軍議から自陣へと戻った元親と朱里は、留守番をしていた愛紗と鈴々の出迎えを受けた。
「お帰りなさいませ」
「お帰りなのだ!」
「ただいま戻りました〜」
「おう……」
元親は一言そう言うと持っていた碇槍を壁に立てかけ、椅子に踏ん反り返った。
身体からは勿論、表情からも元親は不機嫌オーラを露わにしている。
その様子に少々唖然としながらも、愛紗と鈴々は気まずそうに口を開いた。
「お、お疲れ様です……軍議の方はどうだったのですか?」
「お兄ちゃん……怒ってるのか?」
愛紗と鈴々は軍議で何があったのか気になっているらしく、そう質問してくる。
質問された元親と言えば、不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで何も答えてはくれない。
2人から視線を移された朱里は、困り顔になりながらも、軍議の内容を報告する。
それを真剣に聞いていた愛紗の顔は徐々に怒りの色を強めていく。
「な……何だそれはッ! それは軍議でも何でもないではないかッ!」
そしてとうとう、愛紗は溜まっていた怒りを爆発させた。
とは言え、現在の時点で元親達に出来る事はまるで無い。
とりあえず攻略目標の水関と虎牢関へ間者を放つと言う形を取る事にした。
それでも真面目な愛紗としては、諸侯達の纏まりの無さに腹を立てたままだ。
この様子だと今日中に機嫌が直る事はまず無いだろう。
「失礼する!」
本陣内に嫌な空気が流れる中、威勢の良い女性の声が陣内に響き渡った。
元親がゆっくりと、その声の主へと視線を向ける。
そこに居たのは3人の女性だった。
「ああ? 曹操じゃねえか」
3人の内、真ん中に立っているのは軍議でも見かけた曹操である。
その曹操の両脇に立つのは長身の女性2人だ。
左脇を固めるのは夏侯惇。
右脇を固めるのは夏侯淵。
2人は姉妹であり、魏が誇る猛将である。
そんな3人がこちらに何の用かと、元親は首を傾げた。
「我が主、曹孟徳が関将軍に用があって参った。関将軍は何処か!」
夏侯惇が大声で愛紗を呼び付ける。
呼ばれた愛紗自身、その行動に不快感を覚えたのか、顔を顰めていた。
「……いきなり乱入しておきながら、人を呼び付けるなど無礼であろう!」
愛紗が3人の前に出て猛然と噛みつく。
だが3人は全く動じる素振りを見せない。
「……お前は?」
夏侯惇が噛み付いてきた愛紗に問い掛ける。
問い掛けられた側の愛紗は、まだ冷静さを欠いていた。
「我が名は関羽! 長曾我部が一の家臣にして、幽州の青龍刀だ。貴様にお前呼ばわりされる言われはない!」
「貴様だとッ!? この私を愚弄するか!?」
突如として始まった2人の睨み合いは、かなりの殺気を含む剣呑な雰囲気だ。
夏侯惇も意外と短気らしく、愛紗の言葉を挑発か何かと受け取ったらしい。
また喧嘩が始まったと、元親が2人を止めようと間に入ろうとした時――
「止めなさい。春蘭」
「あ……華琳様……」
曹操が夏侯惇を止めた。
曹操の声は決して大きな声では無い。寧ろ小さい声である。
だがその声には逆らう事の出来ない威厳に満ちた迫力が感じられた。
実際その一言で夏侯惇は殺気を消し、曹操に前を譲るようにして後退していく。
そして前に出てきた曹操は自信に満ちている視線で愛紗を見た。
「初めましてと言うべきね、関羽。私の名前は曹孟徳。いずれは天下を手に入れる者よ」
笑みを浮かべ、曹操は自信に満ち溢れた名乗りを上げた。
「貴方の武名は私にまで聞こえているわ。美しい黒髪を靡かせながら、青龍偃月刀を軽々と操り、庶人を助ける義の猛将……とね」
曹操がその場で拍手でもせんばかりに、愛紗を褒める。
褒められた愛紗は何が目的なのか分からず、困惑の表情を浮かべていた。
「素晴らしいわね。その武技、その武力――そして理想に殉じるその姿……美しいわ」
愛紗を見つめる眼が何処か熱っぽく、曹操は反論を与える間も無く褒めそやす。
その尋常じゃない雰囲気に、流石の愛紗も彼女に薄ら寒いモノを感じたらしい。
1歩、また1歩と曹操から退いた。
「あら? どうして逃げるのかしら?」
「う、煩い。大体美しいなどと、何を軟弱な──」
「美しいからこそ、人は生きている価値があるの。ブ男なんて──」
曹操は元親を一瞥する。
「──それこそ存在する価値さえ無いわ」
「なッ!?」
明らかに元親を挑発するような発言に、愛紗は絶句するぐらいに怒りを露わにする。
だが元親の方は反論が無い。呆然と言うか、驚いたような表情を浮かべている。
そんな元親の様子を見て、曹操は楽しそうな笑みを浮かべて元親に話し掛ける。
「あらあら、どうしたのかしら? 面と向かってブ男呼ばわりされてるのに呆けた顔して。関羽は随分とお怒りだけど……当人である貴方には反論は無いの?」
愛紗が心配そうな視線を元親へと向ける。
当の元親は黙ったままだったが、やがて――
「……カーッハッハッハ!! ブ男、か。んなことを言われたのは初めてだ」
「ご、ご主人様……!?」
「ブ男……ブ男なぁ……ハーハッハッハッハ!!」
黒髪の女性が本陣へ訪ねてきた時に出した声に負けず劣らず、大笑いし始めた。
両手でお腹を押さえ、元親は良い笑顔で笑いこけている。
元親の反応に愛紗と曹操が呆気に取られる。
その2人だけではない。鈴々、朱里、夏侯惇、夏侯淵も唖然としていた。
「まあ、あんたから見たら俺はブ男かもしれねえな。でも人の価値ってのは外見で決まるものじゃねえぜ。男だろうが、女だろうが、要は中身だ。心よ」
笑っていた状態から元親は急に話し出す。
急激な変わりように誰もが付いていけなかった。
話し終えた元親は場が混乱している事に気付かず、首を傾げた。
「ああ? 何で全員黙ってやがんだよ?」
「……ク……ッ! あはははははははッ!」
元親がそう吹くと、曹操が威厳もへったくれも無いぐらいに大爆笑した。
その元親に負けずとも劣らない笑い声に、他の面々も硬直から脱する。
「か、華琳様!? しっかりして下さい!」
「華琳様……落ち着いてください」
夏侯惇と夏侯淵に言われ、曹操はようやく落ち着きを取り戻したらしい。
1回咳払いをしてから、再び元親へと視線を移した。
「ふふ……なかなかやるわね、長曾我部元親。私をこんなにも笑わせるなんて」
「何を言ってやがる。あんたが勝手に笑ったんだろう」
「まあ、それもそうね」
曹操は納得したように微笑を浮かべる。
元親も先程まで自分を満たしていた苛々が無かったように、微笑を浮かべた。
「さて、話を戻すわ。さっきの言葉を通じて、私が何を言いたかったか……なんだけど」
曹操の瞳が鋭くなり、元親の隣に居る愛紗を射抜いた。
彼女の視線を感じ取り、愛紗も睨み返す。
「単刀直入に言うわ。関羽程の美しい武将が、貴方のような野生児の下にいるのが許せないって事よ」
「──――なッ!?」
「……関羽。貴方、私の物におなりなさい」
微笑を浮かべていた元親の表情が消える。
曹操がわざわざここに来た理由は、愛紗の引き抜きの為らしい。
「私の物になれば貴方の理想は実現出来るわ。こんな貧乏軍ではなく、私の持つ精兵を使ってね」
曹操は熱弁を振るう。
自分の傍に居れば、理想を早く叶えられると。
「優秀な人材、充分な精兵、潤沢な軍資金。この3つを自由に使って、貴方の理想を実現させなさい。私の物になるのならばそれを許しましょう」
「…………」
愛紗は黙ったまま沈黙を突き通している。
強情だと言わんばかりに、曹操は尚も熱弁を振るった。
その横に居る元親の表情が段々と怒りに染まっていく。
曹操の熱弁を聞いている陣内は元親の変化に気付かなかった。
「どう? 悪い取引では無いと思うけれど?」
熱弁を終えた曹操が答えを促すように問いかける。
その声には明らかに自信を滲ませていた。
「──ふざ「ざけんじゃねえぞッ!!」ご、ご主人様!?」
「――ッ!?」
愛紗の声を、元親の怒気に満ちた声が覆い隠した。
その声は場に居る鈴々も、朱里も思わず肩を震わす程だ。
それは曹操も同じらしく、驚きのあまり絶句していた。
「物だと? 俺の大事な仲間を物扱いしやがったな!!」
「そ、それが何よ……」
「仲間を馬鹿にするような奴は、俺が許さねえ!! 例えそれが誰であろうともな」
殺気をも出しかねない元親の剣幕に、曹操が1歩、2歩と退く。
元親が更に詰め寄ろうとすると、夏侯惇が曹操を守るように前へ出た。
「無礼なッ! 華琳様に何たる口の利き方だ!」
火が噴き出す如く、激烈な睨みを元親へとぶつけてくる。
だが元親は夏侯惇の顎を手で掴むと、それ以上の睨みで抑えこんだ。
「――なッ!? 何を……」
「外の奴等は黙ってろ! 俺は今、あんたの主様と話してんだ。邪魔すんな!!」
「う……あ……」
元親からの視線を受け、夏候惇の瞳に僅かな怯えが浮かぶ。
元親は顎から手を離し、彼女を解放して退いた曹操に詰め寄った。
曹操の傍に居た夏侯淵も元親の忠告に従い、口は出さない。
「良いか? 愛紗は物じゃねえ、人だ。まだ配下になれってんなら兎も角、物になれってのは納得出来ねえんだよ」
「それの何が悪いのよ……兵士も家臣も、主に従う道具でしかないでしょう!!」
その瞬間、元親の瞳に悲しみの色が広がる。
「…………寂しい奴だな。1人ぼっちじゃねえか」
「なッ!? なんですって!!」
曹操が声を荒げ、今にでも掴み掛かりそうな勢いで元親に詰め寄る。
だが元親はまったく動じず、憐れみの視線を送り続けた。
「あんたとよく似た男を、俺は知ってる。そいつは自分の部下を駒だと言って、役に立たない奴は容赦無く斬り捨ててきた。囮にしたりとかな……」
「…………」
「そのせいでそいつは1人ぼっちになった。部下は恐怖で従っているだけ、そいつを慕う奴なんざ誰1人居ない。だがそいつは自らが望んでそうなったんだ。自分を理解出来る者は、自分だけで良いってな。……あんたからもそいつと同じ末路を辿る匂いがするぜ」
元親の話に、曹操は驚愕を滲ませたような表情を浮かべていた。
周りに居る者も、同じような表情を浮かべていた。
「少なくともこの2人はあんたが好きで従ってるようだな。でなきゃ、俺が近づいた時に食って掛かったりとかはしねえだろうしよ」
元親の瞳に曹操に従う夏候惇と夏候淵の2人が映る。
当の2人は気まずそうに顔を伏せた。
「早く自分の陣地へ帰んな…………ガキ」
元親は曹操から背を向け、座っていた椅子に座り直す。
元親の話によって身動きも出来なかった曹操は汗を流しながらも、微笑を浮かべた。
「分かったわ。お前の言葉を深く胸に刻んだ上で、今日のところは引いてあげる。でも憶えておきなさい。私は一度欲しいと思った物は必ず手に入れる。例えどんな手を使ってもね……」
それは今でも自分の面目を保ちたいが為の、曹操らしい宣戦布告であった。
言葉で言って駄目ならば、次は力ずくで関羽を手に入れてみせる――
彼女の言葉にはそう言った意味が含まれていた。
「今は長曾我部元親……お前に預けておくわ。せいぜい今の内に、御仲間ごっこを楽しんでおくのね」
元親はその宣戦布告を鼻で笑い飛ばし、隣にいる愛紗を自分の方へと引き寄せた。
「え、え……ご、ごごごごごごご主人様ッ!?」
顔を真っ赤に染め、愛紗は突然の出来事に狼狽する。
元親はそれをあえて無視し、曹操に宣言した。
「こいつを奪うんならやってみな。だがな、鬼の力を甘くみない方が良いぜ」
「あら? 自ら鬼を名乗るの? ……とんだ甘い鬼が居たものね」
「構わねえさ。俺はこいつ等を、野郎共を見捨てたりはしねえ。こいつ等は俺が守る」
互いに不敵な笑みを浮かべ、1歩も引くこと無く視線をぶつけ合う。
そして暫くしてから、曹操は視線を外した。
「春蘭、秋蘭。もう用は済んだわ。帰ります」
「は……はッ!」
「…………御意」
曹操が元親に背を向け、陣を後にした。
◆
曹操の一行が元親達の本陣を去った後――
本陣内は嵐が吹き荒れていた。
発生源は言わずもがな、ほぼ話の中心に居た愛紗である。
「まったくもって不愉快だ! 何なのだ、あの曹操という女はッ!」
「曹操もだけど、一緒に来ていたお姉ちゃん達も強そうだったのだ」
「……曹操さんは男嫌いの女好きで有名な方ですから。愛紗さん狙いなんでしょうね」
朱里の言葉に愛紗は身を震わせ、鳥肌を露わにした。
「気持ち悪い事を言うな朱里! 冗談ではない!」
「にゃはは。愛紗モテモテなのだぁ」
「鈴々ッ!」
「……おいおい。あまりからかうなよ」
話に割って入ったのは、今まで黙っていた元親である。
突然聞こえてきた主の声に騒がしかった本陣は静まり返った。
「悪いな、愛紗。お前の希望もあっただろうが、あいつにだけはどうしても任せたくなくってよ」
「い、いえ……構いません。私は元々断るつもりでしたから」
愛紗の言葉を聞き、元親は座っていた椅子から立ち上がる。
「……俺はな、お前等がここを嫌になったってんなら、それは仕方無えと思ってる」
「ご、ご主人様ッ!?」
「お兄ちゃん!? いきなり何を言うのだ!!」
「はわわッ!? ご主人様は、私達のことが嫌いなんですか!?」
慌てる愛紗達を落ち着かせ、元親は話を続ける。
「ありがとな。だがこの長曾我部軍から抜け出したってなら、それは俺の力量不足が原因だ。お前等もそうだぜ? もしも抜けたくなったら、俺に正直に打ち明けてくれれば良い。俺は追う気は無えし、攻めるつもりも無え……」
愛紗達が黙って話を聞いている中、元親が微笑を浮かべる。
そして再び話を再開した。
「けど、もし、ここが嫌じゃねえってんなら……ここに居て、俺を支えてほしい。お前等が俺を信頼し、付いてきてくれるのなら……俺もお前等を信頼し、守って見せる。出来る限り不自由もさせねえ……俺に、付いてきてくれるか?」
元親の言葉に胸を打たれた3人の「はい」と言う元気に満ちた声が、本陣を満たした。
◆
長曾我部軍の陣を出た曹操達は自陣へと戻っていた。
その道中、曹操が顎に手を添えながら笑みを浮かべていた。
「華琳様?」
自分の主の只ならぬ様子に気が付いたらしい、夏候淵が一声掛ける。
その声に答えるように曹操は言った。
「……私に面と向かってあんな事を言った奴は初めてだわ。関羽を手に入れるつもりで寄ったのだけど、結構な収穫があったわね」
「長曾我部元親……ですか?」
夏候惇の問い掛けに曹操は小さく頷く。
その反応に夏候惇は先程自分が味わった威圧感を思い出しながら、口を開いた。
「……私も思わず震えてしまいした。あの男自身、鬼を名乗る以上、相当な使い手のようです」
「そんなにあいつは強いの? 春蘭」
「はい。あくまで私の想像に過ぎませんが、かなりの腕前かと」
「ふーん、成る程ねぇ……」
その言葉を吹いた瞬間、曹操が恍惚の笑みを浮かべた。
「面白いわね。男はみんな屑ばかりだと思ってたけど……」
「華琳様?」
「鬼を名乗る男を完全に屈服させて、私に従属させたら……ふふふ」
曹操の吹いた言葉を聞き、夏候惇と夏候淵が唖然とする。
「なっ!? か、華琳様ッ!! 今なんと仰ったのですか!?」
「何でもないわ。早く戻るわよ(長曾我部元親……お前の力、この戦で見極めさせてもらうわ)」
夏候惇が狼狽したような声で真意を曹操に訊くが、軽くあしらわれてしまった。
曹操が吹いた一瞬の言葉に夏候惇と夏候淵は、一種の不安を覚えるのだった。
◆
――長曾我部軍の本陣。
元親達がお互いの絆を確かめ合った後、1人の訪問者が訪ねていた。
「あれ? もしかして妙にヤバい時に来ちゃったかな?」
言葉とは裏腹に随分と明るい声を出している。
その声の主は爽やかな雰囲気を持った女性だった。
長い栗色の髪をポニーテールで纏めた、なかなかの美形である。
その女性は陣の出入り口で立ちながら、元親達を苦笑しながら見ていた。
「……お主は誰だ? どうして我が軍の陣地にいる?」
愛紗が威圧するようにして女性に問いかける。
そこをやれやれと言った感じで、愛紗を元親が収める。
「訪問者をのっけから威圧すんな。礼儀知らずだと思われるぞ」
「うっ……す、すみません」
「?? ここで何かあったのか?」
幸いな事に女性の方は愛紗の対応に怒ったりはしていなかった。
ただ愛紗の様子から何かあった事は感じ取ったのか、興味深げに訊いてきた。
「何でもないのだ! それよりお前誰なのだー?」
そんな女性の問い掛けを無視し、鈴々が名前を訊ねる。
元親はあまりの対応の悪さに頭を抱えた。
「あたしか? あたしは馬超ってんだ。宜しく」
「宜しくなのだ!」
勢いが良い名乗りに気を良くしたのか、鈴々も笑顔で応対した。
何となくだが、この2人は気が合いそうだと、元親は思った。
同じ物を持っていると言うか、そんな感じがしたのである。
「確か西涼の領主、馬騰さんの娘さんに同じ名前の人が居たような気がしますね」
「そりゃきっとあたしの事だ。馬騰はあたしの父上さ」
「ほお。では貴方が名高き錦馬超か」
「貴方なんて言い方は止めてくれよ。普通に馬超って呼んでくれ」
愛紗の言葉に馬超は――照れ隠しなのか――頭を掻きながらそう答えた。
そんな彼女の大らかな人柄は愛紗も好感が持てた。
「なら、遠慮無くそう呼ばせてもらおう。私は関羽」
「鈴々は張飛なのだ!」
「私は諸葛亮。字は孔明です。宜しくです」
次々と名乗る面々に合わせ、馬超は視線を滑らせていく。
そしてその勢いで朱里の横に居た元親と目が合った。
「へぇ……」
何故か興味津々と言った様子で元親を隅から隅まで観察し始めた。
元親も少々のむず痒さを感じつつも、自己紹介を始める。
「俺は長曾我部元親だ。宜しくな」
「なるほど……ただ者じゃないとは思ってたけど、あんたが天の御遣いって奴なのか」
「まあな。だがあんただって、なかなか強そうに感じるぜ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいね! あんたとは一度手合わせしてみたいな」
そう言って、馬超は少年のような笑顔を元親に見せる。
「ハハハハ。悪ぃが、あんたじゃまだこの鬼を倒せないぜ」
「まあ、そうかもね。噂は聞いてたけど、噂以上の武将って訳だ」
馬超は遠慮無しに元親を褒める。
それに続いて愛紗、鈴々、朱里が順序良く頷く。
元親は少々の照れ笑いを浮かべた。
「そういやぁ馬超はどうして俺達の陣に来たんだ? まさかこんな雑談しに来た訳じゃねえだろ?」
「ああ、実は袁紹から配置換えの伝令が届いてさ。それを全軍に通達する役目の途中だったんだよ」
「配置換えの通達……となると、いよいよ攻撃開始って訳かい」
あの無意味に等しい軍議から結構な時間も経っている。
袁紹もようやくそれぞれに割り振る部署を決めたらしい。
「みたいだな。でも長曾我部軍は後曲に回される筈だぞ。元々連合の中でも兵数が少ないみたいだしね」
「むぅ……我が軍の兵は皆、一騎当千の猛者であるのに……」
馬超から伝えられた、長曾我部軍が勤める部署に愛紗は不満があるようだ。
しかし元親からしてみれば、兵達に無駄な犠牲を出さずに済みそうだと思った。
「まあ、あの馬鹿にしちゃあ良い采配だな」
「そうですね」
元親が袁紹へ送る褒め言葉に朱里が即答で答える。
その2人の様子に馬超が冷や汗を浮かべた。
「袁紹ねぇ。父上も「酷い」と言ってたけど、かなりの馬鹿らしいな」
「「うんうん。あれは酷い(です)」」
馬超の言葉に元親と朱里が頷く。
愛紗と鈴々は話題の袁紹がどんな容姿をしているのか密かに気になったりする。
「と、とにかくですね、後曲には後曲なりの戦いの方法はあります。愛紗さんに鈴々ちゃん、それにご主人様が出陣すれば、我が軍は大活躍間違い無しです!」
「任せるのだ! そんで馬超はどの辺りに配置されてるのだ?」
「あたし、と言うか父上は左翼に配置される事になったから、あたしもそっちだな」
「そっか。一緒に戦えなくて残念なのだー」
鈴々は友達感覚で居た馬超と一緒ではないのが僅かながら寂しいらしい。
そんな落ち込んだ様子の鈴々に馬超は笑顔を浮かべ、鈴々の肩を叩く。
「確かにな。あたしもどうせなら武名が名高い関羽と張飛の2人と一緒に戦いたかったよ。ま、後曲からあたしの槍捌きを見といてくれよ」
「ああ。無事でいろよ?」
元親の言葉に馬超は笑顔で答える。
「当然! こんな所で死んでたまるかっての。……じゃあ、また後でなッ!」
馬超は「まだ通達する陣があるから」と言い、小走りで去っていく。
そんな彼女の背中を元親達は見えなくなるまで見送ったのだった。
◆
2度に渡る訪問客に騒がしかった本陣内がようやく静かになった。
その陣内では先程訪ねてきた馬超の事を話していた。
「なかなか気持ちの良い人物でしたね」
「ああ。あんな活発な奴は、あの馬鹿が指揮を取る戦で死んでほしくねえな」
「あーあ……鈴々も馬超と一緒に戦いたかったのだ」
「言葉遣いはちょっと乱暴かなって思ったけど、優しそうな人でしたね〜」
なんとも活発な少女だった。
あの人柄なら友人が沢山出来るだろう。
誰もが彼女の無事を祈りつつも、受けた伝令に従い、準備を始める。
「さて、これから忙しくなるぜ。いつでも軍を動かせるよう、準備を始めるぞ!」
「はっ!」
「おまかせなのだー!」
「すぐに準備しますー!」
その後、準備が大体整った所で、軍師の朱里が更なる準備のために一計を案じた。
それは戦闘準備で慌ただしい連合の武器保管場所から、どさくさに紛れて最新の武具を拝借すると言う物である。
海賊である元親はすぐさま朱里の案を採用し、行動に移した。
朱里の考えた通り、元親達の行動には誰1人気付かず、武器を揃えることに成功。
準備が完全に整い、兵士達を激励し終った後、元親達の軍は後曲へと移った。
後は袁紹からの指示を待つのみだった──
◆
「前曲は魏と呉の軍勢がお取りなさい。左翼は涼州連合で、右翼は伯珪さん。本陣として後曲に袁家の軍勢と、貧乏で戦力としての価値が皆無の長曾我部軍を配置しますわ」
袁紹が本陣にて、各軍への指示を素早く下す。
集まった伝令達は一字一句漏らさず、その指示を聞き取る。
「まずは前曲を前へ。それに続いて右翼、左翼ともに前進しなさい。圧倒的な兵数を持って水関を威圧します。さぁ皆さん! 水関を突破しますわよ!」
指示を聞き終えた伝令兵達は一気に各陣営の元へと走り出す。
袁紹からの命令を速やかに各軍へと伝える為に。
◆
そして連合軍の兵達は袁紹の命令に従い、行軍を開始した。
後曲として袁紹本陣のすぐ側を元親の軍は行軍していた。
峡谷の途中、行軍を邪魔するようにそびえ立つ関門。
高々と築かれた、強硬な石垣の壁。
何人たりとも通さない威圧感を醸し出す門扉。
向かい来る者全てを拒絶するような雰囲気を持つ要塞。
元親達はそれを見て、圧倒されたように声を出す。
「……水関、か」
「そうです。あれこそが王都洛陽を防衛するために造られた要塞──水関です」
王都へはこの峡谷を進むしか無く、そこにそびえ立つは強固な砦だ。
だが全軍に下っている命令はここを正面から攻めると言う物である。
元親達は自然と溜め息を吐く。
「要塞である水関を正面から攻めるのは愚策中の愚策だと思うのですが……」
「愛紗さんの言う通りだと思います。けど……袁紹さんが策を弄するようにも思えませんから、恐らく全軍が整列し次第、突撃の命令が出されると思います」
袁紹の性格を既にばっちり把握している朱里は流石と言うべきだろう。
小さいながらも立派に役目を勤めている軍師に、元親は拍手を送りたくなってくる。
「うーん……袁紹はお馬鹿なのだ」
「とうとうお前もそれを言うか。袁紹も地に落ちたな」
「でもホントの事なのだ」
突撃部将の鈴々にさえ、馬鹿呼ばわりされている袁紹は哀れである。
とは言え、本当の事なので否定する気にもなれなかった。
「袁紹が馬鹿で自分達の兵を減らすだけならまだ良い。だがその馬鹿の命令に従わなくちゃならねえのが、理不尽だな」
元親の言葉に朱里も力無く頷いた。
流石にこの無策ぶりに、心底呆れ果てている様子が窺える。
「そうですね……さすがにここで怠業するわけにもいきませんから」
「しかし無策のまま突撃などしようものなら、被害がどれ程の物になるか……」
「全くです。私達は後曲に配置されていますから、まだマシだとは思うのですけど……」
愛紗と朱里が、共に心配そうな表情を見せる。
その気持ちは元親にも痛いほど分かった。
そんな時、緊急事態を知らせる銅鑼の音が鳴り響いた。
そして慌てた様子の斥候が現在の状況を報告する。
「わ、我が軍の後方に突如として敵がッ! 董卓軍の伏兵です!」
その報告に元親、愛紗、鈴々の表情が引き締まる。
朱里が突然の事態に慌てながらも、的確な指示を出していく。
「ご、ご主人様! すぐに迎撃準備をしましょう!」
「ああ! ここは俺達の軍で、伏兵を返り討ちにしてやるんだ!」
「はっ! 全軍反転! 突撃してくる敵を我らで迎撃するぞッ!」
愛紗が兵達に号令を下し、それに応えるように兵達が機敏に反応する。
鈴々と愛紗が鍛え上げただけあり、その動きは統制が取れている。
素早く後方へ反転を完了させたところで、鈴々が号令を下した。
「みんな迎撃開始なのだーッ!!」
完全に迎撃体勢を取り終えた長曾我部軍が、敵の伏兵を迎え撃つ。
こうして元親達の最初の戦いは幕を開けたのだった――