戦場をセリカと共に駆け抜け、外にいるのは一般兵ばかりだということを確認。
 襲い掛かる闇夜の眷属たちを適当に退け、遺跡の内部に進入した。

 戦はほぼ終盤といったところで、モルテニアの軍勢の勝利に終りそうだ。
 しかしメンフィル軍の数が、カウルーンの軍勢の割に少ない。
 行軍しながら各地の軍を集める前に戦端が開かれ、間に合わなかったのか。
 大集団を動かすとなれば、その分移動速度も落ちる。
 先に私たちが着いたことから、おそらく何処かで追い越してしまったのだろう。

 遺跡内部に入って感じたのは――違和感だった。
 メンフィル兵の遺体があるのは分かる。
 闇夜の眷属たちの遺体があるのも理解できる。
 戦っているのはメンフィル軍とモルテニアの闇夜の眷属なのだから、それは当然だ。

 だが、絶命していたガーゴイルの遺体を確認すると、鋭い爪によって引き裂かれたかのような傷跡が残っていた。

 ――これではおかしい。

 戦っているのは人間族と闇夜の眷属なのだから、このような傷跡が残るはずはない。
 ここから考えられることは……。
 どうやらカウルーンを発つ前にセリカと話していた、一枚岩ではないという推測が当たったようだ。

 そうして、私とセリカは更に遺跡の奥に進む。
 立ち塞がる闇夜の眷属を退ける中、最奥に他とは違う三つの大きな魔力を感じたからだ。

 建立されてから数百年は経っているだろうに、イパラ遺跡はまるで時を止めてしまったかのよう。
 ひび一つない内壁には複雑な模様が描かれていて、漂う空気は僅かに湿っているように感じる。
 隣を歩くセリカもそれを感じているのか、僅かに顔を顰めているようだった。

 ――っと、

「土で出来た魔物か。これは、自然に発生したわけではないな」
「……召喚魔術か」

 呟いた言葉に、セリカが返答する。
 だが互いに焦りはなかった。
 確かに数は多いようだが、この程度では足止めにもならない。
 セリカに背中を預け、前方を塞ぐ土の魔物を暗黒剣《ヴァニタス》でなぎ払い、道を開く。

『召喚魔術ということはこの先に術士がいるはずね』
『それがリウイ・マーシルンとかいう、半魔人かもしれぬの』

 アイドスとハイシェラの言葉を耳に入れながら、混戦の様相を呈してきた遺跡を進む。
 間も無く見えてきたのは、他とは幾分雰囲気の違う大広間。
 そこから聞こえる剣戟の鋭い音に、私とセリカは互いに頷いて駆け抜けた。





 大広間に入ると、目に付いたのはまず上級の悪魔と思われる、赤い体躯の闇夜の眷属だった。
 周囲には数体の下級悪魔と土の魔物を従えている。
 魔物を召喚していたのはこいつだったようだ。

 そしてそれと対峙するように突剣を構えている、薄い蒼の髪をした精悍な顔つきの男。
 尖った耳に、魔神級の魔力を内包していることから、彼もまた闇夜の眷属であることが分かる。

 彼らは互いに争っていたようだが、今は私とセリカの魔力に気付いたのだろう。
 両者とも警戒しつつ、こちらに視線を向けている。

 少し周りに目を向けると、魔法陣の周りにいくつかの柱が建てられた装置があった。――あの構造は転移魔法陣だろう。
 その周囲に同じくこちらを窺うようにしている、赤い髪と撫子色の髪をした二人の女。

 太ももの辺りまで伸ばした赤い髪の女は、そのすらりとした身体に似合わない、彼女が持つには少々大きいだろう剣を握っていた。
 ハイシェラ以上に露出の多い服装をしていて、緑色の瞳を細めながらこちらを見ている。
 特徴的なのは、左目の下に描かれた、花びらを散らしたような模様。
 私が視線を向けていることに気付くと、艶やかな唇を笑みへと変える。
 ……性格的にハイシェラと気が合うのではないだろうか。

 一方で、頭の両脇に撫子色の髪を束ねている女の反応は、いっそ清々しいほどに明確なものだった。
 流石に戦場に出ているだけあって気丈に振舞っているようだが、その金の瞳に浮かんでいるのは怯えの色。
 ただ、私やセリカの魔力を感じられるということは、それだけで実力者の証。
 服装からおそらくアーライナの神官なのだろうが、単なる信者というわけでもないらしい。

「お前たち、何者……いや、お前たちはいったい何だ?」

 初めに口を開いたのは、蒼い髪の青年だった。
 私もセリカも、戦場ということでかなりの魔力を放っているはずだが、中々に剛毅な男のようだ。

「ただの魔神だ。……カムリとでも名乗っておこう。……一つ聞きたい。お前がリウイ・マーシルンか?」
「……そうだ」

 この状況下での沈黙は肯定を意味する。
 そのことを直ぐに察したのだろう。
 忌々しそうな顔をしながら、彼は一言そう告げた。

「お前に聞きたいことがあって、ここまで来た。……私とこいつに戦う意思はない」
 
 そう告げて、私は神剣を背負いなおす。
 当初から予定していた通り、セリカもハイシェラに告げて、魔神剣を短剣の姿に戻した。
 無論、いざとなれば魔術で対応できるよう、注意は保ったまま。

「俺と話をするためだけにこんなところまで来るとは、随分と剛毅な男だ。
 ……聞きたいこととは何だ?」

 皮肉を込めた言葉も当然だろう。
 普通に考えて本気でただ話をするためだけに、戦場に飛び込む輩がいるとは思うまい。
 例えそれがどれほど強大な力を有していたとしてもだ。
 あるいは剣を収めても、その魔力で交渉とは笑わせるという意味も含んでいたのかもしれない。

「それは――」
「――ちょっと待て」

 遮るように声をかけてきたのは、赤い巨体をした上級悪魔だった。

「俺を差し置いていったい何を話し込んでいる。
 貴様らが何者か知らないが、今は俺とこいつらが戦っているのだ。邪魔をするな!」
「……あんた、この状況で」

 呆れたように呟いた赤い髪の女の声を耳に入れながら、さてどうしたものかと思う。
 このような状況を想定していなかったわけではない。
 しかしあの悪魔族を倒さなければ、ゆっくりと話も出来なさそうだ。

 念話でセリカに問うと、俺は別に構わないという返答。
 ハイシェラは寧ろ乗り気な様子。
 アイドスはやや渋ったが、最終的には納得してくれた。

「一つ提案がある、リウイ・マーシルン。お前にとってそこの悪魔は敵なのだろう。
 ならばその戦いが妨害されぬよう、有象無象の相手は私とこいつがする。
 代わりにこの戦いが終った後、いくつか質問させて欲しい。無論、お前の質問にも答える」

 さて、どう答えてくるか。
 彼は始め驚いたように目を開き、本気だったのかと呟いた。
 少しの間をおいて、考えを纏めたのか再び口を開く。

「……いいだろう。今ここでお前たちと戦っても益は無い」
「その言、確かに聞いた」

 言葉と同時に神剣を抜き放ち、躍りかかってきた下級悪魔を冷却の魔術で凍り漬けにする。
 神剣アイドスを用いなかったのは悪魔に同情したわけではなく、単にアイドスを気遣ってのこと。

 戦いの意味を考えた結果取った行動だ。
 これは私の我が侭のために生じた戦いだからな。
 慈悲の剣を振るうわけにはいかない。

 振り返ると黒の外套を翻して、セリカも命令によって攻撃を仕掛けてきた悪魔を退けていた。
 その攻防を合図にしたかのように、巨躯の悪魔との戦闘が再び開始される。

 リウイの、戦いの中での呼びかけから分かったが――赤い髪の女はカーリアンというらしい。
 それから撫子色の髪の女はペテレーネ。

 悪魔の名はリゴーといって、会話からグレゴールなる魔神の配下だと分かった。
 つまるところ、これはリウイ・マーシルンと魔神グレゴールの派閥争い。

 だが、悪魔の名前を覚える意味はすでになさそうだった。
 
 リゴーの攻撃をカーリアンが引き付け、その補助をペテレーネが暗黒魔術で行う。
 できた隙をリウイが見逃すことはなく、護符で身体能力を強化し、そのまま突剣をリゴーの胸に突き刺した。

 召喚者が死んだことで、私とセリカが相手をしていた土の魔物たちも遺跡の闇の中へと消えていく。
 元々リウイ達にはあの程度の悪魔は大した相手でもなかったのか、時間はそれほど経っていない。
 どうやらリゴーが敵の総大将だったらしく、一先ずそこでイパラ遺跡での戦いは幕を閉じた。





 召喚陣を挟んで、私とセリカ、リウイたちは対峙している。
 戦の結果については、先ほど猛禽類のような鋭い目をした男が来て、勝利に終ったことを告げていった。
 リウイを越える魔力をその身に宿した闇夜の眷属の男。
 明らかに策謀家といった風体だったが、やつの顔が私とセリカを見た瞬間、歪んだ笑みを形づくったのは気のせいではない。
 あの男、確証は得られずとも私とセリカの正体に気付いたか。
 ……何か、嫌な予感がする。

 そうしてそのケルヴァン・ソリードというらしい男が去った後、こうして向き合っている。
 まだ油断ならないと思っているのだろう。
 そんな半魔人の姿を改めて見てみると、赤く鋭い瞳に整った顔つき。
 軽鎧の下に暗い黄のマントつけ、肩と胸周りを蒼の甲冑で覆っている。

「それで、聞きたいこととはいったい何だ。……こちらは久しぶりに再会した知り合いと、早く話がしたいのだが」

 真実そう思っているわけではないだろう。
 ただ早急に終らせたいという意味での言葉。
 ……これは、お人よしではなさそうだな。

「あ〜ら、そんなにリウイは私と話がしたかったのかしら。ふふ、嬉しいわね。
 あっ、私カーリアンっていうの。リウイは知ってるみたいだけど、この娘はペテレーネ。宜しくね、色男さん♪」

 カーリアンの言葉は、緊迫した場を和ませるためのものだろう。
 妙にこちらを誘うような妖艶な雰囲気を醸し出してはいるが……。
 本音ではないはずだ……いや、おそらく。

 色男という言葉に顔を見られたことに気付き、私は被っていたフードを取った。
 魔の特徴というべきものが一切ない私に、リウイは戸惑った様子。
 だが気配は人間族のそれではないと感じとったのか、すぐに平静を取り戻した。

 私はセリカに一度目で合図を送り、

「……聞きたいのは二つだ。一つは、魔神グラザのことについて」

 瞬間、リウイの表情が困惑したものに変わる。
 笑みを浮かべていたカーリアンも、訝しげな眼差しを私に向けた。

「私が言うのも何だが、普通魔神というものは好戦的だ。
 にも関わらず、なぜお前の父親である魔神グラザは、根城に篭るような消極的な態度を取っていたのだ?」
「それは……分からない」

 それだけ告げて彼は口を閉じる。
 私の質問に対して意表を衝かれ、思わずそれだけ声に出したようだ。

 ――流れる沈黙。

 しかしその言葉だけで大よそ理解はできた。
 魔神グラザに人間族を襲うだけの力が無かったのならば、分からないとは答えない。
 つまり魔神グラザは、力が在りながら根城に篭っていたことになる。

「……ただ、父は人間族と争うことを嫌っていた。その結果が人間族に殺されるという末路だ」

 いっそ凄惨とも言えるような笑みを浮かべ、語るリウイ。
 私は彼が抱いている感情をよく知っている。
 知らないはずがない。これは……

「だから、俺は復讐を誓った。
 同じ人間であった母を殺しただけでは飽きたらず、父をも殺した人間族に復讐してやろうとな」

 語尾を荒げて宣言する彼の姿。
 しかし私には、それがどこか迷いを抱えているように見えた。
 人間族を憎いと言いながら、それとは別の何かを望んでいるような。

 無論、彼の憎しみは本物だ。
 彼が語った母親に関しては知らないが、父を殺されたというのは事実。
 それで黙っていられるほど、彼には他に依るべきものがないのだろう。
 いや、それを奪われたからこその、この憎悪か。

「……ご主人様」

 彼の傍に控えていたペテレーネが、心配そうに呼びかける。
 その言葉に落ち着きを取り戻し、リウイは逆に私に問いかけてきた。

「二つ目はなんだ?」
「いや……今のお前の言葉で訊きたいことは無くなった」
「……そうか……ならば今度は俺の番だ。お前たちは、グレゴールの尖兵ではないのか?」
「最初から否と分かっている質問に答える意味はないと思うが。……それは単なる確認か?」

 このような場を設けた時点で、リウイがそれはないと判断しているのは明らか。
 もしその可能性を考慮していたら、もっと強く問い質しているはずだ。
 魔神グレゴールがどれほどの力を持っているかは知らないが、私やセリカに及ばないのは間違いない。
 そんな相手を配下に置けるほど、グレゴールという魔神を慕うものはいないのだろう。

 戦場という特殊な場に合って、まだ完全に冷静というわけではなかったのだろう。
 自分の言に苦笑して、リウイは険しい顔を僅かに緩め、

「いや……失言だった。……問いを代えよう。お前たちしばらく、俺と共に行動してみる気は無いか?」
「それは私と彼に、共に戦えと言っているのか?」
「そういうわけではない。お前たちほどの力を持った闇夜の眷属が敵に回れば、厄介極まりない」

 後は分かるな、と彼の目は告げていた。
 どうやら、以前はどうか知らないが、復讐に捕らわれているだけでもないらしい。
 これは単なる無謀な復讐者ではなく“王”としての考えだ。
 放置するにはあまりに危険な戦力。
 戦いに出るともまではいかずとも、せめて手中に……というわけか。

 ふと、視線をペテレーネに向ける。
 彼女は見たところ、ごく普通の人間族の女性。
 彼に影響を与えたのは彼女なのかもしれない。
 或いは別の人間族かもしれないが。

 ……人と魔の共存、か。

「悪いが、断る」

 リウイの顔に驚きの色はなかった。
 半ば予想していたのだろう。

「……だが、もしもお前が私やこいつを受け入れられるほどの器を手にしたときは――」

 私やセリカを受け入れるにはその立場上、レウィニアのような国家としての強さが必要だ。
 だがもしも彼がそんな力を手にし、その上で復讐に捕らわれていなければ……、

「いや……今はここまでにしておこう。リウイ、私の本当の名は魔神ルシファーだ。……こいつの名前は教えられないが」

 名乗った私にリウイは特に反応を示さない。
 しかしカーリアンとペテレーネは私の名を知っていたのか、顔が驚愕に染まる。

「お前がどんな選択をするのか、しばらく風の噂に聞かせてもらう」

 他の勢力に加担するような真似はしないと、言外に告げ、

「……ではな、闇夜の眷属の王よ」

 飛翔の耳飾りで脱出する去り際。
 何を思ってそのような諧謔を弄したのか。
 私は僅かに、笑みを浮かべていた気がする。





「セリカ、私だけ話してしまったが、お前は何か聞きたいことはなかったのか?」
「いや……話をせずともどういう人柄かは分かった。
 場合によっては敵になるかもしれないが……」

 マルベリオン公爵領内の、アウストラル街道を通って辿りつくエシタ村の酒場。
 到着するのに三日ほどかかったが、静かな村であるため、訪れたのは間違いではなかったように思う。

『しかしルシファーとセリカを勧誘するとはの。
 セリカについては闇夜の眷属……魔神と勘違いしておったようだが、なかなか胆の据わった男じゃ』

 ハイシェラの評価は間違ってはいない。
 彼からすれば武器も持たずに山に入って、突然双頭の巨大な竜に出くわしたようなものだ。

『彼……どんな途を選ぶかしら』
「どうだろうな……。そればかりは、あの男次第だ」
 
 復讐に捕らわれ、獣となるか。
 志半ばで倒れ、歴史の闇に消えるか。
 あるいは、賢王となって――

「何れにせよ、面白い男だった」

 セリカの言葉で、その話題は終る。
 だがこのまま彼がメンフィルを乗っ取ることがあれば、また会う機会もあるかもしれない。

『ところでルシファー。最後に名乗ったけど、貴方の名前は魔族の間では人間に組した魔神として有名よね?
 それに“黒翼公”が“神殺し”と共に行動しているのは伝承として広く知られている。
 セリカの正体も分かってしまったんじゃない?』

 それは……。

「……俺は、別に気にしていない」

 改めて思うが、肝心なところで失敗するのは三百年経っても変わらなかったらしい。

『やれやれ、だの……』




あとがき

セリカ→カムリ→リウイ。
ルシファーの偽名はそんな感じです。
あとセリカ・カムリという車から。



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