毛利元就は今、非常に苛立っていた。
それはつい先程自分に向けて伝えられた、戦の現状のせいである。

――長曾我部元親が突如現れ、次々に我が兵を蹴散らしております。
――その勢いは止まる事を知らず、徐々に本陣に向けて迫っております。

報告を聞いた元就は驚愕の表情を浮かべると共に、心の中に激しい怒りが湧く。
その証拠に彼の身体から発せられる怒気はかなり凄まじい物があった。
本来感情をあまり出さない白装束の者達でさえ、恐れて近づかないのである。

「おのれ…………おのれ!」

苛立ちの言葉と共に、元就は手にした輪刀を地面に向けて勢いよく振り下ろす。
衝撃で輪刀の鋭利な刃が地面に食い込み、無残な形に削った。

「我の計算が狂うだと……? そんな事は認めん!!」

元就は傍らに居た白装束の1人を鋭く睨みつけた。
睨みつけられた白装束は身体を小さく震わせたが、すぐに彼の前に移動して跪く。

「貴様も戦場に出よ。長曾我部の雑魚共を薙ぎ払ってこい」
「ハ……ハハッ!」

そう命じられた白装束は大天幕を飛び出し、戦場へと赴いて行く。
飛び出した彼に続くように、大天幕に居た残りの白装束も次々に出て行った。

「元就様……」

未だに苛立っている元就を心配したのか、袁紹がソッと声を掛ける。
声を掛けられた当の元就は袁紹の方に振り向かず、静かに鼻を鳴らした。

「貴様も早く支度をして戦場へ出ろ。袁家を再興したくば、我の期待に応えてみせよ」
「……それは構いません。ですが先程の報告からすれば、私達の兵の数はもう……」

刹那、元就が氷のような鋭い視線を袁紹に向けた。
身体の芯が氷漬けになったように感じ、袁紹は怯えた表情を浮かべる。

「兵の数が足りずとも、1人が敵兵を6人以上倒せば良い」
「し、しかし……お言葉ではございますが、それは余りに……」
「毛利の戦は策で勝つもの。言い訳など、聞く耳持たぬ」
「……………………」
「分かったのならば、見事盤上を動いてみせよ」

袁紹を無言で頭を下げ、戦支度のために大天幕を出て行く。
その後ろ姿を見送りながら、元就はポツリと吹く。

「ふん……役立たずの女め」

袁紹を見送った後、元就は大天幕の入口から眼を離していた。
そのせいで彼は気付くことが出来なかった。
大天幕の入口を颯爽と通り過ぎた、巨漢の姿に――

 

 

 

 

大天幕から少し離れた天幕――文醜と顔良は外の異変に気が付いていた。
先程まで落ち着いた雰囲気が流れていた本陣だったが、今はかなり慌ただしくなっている。
2人を見張る魏の兵士4人も何処か落ち着かない様子を見せていた。

(文ちゃん……何かあったのかな?)
(さあ? けど、ここから逃げ出す好機かもしれないね)

文醜は徐に天幕内を――見張りに怪しまれないよう――ゆっくりと見渡す。
すると右奥に自分達の愛用の武器が立て掛けられているのを見つける事が出来た。
自分達がここに連れてこられてから、武器の有無が気になっていたが、どうやら敵は処分しなかったらしい。

(斗詩、あたい達の右奥の方……見える?)
(えっ? …………う、うん。見えた)

顔良にも武器の確認をさせた後、文醜は手首と足首に力を入れて縄を引き千切ろうとする。
無論、見張りに見つかっては不味いので密かにではあるが。

(手首の縄さえ千切れれば……足首の縄も取って、見張りをぶっ飛ばせるのに……)

手首にかなりの力を入れるが、なかなか縄は引き千切れない。
力を入れる為であるが、段々と文醜の行動が大胆になっていく。
まだ見張りは辛うじて気付いていないが、気付かれたら何をされるか分からない。

(文ちゃ〜ん!? お願いだから、もう少し落ち着いてやって〜!?)

傍らに居る顔良は、横目で文醜を見守りつつも、内心冷や汗をダラダラと流す。
その刹那、小さな呻き声が2人の耳に聞こえてきた。

「ガア……ア……」
「な……何……!」

2人の視線が一斉に見張りの兵士達へと移る。
そこには力無く崩れ落ちていく兵士達の姿があった。

「えっ……ええっ?」
「な、何があったの……?」

突然起こった出来事に、2人は暫し呆然となる。
文醜は縄に夢中だったし、顔良は彼女の行動にハラハラしていたので、兵士達の方を見ていなかった。

「は〜い♪ 何だか大変そうだったから助けに来たわよん♪」

天幕の入口からヌッと姿を現した、笑顔を浮かべる半裸の巨漢。
その異様な姿に2人は心の中で悲鳴を上げていた。

 

 

 

 

元親は大勢の仲間と共に戦場を駆け抜けていた。
眼の前に立ち塞がる敵は文字通り、碇槍で次々に蹴散らしていく。
後ろから付いてくる仲間を横眼で確認し、元親は声を上げた。

「野郎共ッ! 遅れんなよ! ちゃんと付いて来い!!」
「ご安心を! 貴方様の背中は必ず守りきります!」
「「「「俺等も守りますよ! アニキーーーーッ!!」」」」

自身の背後から奇襲を仕掛けてくる敵は、背中を守ってくれる仲間達が倒してくれた。
例え治りきっていない身体の傷が痛みだしても、元親は気にすら留めないだろう。
それ程までに今の元親の精神は高揚していた。

(本陣が見えてきたな……もう少しだ!)

1度も立ち止まらず、進撃を続けた元親は瞳に敵の本陣を映し取った。
そこに必ず人質となっている曹操、文醜、顔良の3人が居る筈。
元親がそう確信した、その刹那――――

「ここから先は絶対に通さん……」
「全ては元就様の為に……」
「悪の長曾我部、滅びよ……」
「鬼は地獄の底に帰るが良い……」

突如として地面から何百人もの白装束が飛び出してきた。
先程とさして変わらない待ち伏せに対し、元親は少し呆れ気味になる。

「チンケな待ち伏せばかりしやがって……面白え!!」

元親が無理矢理にでも突破しようとした時、水簾達が元親を守るように前に立ち塞がった。
驚いた元親は腰に力を入れて踏ん張り、走るのを何とか止めた。

「ご主人様、ここは私達に任せてくれ!」
「…………全部倒す!」
「こんな時でしか、私は役に立たないからな」
「「「殿! 我等も御供します!」」」

元親に背を向けたままの状態で水簾、恋、伯珪、白馬隊がそれぞれ叫ぶ。
彼女達の部隊に入っている兵達もそこに留まり、決意の声を上げた。

「ご主人様、ここは水簾さん達に任せましょう」
「だが朱里、あいつ等だけじゃ……」
「朱里の言う通りです。ご主人様、先を急ぎましょう」

そして私達を忘れるなと言わんばかりに、鈴々が元親の背中を叩いた。

「お兄ちゃん。水簾達なら大丈夫なのだ」
「ああ、いつも私達と沢山模擬戦をしてるしな」

鈴々と翠の言葉を聞き、元親は苦笑しながら頭を掻いた。

「全く……俺と同じような奴等ばかりだぜ」

そう吹いた元親は決意の瞳を露わにする。

「水簾! 恋! 伯珪! そして野郎共! ……ここは任せたぜ!!」

元親がそう叫ぶと同時に、水簾達が白装束の軍勢に向けて一斉に突撃した。
水簾の戦斧が、恋の戟が、伯珪の長剣が、白馬隊の剣と槍が唸りを上げる。
猛将達の武器が威力を加減する事なく発揮し、白装束を吹き飛ばしていく。

水簾達が作り上げた本陣の道を、残る元親達が勢いよく突破していった。
途中、元親の正面から1人の白装束が踊り出たが、一振りの大刀によって斬り倒される。
気配に気付いた元親が駆けながら後ろを見ると、魏の猛将である夏候惇達の姿があった。

「私達を忘れてもらって困るぞ。長曾我部殿」
「華琳様を助けるまで、貴方の背中は彼女達と同じように守る」
「ウチはチカちゃんを守れるんやったら、何でもええけどな♪」
「チビ張飛ばかりに良い格好させられないからね。兄ちゃん守って見返してやる」
「ま、まあ……貴方に死んでもらっちゃ困るからね。春蘭達に感謝しなさいよ」

夏候惇、夏候淵、張遼、許緒、荀ケがそう言いながら元親の右側に付いた。
こう言われては元親も頼もしさを感じずにはいられない。
自分の左側に付くのは愛紗、鈴々、星、翠、紫苑、朱里と彼女を守る兵士達――
対する右側に付くのは魏が誇る猛将、夏候惇達――

――若干彼女達から互いに対抗心を感じるのは気のせいだと思いたい。

鉄壁とも言って良い守りに囲まれつつ、元親は敵の本陣へと急いだ。
そこに必ず居る人質達、そして毛利元就の顔を拝む為に――

 

 

 

 

「どう言う事だ……?」
「……分からない。もしかしたら内乱が起きたのかも……」

途中、何度も白装束に道を阻まれながらも、元親達は本陣へと辿り着く事が出来た。
しかし本陣に辿り着いてみると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
そこではいくつも建てられていただろう天幕がグシャグシャに潰れていたのである。
潰れていないのも少しだけあるが、気に留める程の物でもなかった。

更に所々に白装束の遺体があり、それぞれ手には武器を持っていた。
恐らく誰かと戦ったのだと思われるが、誰と戦ったのは分からない。

「こ、これじゃ華琳様は……」
「諦めるな桂花。きっと大丈夫だ」

夏候淵がそう荀ケに声を掛けた時、何処からか金属と金属がぶつかり合う音が響く。
元親達はすぐさま音が響いた方向へ走ると、そこには更に驚くべき光景が広がっていた。
それは――

「あらん? ご主人様じゃない。ヤッホ〜〜〜♪」
「――――ッ! ちょ、貂蝉!? テメェ、何でここに居るんだよ!」

元親が激しく苦手としている半裸の巨漢――貂蝉の姿があった。
更に彼の傍らには武器を構えた文醜と顔良の姿もある。

貂蝉の手短な説明によると、元親を手伝う為に密かに本陣へと侵入したらしい。
その際に人質(に見えた)文醜と顔良を助け、3人で協力して本陣を破壊したとの事。
そして元親達が来るついさっきまで、行動に気付いた元就達4人を相手に戦っていたらしい。

「ちっ……突破されたか。使えぬ者共め」
「元就様、勝負はまだここからですわ」
「ふん…………」

貂蝉達の向かい側には元就と袁紹、更に今までの白装束と感じが違う青年が2人居た。
その4人は駆けつけた元親達を激しく睨み付ける。

「よう、毛利元就。どうやら形勢は逆転したようだな」
「このくたばり損ないが……大人しく地獄にて眠っていれば良いものを……!!」
「悪いな。鬼は鬼でも、俺は地獄に簡単には行かねえ鬼なんだぜ?」
「下衆が……戯れ言をほざくな!!」

元就の憎悪の言葉と共に、元親達の周りを囲むように白装束が次々に地面から姿を現した。
白装束は奇麗な円形を描き、武器を構えながら徐々に元親達へと迫る。

「日輪の陣……光が収束する如く、四方八方から来る駒共に甚振られるが良い」
「まだあんたは俺達を舐めてるようだが……こんなチンケな策は通じねえぜ!!」

元親は指示を出すように、碇槍を頭上に上げた。

「お前等! 俺達の底力を見せてやろうぜ!!」
「「「「ハッ!!」」」」
「んふふふ♪ 私も頑張っちゃおうっと!」

四方八方から迫り来る白装束に向け、元親達は分かれて突撃する。
元就達が居る正面は元親、愛紗、夏候惇の3人が向かった――

「うおおおおりゃああああ!!」

碇槍の先端を群れに向けて飛ばし、勢いよく引き寄せる。
碇槍に潰され、斬り裂かれた白装束が血飛沫を上げて宙を舞った。

「ハアアアアッ!!」
「退けえッ! 我等の邪魔をするなぁ!!」

愛紗の青竜刀と夏候惇の刀が煌き、刃が白装束の身体を薙ぎ払う。
白装束達の抵抗も空しく、血が大地を赤く染めていった。

 

左側には貂蝉、文醜、顔良の3人が突撃した――

「ぶるぅあああああ!!」

奇声を上げる貂蝉が2人の白装束の頭を鷲掴みにし、まるで棍棒のように振るった。
武器代わりにされた白装束の方も堪らないが、その腕力の方も堪らないだろう。
1度棍棒(代わりの白装束)が振るわれれば、敵が50人から60人以上吹き飛んだ。

「あたい達を人質に取った事、後悔させてやるぜ!」
「ぶ、文ちゃん!? 前に敵、敵!!」

大剣を振るって敵を倒していく文醜に迫った白装束を、顔良が慌てて大槌で殴り飛ばす。
自分を守ってくれた親友に笑顔で感謝しつつ、文醜は大剣を力の限り振るい続けた。

 

右側には鈴々、許緒、翠の3人が当たった――

「うりゃりゃりゃりゃ!!」
「おりゃーーーーッ!!」

犬猿の仲とも言っても良い2人であるが、今は息のあった攻撃を繰り出していた。
蛇矛と鉄球が白装束を次々に斬り倒し、押し潰していく。

「なかなかやるのだ。ペタンコのくせに」
「チビのくせして、お前もな」

時折2人は顔を合わせて微笑を浮かべ、それぞれの敵を任せていた。

「へえ……案外良い組み合わせだな、あいつ等は!」

2人の不仲を正直心配していた翠だったが、今はもう心配していなかった。
自分は自分で迫り来る敵を十文字槍で突き、斬り裂く。
恐れも迷いも一切無かった――

 

残る星、紫苑、夏候淵、張遼、朱里、荀ケは背後の敵に当たっていた――

「正面から敵が来ます! 必ず1人では無く、複数で当たって下さい!」
「モタモタしないで! 敵は待ってくれないわ! 右からも来てるわよ!」

軍師である朱里と荀ケは、自分達を守る兵士達に向けて的確な指示を出していく。
兵士達はそれに従い、白装束を1人ずつ確実に倒していった。

「ふっ……自分の後ろに鷹の眼が居ると思うと頼もしいな!」
「せやな。後ろの敵を気にせず戦えるし、気が楽やわ!」

2人で白装束の群れに突撃しながらも、星と張遼は愛用の槍で白装束を突き倒していく。
2人の背後からは弓の名手である紫苑と夏候淵が援護をしていた。

「流石に良い腕前ね。夏候淵ちゃん」
「(夏候淵ちゃん……)そう言う貴方も流石です。黄忠殿」

彼女達は一矢一殺を心に留め、1本でも無駄にしないよう矢を放つ。
放たれた矢も彼女達の想いに応えるように、白装束の身体に突き刺さった。

 

 

「おのれ…………どいつもこいつも!!」

日輪の陣で長曾我部軍を完全に閉じ込めたのだが、今もなお抵抗は続いている。
それどころか、誰1人として敵将を討ち果たせていない。
無残に積み重なっていくのは白装束の死体ばかりだ。

元就の苛立ちは頂点に達しようとしていた。

――大した策も無い者共に、策を使う者は決して負けてならぬ。
――馴れあいを良しとする輩に決して負けてはならぬ。
――長曾我部如きに、西海の鬼に決して負けてはならぬ。

自分にそう言い聞かせている元就であるが、現実はそう上手くいっていない。
事実、元親がしている行動は自分の立てた策を尽く覆しているのである。
元就にとって策を覆されることが何よりの侮辱であり、屈辱であった。

「も、元就様……如何すれば良いのでしょうか……」

傍らに居る袁紹は現状を見てすっかり狼狽してしまっている。
元親達が来る前に貂蝉達と一戦交えたせいかもしれないが、使い物にはならないだろう。
左慈は無表情のままであり、干吉は白装束の1人と耳打ちで何かを話している。

(不甲斐無い者共め……ここは1度退くか)

自分の側にも使えそうな者は居なかった。
元親を殺すために掌握した魏も、魏兵は一握り程度しか残っていない。
最早元就にとって利用価値はほとんど無かった。

「元就様、不味い報せです」
「……何だ」

干吉はやれやれと言った様子で元就に報告した。

「長曾我部軍の後方から、彼等と同盟を結んだ呉の大軍が迫ってきています。孫権が直々に指揮を取り、有力武将も顔を揃えているらしいです」
「――――ッ!」

報告を聞いた元就は唇を噛み締めた。
血の味が口内に広がり、元就の不快感が増す。
元就は怒りに身を震わせながらも、干吉に言った。

「撤退する。最早魏に利用価値は無い。次の手を考える」
「…………撤退ですね。分かりました」

元就の判断に対して左慈は鼻を鳴らし、袁紹は安堵の溜め息を吐いた。
干吉が白煙を周りに出し、ここから撤退する準備を始める。
その刹那――

「毛利元就ぃぃぃ!!!」
「――――ッ!!」

元親の雄叫びが戦場に響き渡った。
瞬間、元就の正面から碇槍の先端が飛び出してきた。
危機を感じた元就は身体を逸らすが、先端は元就の顔を斬り裂く。

「ぐわああああ!?」
「元就様ッ!?」

元就の顔が額から右頬に掛けて斜めに斬り裂かれた。
傷口がパックリと割れ、鮮血が溢れ出る。
袁紹は膝を付いた元就に向け、悲鳴のような声を上げた。

「その怪我は俺達全員が味わった気持ちだと思いな」

白煙が元就達を包み、元親達が見えなくなった。
しかし元親の声は元就達の耳に届いている。

「き、貴様ぁ……ぐうう……! 長曾我部ぇ……!!」
「まだまだこれくらいじゃ足りねえ。次会った時は覚悟しておきな!」
「殺す……! 次こそ貴様を地獄に……! ああああ……!?」

元就は傷口を手で押さえながらも、元親に対して恨みの言葉を吐く。
その言葉を最後に、元就達の姿はこの戦場から静かに消え失せた。
それと同時に元親達が今まで戦っていた白装束の姿も煙のように消えていった。

本陣に一陣の風が吹く。
戦は終わった、後は曹操を探して助けるだけだ。

元親達の背後からは、援軍である呉の軍勢が駆けていた。
元親は不意に傷口を見つめる、血が少し出ていた。
不思議と、まだ身体の痛みは感じなかった――




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