「オルトロス?」
その名は確か、ドライケルスに討たれたという偽帝の名だったかとリィンは思い出す。
皇帝が逝去した後、後継者である皇太子を殺害し、帝位についた〈緋の騎神〉の元起動者だ。
「それって分不相応な力を求めた結果、騎神を暴走させてドライケルスに討たれたとかいう皇帝≠フことか?」
オルトロスを名乗る怪異の王を、そう言って挑発するリィン。
だが、
「そうして我≠激昂させ、隙を突くつもりでいるのだろうが無駄な挑発だ。お前たち猟兵≠フやり方はよく知っているからな」
安い挑発に乗るつもりはないと、オルトロスは鼻で笑う。
そう言えば、第六皇子ルキウスに雇われ、オルトロスの陣営と戦ったという猟兵の話もあったなとリィンは思い出す。
時代は違えど猟兵なんてそう変わらないかと、リィンはオルトロスが挑発に乗ってこない理由に納得する。
警戒すると言うことは、一度は挑発に乗って痛い目≠見た経験があると察したからだ。
「学習能力はあるみたいだな」
「……よく回る舌だ」
冷静さを装っていても、苛立ちが言葉に表れるオルトロス。
警戒していても、そう簡単に性格なんて変わるものじゃない。
オルトロスが本当はプライドが高く、短慮な性格をしていることをリィンは見抜いていた。
そうでなければ皇太子を暗殺し、武力で帝都を制圧するなんてバカな真似はしないだろう。
実際それで上手く行っていればいいが、皇位継承を巡る内戦へと発展している。
「確かにオルトロス本人で間違いないようだ。その性格、子孫とそっくりだしな」
カイエン公のことを思い出しながら、目の前の怪異がオルトロスであることをリィンは認める。
そんなリィンの態度と言動に怒りの沸点が限界を超えたのか?
オルトロスは腕を大きく振り下ろし、巨大な鎌からヴァリマールに向かって斬撃を飛ばす。
「短気は起こさないんじゃなかったか?」
「黙れッ! 薄汚い猟兵風情が!」
声を荒げ、両腕を振り回しながら無数の斬撃を放つオルトロス。
しかし、リィンはそんなオルトロスの攻撃を左右に身体を捻り、最小限の動きで回避する。
(思考を読めるのかと思って警戒したが――)
動きまで読まれている訳ではないと分かって、恐らくは表面的な思考しか読めないのだろうとリィンは推察する。
それに、お世辞にもオルトロスの動きは洗練されているとは言えなかった。
武術の心得はあるようだが、達人の域には達していない。戦闘センスも二流と言ったところだ。
恐らくは騎神の能力任せで、自ら戦うようなタイプではなかったのだろう。
だから、追い詰められて力≠求めた。
その結果〈紅き終焉の魔王〉を呼び覚まし、騎神を暴走させたと言うことだ。
正直に言って、これならシャーリィの方が遥かに起動者としての格≠ヘ上だ。
しかし――
(実力はたいしたことないが、この力は厄介だな)
仮にも、神の如き力を持つと噂される怪異だ。
実際〈紅き終焉の魔王〉の力は、リィンも目にしている。
実力は二流でも魔王級≠フ力を有していることは事実だ。
決して油断して良い相手ではないと、リィンは気を引き締める。
「千の武器を持つ魔人≠フ能力か」
ヴァリマールに向けて放たれた無数の剣や槍を見て、シャーリィが使っていた能力と同じものだとリィンは察する。
千の武器を持つ魔人。それが〈緋の騎神〉が持つ、もう一つの名だ。
剣や槍。それに斧と言った無数の武器を召喚し、それを敵に向かって射出する。
攻撃が当たらないのであれば、完全に逃げ道を塞いでしまえばいい。確かに理屈は間違っていない。
しかし、
「回避しきれそうにないか。なら――」
ヴァリマールの左腕を突き出し、リィンは七耀の盾≠発動する。
リィンは昔から手で触れた武器の仕組みを瞬時に理解し、クォーツなどに封じられた術式の解析に長けていた。
それはすべて、王者の法の力によるものだ。
オーバーロードとは、物質を解析。そして分解することで再構成≠オ、新たな姿と力を付与する戦技だ。
スヴェルはその力を応用することで、霊力や魔力で構成された術や物質をマナへと分解できる力を有していた。
「予想通りだな」
リィンのだした光の盾に触れた武器が、最初から存在しなかったかのように消滅していく。
となれば、紅き終焉の魔王が召喚した〈千の武器〉はマナによって構成された武器だと分かる。
スヴェルは〈オーバーロード〉の派生とも言える戦技だが再構成を必要としないため、他の技に比べて体力の消耗は少ない。
いまの自分でも問題なく使えることを確認すると、リィンは盾を前面に押し出してオルトロスとの距離を詰める。
「くッ! こざかしい真似を!」
焦りと苛立ち隠せない様子で声を荒げ、ヴァリマールを近付けまいと更に武器を召喚するオルトロス。
並の相手であれば、それで迎撃することは可能だろう。
対抗手段がなければ千を超す軍勢であっても、近付くことすら叶わず殲滅されるに違いない。
しかし、リィンはオルトロスにとって――いや、怪異と呼ばれる存在にとって天敵≠ニも呼べる相手だった。
「な――」
ヴァリマールの姿が一瞬ブレたかと思うと、オルトロスの視界から消える。
一瞬姿を見失うも、すぐに気配を探ることでヴァリマールの位置を捕捉するオルトロス。
「隠れても無駄だ! マナの動きを追えば、すぐに位置など――」
ヴァリマールの位置を特定し、攻撃を放とうとするも、また視界からヴァリマールの姿が消える。
確かに〈千の武器〉は強力な異能だ。相手が〈紅き終焉の魔王〉そのもの≠ナあれば、リィンも苦戦を強いられただろう。
しかし、オルトロスは人間≠セ。力を行使する者が未熟であれば、宝の持ち腐れ。
どれだけ強力な異能を持っていても付け入る隙は幾らでもある。
「どこを探している? こっちだ」
「――ッ!?」
頭上からリィンに声を掛けられ、上を向くオルトロス。
視線の先にはオルトロスに銃口を向け、ライフルを構えたヴァリマールの姿があった。
膨大な霊力がヴァリマールの右腕に集まっていく。
そして――
「おのれぇぇ――」
「遅い」
オルトロスが召喚した武器を放つ前に、リィンは引き金を引く。
解き放たれる極光。銃口より放たれた一条の光が、聖杯諸共オルトロスを呑み込むのだった。
◆
(何故だ! 何故だ! 何故だ!)
オルトロスは困惑の極みにあった。
魔王の力を手にしたはずの自分が、どうしてたかが猟兵≠ノ圧倒されるのかと――
確かにドライケルスに敗れはした。しかし、あれは〈緋の騎神〉が暴走したからだ。
あの時と違い、いまの自分は〈紅き終焉の魔王〉の力を完全に御している。
ならば、ドライケルスと同じ〈灰の騎神〉に乗っているとはいえ、人間如きに敗れるはずがない。
そう、オルトロスは考えていた。
しかし――
(この男は一体……)
ゾワリ、と背筋に寒気が走る。
集束砲の光を前に、オルトロスの脳裏に過ったのは煌魔城での戦い。
ヴァリマールの放った極光に呑まれ、消えていく〈紅き終焉の魔王〉が最期に見た光景だった。
いまなら分かる。自身の中の存在≠ェ何≠恐れ、焦っていたのか。
いや、そもそも――本当に自分は魔王の力を取り込んだのか?
と言った疑問がオルトロスの頭を過る。
神の如きと例えられる伝説の魔王が、この程度≠フ力しか持たないはずがない。
魔王の力は確かに自分の中にある。魔王との繋がりは感じる。しかし、これは――
(そうか、オレはとっくに終わって≠「たのだな)
ここにいるのは、嘗てオルトロスであったもの。自身がオルトロスの残滓に過ぎないことを自覚する。
魔王の力を手に入れたと喜んでいたのは自分だけで、実際には魔王の傀儡≠ノ過ぎなかったのだと――
魔王の狂気に呑まれたものの成れの果て。魂の牢獄に囚われた哀れな存在。
それが、偽帝と呼ばれた者。オルトロス・ライゼ・アルノールの末路だった。
「くくッ……これが、こんなものがオレの最期≠セと言うのか」
自然と笑いが込み上げてくる。
だが、そもそもどうして℃ゥ分がこんな姿で、見知らぬ世界に顕れたのかすら分からない。
ヴァリマールの放った極光に呑まれながら、オルトロスは答えのでない自問を続けるのだった。
◆
「以前、戦った時よりも、ぶっちゃけ弱かったな」
カイエン公といい、死んでも化けてでてくる執念は大したものだが実力が伴っていない。
まだ、これなら本能で戦う獣の方がマシだと、辛辣な評価を下すリィン。
とはいえ――
「やはり、一撃じゃ倒し切れないか」
しぶとさは一流だなと、溜め息を吐く。
リィンが見下ろす視線の先には、人間サイズにまで縮んだオルトロスの姿があった。
いや、全身に瘴気を帯びているが、これが本来の彼の姿なのだろうと片膝を突く男を見て、リィンは思う。
既に先程までのような闘争に満ちた禍々しい霊圧は感じない。
ここにいるのは魔王の力を失い、ただの人間へと戻ったオルトロスの残滓と言ったところだろう。
「ククッ……クハハハ……コレデハ、ドチラガ化ケ物カ分カラヌナ」
「五月蠅い。さっさと成仏≠オろ」
弱ったオルトロスにヴァリマールの左手をかざし、スヴェルで触れるリィン。
魔王クラスの怪異にこんな攻撃は利かないが、弱りきった残留思念程度なら十分に消し去れる。
マナへと分解され、薄気味悪い笑い声を上げながら消滅していくオルトロスを、冷ややかな目で見送るリィン。
そして――
「問題はこいつ≠ゥ」
集束砲を受けても消滅を免れ、変わらず輝きを放っている聖杯の核をリィンは眺める。
そして、心の底から困った様子で、どうしたものかと難しい顔を浮かべる。
これで消滅させられないとなると、いまのリィンには打つ手がなかったからだ。
「元凶も倒したことだし、暴走の心配はなさそうだが……」
エマは〈塩の杭〉に近いものが呼び出される心配をしていたようだが、リィンは違うと感じていた。
恐らくオルトロスは聖杯に霊力を集めることで人工的な至宝を生み出し、その力で復活を果たすつもりでいたのだろう。
まあ、緋の騎神のように力を制御しきれずに暴走させていた可能性もあるので、エマの心配が的外れとも言えないのだが――
実際、キーアは例外中の例外と言っていい存在だ。
至宝の力を制御して、神へと至るなんて真似は普通の人間には出来ない。
零の至宝を宿す器として造られたキーアだからこそ、虚なる神へと至れたのだ。
紅き終焉の魔王の力を取り込んだつもりでいて、実は眷族≠ニして踊らされていただけの男には無理な話だった。
「仕方ない。取り敢えず、キーアとエマに相談するか」
危険はないと判断して、こうしたことに詳しい二人に丸投げすることを決めるリィン。
元凶が消滅した以上、直に異界化も解けるはずだ。そうなったらキーアとも連絡が取れるだろう。
自分の仕事は終わりとばかりに肩の力を抜き、気を緩めた、その時だった。
――使わないのであれば、その力、我が貰おう。
空間に響く声に驚き、リィンが目を瞠った次の瞬間。
聖杯の核が宙に浮かび、空に溶けるように消え去ったのだ。
一瞬のことで、さすがのリィンも呆気に取られる。
「まいったな……」
最後の最後に気を抜いて、何者かに出し抜かれたのだとリィンは理解する。
らしくない失態に「あの世で親父が見てたら叱られそうだ」と呟きながら、深々と溜め息を溢すのだった。
◆
「第三者の介入ですか」
何者かに最後の最後で聖杯を奪われたとリィンに説明され、困惑の表情を浮かべるエマ。
異界化が解けたことで元凶の消滅を確信したのも束の間、素直に喜べない話をされたら戸惑うのも無理はない。
油断していたとはいえ、一瞬の隙を突いてリィンから聖杯を奪うなど、人間業とは思えなかったのだろう。
実際、黒い太陽の中はエマでさえ、覗き見ることは疎か、念話を飛ばすことも出来なかったのだ。
仮に外から介入したのであれば、それは常識の埒外の存在――神≠ナもなければ不可能なことだと考えられる。
「邪悪な感じはしなかったから、悪い存在ではないと思うんだが……」
いまとなっては言い訳となることは承知の上で、リィンは自分の感じた情報をエマに伝える。
紅き終焉の魔王とは違い、邪悪な気配は微塵もしなかった。
むしろ、ツァイトからも感じた聖獣に近い気配を、リィンは聖杯を掠め取った存在から感じ取っていた。
となれば、あながち神と言う予想も間違っていないのではないかとリィンは考える。
空の女神が実在することは、聖獣と至宝の存在が証明している。
なら、この世界の神が介入してきたと考えれば、説明が付かない訳でもないからだ。
「よく分からないけど、もう解決したならいいんじゃない?」
どうせ、この世界を去るんだし――と、二人の話に割って入るシャーリィ。
とはいえ、無責任に聞こえる発言ではあるが、シャーリィの言葉は的を射ていた。
結局はこの世界の問題で、リィンたちは異世界人に過ぎないからだ。
それに報酬を受け取ったら、リィンたちはこの世界を去るつもりでいた。
疑問は残るが解決する手立ても時間も残されていない以上、問題は放置するしかない。
「シャーリィの言うとおり悩んでも仕方がないか」
「……ですね。一応、レイラさんには忠告をしておきます」
レイラとて、こんな話をされたところで困るだろうが、何も報されないよりはマシだろう。
スケープゴートにしようとしている側が言うことではないが、これから大変だなとリィンはレイラに少し同情する。
そして、仲間たちと共に勝ち鬨を上げるレイラをビルの屋上から一瞥すると――
「もう少し、ゆっくり里帰り≠フ気分を味わいたかったが、ここらが潮時か」
リィンは見納めとばかりに、東亰の街並みを目に焼き付けるのだった。
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