魔族によるイパラ遺跡近郊の開拓村襲撃。
 そんな噂がカウルーンの街に流れたのは、滞在して三日後のことだった。

 リウイ・マーシルンを名乗る闇夜の眷族が統率者。
 容姿などの特徴は分からないが、どうやら魔神グラザの息子らしい。
 
 それを受けて、すでにメンフィル軍は行軍を開始したようだった。
 だが、些か動きが早過ぎる。
 モルテニアから王都ミルスまで、早馬でも二日。
 軍を動かすとなれば、それ以上の日数がかかる。
 にも関わらず、メンフィル軍は僅か三日でここカウルーンの街から出兵していった。

 ……普通に考えれば、予めメンフィルが闇夜の眷属を監視していたということになる。
 しかし問題は、果たしてそこまで簡単に筒抜けになどなるだろうか、ということだ。

 人間族は、所詮魔族などと侮っているが、闇夜の眷属は別に魔に連なるものだけではない。
 闇陣営に属する、混沌の女神《アーライナ》や暗黒の太陽神《ヴァスタール》を信仰する人間族もいる。
 その中には他国で犯罪、悪行を働き、国を追われて逃げ延びた者も一部含まれているが。
 その例が、私とセリカがアヴァタール地方を去って後に建国されたという、エディカーヌ帝国だろう。

 無論、魔に連なる者の中にも、力だけではなくそういった謀略にこそ本領を発揮する存在もいる。
 私の知る限りでは、かつてサタンに仕えていたパイモンという堕天使がそうだ。

 サタンに追従して神に反旗を翻した、ソロモン七十二柱が一柱。
 緑の髪に尖った耳。
 山羊のような二本の角を生やし、赤い目をした優男。
 常に魔術書を片手にしていて、堕天使の中では最もサタンに忠実であったようだ。
 今はどうしているのか、それは分からない。
 まあ、あの純情天使の場合は、少し特殊な点もあるわけだが。
 
 兎も角、闇夜の眷属は人間族が考えているほど愚かではない。
 だとするならば、内部から手引きした者がいる。

 もしくは――

「魔族も一枚岩ではない、ということか」
「そういうことになるな。最も推論でしかないから、事実は不明だが」

 魔神の息子が攻めてきた。
 そんな噂を聞いた傭兵たちによって幾分騒がしくなった、宿の一階にある夜の酒場。
 そんな中、注文したワインのグラスを傾けながら、私とセリカは今後のことを話していた。

「予想していた通り、新たな支配者を得た闇夜の眷族が動きだしたわけだが、さて……」
『このままここに滞在していれば、間違いなく戦に巻き込まれるわね』

 私がぼやくように口にした言葉に、アイドスが自身の見解を言った。
 ハイシェラは我関せずといった様子で、沈黙を守っている。

 少し、今後の展開を予測してみようと思う。
 まず、モルテニアの闇夜の眷属が次に狙うのは、転移門の存在するイパラ遺跡になるだろう。
 ここを拠点として抑えておけば、メンフィル北西部にある重要拠点ヒルチナ金鉱。
 また、ここ城砦都市カウルーンを攻める際に役に立つ。

 軍備を拡張するという意味合いでならば、アウストラル街道を西に向かい、マルベリオン公爵領を侵略するという途がある。
 あの辺りの領域は農耕地帯になっており、無傷のまま手に入れることができれば、兵糧の問題も解決する。
 私やセリカとは違って、闇夜の眷属とて食料が無ければ生きてはいけない。
 ならば、それも一つの選択。

「……ルシファー」

 どう行動すべきか考えていた私に、セリカが何かを決意したような表情で声をかけてきた。
 セリカの声音は、アストライアの肉体の影響か少し高めで、ゆっくりとした口調だがすっと耳に入ってくる。

「お前は……その魔神の息子に会ってみたいのではないのか?」

 しばし、そのセリカの言葉に唖然とした。
 確かにその息子に会えば、魔神グラザの真実を多少は知ることができるかもしれない。

 無論、それだけではない。
 セリカが娼館から手に入れた情報に寄れば、当時魔神グラザには、人間族との間に子供がいたという。
 それが真実ならば、メンフィルに攻め入る闇夜の眷属を束ねている者は半魔人ということになる。

 魔であって魔ではなく、人であって人ではない。
 そんな彼が父親とは違い、何を以て今回の戦を仕掛けたのか知りたい。
 そう思っていたのは、間違いなかった。
 だが――、

「無意識なのかは知らないが、お前は三年前から意図してモルテニアの魔族を避けようとしている。
 それは……会ってみたいが、俺の存在が邪魔をして――」
「そんなことはない!」

 椅子から立ち上がって声を荒げた私に、セリカはそこで口を閉じた。
 突然私が大声で怒鳴ったからだろう。
 酒場の客の視線が集まるのを感じる。
 一度息を吐き出し椅子に座り直すと、興味を失ったのか、向けられていた視線は少なくなっていった。

「私はお前を邪魔だなどと感じたことは無い。私にとってお前は、代えの利かない大切な盟友だ。
 お前が例えどう思っていても、それは変わらない」
「……悪かった」
「……私も、熱く成り過ぎた。頭を冷やして……いや……ここは騒がしい。……少し、場所を変えよう」

 席を立ち、神剣を背負う。
 やや強引にセリカの腕を取り、私は酒場から外に出た。





 カウルーンの街中を、何とはなしに歩く。
 宿屋を出てから今まで、背負った神剣アイドスは黙して語らない。
 気遣っているのか、それともかける言葉が見つからないのか。

 セリカは私に腕を引かれたまま、取り敢えず抵抗はせずについて来ている。
 相変わらず表情は変わらないが、どこか困惑しているようにも見える。

 ……三百年以上、セリカと共に旅をしてきたが、今回のようなことは初めてだった。
 かつての私が今のセリカ同様、感情が欠けた存在だったということもあるかもしれない。
 しかしここ数百年の間に、特にハイシェラと語る中で、徐々にではあるがある程度自分の心を理解できるようになった。
 ハイシェラやアイドスは良い変化だと笑っていたが、どことなくセリカが寂しそうにしていた姿が、記憶に残っている。

 なあ、セリカ。
 私は今でも覚えているのだぞ。
 お前と初めて出合ったときに、お前が私に託した感情を。

 こいつは、いつもそうだ。
 神殺しである自分のせいで、誰かが傷つくことを恐れ自分から距離を取るくせに、本当は孤独であることを恐れている。
 自覚がないから、余計に性質が悪い。
 ハイシェラが常に側にいる分、それでも多少は救われているのだろうが。

 大通りを越え、人通りが少ないわき道に入ったところで足を止め、セリカの腕を放した。
 それにつられるように、セリカも立ち止まる。

「セリカお前、あのまま私が一人で出て行ったら、姿を消すつもりだっただろう」

 変わらない表情からは、私以外であれば内心の揺らぎを感じ取ることはできなかったと思う。
 ほんの僅か変わった表情に、やはりと思い、溜息を吐く。

「お前が、私を迷惑だと感じているのならば、直ぐにでも私はお前の元を去る。……そうならそうと、言って欲しい」
「そんなことはない」
「ならば、どうしてお前は自分から距離を置こうとする」
「それは……」
「忘れているかもしれないが、私は自ら望んでお前と行動している。……そう、この旅を始める前に言ったはずだ」

 アストライアの魂を探すために、セリカと共に行動する。
 彼が世界全ての敵と思われていたとしても、現神からすれば私も同じようなものなのだから関係ない。
 そう告げて、これまで当ての無い旅を続けてきた。

「だから、お前が私を迷惑だと感じていない限り、何処かに行こうなどとは思わない。
 ……邪魔だとかそんなものは気にする必要は無い」
「……お前は、それでいいのか?」
「いいも何も、私はそう思っているから今ここに居る」
「……そうか……すまないな」

 つくづく自分でも馬鹿だと思う。
 セリカと共に行動しなければ、闇夜の眷属として生きる術もあっただろう。
 こうして表舞台に上らないように、注意して行動する理由も、それほどなかった。
 だが、そんな選択肢は必要ない。
 敗北した私を殺すのでもなく、盟友だと呼んでくれたこいつを、孤独にさせるつもりは無かった。

『そうではないであろう、セリカ』
『謝罪よりももっと適切な言葉があるわ』

 セリカの言葉に、ハイシェラとアイドスが割り込む。
 もしも実体化していれば、二人揃って嫌な笑みを浮かべている姿を想像できてしまうのは何故だろうか……。

「……ありがとう」

 言葉にすれば、たったそれだけ。
 それでも、普段滅多に己の感情を出すことのない彼のその一言は、とても貴重に思えてならなかった。





 ニ日後、木精霊亭を出た私たちは、カウルーンから南方に向かっていた。
 理由はリウイ・マーシルンという闇夜の眷属に会ってみるためである。

 会って、魔神グラザのことを聞く。
 場合によっては戦うことになるかもしれないが、その時はその時だ。

 私は最初、いくら“神殺し”でも数で来られればどうしようもないと反対した。
“神殺し”などという大仰な通り名をセリカは持っているが、彼とて私と同じく誰にも負けないわけではない。
 確かに最善の状態ならば彼に敵うものはいないが、魔力を消費し過ぎればただの人間と同じなのだ。
 それこそ、力が強いだけの亜人にさえ負けてしまう可能性もある。

 能力に大きな変動があることがセリカの弱点。
 そして弱点は当然、私にもあった。

 私はその生まれから、神と竜の二つの属を持っている。
 だからそれに対抗するような魔具を使われれば、この身も危うい。
 そういうものを創り出す可能性を持つから、人間族は侮れない。

 しかしセリカ曰く――

「お前は気にするなといったが、俺はお前の荷物になる気は無い」

 ――だ、そうだ。

 その後言い合いになって、下手をすればそのまま一戦交えかねないところまでいった。
 アイドスの一喝で収まったはいいが、危うくカウルーンを廃墟にするところだった。
 後で聞いたのだがセリカは、アストライアに怒鳴られたような気になって、思わず怯んでしまったらしい。
 ……私ですらあの時のアイドスには恐怖を感じたからな。……無理もない。

『全く貴方たちは何を考えているんだか!』
『女神よ、まだ言っておるのか……。二人とも反省しているのだから、その辺りにしておいたらどうだの』
『ハイシェラは黙ってなさい!』

 二日も経ったというのに、未だにアイドスはこの有様。
 悪いのは私達なので仕方なくはあるのだが……。
 どうしたものかと隣を歩くセリカに顔を向けても、彼もどうしようもないといった様子だった。

 そうこうしている内に、前方に砂塵が舞っているのを確認した。
 この先は――イパラ遺跡。
 となればおそらく、大規模な戦闘を行っているのだろう。

 言うまでも無く、メンフィル軍とモルテニアの軍勢が。

『アイドス、悪かったから少し落ち着いてくれ』
『……私は、落ち着いています。冷静に怒っているだけよ』
『だから、それを何とかせよと言っておるだの。
 ルシファーの我が侭にセリカが付き合う……いや、これはセリカの我が侭なのか……?
 まあ、どっちでも良いだの。兎に角油断はできぬのだから、そういうことは後にせよ』
『ルシファーもハイシェラも、まるで私が悪いみたいに……』
『……いや、俺たちが悪かった。お前が止めなければ、街が地図から消えるところだったからな』
『私のことを分かってくれるのはセリカだけね。……ちょっと気持ちが揺れちゃったかなあ……』
『……好きにすればいい』
『――え? ちょっとルシファー?』

 焦ったように弁解するアイドスの言葉と、苦労人の姉上の忍び笑いが耳に入る。
 まったく、昔とは違うのだから私だって嫉妬くらいするのだぞ……。

 ……しかし、だめだな。
 どうにも最近、アイドスのことになると冷静ではいられない。
 男というのは“知”で恋をするものとハイシェラが言っていたが、こうも“情”が動くとは……。
 まあ、それだけアイドスがいい女だということなのだろう。
 本人には、絶対に言ってやる気はないが。
 
 そんなことを考えながら一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
 そして落ち着いた心で、眼前の光景を改めて見る。
 あの中に魔神グラザの息子――リウイ・マーシルンがいるかどうかは分からない。
 半魔人の、闇夜の眷属……。

『なあ、アイドス』
『ごめんなさい、ルシファー。さっきのは冗談だから……って、えっと何?』
『人と魔の共存は可能だと思うか?』

 私を受け入れた水の巫女。
 しかしあれはあくまで利害の一致から始まったことだった。
 一部騎士に例外はいたとはいえ、それが事実であることは違いない。
 だが共存となれば、利害の一致だけではどうにもならないこともある。
 殊更、その気性の違いを考えれば。

『分からないわ。今まで私が記憶した限りでは、それを実現したのはエディカーヌ帝国だけ。
 でもそれも現神闇陣営の中でだけの話。真の意味での共存は未だかつて誰も成し得たことはない』
『じゃが、それもまた一つの理でもある。魔と人はどこまでいっても相容れぬ。
 でなければ、闇陣営だの光陣営だの面倒なものができたりせぬだの』
『……それでも』

 言葉を継ぐセリカに、私は視線を前方にやりながら意識を向ける。
 何か大事なものを決して忘れぬように、彼は言葉を紡ぎだした。

『……それでも、サティアはそんな争いを無くすために世界を巡っていた。
 可能性を信じる、というにはあまりに儚い夢物語だが、な』
『ならば、その夢想を信じるのもいいのではないか。
 ……元々私やお前はこの世界の理の外にいるのだから』
『それも悪く、ないな』
『……ふ、くく、ははは! 大馬鹿者どもだの。だが、それ故にこそ面白い』
『ふふ、お姉様が聞いたらきっと喜ぶでしょうね』

 ハイシェラの笑う声を聞きながら、私は再び意識を遺跡の方へと向けた。
 無駄に戦場を混乱させるわけにはいかない。
 ここは傭兵として紛れ込み攻撃してきた者だけ昏倒させて、リウイ・マーシルンを目指すのが得策か。

『根城に入ってしまえば、どんな罠があるかわからぬ。
 しかし、機会があるとすれば戦場くらいとはいえ、やはり少々無謀ではないか?』
『いざとなれば飛翔の耳飾りを使う。それに……こちらの素性までわざわざ教える気はないさ』

 おそらく、それなりの知識を持っていれば分かってしまうだろう。
 だが、私は兎も角セリカの名前まで出すつもりはない。
 私に関してもレウィニアの件があるが、あれから三百年以上経つ。
 流石に神権国にまで問題が及ぶことはないだろう。

『では、行こうかの! 神殺し一行の進軍ぞ!』

 高揚しているのか、普段は口にしないような言葉をいうハイシェラ。
 その掛け声と同時に、私とセリカは駆け出した。



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