東堂あかりと織斑一夏、篠ノ之箒の出会いはそれほど奇妙な出会いでもなければ、何か印象に残る事件があったわけでもない。
ただ単に、あかりが箒の父が経営する道場で剣を習っていた。ただそれだけだ。
ただ、幼い彼らに衝撃を与えるほど、あかりは強かった。
その頃、あかりは13歳。
けれどもそんな幼さでありながら、おそらく、同じ道場に通っていたほかの同年代はおろか、下手をすれば自分より上の年代よりも、彼は強かった。
そんな彼を見た、箒の父であり道場主である篠ノ之 柳韻は知り合いにこう語ったという。
「彼は間違いなく、剣に関しては天才だ」と。
そして、そんな彼にあこがれた存在がいないはずが無かった。
しかしあかり自身、そのように自身を慕ってくる存在にはまるで口癖のようにこう話していたという。
「僕は強くなんか無い。ただ強くあろうとしているだけだ」
※ ※ ※
放課後の喧騒で騒がしいIS学園敷地内だが、その一角のみはまるで切り離された別の世界といわんばかりに静まり返っていた。
そんな一角で、その二人は向かい合う。
じりじりとした空気が、その光景を見ている者の襲い掛かり、その空気に呑まれた者は例外なく背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
誰かが、口の中に溜まった唾を飲み込む音が響く。
普通では聞こえないような小さな音、だがこの場では何よりも大きく耳に入り込んできた。
そしてその音が聞こえた瞬間、何かを思い切り叩きつけたかのような音、そして何かが破裂したような小気味のいい音がその場の全員の鼓膜を揺さぶった。
そんな空気を生み出していた二人のうち、一人が手に持った竹刀を床に置き、頭の防具をはずすと同時にため息をついたことで、じりじりとした空気はいずこかへと吹き飛んでいった。
「ふぅ……やはり届きませんか」
「まぁね。これでも日々弛まぬ鍛錬を心がけてるから」
ため息をついた一人、篠ノ之箒の言葉に答えながら、もう一人であるあかりが防具をはずす。
その光景を見て、周りの見学者は重い荷物から解放されたかのように胸をなでおろしながら大きなため息をつく。
「……なんて言うか、呑まれた! って感じ」
「あかりさん、つよーい!!」
「って言うか今本当に決着ついたの? 何が起こったかぜんぜん分からなかったんだけど」
あかりと箒、彼らは何をしていたか?
なんてことは無い、剣道の手合わせをしていた、ただそれだけである。
しかし、当人達にとってはただの手合わせ感覚であったが、周りで見ていた他の剣道部の生徒にとっては、先ほどまで目の前で行われていた手合わせは命を賭けた決闘といわれても違和感を感じることは無かっただろうというほどであった。
その証拠に、今では口火を切ったかのように話し始めた彼女らの顔には、まだうっすらと汗が流れている。
「うん、なんだかんだでこうやって手合わせしたのは6年ぶりくらいだけど、やっぱり強くなってるね。でも、打ち込むときに無駄に右に重心傾けちゃう癖、何とかならない? 見る人が見れば今から打ち込んできますよって分かっちゃうよ」
「自分では気をつけているつもりなのですが……やはりなかなか」
「……ねぇ、あんた篠ノ之さんの重心云々、わかる?」
「いや、ぜんぜん」
手合わせの後、改善点などをあかりが伝える。
そのようなやり取りは彼が道場に通っていた6年前までは当たり前の光景だった。
もっとも、二人の間で交わされる言葉は当の本人達にしか分からず、周りで聞いている生徒達には「そもそも篠ノ之さんに問題点なんてあった?」 と言う思いしかない。
なぜ彼らがこのように手合わせをすることになったか。
それは今からかれこれ数十分前に遡る事となる。
※ ※ ※
「あ、織斑君、東堂君、まだいたんですね。よかった〜」
本日の授業も終わり、さぁ帰るだけだとなった時、あかりと一夏は真耶に呼び止められた。
とりあえず持ち上げかけていた鞄を持ち上げ、二人は真耶の方へと振り向く。
「山田先生、どうしたんですか?」
「あ、はい、実はお二人の寮の部屋が決まったので、それを伝えに」
あかりの疑問にそう答える真耶に、あかりと一夏は首をかしげる。
自分達が寮に入るなどと言う話は聞いたことが無いためだ。
「あの、俺はしばらく自宅通いって事になってたはずじゃ?」
「僕はしばらく学園敷地に近いところのビジネスホテルだったはず」
二人がそう言っている様に、もともと二人が寮に入るという話は無かったし、仮に入れるとしてももっと後の筈だった。
本来はどうなのかは分からないが実質女子高となっているIS学園。全寮制の学校であるIS学園の寮にいるのも当然女子だらけ。
そんな中にたった二人だけとは言え、男子を入れるなどと言うことは難しい話であった。
あったはずなのだが……
「それが、政府からの指示で、特例と言うことで本日からIS学園の寮に入れるように、と」
「へぇ」
「まぁ、そういうことなら」
もっとも、入学前に散々自分や一夏という存在の貴重さ、重要さその他もろもろを貴文に叩き込まれたあかりは、政府の思惑を大体理解していた。
(下手に分散させるよりも、いっそ一箇所にまとめておいたほうが監視とかがしやすいって事かな)
が、それを理解し今この場でそれを言っても詮無きことなので、あくまで心中で思っておくだけに留めていたが。
「あ、でも俺の荷物は……」
「荷物ならば私が持って来ておいた、感謝するといい」
元は自宅から通うということになっていた一夏は、しばらくはビジネスホテルに泊まる予定だったあかりと違い荷物を持ってきていない。
そのことを真耶に伝えようとしたところで、千冬がやってきて荷物の心配はないということを一夏に伝えた。
「もっとも、携帯の充電器や文房具、それと少しの着替えぐらいだがな。他に必要な日用品があるなら購買で買うといい」
「なるほど、分かった」
「分かりましただ馬鹿者。放課後とはいえ、他の生徒もいるんだ」
感謝したのに頭を叩かれ、さも理不尽だと言わんばかりの表情をする一夏。
あかりはその光景を苦笑いしながら見ていた。
「それでは、これがお二人の部屋の鍵になります。さすがに女子と相部屋というわけにはいかないので、お二人が一緒の部屋ですね」
「まぁ、その点に関してはまだ大して会話してない女子とかと一緒になるよりだったらだいぶ楽ですよ」
二人に渡された部屋の鍵に記された番号は1024。
IS学園の寮の部屋は一部屋を二人でシェアして使うという形式となっているので、ちょうど良くあかり達で一部屋ということになった。
ちなみに、二人が同じ番号が記された鍵を真耶から渡された際、一夏はどこからとも無く幼馴染の少女の声が聞こえたような気がしたが、あかりにそれとなく聞いてみても何も聞こえなかったという答えしか返ってこなかったため、空耳だろうということで自己解決した。
※ ※ ※
「うお! 広ぇ!!」
千冬が持ってきてあった荷物を受け取り、渡された鍵に書いてあった番号の部屋へ入った一夏の第一声がそれだった。
IS学園の寮の部屋は、確かに広かった。
二人がこの部屋に入ったとしてもまだ広く感じ、おまけに台所、洗面台、シャワールームも設置されているという至れり尽くせり具合。
「これじゃ寮って言うよりもホテルの一室って言われたほうがまだ納得がいくよ」
「お! あかり兄、歯ブラシとか石鹸とか置いてあるぜ?」
「まんまホテル!?」
さすがの有様にあかりも突っ込みを抑えることが出来なかった。
確かに石鹸などがおいてあるのはありがたいが、果たして学校の寮という視点から見れば、その設置物は正しい物なのだろうか?
小一時間ほど問い詰めたくなったあかりだが、誰に問い詰めればいいのか見当もつかなかったため、その思いをそっと心の奥底にしまいこんだ。
その後、荷物の整理もそこそこに何故かあかりが持ち込んでいた緑茶の茶葉で二人はお茶を楽しみながら雑談していた。
そんな時、二人はやけに外が騒がしいということに気がつき、ふと扉がある方を見やった。
「なんだ? やけに騒がしいような……」
「なんかキャーキャー騒いでるね。たぶん、ここが僕と一夏の部屋だからじゃないかな。ほら、部屋に入っていくところ何人かに見られてたし」
「あぁ、なるほど」
しかし、その騒がしさもやがて静まり返り、むしろ静か過ぎるといった具合になっていた。
その様子に一夏は首をかしげ、あかりはその顔に笑みを強くしていた。
「あかり兄?」
「この感じ、箒ちゃんかな? まったく、むやみやたらに人を威圧しちゃ駄目だろうに」
その言葉に答えるように、扉が開き、そこから箒が入ってくる。
彼女の右手には、竹刀袋が握られていた。
「すいません。ですが、何度言っても通してもらえないもので、つい」
「……さて、この気迫って事は、あれだね。一夏、そこにおいてある竹刀袋とって」
「えっと、二つあるけど、どっち?」
「一夏から見て右の方」
あかりの指示通りに、一夏は竹刀袋を手にとり、あかりに手渡す。
一夏から竹刀袋を渡されたあかりは立ち上がり、部屋の外へと向かう。
箒もそれにならい、部屋の外へと向かった。
「剣道部の部長に掛け合って道場を短時間ですが使わせてもらえることになりました」
「対価は見学って所かな。あまり人に見られるの好きじゃないんだけどなぁ」
「あれ? 二人ともどこ行くんだ?」
一夏の問いかけに、あかりはにっこりと笑顔を浮かべながらこう答えた。
「どこて、さっき言ったとおり道場だよ。久々の手合わせしにね」
※ ※ ※
それが、かれこれ数十分前の話だった。
そして箒の言ったとおり、IS学園剣道部はすでに迎え入れる準備を整えていた。
なぜこうも簡単に道場を貸すのかと問われれば、理由は箒にある。
篠ノ之箒という少女が中学の頃、剣道全国大会で優勝しているということは、剣道をやっている彼女らにとってあまりに有名すぎる話だ。
そんな強者の手合わせを見れるとなれば、場所を提供することになんら悪感情は無い。
むしろ見稽古をしてその技量を盗ませてもらいたいくらいなのだ。
もっともその時剣道部員の面々は、あくまで篠ノ之箒を見るために場所を貸したのであり、あかりの方は言い方は悪いが箒のおまけ程度にしか考えていなかったのだが。
その考えは、先ほどの手合わせにより木っ端微塵に粉砕されてしまった。
「お疲れ、箒。ほら、飲み物買って来たぜ」
「すまない、一夏」
見学者の集団よりやや離れたところであかりと箒の手合わせを見ていた一夏が、箒にスポーツドリンクを投げ渡す。
そのスポーツドリンクをキャッチし、キャップをあけ中身を一気にあおる。
体から失われた水分が、体の隅々まで染み渡る感覚を感じながら、箒はあかりの方を見やった。
見れば、あかりは大勢の剣道部員に囲まれ、さすがに困り果てている。
一夏もあかりにもスポーツドリンクを渡そうと試みたが、あかりを囲んでいる女子の壁が余りに厚かったため断念している。
「見ろよ、さっきまであかり兄は箒のおまけみたいな感じで見られてたのに、今じゃむしろあかり兄がメインだぜ」
「だろうな。あの強さを見せ付けられたら、剣道を嗜んでいる者は誰しも心を揺り動かされる」
箒は目を閉じ、先ほどのあかりの太刀筋と、かつてのあかりの太刀筋を脳裏で比較する。
まったく衰えが感じられないどころか、むしろより鋭くなったように感じられる太刀筋を思い浮かべ、箒は思わず武者震いをした。
それでいてあかりは自分はまだまだだとスイトックに高みを目指し続けている。
その強さに、その生き方に箒は深い感銘を受けていた。
剣道を続けた理由は数あれど、その中でもっとも強い理由が、あかりに追いつきたい、いや、あかりのようになりたいという大きな憧れ。
その憧れを持った箒には、周りの人間が放つ『男女』等といった侮蔑の言葉は、微塵さえも彼女を揺るがす要因足り得なかった。
いつか、自分があかりが立つ強さの高みに上る日を夢想し、箒は未だに女子に囲まれてあたふたとしているあかりを見つめていた。
この後、成り行きで箒と一夏が手合わせをすることになるのだが、一夏は箒に惨敗。
そんな一夏の姿を見た箒がやけに嬉しそうに、彼を鍛えなおすと宣言していたが、なぜ嬉しそうだったかは彼女の乙女心のみぞ知る事だ。
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