──洛陽
「大陸に割拠する諸侯が連合を組んだみたいよ」
眼鏡を掛けた――知的な雰囲気が漂う――少女の声が広い玉座の間に響き渡った。
彼女の表情は苦渋を噛み締めているように強張っていた。
メガネと帽子がトレードマークの小柄な少女──彼女の名は“賈駆文和”と言う。
董卓軍の軍師を担っている。
「ウチ等と戦う為に? 暇な奴等が居るもんやなぁ」
彼女の言葉に答えるのは、陽気でお気楽そうな雰囲気の漂う関西弁の女性である。
下は少し露出の高い袴らしきものを穿き、上は豊満な胸をさらしで巻いて隠している。
更にその上に黒い上着を肩に掛けていると言う珍しい格好をしていた。
女性の名は“張遼文遠”と言い、董卓軍が誇る猛将の1人である。
「そうね。だけど曹操や孫権が連合に加わっているらしいから……かなりの強敵になるわ」
曹操も孫権も、この大陸に住む人間なら誰でも聞き覚えがある名将である。
その2人が共通の目的の為に手を組み、自分達の敵となるのだ。
その事を聞けばどんな者でも気が滅入るのは無理もない。
賈駆も例外ではなかった。
「せやろね。曹操には猛将の“夏侯惇”と“夏侯淵”の姉妹がおるし、孫権には“甘寧”や“周瑜”がおる。それに最近名を挙げてる“長曾我部”って奴の下にも、ええ武将が集まっとるらしいで。何とも強敵っちゅーか、難敵っちゅーか……」
「ふんッ! 何を恐れる必要があるのだ? 奴等は只の寄せ集めの軍隊に過ぎん。そんな者達が何十万人集まろうと、所詮は烏合の衆だ」
張遼の言葉に割り込むように言うのは、董卓軍でも武勇に優れることで名高い“華雄”だ。
弱気な発言が玉座に響いている中で、華雄は1人だけ息巻いている。
「烏合の衆、なぁ……」
対する張遼は、そんな彼女の姿を冷めた目で見ていた。
だがそんな張遼の視線に気づかない華雄は、更に言葉を続ける。
「そうだ。それに水関や虎牢関が洛陽への道を阻んでいる。そこに拠って戦えば、連合軍など恐れる事はない!」
生粋の武人――そして自身の武に絶対の自信を持つ華雄は勝利を信じて疑わない。
だが賈駆も張遼の2人はそんな楽観視は出来なかった。
「そんなに簡単にいくかぁ? 黄巾党との戦いで将も兵も戦に慣れとるし……ウチは結構苦戦すると思うねんけど」
張遼の言葉に賈駆も同意の意を示すように、ゆっくりと頷いた。
しかし2人の態度に華雄は鋭い視線を向ける。
「何を弱気になっているのだ! 夏侯惇だろうが、甘寧だろうが、私と呂布ならば一撃で叩き伏せられる! それがどうして分からない!」
「……別に弱気になっとる訳やない。ウチかて、強い奴とは戦いたいって思うとる。せやけどなぁ……」
これから起きるのは間違いなく大規模な“戦争”である。
強い将が自軍に居れば勝てるような、単純な話ではないのだ。
2人の間に賈駆が見兼ね、割って入った。
「……張遼の言いたい事も良く分かるわ。けれど何があっても、私達は連合軍に負ける訳にはいかないのよ」
賈駆の表情は冷静そのものである。
だがその瞳の奧には何かが漂っていた。
それを見抜いた張遼は静かに言葉を返す。
「そりゃそやね。負けるんはウチかて嫌やもん」
「……なら、つべこべ言うな!」
あくまで張遼は賈駆の言葉に同意しただけだ。
しかしその言葉は華雄の機嫌を損ねたらしい。
自身の目の前に居る張遼を怒鳴った。
「せやなぁ……んじゃウチは何も言わずに黙っとるよ。黙って賈駆っちの命令に従うわ。後はお好きにどーぞ」
張遼が投げやり気味な言葉を、賈駆に向けて言った。
だが当の賈駆は特に気にも留めず、冷静沈着に指示を下す。
「分かった。じゃあ張遼は呂布に出陣の事を伝えて。2人には虎牢関を守ってもらうわ」
「あいよー。んで、どっちが大将なん?」
「呂布よ。張遼は補佐してあげて」
「あの呂布ちんをウチが補佐すんの? そりゃまた難儀やなぁ」
張遼はやれやれと、言わんばかりに肩をすくめた。
彼女にとって“呂布”と言う将を御すのは苦労するらしい。
そしてその事は賈駆も充分に理解している。
「大変だろうけど……お願い」
「ほいほい♪」
だがそれは賈駆が張遼を信頼している証でもあった。
それを張遼も充分に理解しているからこそ、賈駆の指示を聞き入れた。
そして賈駆は不満顔をしている華雄への指示を続いて出す。
「華雄将軍は水関で連合を迎え撃ってちょうだい。但しこちらから討って出る事は控えて」
賈駆の指示に、華雄の表情は驚愕の色に染まる。
「何だとッ!? この私に守りに徹しておけと言うのかッ!?」
「そう。遠征してくる連合軍の弱点は補給ただ一点。水関に籠もって、兵糧が尽きるのを待つのよ。兵糧が無くなれば連合軍は自然に退却を──」
「断るッ! どうして武人である私が守りに徹しなければならないのだ!」
華雄は賈駆の丁寧な説明も聞き入れない。
張遼が華雄を一瞥し、溜め息を吐いた。
「武人が自らの武を敵味方に披露しなくてどうするのだ? 砦に籠もっているだけなど、武人としての矜持が許さん!」
「でも敵が……」
いくら武勇に秀でた武将が居たとしても、この戦に関しては無茶である。
自分達がこれから迎え撃つ敵は、何十万人と言う大軍なのだ。
しかし華雄はいくら言っても聞き入れてくれない。
「連合軍など、我が武の前では無力に等しい! それとも何か? 賈駆は我が武を侮っているのか!?」
そんな華雄の姿に、賈駆は張遼と視線を交わし、小さく頷く。
彼女の心中は半ば諦める形で覚悟を決めた。
「……分かったわ。貴方の力は認めているもの。全て任せるわ」
「ふん、当たり前だ。これで軍議は終了だな。私は失礼させてもらうぞ」
自分の意見が通った事に満足したらしく、華雄は意気揚々と玉座の間を出ていった。
賈駆の心遣いに華雄は最後まで気付かなかったのである。
「…………」
「…………」
その場に残った2人──賈駆と張遼は再び視線を交わす。
「はぁ……」
まずは賈駆が大きな溜息を吐いた。
それに続いて張遼が――華雄が出ていった扉を一瞥して――吹く。
「ああ言う自分が一番強いと思っとるアホは、他のみんなが何を言うても聞いてくれへんのが玉に瑕やな。アホやねんから、人の言う事を聞いときゃええのに」
普段は陽気な張遼だが、先程の華雄の態度は頭に来ていたらしい。
今はこの場に居ない華雄に向けて、棘のある言葉を掛けた。
「……んで、どうすんの? 賈駆っち」
「作戦は変わらないわ。水関で防衛して、虎牢関でも防衛。これしかないでしょう? 圧倒的に兵士の数が違うんだから、まともにやって勝てる筈がないもの」
勝利を口にしていた賈駆ではあるが、それがどんなに難しいかをも彼女は理解していた。
そしてそれは張遼も同じである。
「せやねぇ……大陸中に蔓延しとる噂の通り、本当にこの洛陽で暴政を布いとるんやったら、徴兵でも何でもしてそれなりに対抗出来るんやけど」
「……僕だってそうするのが一番って言うのは分かってる。けど……月が許さないのよ」
「……董卓ちゃんは優しいからなぁ。でも……“奴等”は何て言う?」
張遼の目が一瞬だけ冷たく、鋭くなった。
彼女の口から“奴等”と言う言葉が出た瞬間にである。
そして賈駆もまた、忌々しそうに顔を顰めた。
「さあね。考えなんて分からないわ? 多分奴等の狙いは……」
「一点集中“あいつ”だけか…………なあ、賈駆っち?」
「何?」
張遼は――声を抑えながら――賈駆にだけ聞こえるような声で言う。
彼女の行動は、周囲を警戒しているようだった。
「奴等の目的のために死ぬなんてアホ臭いやろ? 月ちゃん連れて、逃げる準備しときや」
「…………」
張遼の言葉に、賈駆は表情の表情が驚愕に変わる。
そんな賈駆の表情を見て、張遼は気持ちの良い笑みを見せた。
「それぐらいの時間やったら、ウチ等が何とか作ったるさかい。ま、そん時は自分等の力で、あいつ等に取られた人質をどうにかしてもらわんとアカンけど……」
「…………」
「絶対に救い出さないと、人質でも殺されるで。奴等の大将を見たやろ? あの氷のような面と鋭い眼……」
張遼の言葉に偽りはまるで無かった。
彼女はこの戦いが敗戦という形で終わる事を見越しているのだ。
しかしそれでも賈駆と董卓の2人を思ってくれているのだ。
「……ええ、分かってる。お願いするわ……」
賈駆は絞り出したような声で、張遼に向けて言った。
「エエで。時間稼ぎはウチに任せとき。んじゃ……こっちもそろそろ準備に入るわ。呂布ちんも探さんとアカンしな」
「そうね……呂布の事、よろしくね」
「ほいよー。ほんなら、また後で」
賈駆に向けて手を振り、張遼も玉座の間を出ていった。
張遼の後ろ姿に心の中で感謝し、彼女が戦死を遂げないように祈る。
「…………」
そして賈駆は改めて、この部屋の中央にある玉座に目を向けた。
そこには誰1人として姿は無い。
「月は……月だけは、ボクが守ってみせるんだから」
賈駆が唇を強く噛む。
口の中が、薄っすらと血の味で満たされた。
◆
玉座の間から退室した張遼は、敷地内にいる筈の呂布を探して歩き回っていた。
辺りをくまなく見回すが、姿は無い。
「どこにおるんやろなー……って! おお、いたいた。おーい! 呂布ちーん!」
頭を悩ましていた矢先、すぐに呂布の姿を見つける事が出来た。
彼女は草木が多い中庭でボンヤリと青空を眺めている。
「…………??」
空を眺めていた呂布は突然呼ばれ、気の抜けた表情のまま視線を移す。
浅黒の肌と炎のように赤い髪の、独特の雰囲気を持った女性である。
この女性こそが“呂布奉先”だった。
張遼は中庭の真ん中に立っている呂布へと歩み寄る。
「出陣の準備やで。賈駆っちも、早くしろって言っとる」
「…………(コクッ)」
張遼の言葉に呂布はゆっくりと頷く。
そんな彼女の様子に張遼は眉を顰めた。
「ん? どしたん? ボケーっとして」
「……チョウチョ」
「ん? おお、あれかー」
張遼が呂布の視線を追い掛けてみると、そこには宙を舞う蝶の姿があった。
先程の様子から察するに、ここでずっと蝶の姿を追っていたらしい。
「……変」
「変って……何が?」
唐突な呂布の指摘に、張遼はまじまじと蝶を見直した。
だが飛んでいる蝶は特に変わったようには見えない。
「…………霞」
呂布が言う“霞”とは、張遼の真名だ。
つまり呂布は張遼の様子がおかしいと言っているのだ。
「はあッ!? ウチが変って? 急に失礼な事を言うなぁ、呂布ちんは〜」
突然「変」と言われ、陽気な張遼も流石に反論した。
だが呂布は尚も言葉を続ける。
「…………変」
「まだ言うんかい。それはええから、はよ準備しぃーって!」
これは言っても駄目だと、呆れるようにして張遼は話を終わりにした。
だが張遼はそれほど気分を害したようには見えない。
それは彼女自身、呂布がこう言う性格である事を理解しているからでもある。
呂布と言うのは率直に意見を述べる素直な性格らしかった。
「…………戦?」
「そうや。敵が洛陽に攻めてきとんねん。それを追っ払うのがウチ等の役目や」
「…………(コクッ)」
今度は張遼に言葉を掛けず、呂布はゆっくりと頷いた。
その様子を見た張遼は、簡単に今回の戦での自分達が成すべきことを説明した。
「役目が分かったところで、出陣の準備しよな。ウチ等は虎牢関の守備や。大将は呂布ちんやで」
それを聞いた呂布は――特に表情も変えず――無言のまま、首を横に振った。
自分に無理だと言いたいのかと思い、張遼は首を傾げる。
「ん? 無理なん?」
「…………(コクン)」
今度は先程とは違って大きく呂布は頷いた。
呂布も大将という役目がとても大変だと認識はしているのだ。
難しい事が嫌いな呂布は、それをやりたがる筈がなかった。
「うーん……賈駆っちの命令やしなぁ。呂布ちんにやってもらわんとアカンのやけど……」
張遼も呂布の抱く気持ちが分からなくもなかった。
だが軍師である賈駆が決めた事なので、今更変える訳にもいかない。
更に言えば任しておけと言った以上、自分の責任は重大である。
悩んでいる張遼を見て、呂布が静かに吹いた。
「…………霞」
自分の名が呼ばれたと言う事は「大将は張遼」という呂布の意思表示だった。
だが張遼もそれは素直に頷けない。
「ウチにせいって? そりゃ無理やわ。序列を乱すような事はしとーないしな」
「…………」
断る張遼を呂布は哀願するような眼差しで見つめる。
これはアカンと、張遼は内心慌てていた。
「うう……そんな捨てられた子犬みたいな眼で、ウチを見んといてくれぇ〜……」
その反則気味な呂布の視線の前には猛将である張遼も降参寸前である。
その眼は張遼が言う通り、捨てられた子犬の眼であった。
「…………」
呂布は尚も子犬の瞳で張遼を見つめる。
その結果――
「……分かった。分かった分かった!」
張遼は降参した。
猛将が子犬の眼に屈するなどと、この場に華雄が居たら怒髪天物だろう。
「じゃあ呂布ちんの仕事はウチが肩代わりしたる。けど、大将が呂布ちんっていうのは変更なしやで?」
「…………?」
張遼の言葉の意味が分からず、呂布は首を傾げる。
その仕草に胸が熱くなりながらも、張遼は平静を保つ。
「つまりな、名目上は呂布ちんが大将やけど、雑務やら何やらについては、ウチがやったるって事」
「…………(コクッ)」
呂布は張遼の説明を理解し、いつもの瞳に戻って頷いた。
今更ながら自分の甘さに張遼は苦笑した。
「……ま、ええわ。んじゃ、ウチは出陣の準備をしてくるから、呂布ちんは暫く待っといてーな」
「…………(コクッ)」
「ほんならまた後で。呂布ちん……チョウチョばっか見とらんと、武具の手入れぐらいしときやー」
「…………うん」
張遼がそう言うと、初めて声に出して頷いた。
この場から張遼が居なくなり、再び1人になった呂布は空を見上げる。
「…………また、戦…………」
呂布の吹いた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
代わりに空が、呂布の言葉を受け取った──
◆
──元親が率いる幽州の軍が連合への参加を決めてから数日後。
軍を率いて連合に合流した元親達は、連合の主軸となる有力者達との軍議に出席する事となった。
軍議には元親と軍師である朱里が出席する事となった。
本陣には愛紗と鈴々が兵士の面倒を兼ねて留守番をしている。
「はうぅ……緊張しますぅ〜……」
元親と朱里は連合軍の発起人である袁紹の本陣へとやって来ていた。
そんな中、元親の隣を歩く朱里は緊張で固くなっている。
この状態だと喋る時に何時噛んでもおかしくはなかった。
元親は朱里の様子を見かね、緊張を解すために話し掛ける。
「朱里、軍議じゃあ色々と質問が多くなるかもしれねえ。そん時は頼むぜ?」
「は、はいッ! 頑張りましゅッ!」
「…………やる気は良いが、肩の力を抜いていこうぜ」
舌を噛み、その痛みで顔を朱里は顔を顰める。
元親は溜め息を吐きつつ、朱里の頭を慰める意味で優しく撫でてやった。
「おいおい、あまり噛むなよ。他の奴等に笑われるぞ?」
「あうぅ……ごめんなさい」
「謝るなって。ほら、もう着くぜ」
元親は肩に掲げた碇槍で目的地である天幕を指し示す。
元親はもう1度朱里に励ましの言葉を掛けてから、天幕へと入った。
「…………」
「…………」
「…………」
3人の女性の視線が、元親へ一斉に集中した。
それ等の女性はいずれも、上座に座っている。
上座の中央に腰を落ち着けているのは金髪縦ロールの派手な女性。
その派手な女性の左に陣取るのは金髪をドクロの髪留めで纏めている少女だった。
最後に右手の方に陣取るのは浅黒い肌に、頭に飾り物を付けている女性である。
元親は3人を眺めつつ、どの人物も只ならぬ風格を纏っている事を感じた。
朱里が小声で説明してくれた話によると、中央に居るのが袁紹、左が曹操、右が孫権らしい。
「……コホン。貴方が近頃、庶人達に“天の御遣い”なんて噂されてる方ですの?」
派手な女性――袁紹が、何処か嘲りを含んだ言い回しで訊いてくる。
だが元親はそんなことは気にも留めず、飄々とした態度で返事をした。
「それに何か文句があんのかよ? 言っておくがな、俺は長曾我部元親だ。呼ぶ時はちゃんと名前で呼びな」
「なッ……! 失礼な方ですわね」
袁紹が気分を害したように腕を組む。
元親が返事をし終えると今度は、左手に座る少女――曹操が小さい声で呟いた。
その表情は元親を見下しているような感じである。
「……野生児ね。馬鹿みたいな恰好して」
「そりゃどうも。俺としちゃあ、動きやすくて良いんだがな」
元親の返事が予想していた物と違ったのか、曹操が顔を顰める。
「…………」
残る浅黒肌の女性――孫権は全く興味無しと言わんばかりにそっぽを向いている。
元親はさっそく纏まりが無い事を見せてくれた連合軍に少しの不安を覚えた。
それは傍らに居る朱里も同じらしく、困惑した表情を浮かべていた。
そんな元親に一種の救いとも思える人物が声を掛けた。
「よお、長曾我部。久しぶりだな」
見知った顔が元親の視界に映る。
それは数ヶ月前に黄巾党相手に共闘した遼西の太守だ。
「おお! 公孫賛じゃねえか。久しぶりだな」
「ああ、そっちは相変わらず元気そうだな」
「まあな。お前も元気で何よりだぜ」
公孫賛とはしっかり同盟を結んではいない。
だが戦友である公孫賛との再会で、それまで感じた嫌な気分が晴れていく。
そんな2人のやり取りを見ていた袁紹が遠慮する事なく割って入った。
「……伯珪さん。貴方、この男とお友達なんですの?」
元親が袁紹を鋭い視線で一瞥する。その表情は不機嫌その物である。
だが公孫賛は落ち着いた様子で彼女からの問いに答えた。
「まあな。一緒に戦った仲って奴さ」
「そうですの。まあ門地の低い者同志が仲良くなさるのは良い事ですわね。おーっほっほっほ」
普通の人間ならすぐに怒るであろう、失礼な返事をしつつ、高らかに笑い飛ばす。
元親は舌打ちをするが、公孫賛の方は怒った様子を見せなかった。
「はぁ……もう慣れてはいるが、相変わらず名家意識を鼻に掛ける奴だな」
「あら。鼻になんて掛けていませんわ。鼻に掛けなくても、袁家は本当に名家ですもの♪」
どうやらいつもの事らしく、慣れているらしい。
元親は内心、公孫賛に激しく同情した。
「それじゃあ、あんたは金持ち同志、金で肥え太った奴等と付きあうのがお似合いだぜ」
「あら? 私がお金持ちなのを僻んでらっしゃるの?」
「…………僻む言葉に聞こえたんなら、医者に耳を診てもらいな」
「あらあら? 心配もして下さるの? 好感度がまつ毛1本分増えましたわ」
皮肉で言った言葉を尽く避けられ、元親の額に青筋が浮かぶ。
偶然にもそれを見てしまった公孫賛は、慌ててこのやり取りを終わらした。
「ほらほら2人とも、言い争いはもう良いよ。それよりさっさと軍議に移ろうぜ」
元親は再び舌打ちをすると、自分に用意された席に乱暴に座った。
碇槍も肩に掲げたままである。朱里も元親の苛々した様子を怖がりつつ、傍らに移動した。
そして、袁紹は公孫賛の言葉が気に入らなかったのか、顔を顰めた。
「伯珪さんに言われるまでもありませんわ。私の台詞を取らないでくださいます?」
袁紹は自分の事を棚に上げたような文句をぶちまけつつ、この場に集まった本題を話し始めた。
「さて、皆さん。私の下にこうして集まって頂いたのは他でもありませんわ」
袁紹は席から立ち上がり、そこに居並ぶ諸侯を一瞥して続ける。
「董卓さんの事です。董卓さんという田舎者は、田舎者の分際で皇帝の威光を私的に利用し、暴虐の限りを尽くしておりますの。それはここにお集まりの皆さんもご存じでしょう?」
袁紹はこの場の全員が頷く暇も与えず、勝手に続ける。
元親の苛々は更に募った。
「そんな董卓さんを懲らしめてやるために、皆さんの力をこの私……そう! 三国一の名家、袁家の当主であるこの私に、皆さんの力を貸して下さるかしら?」
袁紹の口上を聞いて、元親は怒りを通り越して呆れ果てた。
確かに彼女のしようとしていることは正しいかもしれないし、立派である。
しかし彼女の無礼な物言いを聞くと、力を貸そうという気が消えていく。
それは他の諸侯も同じらしく、どの顔にも呆れ顔である。
「ふん……己の名を天下に売るために董卓を利用しようとしてるだけのクセに、良く言うわね」
曹操が微笑を浮かべて呟いた。
その呟きは確実に袁紹へ向けた言葉である。
そして当然その言葉は袁紹の耳に届いていた。
「あら、そこのおチビさん。今、何か言いまして? 身長と同じように声まで小さくて、何を仰ったのか聞こえませんでしたわ〜」
それで怒るのは己のプライドが許さないのか、たっぷりの皮肉を交えて言い返す。
だが曹操の方にはまだまだ余裕があるらしい。
挑発的な笑みを浮かべ、更に切り返す。
「老けた見た目同様、耳が悪いようね、おばさん」
「くっ……口の減らないチビですわね!」
「貴方こそ、口の減らないおばさんだ事」
「――ッ!? あーーーーッ! もう、このチビはむかつきますわ!!!」
結局先にキレたのは袁紹だった。
曹操に向かってチビを連呼した挙げ句、これでもかと怒鳴り散らす。
「チビチビ煩いわね……あんた、今すぐ死ぬ?」
曹操の方も相当我慢していたらしい。
腰に掛けた武器――鎌を持つ。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ!」
袁紹も腰に掛けた武器――剣を持った。
互いに睨み合い、一触即発の状態になる。
その光景を見ていた元親の心中に、忘れ掛けていた怒りが再び込み上げてくる。
元親も2人と同様、手に持つ碇槍に力を込め、テーブルに叩きつけようとした瞬間――
「あーッ! もう! 袁紹も曹操も落ち着けよ! 今はそんな事でいがみ合ってる場合じゃないだろうが!」
2人の間に割って入り、公孫賛は仲裁をする。
だが2人の一瞬即発の状態は戻らない。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
「…………」
肩を落とした公孫賛は、この2人に負けない風格を漂わす孫権にも協力を要請してみた。
だが返ってきた答えは「私には関係ない」の一言。まさしく一刀両断である。
今度は元親に助けを求める視線を公孫賛は向けるが、元親は「知るか」と蹴ってやった。
元親も2人の子供の喧嘩のような争いを止める気など、馬鹿らしくてしょうがなかった。
期待していた元親にも断られた公孫賛は溜め息を吐いた後、ゆっくりと口を開いた。
「はぁ……あのな、今は皇帝を擁している董卓にどう戦を仕掛けるかを相談、だろ?」
声を大にして現状を語り、2人を軍議へと引き戻そうとする。
2人の醸し出す殺気が先程と違って徐々に弱くなっていく。
「大義はどう作るのか、難攻不落として知られる水関や虎牢関をどうやって抜くのか。それ以前にこの連合をどう編成し、どう率いていくのかを決めなくちゃ、だろ?」
公孫賛の声がやっと届いたらしく、睨み合いを続けていた2人の意識が軍議に向いた。
「……そうですわね。伯珪さんの言う通りですわ。ふふっ……私とした事が、可愛げのないおチビに感けて軍議の本質を忘れる所でした」
「忘れる所じゃなくて、忘れてたんだろうが……」
公孫賛が疲れたような溜息を漏らす。
元親は先程手伝わなかったことを詫び、公孫賛を心の底から同情した。
こうして軍議に意識を戻した袁紹は再び高らかに言い放つ。
「この連合に1つだけ足りない物がありますわ」
突然の意味深な言葉に、全員の視線が袁紹へ一斉に向けられる。
「……そう。この軍は袁家の軍勢を筆頭に精鋭が揃い、武器糧食も長曾我部軍を除いて充実し、気合いだって充分に備わっています。けれど、たった1つだけ足りない物があるのですわ」
余計なお世話だと、元親は本日3回目の舌打ちを鳴らす。
元親が気付かれないように袁紹を睨んでいると、彼女の視線が元親へと向いた。
「その足りない物が何か、お分かりになります? 長曾我部元親さん」
自分達の軍をいちいち引き合いに出した挙げ句、的を得ない質問をしてくる。
元親、本日4回目の舌打ち。
暫く間を開けた後、元親は静かに口を開いた。
「……あんたに答えてやる義理は無いが……仕方無えから答えてやるよ」
「あら、答えられますの?」
「(いちいち馬鹿にしやがって……)統率者じゃねえのか? とびきり秀でた奴」
元親の答えに袁紹は一瞬驚いたような表情をした後、意地の悪い笑みを見せた。
その反応に元親は首を傾げる。
「……まあ、合ってはいますわね。つまらないですけど」
「…………ああ?」
「奇しくもこの男の言う通りですわ。この連合に足りない物……それは即ち、優れた統率者です」
再び袁紹の口上が始まった。
元親は――気のせいかもしれないが――頭痛を感じ、溜め息を吐いた。
「そう。この軍は諸侯達の、言わば私軍。その私軍を大義によって糾合し、共通の目的の為に一致団結させるには優れた統率者が必要なのです。それは強く、美しくて、高貴で、門地の高い……そう、まるで私のような三国一の名家出身の統率者が必要なのですわ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………馬鹿に馬鹿にされるのは嫌いなんだよ」
元親は袁紹の目的が理解出来た上で呆れた。
曹操はそれを鼻で笑い飛ばし、肩をすくめる
孫権は今までの対応通り、完全無視を通す。
公孫賛もまた、袁紹の目的を理解して再び肩を落とした。
つまり現時点でこの連合の発起人である袁紹が、この連合の頂点に立ちたいのである。
この場で偉そうにしているのにも関わらず、まだ足りないのかと、元親は心底呆れ果てた。
「おほほ、そこで皆さんに質問ですわ。この軍を統率するに相応しい、強くて、美しくて、高貴で、門地の高い三国一の名家出身の人物は、だ・あ・れ?」
そんな頭の悪い問いかけをする袁紹を、全員が呆れ果てた視線を彼女に向ける。
「はぁ……バカバカしい。付き合ってられないわ」
「アホくさ……」
「…………下らん」
「…………朱里。馬鹿は死なねえと治らないって、よく言うよな」
「…………は、はい」
上から曹操、公孫賛、孫権、元親、朱里の順である。
各々の反応を見て、袁紹は満足そうな笑みを浮かべた。
「意見は無いみたいですね。では満場一致で、三国一の名家の出である私が! 連合の指揮を執り行いますわ!」
その痛い沈黙を都合良く解釈した袁紹は高らかに宣言した。
その宣言に曹操が、孫権が、公孫賛が、次々に退席していく。
出て行った3人の様子を見て、他の諸侯も次々と天幕から出て行った。
元親は本日5回目の舌打ちをし、袁紹を一瞥する。
「あの馬鹿女に従うなんざ、本当は御免被るんだがな」
「耐えて下さい。これも民を救う為ですから」
結局この軍議では特に何も決めることは無く、解散となった。
元親は朱里と一緒に自陣へと戻った。
その道中、元親がポツリと吹く。
「正直、これだけの軍勢が集まれば勝つと思ったが、この様子だと苦戦しそうだな」
「覚悟しないといけませんね。そもそも董卓軍自体、謎に包まれています。勝てるか勝てないかの比較も出来ませんし」
これまでの間、幾度となく洛陽側に間者を放ち、情報収集をしようと試みた。
だがその間者が1人も無事に戻ってきていないのだ。
「それに見ただろう? あんなガキの喧嘩を軍議の最中にするなんざ、三国一の名家が聞いて呆れるぜ。曹操や孫権もそうだ。テメェ勝手な事ばかりしやがって……」
「……正直怖いです。こんな状態のままで、この戦いがどうなっていくのか…………」
「……きっと荒れるぜ。この戦はよぉ」
情報がまったく無い以上、策の練りようが無い。
軍師である朱里が不安に駆られるのも無理はなかった。
2人の心中に、不安が音を立てて渦巻いていた。