を込めようとした、その時だった。
「――ッ!」
不穏な気配を感じ、咄嗟に後ろへ飛び退くリィン。
先程までヴァリマールのいた場所に、紅蓮の炎が渦を巻きながら立ち上る。
禍々しくも狂気に満ちた霊気。その気配の正体を察せられないリィンではなかった。
「紅き終焉の魔王」
炎が渦を巻きながら巨人の姿へと変貌する。
紅蓮の炎を纏い、両腕から蟷螂のように巨大な鎌が生えた人型の怪異。
大きさはヴァリマールと同じくらいと言ったところだろう。
恐らくはこれが、本来の〈紅き終焉の魔王〉の姿なのだとリィンは察する。
緋の騎神に憑依していた時と同じ存在感を、目の前の怪異から感じ取っていたからだ。
(エマの予想は当たっていたな。ということは――)
シャーリィを先に誘き寄せたのは、やはり〈緋の騎神〉が狙いかとリィンは魔王の思惑を推察する。
「察しが良いな。〈緋の騎神〉と再び一つとなることで完全に復活を遂げるつもりだったのだが、あの娘……想像以上の強者だったようだ」
心を読まれ、驚きに目を瞠るリィン。だが、相手は神に例えられる怪異だ。
そうした不思議な力を持っていても、おかしな話ではないと考える。
それよりも――
「随分と流暢に話すじゃないか。今度は誰≠真似た?」
違和感を覚え、そんな質問を返すリィン。
怪異と話していると言うよりは、どこか人間臭さを〈紅き終焉の魔王〉から感じ取ったからだ。
それだけに、また誰かの人格を模倣したのではないかと考えるリィンだったが、魔王はそれを否定する。
「誰かの人格を真似たのではない。我はヴァリウスX世の四男にして〈緋の騎神〉の正当≠ネ起動者」
――オルトロス・ライゼ・アルノールだ。
と、怪異の王は威厳に満ちた声で、自らの名を明かすのだった。
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