外伝その229『勇壮16』
――Gウィッチ達はダイ・アナザー・デイで死闘を展開しているが、その理解者は意外なほどに同じ世界の者たちには少なかった。いくら上層部が有用と判断し、かつての英雄であろうと、部内では半ば鼻つまみ者扱いされていたが、この時期まで残っていた『往年を知る世代』が擁護者となった。(現役世代はともかくも、レイブンズは特に)レイブンズが前線で武功を示し続ける必要があったのは、七勇士伝説の風化によるものも大きく、ここ最近の山本五十六の頭痛の種であった。ウィッチはGウィッチやRウィッチの出現までは世代交代サイクルが早く、5年で半数が伝説を知らぬ代に入れ替わる。山本五十六がプロパガンダを自ら指揮を取った理由は、このサイクルに悩まされたからだ。そのため、扶桑ウィッチ隊は日本の横槍と内部分裂もあり、MATにしばし劣勢となってしまう。山本五十六は人員供給の最低ラインを死守すべく、レイブンズのかつての伝説を掘り起こし、新規人員供給の維持に努めた。その過程で注目されるように仕向けたのは、黒江のエクスカリバーである。黒江のエクスカリバーは特秘指定であったが、日本へのアピールにはうってつけであった。人型怪異が機密から外されてから数週間後に黒江の闘技は機密指定が解除された。ちょうど江藤が上奏したその日にあたる。しかし、山本五十六の思惑は外れ、些か遅きに失した感は否めない。だが、上層部はウィッチ兵科を竹井退役少将(竹井の祖父)の現役時の尽力への配慮もあり、彼が存命であろう大戦中は残したいと考えていたので、日本の零部隊に日の目を見させることで日本側の横槍を抑えようとする。これは一応の成功を収め、日本から追加の義勇兵を集める事に成功した。
――黒江は作戦中、自身の後継者『翼』との見分けをつけるためもあり、統括官としての任務を遂行していても、調を多少成長させた容姿を使っている。参謀としての任務を遂行している際、今回の『転生』での事変最終決戦を回想していた――
――事変の最終決戦は今回においても日本海相当の扶桑海で起こったが、今回は黒江達の技能が完全解放されていたという特典もあり、『前回』と打って変わって、聖闘士+Gウィッチ達の独擅場であった。黒江は前史では最終的にゲッター乗りとなっていたが、今回は智子との繋がりが強まったおかげか、マジンガーの力を制御できるようになった。智子がカイザーであるのなら……――
『出し惜しみ無しだ、見せてやる、もう一つの皇帝の力を!!エンペラーソォォド!!』
黒江が両腕を打ち合わせると雷光が走り、ちょうどその先にあった天城の飛行甲板にそれが突き刺さった状態で召喚される。それを引き抜き、黒江はそれを構える。それと同時に97式ストライカーが迸る力の奔流に耐えられずに足から抜け落ちるが、すかさず人間サイズのエンペラーオレオールを生成し、それを装着する。これで前史の最終的な速度に並ぶ事になる。そしてポーズを決めると、一気に光速に加速した。その速度はこの時点の常識を覆すものであり、奮進式推進の有望性を示すものとも言えた。そして、そのまま幾何学的飛行を見せ、当時の艦隊旗艦であった。長門めがけてやってくる怪異をめった切りにする。
『これが……電光三羽烏の力か…!』
当時における長門の艦長はそう呟く。レイブンズの名称は今回の歴史においては、『事後における伝説化からの逆輸入的名称』とされているので、事変当時はこちらの電光三羽烏ほうが使われていたというが、当時は対外的・国内向けを問わず、プロパガンダの重要性への見解が陸軍内部でも分かれていたので、当たり障りのない名称を使っていた……というのが実際のところだが、欧州での伝説が知れ渡ってから、通りがいいレイブンズで統一されたという。それも後の悲劇に繋がり、結局は電光三羽烏とレイブンズが同一の存在と認知されたのは、山本五十六のプロパガンダが浸透し、クーデターの後始末も終わる太平洋戦争の開戦直前の事であり、プロパガンダ戦略の失敗による世代間対立が新しい世代の『軍閥』という形で、日本連邦軍を長く悩ます事になる。
『サンダーボルトブレーカー!!』
この時、黒江はマジンエンペラーGやGカイザーの力を行使できるようになっており、それを全力で解き放った。智子が魔神皇帝なら、黒江はその対となる、『偉大なる魔神皇帝』と『偉大な皇』の力を得たのである。だが、皮肉な事に『地形をも変え、天変地異を引き起こすほど』の力が当時の保守派に殊更に危険視され、戦後の冷遇の伏線となってしまうのだ。
『グレートブラスタァァァ!!』
黒江は両腕を開き、自分の胸のあたりに集束させた光子力を炎に変え、『グレートブラスター』を追い打ちで放つ。これはマジンエンペラーGのそれと比べてさえ、何ら遜色はないもので、当時のどんな怪異も一瞬で溶解させてしまう高熱を発する。
『あの力は危険だ!なんとか増長する前に叩かなくては…』
その威力に、当時の保守派提督の一人であった宮里秀徳少将(史実では大和の艤装委員長↓初代艦長)は黒江のその強大すぎる力を危険視した。この恐れが後に、保守派を圧迫する事になる。長い目で見れば、自らを利するやもしれぬのに、目先の増長を恐れ、レイブンズの弾圧を選んだことが保守派海軍軍人の苦しい立場、ひいてはその後の反G派の伸び悩みへと繋がる。この時にウィッチの新たな未来を見いだせた海軍軍人は、竹井少将の後輩であった米内光政(1946年没)、山本五十六、少将の先輩の岡田啓介、鈴木貫太郎の最古参二巨頭、源田実、小園安名などの開明的な若手佐官のみであった(小園はその後、戦前の空母全廃論で唱えた『おい、中攻どころか、いまにアメリカ本土を直接爆撃できる大型機ができるぞ。そうなれば、あんな高い費用がかかる空母なんていらなくなるよ』という言葉は当たらずとも遠からずだが、実際は戦略爆撃機そのものが機体の高額化と防空網の進化、空母に費用対効果で負ける、空母には戦争抑止力がある事、戦闘機の熟練パイロット不足が原因で敗北を重ねた事実に打ちのめされて弱気になったり、抗命で階級剥奪となった事をネチネチ言われるなど、辛酸も舐めた。しかし、レイブンズの後援をしていることが救いとなったのは事実である。)この時からレイブンズの後ろ盾となった源田実については、坂本が黒江に今回の転生直後、『源田さんを前史で嫌ったのは、戦闘機無用論からの変節が理由であって、個人としては好いていたんだ』と述べている。前史で批判されたことが堪えていたのか、黒江にまず言う辺り、黒江には真意を言いたかったのだろう。源田実のお気に入りであり、後輩の菅野に『自己弁護』とも取られる危険があったのも事実だが、坂本は黒江を通して釘を刺すことで、戦闘機無用論の旗振り役の一人と目されつつ、結局は防空戦闘機部隊を率いた源田を戒めたかったのだろう。その源田実は高性能戦闘機や強力ウィッチを集中運用する思想を、黒江達と縁深かったことで転生できたことで早くから抱いていた。レイブンズの戦果を武器にするつもりであったので、江藤の行為には反感を抱いていた。(陸軍はプロパガンダに積極的であったが、江藤は若手の教育の観点から、スコアを調整して報告した。江藤は覚醒後、『こんな事(海軍中堅ウィッチのクーデター)が起こるなら、私に知らせてくれれば…』と嘆いたが、源田実や小園安名の不興を買っていたり、活動休止当時の最終上位編成の司令『田副登』中将に『君は面倒なことをしてくれたよ、江藤くん』と復帰後に嫌味を言われるなど、後で問題になったために処方面から睨まれる羽目となり、その禊として、事実上は、前線で一戦士として戦うことを余儀なくされている。それはある意味で不幸であるが、ミーナと並び、G化を国家への禊とする事になったのである)
『魔神!双・皇・撃!』
カイザースクランダーを模した炎の翼を展開した智子、エンペラーオレオールを纏う黒江の二人が魔神双皇撃(智子は剣を媒介に光子力ビームを撃ち、黒江はサンダーボルトブレーカーを撃つ)を披露し、今回も事変で見せ場を作ったが、インパクトがありすぎて、ウィッチを祀り上げるプロパガンダ戦略に懐疑的だった海軍保守派が反発し(保守派でほぼ唯一、黒江の味方に転じた提督は南雲忠一中将だろう)、ダイ・アナザー・デイ、ひいてはクーデターに至るまでの流れを決定づけてしまう。結果として、日本連邦化の流れになった時、同位軍の選んだ道が海軍の首を締め、飛行隊の数が陸軍飛行戦隊を上回っていたにも関わらず、空軍で主導権を取れない理由となる。(特攻の推進を理由に、空軍の中枢に大西瀧治郎がつけなかった理由でもある)日本の不手際で601空が移籍してしまった事による義勇兵拡大が救いであるものの、空母航空団の完全な再建は太平洋戦争の末期にずれ込み、空軍の熟練者達に空母乗艦任務が課せられるのには変わりはなく、海軍の『戦略航空を理不尽に奪われた』という被害意識が解消するのは、それどころではない国難――太平洋戦争――が激しくなってからである。
――1945年――
(そいや、今回は『魔神皇帝』の力を使ったのも、危険視された原因なんだよな。今になって急に上が掌返ししだしてるけど、今からじゃ『対立』を確定させるだけなんだけどな)
黒江はその点は諦めていた。扶桑軍部のプロパガンダ戦略の失敗が招いた世代間対立。今更、プロパガンダを方向転換したところで是正など不可能であり、MATの台頭と軍ウィッチの劣勢はこの時代には避けられないからだ。
(さて、それはそれとして、米軍を言うこと聞かせる切り札を切る時だな)
黒江は、傲慢に振る舞う米軍を政治的に抑え込むために動く。日本自衛隊が米軍を黙らせられる唯一の切り札となる話を陸上幕僚長から聞いていた。2018年の陸上幕僚長が入隊当時に聞いた言い伝えであった。それは東西冷戦下の時代、列車事故に見せかけて、2000人の列車乗客を謀殺しようとしたという、『映画のような』話。ジュネーブの国際保健機関で米軍が極秘裏に細菌兵器を培養していたのが事の発端であるという。1950年代から60年代までに起こったともされ、1970年代にフィクションという体裁で映画化された。目的は学園都市への対抗であったとも言い伝えられている。黒江は傲慢に振る舞う米政府を抑えるため、その話で揺さぶりをかける事にした。ガリアが黒江にノーブルウィッチーズ瓦解の報復を米国へ求めたからだ。他にも、扶桑軍航空関係者から『せめて我が国の兵器研究の方向性が間違っていない事を証明してくれ』とも依頼されていた。確かに日本は技術のアイデアは当時の第一級ではあったが、航空機のプロペラ技術が旧式であったり、冶金技術が遅れていた(トーションバーを造れないと揶揄されるほど)点はあったが、扶桑は大日本帝国より格段に冶金技術が良く、陸戦兵器の発達に必要なトーションバーを造れる。そのために日本が強引に次期中戦車への布石として導入させたが、これに関しては正解であった。旧来のシーソーバネ方式ではもはや限界が見えていたため、45年当時に最新技術であるトーションバーはチリ試作時から検討されていたが、『武人の使用に耐え得るのか』という懸念で見送りとされた経緯とした。当時としては至極当然だが、日本は『笑止千万』と一蹴。61式戦車(自衛隊)を砲戦車扱いで生産させてノウハウを蓄積させ、74式のコピーに反映させた。最も、61式戦車の独自コピーは既に生産されてはいたが、予算対策でチリの改良型とされていたために、日本側には顧みられなかった。そのため、74式コピーの『七式中戦車』が扶桑と日本で初の共通規格戦車とされている。
(ん。横空にいる『草』からだ。志賀め。統制効かせろと親父さんに言われてるのに、効いてない。やっぱ出戻りには無理だな)
黒江は海軍にいるシンパを(忍者の家系)使い、クーデターに加担しそうな横須賀航空隊の監視をしていた。志賀の統制が効いていないとメールで報告される。黒江と志賀の関係がエース制度関連の対立で悪くなっていた事が表れている。しかし、志賀も心の中では日本の介入で従来の考えが通じなくなり、撃墜王が国民の慰めのために必要とされる時代がやってきた事は感じており、『空軍に導入されるのは反対しないが、伝統ある海軍航空隊には…』と従来より主張をトーンダウンしていた。志賀は伝統にしがみついていたが故に、空軍ができる時代、エースパイロットが必要とされる時代への変遷を理解しきれなかった。そこが志賀の悲劇である。国の最大の英雄である黒江と対立したという事実がその軍歴に暗い影を落とし、横空に睨みが効かせられなかった事の責任を取る形で太平洋戦争直後に退役する。後に傭兵に転じたのは、黒江達の死闘に後ろめたさを感じていたからだとされている。
――また、黒江が航空・装甲戦闘車両研究者達の願いを日本側へ届けるように頼まれていたのには理由がある。これは当時、扶桑の航空技術関係者の少なからずが、自国製飛行機(試作含め)の数々が史実での米軍系の系譜に位置する高性能ジェット戦闘機たちに瞬く間に戦線から駆逐される事に反感を持っていた事、海軍横須賀航空隊が『大型爆撃機の迎撃戦なんて想定していないのに、それだけで最古参搭乗員(ウィッチ含め)が吊し上げされ、自分達の活動が自粛されなければ……』とクーデターの際に申し開きとして上奏するであろう事も関係していた。横空はこの時期に『戦闘機同士の空戦や対爆撃機迎撃など、我々は想定していないのに』と嘆き、上奏していたが、日本側が求めたのは『米軍機を如何なものであろうと寄せ付けない空の支配者』であったのも不幸である。日本は高度10000mの大型爆撃機を一撃で落とせる戦闘機を求め、横須賀航空隊を史実の『紫電改のほうが戦闘機戦に向いてる』という提言を理由に、理不尽な吊し上げを行った。これがクーデター事件の延長線上にある機材焼却事件の原因になり、結果的に震電のジェット化開発に多大な支障を来す事になる。(志賀が焼却事件をきっかけに、黒江との和解と芳佳への償いを行動原理とするようになったのは、自分の不在が宮藤一郎技師最後の遺産をみすみす失わせたという後悔からである)当時、既に開発されていたジェット機『橘花』は扶桑のジェットエンジン技術の未熟、渡された図面がメッサーシュミットMe262の初期案のものであった事もあり、陸軍の『火龍』よりも性能が下だった。それを理由に開発中止は理不尽であった。だが、日本が提供する機体群に比べると、魅力に乏しかったのも事実だ。(旭光と栄光がそれらに取って代わり始める時期であったため、火龍も配備中止だが)ドイツ領邦連邦は、日本連邦の請求に窮し、カールスラント連合帝国にメッサーシュミットのライセンス料過払い分を支払せ、天城型『愛鷹』の復帰工事費を負担させた。(この時の費用が嵩んだため、カール・デーニッツを潜水艦へより傾倒させたのは言うまでもない。)日本連邦は自身の潜水艦の先進技術や米国が後世で作った機体を早期に配備することで、ライセンス料ぼったくりへの事実上の報復としたため、カールスラントの持っていた『技術立国』のブランドは地に落ち、新京条約の縛りを悲観した技術者の流出もあり、結局は史実と似た方向での航空分野の衰退を余儀なくされたという。(その一方で陸戦分野ではそれまで通りだった)結果を見るなら、扶桑は橘花を当初は攻撃機として、後に対爆撃機用の迎撃戦闘機としての使用を検討していたのを、制空戦闘機として設計された『F-86』や『F-15』などの台頭でジェット機が制空戦闘機の代替になる事を確認し、ジェット機の時代を迎えていくし、戦車も90ミリ砲、後に105ミリ砲、120ミリと急激に大型化。重戦車、砲戦車と中戦車の統合が進む事になる。
「統括官、あれは」
「よく見ておけ。あれがヒンデンブルク号。ナチス・ドイツが戦争に勝った世界で造り上げた大戦艦だ」
海自の連絡士官に話しかけられ、我に返る黒江。モニターに大写しになるヒンデンブルク。H43級戦艦の威容はドイツが戦争に勝った世界でなければ到底実現不可能なものである。喫水の深さ、全幅、排水量…。第二次世界大戦に敗北する世界線ではあり得ない。キール運河を考えていないのだ。日本は島国であるので、超大和の計画策定にも説得力があるが、ドイツにはない。また、ビスマルクがそうであったように、『広く浅く守る』旧式の造りであったとしても、相応の装甲厚がある以上、高い防御力を持つ。単純な砲の威力は大和型戦艦を超え、播磨型に匹敵する。
「ビスマルクの系譜ですか」
「バイエルン級だな。基本的にドイツはバイエルン級が基本フォーマットだからな」
ドイツ戦艦の基本フォーマットはバイエルン級戦艦で止まっており、大和型戦艦が新しい基本フォーマットになった扶桑(日本)基本フォーマットの年式で勝っていた。ただし、扶桑がバックアップとして使う光学照準用の測距儀の精度では分が悪いという点がある。(その分野での工業力差である。それでも現代のカメラ用レンズより凄い精度であるが。)
「基本的にこっちが外洋海軍の伝統…と言いたいが、向こうは大洋艦隊の再建なった世界のドイツだ。米艦がまるで子分だ」
海戦は扶桑戦艦主力とドイツ=リベリオン戦艦主力が同航戦で撃ち合う構図になっていた。リベリオン艦はノースカロライナ級は既に亡く、サウスダコタ級戦艦からは落伍艦が出ている。アイオワ級は火力が高めであったり、細長い形の船体であった幸運で、46cmから56cm砲の散布界に捕らえても、夾叉から直撃に至るケースは少ないが、直撃すれば、56cmや51cm砲なら船体に大穴が開くし、46cm砲でも40cm砲三発分のダメージに相当する。そのため、超大和型戦艦との相対には相当な覚悟がいるといえる。重防御で鳴らすリベリオン艦も3ランクも上の砲を持つ相手では、ヘビー級ボクサーの不敗チャンプにミドル級の青年ボクサーが挑むようなものであるのだ。
「56cmが撃たれたのに振動を感じませんな」
「元の計画だと、列車砲級の61cm砲前提だったからな。そこまで行くと、いろいろな兼ね合いがあるから、56cmで落ち着いた」
次の敷島型でも俎上に載るが、61cm砲は研究されていた。しかし、水上艦の砲大口径化には限度があるし、そこまでの大口径砲弾の自動装填機構の作動が不安視されていたり、継戦能力の低下が懸念されたために56cm砲の長砲身化で落ち着く。
「なるほど。あ、モンタナ級に当たりましたよ」
「頑丈だな。砲塔がへしゃげて、砲身が折れたくらいで済んでる」
播磨の51cm砲弾が艦名不明のモンタナ級に当たって損害を与える。モンタナは流石にアイオワ級以前とは違う事を示す。20インチ砲の貫通を一回は防げるらしい。戦艦の砲撃戦に海自の出る幕は観測の補助や防空程度であるが、海自に砲撃戦ノウハウを与えるのには充分であった。造船業界にとっては、日本の造船技術の結晶たる大和型戦艦の系譜がドイツ造船技術の結晶であるビスマルクの系譜に対抗できるか、である。戦艦に関しては、島国である上、ブリタニアの援助がある扶桑が優位だが、ドイツもけして凡庸ではない。機関技術などに難があるとはいえ、徹甲弾の硬度や貫通性能は基礎値で扶桑を上回る。そこも重要なファクターである。
「しかし、米艦がどんどん落伍しているというのに、あれは頑丈ですな」
「伊達にドイツの技術の結晶じゃねぇって事だな。51cmを6発、56cmを3発食らってるんだが……」
小沢治三郎も優先的に火力を割り振っているが、ヒンデンブルクは頑丈である。史上最大級の艦砲を浴びせられても然程堪えない。それどころか、戦艦の護衛の超甲巡に火災を起こされ、落伍させられている。黒江も戦況の表示に一喜一憂する。この海戦は航空戦力の介在が無く、連合艦隊旗艦が戦場で戦うという点で日本側の望む様相の海戦であったが、扶桑にとっては異例であった。自分から戦闘に加わったという点が、である。また、この頃には海軍精神注入棒が日本義勇兵の報復行為がきっかけで使われなくなったため(皮肉にも、自分達がやられたことで、事の深刻さを理解した)、そのあたりは日本の介入が扶桑のシゴキを緩和させたと言えよう。ただし、新たに特務士官が兵科士官を事実上従えるようになるという、年功序列の固定化のような光景が常態であるのが本来の『指揮序列』的に問題視されたが、叩き上げが尊敬されるのは当たり前であった事もあり、また、軍令承行令が史実で大問題になり、実際に海保が問題を起こした事も鑑み、扶桑特有の序列としての『特務士官=偉い』の図式が定着。戦争までにそのあたりの人事問題の完全決着が課題とされるのであった。
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