肌を焼くような砂漠の太陽が、容赦なく体力を奪っていく。
 辺りに響いているのは、砂を踏みしめる音だけ。
 遠くの方に石造りの建物が見えるが、流石に旅慣れぬ二人の同行者の限界も近いようだった。

 フレスラント王国南部に広がるマータ砂漠。
 国土の半分を占める不毛の大地を、私――ルシファーとセリカ、エクリアとセリーヌは旅していた。

 別に好んでこのような土地にいるわけではない。
 北へ向かうにはイウーロ連峰を越える必要があり、西は光陣営の影響力が強い。
 東の情勢は、強大な魔物が跋扈する混沌としたものになっており、旅慣れぬ者を引き連れて行くのは危険だ。
 故に南ケレース地方へ行くことを決めたのだが、通常の航路は私たちには使えない。
 幻燐戦争前であれば兎も角、今は厄介な連中が出入りしているためだ。
 そういう理由もあり、私たちはまず人の少ない地域を目指していた。

 特に東といえば、ここ最近魔物の動きが活発化しているらしい。
 中でも海雪の間に闇夜の眷属が集結し、近隣の人間族を襲っているとのことだった。
 またカルッシャの残党を、王国と盟約を結んでいた天使モナルカが束ね、抵抗を続けているという話もあった。

 海雪の間の方は別にして、カルッシャ残党の方についてはエクリアも思うところがあったらしい。
 しかし天使モナルカとの盟約にはマーズテリアと、風の女神リィ・バルナシアが関わっている。
 私たちが動いたとしても、かえって状況を悪化させるだけと判断。
 更にはこのままこの地にいては、マーズテリアの騎士と鉢合わせすることも考え、レスペレントを出ることにしたのだった。

「……大丈夫か」
「はい……。申し訳ありません」

 私の隣を歩くセリカの問いかけに、セリーヌが擦れた声で答える。
 虚弱体質が治り使徒になったとはいえ、一月前まではベッドで療養していた身なのだから無理もない。
 そんなセリーヌを姉であるエクリアは心配しているようで、しかしどこか困ったような顔をしていた。

「気になるのならば、声をかけてはどうだ」
「……あの状態で、いったい何を言えというのだ」
「思ったことを口にすればいい」
「そんな簡単に言えるわけがないだろう……」

 貴方とは違って。
 そう付けたし、エクリアは歩を進める。
 陽射し避けの黒い外套。
 その下でいったい何を考えたのか、私には分からなかった。

『私達も、周りから見るとあんな感じなのかしらね……』
「どういう意味だ?」
『えっと……ルシファーは今のままで良いと思うわ』
「……ふむ」

 倒れそうだったセリーヌに水筒の水を差し出し、そのまま自分の外套の中に抱き込んだセリカ。
 それにセリーヌは驚いたように身を竦め、しかし直ぐに安堵したのか大人しくなった。
 エクリアやアイドスが言うところの状態とは、まさしくその光景なのだが、何を躊躇うというのか。
 仮に気を利かせたつもりなのだとしても、別にそういう雰囲気でもないだろうに。

『ハイシェラも大変よね。……あんな空気、耐えられるかしら』
『女神よ、聞こえておるぞ。そう思うのなら……というか、御主らはこれ以上であろうが。
 ……ええい、セリカッ! セリーヌ嬢ちゃんを過保護に扱うのも、いい加減にせんかッ!』

 何をやっているのか……。
 面倒になった私は考えるのを止め、先を行く何故か不機嫌になったエクリアを追った。





 遺跡らしき建物に辿りついた私たちは、丁度水場になっている一角に陣取り、そこで休憩を取る事にした。
 私やセリカは平気だが、セリーヌは疲労困憊といった様子。
 エクリアとて、砂漠越えは経験してはいないのだろう。
 姫将軍などと呼ばれてはいたが、彼女も元王族なのだから仕方がない。
 砂の地面に腰を降ろし、少し苦しげに顔を歪めていた。

「呆れたか? 姫将軍だ、何だと言われても、貴方たちについて行くので精一杯だ」
「それが普通だろう。これから知って、慣れていけばいい。時間だけはあるのだからな」
「……そうね」

 フッと笑い、今まで歩いてきた道に目を向けるエクリア。
 熱気を含んだ風に、彼女の髪が揺れた。
 私はそんな彼女に触れようとして……結局何もせずに立ち上がった。

「セリカ、少し遺跡の中を見てくる」
「……分かった」

 無愛想ながらそう返すセリカに、セリーヌが苦笑する。
 彼女はセリカの使徒となったわけだが、その雰囲気は何処か、戦場から退いたメンフィルの聖騎士を思い出させた。
 穏やかな空気の中に、全てを包み込むような優しさが溢れている。

「ルシファー様、どうぞお気をつけて」

 崩れた遺跡の岩に寄りかかっていたセリカの隣で、同じように座るセリーヌ。
 その言葉に頷き、再びエクリアに視線を向ける。
 何を心のうちに抱いているのか、寂しげな横顔。
 金糸のような髪は、触れれば溶けてしまうのではないかと思うほどきめ細かい。
 
 そこまで思って、私はエクリアから目を逸らした。
 別に気まずくなったわけではない。
 こちらに向けられている、得体の知れない視線に気付いたからだ。

 だが感じているのは私だけらしく、セリカですら反応を示さない。
 ならばこの視線の主は私だけに敵意か、あるいは何らかの感情を抱いていることになる。
 何れにせよ、私が動けば出てくるだろう。

 最後にもう一度だけエクリアに目を向け、私は遺跡の中に入った。





 遺跡の内部は所々崩壊していて、中には自然に崩れたとは思えないような場所もあった。
 途中で見つけた魔力を内包した大きな水晶は、後々セリカに教えて魔力を吸収させた方がいいだろう。
 その場に残しておくことにする。

 そうして遺跡を探索し、階段を降りた辺りで私は魔神ディアーネを召喚した。
 この遺跡の魔力の残滓が、何処か彼女のものと似ていたためだ。
 召喚石に魔力を込めると、光と共に蝙蝠のような羽をした女魔神が現れる。
 幾分力を取り戻したようで、その姿はすでに元に戻っていた。
 不遜な態度で腕組みし、忌々しげに遺跡を見ると、

「ここはブレアードの拠点であった場所だ。フェミリンスとの戦い……以前話したことは覚えているな?」
「魔術師ブレアードは三度フェミリンスに挑み、三度目の自らの拠点での戦いで、漸く打ち破った」

 一度目の戦いで彼は正面から戦ったが……魔術師が神に勝てるはずもなく、敗北。
 二度目の戦いでは、十の魔神――深凌の楔魔を召喚し、拠点であったヴェルニアの楼から迷宮を築くことで奇襲攻撃を狙った。
 しかし第五位の魔神の独断専行によって戦略が瓦解。そのまま戦うことになったものの、やはり敗北。
 そして三度目の戦いで、漸く姫神を捕縛したということだった。

「そうだ。……だがこの感じ。どうやら、ブレアードの創りし魔物共が、動きだしているようだ」
「先の戦でフェミリンスが破れ、力が弱まったことで復活したのか……?」
「だろうな。この分ならば、ザハーニウらの封印が解けているかもしれん」

 ザハーニウとは深凌の楔魔、序列第一位の魔神らしい。
 以前ディアーネから聞いた話によれば、少々特殊な生まれの魔神なのだそうだ。

「他の魔神の名は確か、カフラマリア、エヴリーヌ、カファルー、ゼフィラ、既に滅んだヨブフ。
 ……それからラーシェナとパイモンだったな」
「我とグラザ、ザハーニウを除けばそうなる。……だが、ゼフィラの名など口にするでない」

 ゼフィラなる魔神がどのような存在なのかは知らないが、どうやらディアーネとは馬が合わないらしい。
 名を聞くのも忌々しいといった様子で、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「……ところで、ルシファーよ。折角、我を呼んだのだ。久しぶりに褥を共にせんか?」
「悪いが、今は遠慮しておこう。それどころではないのでな。だが……」

 油断しているディアーネを懐に抱き寄せ、その唇を奪う。
 背負うアイドスから叫びに近い声が聞こえたが、今は気にしないでおこう。
 口付けを止め、茶色の髪を撫でてやる度に金の瞳が潤んでいく。
 胸こそ申し訳程度だが、その姿は酷く愛らしかった。

「……貴様、少し強引だぞ。そんなところばかり魔神らしくしおって」
「ここの所、まともに魔力を得る機会がなかったからな」
「ふん、我は別に構わん。だが……女神の説得をせいぜい頑張るのだな」

 そう言うとディアーネは、不適な笑みを浮かべたまま召喚石に戻っていった。

 魔力を得る機会がなかったというのは、エクリアが同行していたからというのが大きい。
 フレスラント王国に向かっていたころの話だが、セリカとセリーヌはその関係上同室。
 必然、私はエクリアと同室になったわけだが、流石にその状況で部屋に娼婦を呼ぶほど愚かではない。
 そんなことをしたら果たしてどうなっていたことか。
 何しろ彼女は、隣の部屋から聞こえる嬌声に随分と頬を紅くしていたくらいだからな。

 とはいえここ数年はどういうわけか、大規模な魔術を使っても魔力が枯渇するようなことはなかった。
 今迄は十日に一度満月となるベルーラが昇る夜に、娼婦を雇って性儀式を行い魔力を得る必要があったのに。
 このところは、それが無くてもある程度の魔力であれば回復するようになってきている。
 別に不都合はないので気に留めてもいなかったのだが……。
 少し気にしておいた方がいいかもしれない。

 ――ところで。

 魔神や古神のような神核を持つ者は、常に何らかの形で魔力を得なければならなかったりする。
 これは人間が食事を取るのと変わらない生理的な欲求だ。
 無意識のうちに相手から精気を奪っていることも偶にある。
 だから魔力が回復するからといって、精気がいらないわけではない。

 そう、いらないわけではない。

『だからといって、ディアーネに手を出していい理由にはならないわよね?』
『……そうだな』
『あのねルシファー、私は別に悪いとは言わないわ。でもね……次の満月は、少しお話しましょうか』

 地獄の底から響くような声に、思考を止める。
 何故だろうか、鬼神化した――姫神化ではなく鬼神化した――イリーナに相対した時と同じ感覚を抱いた。
 ……いや、だがこれも彼女の嫉妬からの愛情表現だ。
 ならば私が言うべきことは決まったな。

『そうだな。私もお前を恋しく思っていたところだ』
『え!? ……えっと……うん。……まったく、ずるいんだから』

 恥らいながらそんな風に言うアイドスを、本当に愛しく思う。





 魔獣を退けながら下方が暗闇で見えない廻廊を越え、一部地下水によって侵食された広間に出る。
 更にその先、開閉装置で扉が閉鎖された通路を抜けると、最深部と思われる場所に出た。

 遥か天上から差し込む光に照らされ、その空間の全貌が顕になっている。
 天然の空洞に創られた、祭壇に似た広間。
 六角形の足場のそれぞれの角に柱が建てられ、柱と柱の間の空間には、一つ置きに魔力の結晶が安置されている。
 そしてその中央に存在していたのは……

「ブレアードの魔獣とは、こいつか」

 何かの植物を取り込んだのだろう。
 本体になるであろう顔の部分こそ猛禽類のようだが、下半身は植物の根のようになっている。
 背には私の身長ほどもある七枚の巨大な葉があった。
 分類上は魔獣なのだろうが、ここまで来ると植物の魔物と言ってもいいかもしれない。

 見た目から判断すれば、おそらくあの手にあたる部分の触手で攻撃してくるだろう。
 他に考えられるとすれば、毒液による攻撃か。

 そう判断して、殺気立っている魔物を正面に神剣を構える。
 気になるのは、未だに消えることのない視線。
 意味が無いかもしれないが、魔力は抑えていた方がいいか。

 考えている間に魔獣は痺れを切らしたらしく、案の定その触手を鞭のように撓らせて打ち付けてきた。
 身を捻って避ける間に、一撃の元に葬ろうと神剣に闘気を込める。
 魔神相手ならば未だしも、このような相手に苦戦はしない。
 敵わないと判断したかどうかはしらないが、魔獣は遺跡内部にいた他の魔物を呼び寄せる。
 だがこの技の前で数は意味を成さない。

 セリカの広範囲強襲用の剣技である紅燐剣を、風鎌剣として扱う。
 腰を低くし、自分を軸に円を描くように大剣を振りぬく。
 恍舞剣と名付けたその技は、念動によって拡散した剣圧で、新たに襲い掛かってきた魔物事ブレアードの魔獣を両断する。
 斬った箇所から変色し、やがて枯れ木のような色になったところで終に魔獣は動きを止めた。

 ――その時だった。

 私は急激に大きくなった気配に、その方向に顔を向ける。

「いや、お見事です。流石は黒翼の魔神……あの方の力を受け継ぎしお方」

 声と共にゆっくりと空中に姿を現した――魔神。
 その視線は、この遺跡を訪れた時から感じていたものと同じ。
 
 優男にしか見えないが、尖った耳と側頭部から生えた角は紛れも無く魔族の証。
 緑の髪に紅い目をして、一見すれば神官のようにも取れる白の衣を纏っている。
 感じられる魔力は、エクリアと同等かそれ以上。
 何者なのか……。
 いや――私はこいつを“知っている”

「……パイモンか」

 私が名を口にした瞬間、飄々とした態度を崩さなかったパイモンの顔が、ほんの僅か喜悦に染まった。
 魔神はそのままゆっくりと地上に降り立つと、恭しく一礼する。

「やはり、御存知でしたか。改めまして、私は深凌の楔魔第六位……いえ。
 ソロモン七十二柱が一柱、魔神パイモンと申します。どうぞ、お見知り置きを」





 深々と下げた頭を上げた魔神パイモンは、じっと私に目を向けてきた。
 敵意はないとでも告げるかのような視線に、私は警戒しながらも、構えていた神剣を背負い直す。
 アイドスから特に反応がないところをみると、彼女もまずは真意を問うといったところらしい。
 私の前に現れたその意味。
 表情を伺ったが、笑みを絶やさぬ姿からは何を考えているのか想像できない。

 ……そしてパイモンが口にした言葉。
 いったい何処で私のことを知ったのか。
 疑問に感じたのは僅かな間だけで、こちらは直ぐに思い当たった。
 そもそも彼が私の魔力を間違うはずはないのだ。

「真に驚かされました。三神戦争で敗北し現神によって封印されたはずのかつての主。
 復活直後にその後継者と思われる魔神の噂を耳にするとは、はっきり申し上げまして、私も想像しておりませんでしたので」
「……確証はなかった。だが私がお前を知っていたことで確信したわけか」
「その通りでございます。……それにしても、記憶まで受け継いでおられるとは」

 嘘を吐いた所で、彼の前では意味はあるまい。
 仮に私が名前を呼ばなかったとしても同じこと。
 別に知られたところでどうということもないので、適当に相槌を打つ。
 朧気で、あまり定かではないとも付け加えたが。
 するとパイモンは、何処かそれでも感心したような表情になった。

「……なるほど、貴方はあの方から力を奪ったわけではなく、真に“継承者”というわけですね」

 熾天魔王と呼ばれた古神の力を得るだけならば、力ずくという方法もある。
 しかし、その記憶や知識までもとなると話は別。
 その場合神核の魔力ではなく、そのものの精神を受け入れねばならない。
 私の場合は、彼の方に譲り渡す意思しかなかったから良かったものの……。
 系譜でもないのに、よく他者の精神が適合したものだ。
 今にして思えば随分と危険なことをしたものだと思う。

「どういう経緯であいつが私の元に来たかは知らない。ただ、創造神が封じられいなくなってしまった世界になど興味はない。
 全て汝の好きにせよと言って消えてしまった」
「……何というか、あの方らしいです。本当に思い切った行動をなされる」

 少し困ったような顔でパイモンは言う。
 遥か昔を思い出しているのか、どこか寂しげでもある。

「――ところで」

 そこで彼は初めて表情を改め、真面目な顔つきになった。
 
「黒翼殿、貴方様にお聞きしたいことがございます」
「……なんだ?」

 厳粛な口調で語る彼の顔にあるのは、こちらの器を量るかのような眼差し。
 飄々とした態度は鳴りを潜め、魔神としての風格を纏っている。

「貴方は、何を求めているのですか?」
「……どういう意味だ」
「いえ、純粋に興味があるだけですよ」

 それ以上言葉を続ける気はないらしく、ただ私の返答を待つように、彼は口を閉じた。
 言葉通りの意味だけでは、無論ないだろう。
 彼の目的で真っ先に思いつくのは、復活したという自らの陣営への勧誘だが、パイモンはあえてソロモン七十二柱と名乗った。
 今のところは一個人として会い来たということになる。
 私は啓示を待つ信徒のようなパイモンを見て、

「アストライアを探す……いや」

 それは建前に過ぎない。
 アストライアを探すというのならば、何かしらの関係があるだろうマーズテリアの聖女に接触するのが一番だ。
 ただ、彼女は現神の使徒であるために会うのは確かに困難ではある。
 しかし目的だけを追求するのならば、それが最善。
 ……だから、今やっていることは無意味ではないが、無駄ではある。

 では何故、長い年月放浪していたのかと言えば、アイドスと共にあり続けるという欲望。
 それが既に叶っているからという“甘え”もあっただろう。
 だがそれに加えて、セリカと――盟友たちとの旅が楽しいと感じていたから、なのだと思う。
 それが分かっていたからアイドスは何も言わなかったし、ハイシェラも指摘はしなかったのだろう。
 ならば、

「アイドスと共に生きることだな」
「……それを遮るものは?」
「害を成すならば容赦はしない。例えそれが、何であろうともだ」

 無論、お前も例外ではないと言外で告げる。
 そこで漸く、パイモンは表情を戻した。

「惜しむらくは、もっと早くお会いできなかったことでしょうか。
 ……いえ、あの方の性質を受け継がれたと考えれば、納得できます」
「……あいつのもう一つの肉体は未だこの世に留まっているはずだぞ」
「――? 何故それを私に?」
「“知っている”というのは、時に厄介だとだけ言っておく」
「……なるほど」

 私の言葉から、パイモンが何を思ったのかは分からない。
“魔王”を奪ったが故の同情と捉えたのか。
 それとも、何かの策謀と考えたのか。
 しかしどちらでもない。

「お前がそれを利用して、何をしようが構わない。その上で私たちの敵に回るのならば、お前の思惑を越えてみせるだけだ」
「……興味深い方だ。ディアーネさんが従っているのも頷けます」
「あいつは性魔術で屈服させて、フェミリンスに関われないように制約をかけただけだ。隙あらば私を狙ってくるだろうな」
「そのような魔神をお傍に?」
「……あれで存外、可愛らしいものなのだぞ」

 途端、パイモンが驚いたような顔つきになる。

「貴方は本当に不思議な方ですね。……私はどうにも、諦めきれなくなってきましたよ」
「お前の望み……闇の王、か……」
「もうお一方、候補はおられますが、あちらもあちらで難儀しそうで」

 苦笑と共に告げられた言葉。
 しかしそれほど困っているようには見えない。
 むしろ、その困難を楽しんでいるような。

「……リウイのことか?」
「ええ、ザハーニウの推薦でもありますが、あの方も中々に興味深い」
「それは、昔のお前と重ねているのではないだろうな?」
「……なぜそれを御存知なのかは分かりませんが……そうですね。
 少しそのように見ているところはあるかもしれません」
「なぜ、とはどういう――?」
「……ふむ。本当に興味深い方ですね。……いえ、まさか」

 何事か考えるようにしていたパイモンであったが、浮かんだ考えを振り払うかのように首を振った。

「ルシファー様、何れまたお会いしましょう。その時は深凌の楔魔としてお会い致します」

 最後にフェミリンス神殿で復活した同胞を迎えに行くと告げ、パイモンは転移魔術でその場から去った。
 しかし“ルシファー様”か。
 彼にとってその名は、何よりも重い意味を成すだろうに。
 少なくともパイモンは私を認めたと受け取っていいだろう。





 パイモンが去った遺跡。
 静寂の中、私はセリカと合流するため上階に向かっていた。
 深凌の楔魔――かつてブレアードに従った魔神たち。

 今回の邂逅で、その復活は確信に変わった。
 ならば今後、真っ先に狙われる可能性がある者は、フェミリンスの系譜。
 エクリア、セリーヌ、そしてイリーナとリウイ。

 だが心配はしていない。
 イリーナのことはリウイが守るだろう。
 あいつとて魔神の血を受け継いでいる。
 そうそう後れを取るようなことにはならないはずだ。
 ならば、今はエクリアたちのことだけを気にかけていればいい。

『……ねえ、ルシファー』
「どうした?」

 突然、言い辛そうな様子でアイドスが心話を送ってきた。
 何かを躊躇うような、困惑しているような。

『貴方、随分と魔神パイモンに気を許していたみたいだけど、大丈夫なの』
「……そうだったか?」

 ……いや。
 今にして思えば、確かに話し過ぎたかもしれない。
 アイドスのことこそ話していないが、あの智将のことだ。
 パイモンもそんなことはいずれ知るだろう。

『別に非難しているわけではないの。ただ、貴方らしくなかったから』
「……私があいつを、“知っていた”からだろうな」

 誰よりも魔王に忠実であった男。
 そしてかつては“父”と共に、人間を試していた堕天使。
 それを知っているからこそ、気心が知れた仲のような態度だったのは、否定できない。
 サタンの精神の影響というのもあるかもしれなかった。
 それに……。

 ――だが、次に相対することがあれば、

「やつと敵対する可能性もある。その時は、容赦しない。……心配してくれたのか?」
『……バカ』

 これは照れ隠しと受け取っていいのだろうか。
 そんなことを考えている間に、私たちは地上へと辿り着いた。





 遺跡内部に残されていた魔力をセリカが吸収し終えると、私たちはパラダの街へと向かった。
 マータ砂漠はカルッシャからフレスラント領に渡って広がっているのだが、地図上では砂漠中央よりやや東。
 領土としてはカルッシャに属しているが、フレスラントにも程近い場所にある。

 街の中に入ると行商人や旅人が往来していたり、市が開かれていたり、然程他の街と変わらないようであった。
 広大な砂漠で発展している数少ない街であり、石造りの建物が目立つ。
 だが今は戦争難民で溢れていて、カルッシャやフレスラントから逃げてきた、貴族風の人間族の姿も見られた。

 外套で服を隠し、着ているものも街娘のような格好ではあるが、エクリアやセリーヌの容姿は目立つ。
 できる限り貴族と思われる者たちとは遭遇しないように行動し、まずは宿を見つけることにした。

 時折、姫将軍が魔族の国などに負けたせいで不幸になったという話を聞いたが、正直見苦しいとしか感じなかった。
 その姫将軍が王宮を追放された時、擁護するでもなく散々に罵倒したのは他ならぬ人間族だろうに。
 もっとも権力闘争に巻き込まれたと考えれば、被害者には違いないのだが。
 結局のところ、私にはそんな戯言などどうでも良かった。

 だがエクリアとセリーヌの様子だけは気にかかる。
 王族という立場の重さ故だろうが、戦が起これば死人が出るのは当然。
 にも拘らず、罪悪感に苛まれているように見える。
 あまり女性を比べるべきではないというのはわかっている。
 しかしこういうところ、エクリアとアイドスは少し似ているかもしれない。
 セリーヌのことは、多少不安はあるがセリカに任せていいだろう。

「気にするなとはいわない。……忘れろと言っても無理だろうからな。何よりそういう奴をよく知っている」
「……別に気にしているわけではない」

 反発するように答えたエクリア。
 だが言葉とは裏腹に、その視線は難民となった人間族に向けられている。
 これは、今は何を言っても無駄だろう。
 時間が解決するというアイドスの言葉を耳にしながら、私は先を行くセリカたちを追った。



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