自己紹介の後、あかりはIS学園校舎の屋上にいた。
大抵の学校では屋上は閉鎖されている物なのだが、IS学園は屋上を常時開放しているようだ。
何故あかりがそのような場所にいるかといえば、まるで上野のパンダを見るような視線に耐えかねたというのもあるが、何より、
「あかり兄、久しぶりだな」
「お久しぶりです、あかりさん」
そうやってあかりに頭を下げてくる、世界で一番目の男性IS操縦者とその幼馴染とゆっくり話したかったという思いもあったからだ。
※※※
自己紹介を終え、その後に続いた自身の担任、織斑千冬のお言葉を聞き終えた後。
彼らがあかりに話しかけてきたのはまさにその時だった。
「あの……」
「ん?」
自身にかけられた物と思われる声に、声がしたほうを振り向けば、そこには二人の人物。
一人は、今まさに世界中に有名になってしまった幸運なのか不運なのか良く分からない男、織斑一夏。
もう一人は、そんな一夏の幼馴染という立場にいる少女、篠ノ乃箒。
二人とも、憧れを存分に込めた視線をあかりに向けている。
そんな二人の様子に、あかりは苦笑を隠そうともせず、こう言った。
「久しぶりだね、一夏、箒ちゃん。あれから腕、鈍ってないよね? まぁ、箒ちゃんは大丈夫かな。剣道の大会、優勝してたしね」
※ ※ ※
その後、ISを操縦できる男二人と女子一人が知り合いのように親しく話しているという事実に、やや教室がざわつき始めたことを察知したあかりは、二人にどこか静かに話せる場所へ行こうと提案し、こうして三人は屋上へとやってきたのだった。
授業と授業の間にある短い中休みに屋上に出るような存在は彼ら以外いないようで、騒がしい校舎の中とは打って変わって、屋上は風の音しか聞こえない静かな場所だった。
「予想はしてたけど、視線で針の筵は勘弁して欲しいよ」
「やっぱあかり兄でもあれはきついか。もしかして俺らって珍獣か何かと思われてるんじゃないかって思ったよ」
「まぁ、仕方あるまい。一夏もあかりさんも世界で二人しかいない男性のIS操縦者なんだ。それに、あかりさんは年齢のこともあるし……」
箒の言葉に、「やっぱり変だよねぇ」と苦笑い交じりにこぼすあかり。
自分のことであるのに、なんとも軽く、言い方を変えれば他人事のように言ってのけている。
いや、よく見るとあかりの顔は軽い口調と反対の表情が浮かんでいる。
浮かんでいる表情は……諦めや達観といった類の物だろう。そしてあかりはそれを隠そうともしていなかった。
「まぁ、僕の場合は入学って言うより保護って表現が近いかな? IS学園にいれば、怪しい白衣のおじさんとかが手を出しにくいだろうねってことで。あと、使えるようになったからには
ISの知識を学ばないとって所。でも、だからって高校生をもう一度か……」
「でも、俺は嬉しいかな。周りが女だらけで男がいないって、正直肩身狭そうだなって思ってたから。ま、あかり兄には悪いけどさ」
それとは対照的に、一夏はすまなそうな思いを少々こめながらも、嬉しそうな表情をしており、やはりこちらもそれを隠そうとしない。
もちろん、彼の気持ちも分からないわけではない。
なにせ、あかりがISを起動させこの学園に入ってくるという事が無ければ、一夏は正真正銘女の園に男一人という、非常に肩身が狭い高校生活を送る羽目になっていたのかもしれないのだから。
そんな状況を完全に回避は出来なかったものの、少なくとも肩身の狭さが半減できるとくれば、それこそ小躍りでもしたくなるほどであろう。
そんな一夏の思いを分かっているのか、あかりも箒も一夏には何も言わない。
もっとも、箒は何かを言いたげな表情をしていたのだが。
(女だらけで肩身が狭い……だと? まったく、私がいるだろうに。幼馴染の私相手でも肩身が狭いというのか……)
そんな箒の内心は、なんとも乙女な悩みであった。
しかし、一夏がそんな箒の内心を読めるはずが無い。
それどころか箒の何かを言いたげな表情にすら気づく様子も無く、あかりに対していろいろ話しかけていた。
あかりは、一夏への対応をしながら、横目で箒の様子も見る。
(……ま、この様子じゃ一夏も昔から変わってないみたいだね)
昔から変わらない事実。
一夏は朴念仁である。
いや、むしろここまで来ると朴念神と呼んだほうがいいのかもしれない。
※ ※ ※
その後もひとしきり会話を楽しんだが、授業開始数分前のチャイムがなったことで、再会を祝した雑談はお開きとなった。
一夏が未だに名残惜しそうにしているが、後でまた話せるだろうとあかりが説得し、何とか授業に遅れるという事態は免れたようだ。
授業内容は副担任の真耶によるISについての本当に基礎中の基礎についての授業で、担任である千冬は教室前方の脇のほうで生徒の様子に目を光らせている。
ISがどのように生み出されたのか、ISの歴史の変遷、etc. etc.
真耶が語る内容はまさに基礎中の基礎で、入学前の参考書を読んでいるならば一通り分かっていることであった。
入学前にあの分厚い参考書の内容を何とか覚えたあかりは、授業の内容よりもどちらかといえば真耶自身がISをどのように捉えているかをつかもうとしていた。
同じ知識を教えるにしても、それを教えようとする人物の主観がある程度混じるものだ。
あかりはある程度混じったその主観から、真耶がISについてどう思っているのかを捉えようとしているのだ。
もちろん、それは授業をないがしろにしない程度で行っている。
そして、しばらく真耶の話を聞いていて分かったことは、
(先生はISを受け入れている。けど、昨今の女尊男卑の風潮は嫌ってるみたいだ)
それは、ISについての基礎知識を教えているときは、それこそ誇らしげに説明していたのに、ISがもたらした変化の中で、女尊男卑についてを語る際にほんのわずかだが、顔をしかめたのだ。
授業に集中していれば気づかない程度だったが、あかりはそれに気づいた。
そんな真耶の様子を見て、世界中の女性が真耶みたいな考えを持ってればいいのになぁと人知れず、一人ごちた。
脳裏に過ぎるのは自分がISに触れるだいぶ前、とある店で男をさも自分の小間使いのように扱っていた女性の姿。
女はISを使える、だから使えない男より立場が上なのが当たり前。
そんな風潮がそこかしこで見受けられる。
あかり自身は、その姿はまさに虎の威を借る狐のようであったと思っている。
「はい、ではここまででどこか分からない部分とかはありますか?」
真耶がいったん授業の進行を止め、生徒にそう聞いてくる。
当然、ここにいる生徒は入学前に配布された参考書を入学までの間に読みふけり、勉強してきた。先ほども言ったとおり、当然あかりもそうしている。
真耶の質問に手を上げる生徒は一人もいなかった。
真耶は自身のクラスの生徒のそんな様子に満足そうに頷き、しかし教室のある一点に視線を留めた。
先ほどまで上がっていなかったはずの手が上がっていたのだ。
「えっと、織斑君? どうかしましたか?」
手を上げている一夏は、なにやら顔を真っ青にしたりやけに焦ったりしている。
当然、ただ事ではない様子なので、真耶は一夏に何事かを問いかける。
それに対し、一夏は先ほどよりも余計焦った様子となり、しかし観念したのかやがて口を開いた。
「あの……先生、まったく、全然、何一つ分かりません」
「……へ?」
一夏の言葉を聞いた真耶が呆けたような声を出し、固まる。
そして、それを聞いていたクラスメイトも固まる。
その固まった生徒の中には、当然あかりも箒も含まれていた。
その中で、今しがたの言葉は聞き逃せなかったのか、千冬が一夏に近づいてくる。
「山田先生が教えているのは参考書に書いてあった範囲だ。読んでいれば分かっているはずだが、織斑、お前は入学前の参考書は読んだか?」
「その……古い電話帳と間違って捨てました」
瞬間、空気が破裂したかのような、妙に小気味のいい音が教室に響く。
見ると、千冬が出席簿を持った手を振り下ろした状態になっており、一夏は頭のてっぺんあたりを押さえ、うずくまるように座っている。
一夏の頭から煙が上がっているように見えたのは、果たして現実かそれとも幻影か。
「必読と書いてあっただろう、馬鹿者が。……まぁ既にやってしまったことをあれこれ言っても仕方が無いな。参考書を再配布するから、一週間で内容を覚えろ、いいな?」
「いぃ!? あの厚さを一週間!? それ絶対無理だって!!」
出席簿を振りぬいた状態のまま深くため息をつき、千冬は一夏にそう告げる。
当然たまったものではないのは一夏なのだが、残念ながら今回は完全無欠に自業自得である。
「私はやれといっているんだ。そもそも、本来入学一ヶ月前から読み進めていくものを読みもせず捨てたお前が悪い。自業自得だ」
「そ、それは……」
その後も何とか反論しようと努力した一夏だが、千冬が言っていることはまったくもっての正論。結局彼はその正論を打ち砕く事が出来ず、再配布された参考書の内容を一週間で覚える事となった。
※ ※ ※
「……だめだ、死ぬ」
「自業自得だ、馬鹿者め」
「箒ちゃんに同意。こればっかりは一夏が完全に悪い」
授業後、すぐさま再配布された参考書を読み進めた一夏だが、やはりというか、既に瀕死状態となっていた。
具体的に言えば、頭どころか耳からも煙を噴き出すほどに。
しかし、今回ばかりは一夏が完全に悪いので、箒もあかりも助けようとは一切しない。
もっとも、今回の件は自分が悪いということは一夏自身も分かっているので、手助けをしてくれない二人に文句を言うようなことはしない。
やれ「もう無理」だの、やれ「これ死ねる」などといいながらも、着実に参考書を読み進めていく。
「少しよろしくて?」
「全然よろしくない。俺はこれの内容を覚えなければ千冬姉に殺されるかもしれないんだ。邪魔しないでくれ」
だから、途中でそれを邪魔してくるような相手を見ずに、しかもやや棘のある言葉を投げかけてしまうのも無理は無いことだろう。
相手の方は、そういう事だと納得できなかったようだが。
「まぁ! このわたくしに話しかけられているというのに、何て態度なのかしら。もう少し、ふさわしい態度というものがあるのでは……せめてこちらをお向きなさいな!!」
「あぁ? だからそれどころじゃないってさっきから……誰だ、アンタ」
ややヒステリーが、混じったような声に、一夏は顔を顰めながらもようやく声の主のほうを向く。
そこにいたのは、金髪碧眼で、その金髪は縦ロールにしているという少女。
その少女を見た一夏はポツリと呟いた。
「なんというテンプレ通りな貴族っぽい奴」
「あなた、こちらをようやく向いたと思ったら、わたくしを馬鹿にしていますの!?」
いちいち大声で話しかけてくる少女にいい感情をもっていないのか、先ほどから顰めたままの顔を戻そうともしない。
「別にそんなつもりは無いけどな。で、あんた誰だよ?」
「そんな!? まさかわたくしを知らないとでも!? イギリスの代表候補生である、このわたくしを!?」
さも信じられないといった表情で一夏に詰め寄る少女。
顔を顰めながらも、詰め寄ってくる少女の気迫に圧されたのか、一夏は背筋をかなりそらした状態となっている。
さすがにこれは助けを入れたほうがいいと判断したあかりが、一夏に向かい口を開いた。
「一夏、彼女はセシリア・オルコット。同じクラスの生徒で、イギリスの国家代表候補生だよ」
「へぇ、あかり兄の知り合い?」
「そんなわけ無いでしょ。自己紹介してただろうに。聞いてなかったの?」
「全然」
あっけらかんと言ってのける一夏に、やや痛みを発してきた感じがする米神を揉み解す。
いきなりこんなところに通えといわれ、周りに気がいかないのも分からないでもないが、胸を張ってそれを宣言するというのは果たしていかがなものか。
それどころか、一夏はおまけと言わんばかりにとんでもない爆弾発言を落としていった。
「だったらさ、代表候補生ってなんだ?」
今度は固まるだけでは済まされず、今の発言を聞いたクラスメイトは総じてその場でずっこけた。
当然箒も前につんのめった状態になり、あかりもあまりの発言に身をのけぞらせる。
セシリアもあまりの言葉に口を金魚のようにパクパクさせるばかりだった。
やがて、一番最初に復帰したあかりが、米神を先ほどより強めに揉みながら、一夏に説明し始めた。
「呼んで字の如くだよ。代表候補って言うのはISの世界大会、モンド・グロッソに出場する、国家代表の候補の事。一夏も知ってるだろ? モンド・グロッソは」
「まぁ、それぐらいは……つまりあれか? エリートって事か?」
「そう! その通りですわ! わたくしはエリート、所謂選ばれた存在ということですわ! そういうことですので、今後は態度のほうも良く考えてくださいませ」
一夏の発言にいまだ口をパクパクさせていたセシリアが、エリートという単語に反応しここぞとばかりにまくし立てる。
そして、ひとしきりまくし立て満足したのか、やや落ち着いた様子になり、頼み込んだのならISについて教えてやらん事も無いという旨を告げてきた。
「しかし、世界で二人しかいないIS操縦が可能な男と聞いてどんな方かと思いきや……とんだ期待はずれでしたわ。そちらの方も一応の礼儀はわきまえているようですが、所詮それどまりなのでしょうし」
そう言った瞬間、周りの温度が一気に冷えたような感覚をセシリアは感じた。
この冷気の発生源は、彼女の目の前にいる一夏と箒。
「お前、今あかり兄までバカにしやがったな? 俺をいくらバカにしてもいいけどよ、あかり兄までバカにするってんなら黙っちゃいれないぜ」
「そこになおれ、セシリア・オルコット。貴様のその性根、この場で叩き直してやる」
生み出される一触即発の空気。
先ほどまで騒がしかった教室が音一つ無い静寂に包まれる。
「……二人とも、そこまで」
その空気を追い払ったのは、あかりだった。
あかりが一夏達に声をかけると同時に、下がったように思えた体感温度が戻っていく。
それを機に、生徒達は安堵のため息をついたり、胸をなでおろしたりした。
そんな中、一夏と箒は納得がいかないとばかりにあかりに詰め寄っていた。
「あかり兄、何で止めるんだよ!?」
「そうです! あそこまで好き勝手に言わせてしまっては……!」
「言いたいやつには言わせて置けばいいんだよ、二人とも。それに僕は全然気にしてないしね」
二人にそう言うと、今度はセシリアに視線を向ける。
「そう言う訳だから、あまりこの二人を刺激しないでもらえないかな? あまり問題が起きて欲しくないからさ」
「……ふ、ふん、わたくしも少々熱くなりすぎたようですわね。格下相手にここまでしてしまうなんて」
その言葉に、一夏たちが反応するが、あかりが二人の肩に手を乗せて留める。
その手は、ただ肩に乗せられているだけにもかかわらず、二人にとってはやけに重く感じられた。
そうしてセシリアが立ち去ったと同時に、授業開始のチャイムが鳴り響く。
これ幸いと他の生徒達はいそいそと授業の準備を始めた。
なおこの後、教室に入ってきた真耶が生徒達の様子に首をかしげることとなるが、これは大筋にはあまり関係しなかったりする。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m