季節は夏。リウイ・マーシルンとの邂逅から、四年あまりが経とうとしていた。
私とセリカは、レスペレント地方の各地を転々としながら、ギルドの依頼を請け負いつつ、旅を続けている。
時折気まぐれに、ブレアード迷宮と呼ばれている遺跡に立ち入ったこともある。
いろいろあって使い魔にしたニル・デュナミス。
彼女によれば、レスペレント地方の各所に存在するこの遺跡は、かつて姫神フェミリンスに呪いをかけた大魔術師。
ブレアード・カッサレの築き上げたものらしい。
それとニルを使い魔にした際“ニルは強い男が好き”だとか“これが愛なのね。ニルは今愛をしているのね”
そんなことを言うものだから、しばらくアイドスが不機嫌になって大変だった。
今は何とか納得してくれている。
ちなみにセリカは無言で、ハイシェラはただ笑っていただけだったりする。
――イパラ遺跡での邂逅。
その後リウイ率いるモルテニアの軍勢は、当時同盟関係を強化するためにカルッシャ王国から輿入れしてきた王女。
イリーナ・テシュオスの乗る馬車を、アウストラル街道にて強襲したようだ。
カルッシャ王国をも交えた新たな戦の火種になるか、人質にすることでメンフィル王国の動きを鈍らせるか。
しかし、そんな賭けに彼らは勝利し、結果的にそれが当時のメンフィル王国王子、カリアスの暴走を引き出すことになる。
数週間後にはモルテニアの根城に繋がるブレアード迷宮深淵の間より、奇襲を仕掛けたマルベリオン公爵軍を返り討ちにした。
その後しばらく沈黙を保っていたが、おそらく魔神グレゴールを討ったのだろう。
数を増したリウイ軍は、新たに加わったファーミシルスという飛天魔族を大将軍に任命。
メンフィルの重要拠点であるヒルチナ金鉱を奪取した。
その際、鉱山崩落という罠を仕掛けていたメンフィル軍。
しかしリウイ軍に策を看破され、魔族と侮って徹底抗戦の構えに出たカリウス王子が討ち取られている。
噂によれば武勇高き人間族だったらしい。
しかしイパラ遺跡で対峙したときのリウイ・マーシルンの強さは、魔神の域に達していた。
策が破られてしまえば、どうしようもなかったのだと思われる。
メンフィルは、ヒルチナ金鉱で戦を終らせるつもりだったようで、国内の軍の大部分を集めていたようだ。
実際その戦の噂が流れた時には、主要都市の兵の数は激減していたから間違いない。
そのため金鉱での敗北が決まった瞬間、残された都市には王都を除いて僅かな兵しかいなかった。
堅牢を誇った城砦都市カウルーンは呆気なく陥落したのも無理はない。
だが、メンフィルも黙っていたわけではない。
大陸西方の神聖帝国よりマーズテリア聖騎士、シルフィア・ルーハンスを呼び寄せる。
メンフィル王国での、マーズテリア神格位保持者である彼女の支持は、ともすれば王さえ凌駕するほど。
建国以来ご意見番として、常にメンフィル王を支え続けてきたという理由もあるかもしれない。
彼女を総大将に据え、イウーロ連峰という天然の城砦に守られたメンフィル王国は、最後の決戦を王都ミルスで迎えることになった。
結果は――メンフィル王国側の敗北。
聖騎士シルフィアはリウイに降り、一年後総本山より闇陣営に加担したとして破門を言い渡されている。
実際にその処断が下るのは、数年先の話になるだろうが、実質上の神格位剥奪。
つまり、後数年で彼女はその生涯を終えることになると思われる。
そして――
先代の王であるレノン・メンフィルはリウイ・マーシルンと一騎打ちの末討ち死に。
以て新国家、リウイ=メンフィル王国が建国されることとなった。
ただ、その影でどういう経緯があったかは分からないが、バリハルトの勇者ガーランドがリウイによって倒されている。
しかしながら、カルッシャ王国とマーズテリア神殿を中心としたレスペレント諸国による経済封鎖。
それに対抗してのイリーナ・テシュオス王女のメンフィル皇后即位。
翌年、ヴァスタール神殿がメンフィル王国を支持したことにより、事実上の大封鎖崩壊。
更にその二年後には西方の闇勢力国家――ベルガラード王国。
およびアヴァタール五大国の一つ、エディカーヌ帝国がメンフィル王国と軍事同盟を締結。
特に殺されたと思われていた、イリーナ王女の皇后即位は人間族にとっては衝撃的だったらしい。
立て続けに起こった事件があまりに印象深く、一地方の勇者でしかないガーランドの死。
それは直ぐに民衆の記憶から忘れさられることとなった。
リウイ・マーシルンが戴冠式を迎えたのは、記憶が正しければ四年前のこと。
以降、彼は魔と人の共存という国是を掲げ、闇夜の眷属の国家を築き上げている。
聞いた話では王族にも関わらず、平民たちと共に田畑を耕す常識外れの王。
かといって軽視されるわけでもなく、王としての振る舞いも心得ているようで、うまく統治しているようだ。
また大封鎖を行われはしたが、逆にそれを利用。
金鉱からの水質浄化や農作物の品種改良といった国内政策に重点を置いていたようだ。
そのおかげか一部、特に貴族にまだ忌避するものはいるものの、民衆からは概ね受け入れられている。
代わりに、貿易を主な利益としていた周辺諸国の方が疲弊する始末となっていた。
◆
『彼、復讐ではなく王としての途を選んだみたいね。……一番影響を与えたのは、イリーナ王女かしら』
「どうだろうな。流石にその辺りは、噂では判断できない。
ただカウルーンが何者かに襲撃……おそらくメンフィルの奇襲部隊だろうが……。
その際に崩れ落ちた街の中を、王女の名前を叫びながら必死になって探している姿があったらしい」
『それが真実ならば、ほぼ間違いないであろう。尤も、そやつだけが影響を与えたわけではないだろうがの』
「半魔人の王、か……。サティアの願った世界を、あいつなら築けるだろうか」
「それは分からない。受け入れられたとはいえ、まだほんの一握りの話だ」
レスペレント地方南部のセルノ王国――王都レティカ。
領土の大部分を豊かな森に覆われているこの国の宿に、私とセリカは滞在していた。
セルノ王国という国家は、隣国のバルジア王国と元は一つの国家だったらしい。
しかし内乱の末に分離。
今は王家の血が残されたセルノ王国と、ファラという王家の名だけが残されたバルジア王家に分かれてしまっている。
そんな両国の関係が最近になって悪化。
きっかけがあれば戦争に発展するかもしれないという状況に。
故に、そろそろ次の街に行くことを検討しているところだった。
それにしてもレスペレント地方は、現在のアヴァタール地方に比べて国家郡が乱立している。
バルジア王国の西方には、エルフ領であるミースメイル。
その北に亜人の国であるスリージ王国が。
更に西に行くと、領土の大半が砂漠であるフレスラント王国が存在している。
一方北部の方はというと、メンフィル王国の北にイウーロ連峰に居を構えるドワーフ領。
そこから西方にレスペレント都市国家郡。
確か今は、レアイナ・キースという娼館ギルド出身の女が国家長を勤めていたと思う。
その北部には蛮族の国と呼ばれている少数民族の国家、クラナ王国が。
更に北には魔神ディアーネが支配しているグルーノ魔族国と、エルフ領であるリークメイル。
西方にはティルニーノエルフが住むティルニーノ部族国と、カルッシャ保護領であるミレティア。
そしてその更に西方、レスペラント王国から見れば北部に、この地方最大の国家である光のカルッシャ王国が存在している。
「アストライア、か。……お前はルナ=クリアを覚えているか?」
「……ああ。なぜか分からないが、あいつの記憶だけはずっと残っている」
「彼女はアストライアの転生体かもしれない。そう言ったら、お前はどうする?」
セリカに、特に驚いた様子はなかった。
薄々気付いていたのかもしれない。
「……懐かしいような、昔何処かで会ったような気はしていた。
だがもしそうなら、いつかまた会うこともあるだろう」
「ルナ=クリアもお前に惹かれていたような印象はあった。
もしかしたら、本当にそうなのかもしれない」
「だとしても彼女はクリアであって、サティアではないのだがな」
「それでも、惹かれているのだろう?」
「……そう、だな。そうだと思う」
「……そうか」
セリカの肩を軽く叩き、私は神剣アイドスを抱える。
「先に部屋に行っている」
心話に切り替え、
『それからハイシェラ、あまりセリカをからかうなよ』
『セリカなぞからかっても面白くも何ともないが……。御主はここ数年セリカを甘やかし過ぎだの』
『我が侭に付き合って貰っているのだ。別にいいだろう』
『俺は別にそんなつもりはないんだが』
『……二人とも、本当に仲が良いわよね』
『友だからな』
『ああ、そうだな』
『御主等は……。こういうのを親友というのかの……』
そんなハイシェラの“羨望の声”を耳にして、私はアイドスと共に二階に昇った。
まあ男女間では親愛以外に、そこに別の感情が必ず生まれてしまうだろうからな。
ハイシェラにしても、セリカにそういう思いがないわけではないだろう。
◆
翌朝目覚めると、何やら宿が騒がしくなっていることに気付く。
どうしたのかと思い、同じように部屋から出て来たセリカと合流して階下に降りる。
「聞いたか、メンフィルとカルッシャが和平会談を開くらしいぞ」
「らしいね。何でも、テネイラ様が先頭に立って推し進めていたとか」
「ああ、あの方は魔族との共存を常に訴えておられたからな」
開いているテーブルに腰を降ろすと、聞こえてきたのはそんな言葉だった。
それが本当だとすれば、四年に渡って続いていた冷戦も漸く終止符が打たれることになる。
だが、果たしてそううまくいくのだろうか。
ここセルノ王国は、かつては魔神グラザとも交流があったらしくそれほど大きな批判はないように思える。
しかし、他の国はそうではない。
特に隣国のバルジア王国とレスペラント王国は、姫将軍エクリア・テシュオスの影響が強く、闇夜の眷属を見下す風潮がある。
『会談がどのような結果になるにせよ、火種は残るであろうな』
『……そうね』
争いを憂う女神の心。
私は彼女の宿る剣を抱きかかえるようにして、軽く撫でる。
少しでもその嘆きを和らげることができればと。
反応は何も無かったが、雰囲気は穏やかなものになっていた。
「……ルシファー、カルッシャ王国に行ってみないか?」
「そうだな。構わないぞ」
「……いいのか?」
魔族である私の即答が、想定外のものだったのだろう。
セリカが訝しげに訊いてくる。
「お前がどうしても行きたいというのなら、構わない」
「だが、イパラ遺跡のときは――」
「――あれは私の我が侭だったからだ」
「……そうか」
ハイシェラが――
『だから御主は……』
――などと言っているが、聞こえないことにした。
……というのも癪なので、
『魔神ハイシェラともあろう者が、臆したのか?』
『そんなわけはな、い……だの』
『ハイシェラ、貴方の負けよ。でも、ルシファー気をつけてね』
『分かっている』
『……仕方がない連中じゃ』
とは言ったものの、
「それで、お前もやはりリウイの動向が気になるのか?」
セリカはいったい何を思ってカルッシャ行きを提案したのだろうか。
可能性としては、リウイ・マーシルン……。
しかしセリカから返ってきた答えはというと――もしかしたらと、私が感じていた人物だった。
「それもあるが……セリーヌ・テシュオスというカルッシャの王女が、少し気になっている」
セリーヌ・テシュオス。
カルッシャ王国の第二王女で、幼少のころから病弱な身だったという話を耳にしている。
「病に伏せ、外に出ることも儘ならない。そんな王女が、何を思うのか知りたくなった。
……会う機会があるかどうかは、分からないがな」
セリカは、セリーヌ王女の境遇を自分に重ねているのかもしれない。
ここ数年の間、私はセリカに気にするなと言い続けてきたが、難しいものだったのだと思う。
世界の動きを気にしながら行動しなければならない。
それはどうしても、私に迷惑をかけていると感じさせてしまうものだったのだろうか。
そこまでの心情は私には分からない。
だが確かに、一国の王女に会うというのは難しいことだ。
ましてかの王女は滅多に外に出ないのだという。
しかしそれでもセリカが望むのならば、行ってみる価値があるかもしれない。
「分かった。お前がそうしたいのならば、私は構わない。私自身、カルッシャに気になる存在がいる」
「……姫将軍エクリアか?」
「何だ、気付いていたのか」
「ああ、何年前かは忘れたが、一度姫将軍を目にしたことがあっただろう。
その時お前が随分意識を向けているようだったから、何となく覚えていた」
「……そんなにか?」
「そうだ」
セリカが覚えているということは、余程私はエクリア・テシュオスを気にしていたということになる。
私が彼女を気にしている理由は、アイドスの望みを叶えるためだけのはず。
……そのはずだ。
それとも、やはり違うのだろうか……?
それはセリカに対するような親愛?
……いや、違う。
では、アイドスに向けている愛か?
……似ている……似てはいるが、そこまで強いものではない。
――分からない。分からない……。
しかし以前、同じような感覚を何処かで感じた気がするのだ。
“そんなことはあり得ない”はずだというのに。
『まあ兎も角、目的地が決定したのならばまず行動してみるのがよいだの。……ん? 女神よ、どうしたのだ?』
『……何でもないわ。……ルシファーの馬鹿!』
『ふふふっ、なるほど。良かったの、ルシファー。女神は嫉妬しておるようだぞ』
『……今の私のそれは、アイドスに向けている感情とは違うのだがな』
『ほぅ、“今の”か。これは嫉妬しておる場合ではないのではないか、女神よ?』
『バーカ! ルシファーのバーカ!』
『……御主』
ニルの件があったせいか、大分おかしくなっているようだ。
……まあ、ちょっと可愛いかもしれないが。
『アイドス、お前のことを蔑ろにしているわけではない。だから機嫌を直してくれ』
『そんな言葉に騙されたりしないわ!』
『……痴話喧嘩もそろそろ飽きてきただの』
『サティア……』
『セリカ? おい、セリカ。御主まで何処にいこうとしておる! ……はぁ、やれやれだの』
メンフィル王国からカルッシャ王国まで、およそ半月あまり。
王都ルクシリアで行われる予定の会談。
その結末が果たしてどのようなものになるのか。
決裂したとしても、直ぐに大規模な戦になるとは思えないが……。
――だが、その予想は甘かった。
ルクシリアの会談に先駆けて行われた、ユーリエの街でのテネイラ・オストーフとの会合。
それが後の世に、幻燐戦争と呼ばれる大戦の始まりを告げることとなる。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m