幽州――太守である“長曾我部元親”が治める広大な国。
各地にある小規模の国々、更に大国の魏をも吸収し、現在も繁栄を続けている。
そうした中でも人々が笑顔を浮かべ、平和な日々を送る幽州であったが――

「なあ、頼む。外に出たいんだよ」
「絶対に駄目だ。バレたら私が叱られるんだぞ」

一騒動が起きようとしていた。

「それを承知で頼んでんだよ。もし愛紗達にバレたら、俺が責任持つから」
「そ・れ・で・も・駄目だ。第一、お前は絶対安静だろ?」
「華柁からは少しずつ身体を動かして良いって言われてんだ。だから大丈夫」

いつも通り、元親の部屋で療養中の彼に代わって仕事を続けていた伯珪。
小腹も徐々に空き、昼食でも食べに行こうとした時、元親に呼び止められた。
呼び止めた理由――それは少しだけでも良いから外に出たいとの事だった。

当然、伯珪は元親の頼みをすぐに断った。
しかし今日の元親はかなりしつこい。
伯珪がどんなに論そうとも、彼は引き下がろうとしなかった。

(こいつ……本気か?)

本人の表情からも“外に出たい”と言う意思の強さが窺える。
余程今までの寝たきり生活が堪えたらしかった。
伯珪は頭を抱え、深い溜め息を1度だけ吐いた後――

「あ〜〜〜もう分かった。連れていってやるよ……」
「よっしゃ! 恩に切るぜ、伯珪!」

伯珪の了承の言葉を聞いた途端、怪我人とは思えない程のはしゃぎぶりを見せる元親。
まるで親へのおねだりに成功した子供のようである。

「よし! そうと決まったら早速出掛けるぞ。愛紗達が居ない今が好機だからな」

元親のこの言葉を聞き、伯珪が顔を顰める。

「お前……もしかして私が1人だけになるのを狙ってたのか?」

伯珪の問い掛けは見事に的を得ていたらしく、元親が頬を掻きながら苦笑する。
伯珪と一緒に仕事をしている愛紗と朱里は――伯珪に言われて――先に昼食へ。
世話係である月と詠は他の仕事(雑用)へと向かったのである。

「まあな。愛紗と朱里が居たら絶対に無理だし、月と詠も居たら睨まれるからな」
「…………どっちが主か分からないな、今のお前の力関係」

伯珪が2度目の溜め息を吐く。
そんな中、元親は壁に立て掛けておいた碇槍を持ち、部屋の窓を1つ開けた。

「? 何をやってるんだ?」
「普通に出て行ったら見つかるだろ? だから――」

元親が開けた窓を碇槍で示す。
彼の意図を察した伯珪は、思わず呆然としてしまった。

「…………本気か?」
「俺は冗談を言うのは苦手だ」

元親は微笑を浮かべつつ、傍らで固まっている伯珪を抱き抱える。
そしてゆっくりと手すりに足を掛け、飛び降りる準備をした。
――ちなみにここは5階である。

「…………お前馬鹿だろ? 身体中包帯グルグル男」
「馬鹿で結構。それに鈍った身体を少しは動かさなきゃな」

そう言ったのを機に、元親は窓から飛び降りた。

「キャアアアアア!!」
「心配すんなって! ちゃんと降りるからよ」

悲痛な悲鳴を上げる伯珪を尻目に、元親は碇槍の先端を眼の前にある木に飛ばした。
先端は比較的太い枝に上手く引っ掛かり、下に落ちて行く2人を繋ぎ止める。

「なっ? 大丈夫だったろ?」

地上まで数cmと言った所で、2人は止まっていた。
気さくな笑顔を浮かべる元親に対し、伯珪は身体を震わせて涙眼を浮かべている。
そして伯珪は元親の腕からすぐさま離れ、彼に思い付く限りの罵声を浴びせた。

「馬鹿! 大馬鹿!! 超馬鹿!!! 死ぬかと思っただろ!!」
「そんなに怒らなくても良いじゃねえか……」
「うるさい! うるさい!」

枝に引っ掛かった先端を慎重に回収し、元の状態に戻す元親。
未だに罵声を浴びせてくる伯珪に対し、元親は気付かれないように溜め息を吐いた。

 

 

 

 

「……………………」
「お〜い、機嫌直せって」

街のとある料亭――周囲に気を配り、慎重に街中を進みつつ、元親と伯珪はそこに居た。
2人組の席で正面に座る伯珪は不機嫌そうに元親から眼を逸らしている。
窓から飛び降りると言う、元親の無茶苦茶な行動に対して未だに腹を立てているらしい。

「さっきのは俺が悪かったよ。この通りだ」
「知るか。早く愛紗達に見つかってしまえ」
「んな事言うなよ。冗談でも想像したくねえ結末なんだからな」

愛紗を筆頭とする家臣達に見つかってしまえば、即連行で連れ戻されてしまう。
運悪く出くわしてしまった兵士には口止め出来るが、愛紗達に弁解すら通じない。
だからこそバレないように細心の注意を払ってきたと言う物である。

無論、店の主人や訪れている者達には口止めをしてあるので安心だ。

「仕方ねえ。ここは全部俺の奢りにしてやるよ」

伯珪の眉がピクリと動く。

「だから機嫌を直してくれねえか? 頼むぜ」
「…………分かった。それで手を打ってやる」

伯珪がやれやれと言った様子で溜め息を吐く。
しかしその顔は笑顔に満ちていた。

「覚悟しておけよ。沢山食べてやるからな」
「……ほどほどにしといてくれ」

この後、料亭の主人と他客は語る。
あんなに重い表情でお金を払う太守様は見た事が無いと――
公孫賛将軍のあんなに満ち足りた笑顔は見た事が無いと――

 

 

「ふぅ〜〜〜あんなに食べたのは久しぶりだ」
「ったく、人の金だからって遠慮無しだな」
「お前が奢るって言ったんだろ? 愚痴を零すのは無しだぞ」
「へいへい……」

料亭から出た2人は、他愛の無い話をしながら屋敷へと戻っていた。
その際に身回りをしているであろう、家臣達に見つからないよう警戒を忘れてはいない。

「……なあ、元親」
「ん? 何だ?」

今まで先に歩いていた伯珪が突然歩くのを止め、元親に声を掛けた。
当然元親もその場で止まり、伯珪が次の言葉を言うのを待つ。

「ちょっと川を観に行かないか? すぐ近くにあるし」
「川? ……別に構わねえけど、急にどうした?」

元親の問い掛けに伯珪は頬を少し赤らめ、口を開いた。

「ええと、今までお前とこうやってゆっくりした事が無かったろ……?」
「ああ、そう言われてみればそうだな」
「だからさ、今日ぐらいどうかなって……」

たどたどしい口調だが、懸命に言おうとしていることは分かった。
元親は微笑を浮かべ、伯珪の申し出を快く了承する。

「よし! じゃあ行こう!」
「お、おいおい! もう少しゆっくりで良いだろ!」

嬉しそうな伯珪に元親は手を引かれ、共に近くの川へと向かった。

 

 

 

 

街の近くにある森の中を少し進んだ所に目的の川があった。
そこは小さな滝があり、空に浮かぶ太陽の光が反射して美しい情景を生み出している。
更に多数の魚が川の中で泳いでおり、元親の――海の男としての――心をくすぐった。

「スゲェな……今まで知らなかったのが悔しいぜ」

森があるのは知っていたが、その奥にこんなにも綺麗な川があるのを元親は知らなかった。
少しだけ悔しそうな表情を浮かべ、伯珪の苦笑を誘う。

「ふふ、もう場所を覚えただろ? だから今度は自由な時に来なよ」
「ああ。釣りとかも出来そうだし、最高に良い場所だぜ」

伯珪の話によれば、だいぶ前にここを見つけていたらしい。
更に星や恋、水簾も知っていたらしく、たまに水浴びに来るとの事。

「くぅ〜〜〜やっぱり外は良いな。部屋に閉じ籠ったままじゃ身体の調子が悪い」
「ここなら周囲を警戒する必要はあまり無いからな。肩の力を抜いて良いんだぞ」
「遠慮無く、そうさせてもらうぜ」

元親は適当な岩場に座り込み、碇槍を右に置いて川を眺めた。
その後に伯珪が元親に寄り添うように、左側に座り込む。
川のせせらぎが音を奏で、森を揺らす穏やかな風が2人を包んだ。
2人の浮かべる表情は自然と笑顔になった。

「……久しぶりだな。こんなにも穏やかな時間は」
「同感だ。魏との戦が始まってから、ずっと戦続きだったもんな」

2人は互いに顔を見合わせ、苦笑する。

「こんな時間がずっと続けば良いよな……」
「まあ無理だろうな。今は群雄割拠、戦乱の世だぜ?」

元親の言葉に対し、伯珪が拗ねたような眼付きで彼を睨んだ。

「夢が無いな、お前は」
「まあな。でも何時かは終わる」

元親が傍にあった小石を徐に掴んだ。
そして勢いよく川に向けて投げつける。
小石は川の表面を3回程跳ねた後、水底に沈んでいった。

「終わらない戦は無えんだし」
「……そうだな」

伯珪も小石を掴み、元親を真似て川に投げつけてみる。
しかし小石は1回も表面を跳ねる事なく、水底に沈んだ。

「はははは! 不器用だな」
「うう〜〜〜……」

元親に笑われ、伯珪は悔しそうに身体を震わせる。
その反応が余計に面白いらしく、元親の笑いを余計に誘った。

それから暫くした後、元親の笑いも収まったため、川辺が再び音を奏で始める。
2人は未だに川を飽きること無く眺めているが、不意に伯珪が頭を元親の肩に預けた。

「……伯珪?」
「元親……聞いて欲しい事があるんだ」

伯珪の声は穏やかだが、何処か強い意志が元親には感じられた。
元親はゆっくりと頷いた後――

「何だ? ちゃんと聞いてやるぜ?」

元親の視線は川に、耳は伯珪の言葉を聴く事に集中した。
伯珪は少し黙った後、ゆっくりと口を開く。

「今はお前と私だけ……こんな時だからこそ、聴いてほしいんだ」
「…………?」
「教えてなかったよな……私の真名」

伯珪は以前に水簾に言われた事を思い出していた。
その言葉は今思い出しても、自然と頬が熱くなってしまう。

『そう言えば伯珪は真名をご主人様に教えないのか?』
『しかし合ってないからとは言え、ご主人様は内心知りたがっているかもしれんぞ?』
『ご主人様は我々の事を大切な家族だと仰ってるんだ。家族の1人であるお前の真名を聞きたがるのは当然だと思うが……』

今の今まで言えなかったが、今がその時。
自分の真名は、自分の隣に居る人に最初に聞いて欲しかった。
自分が知り得る、全ての人が惹かれている――この人に。

「何て言うんだ? お前の真名は……」
「……笑うなよ? 笑ったら思い切り殴るからな」
「俺がそんな奴に見えるのか? 絶対笑わねえさ」

伯珪は内心「馬鹿……」と吹きながらも、喜びに満ち溢れていた。
そして意を決し、隣の彼にしっかりと聞こえるように口を開く。

「桜花……」
「おうか……?」
「うん……“桜花”って言うんだ」

伯珪――桜花は気恥ずかしさに思わず顔を伏せた。
それを尻目に彼女の隣に座る元親は顎に手を添え、微笑を浮かべている。

「お、可笑しいだろ? 私、こんな性格なのに……桜花なんてさ……」
「いや、全然可笑しくも何ともねえぜ」

桜花が伏せていた顔をゆっくりと上げる。

「天界の言葉じゃな、桜花ってのは“桜の花”って書くんだよ」
「さくらの……はな……?」
「ああ。天界じゃあ誰もが好きな花なんだぜ?」

元親は桜花に桜の花についての簡単な説明をしてやった。
暖かい季節に咲く花である事、それを見ながら酒を飲む事、咲いている時も散る時も奇麗な事――
殆ど元親の主観が入った説明ではあったが、桜の花を知らない桜花にとっては貴重な物であった。

「な、何か恥ずかしいな。それだけ言われると……」
「天界じゃ当たり前の事だぜ。それに桜の花弁の色ってのはな――」

元親が桜花の頭にゆっくりと手を置いた。
元親の突然の行動に、桜花の身体は自然と固まる。

「お前の髪の色と同じなんだぜ? 似合わないなんてトンでもねえ、似合ってるよ」
「――――なっ!?」

クックッと笑い、元親は少し乱暴に桜花の頭を撫でてやった。
固まったままの桜花は、元親にされるがままであった。

「鬼の家臣に桜有り、か。なかなか洒落てやがる」
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!? か、勝手に言ってろ! 馬鹿!」

元親の手から離れ、桜花は元親から顔を逸らした。
何だかモヤモヤとした感情が桜花の心を締め付ける。
恥ずかしさか、怒りか、その正体は分からなかった。

「これからは真名で呼べば良いのか? 伯珪――いや、桜花」
「…………」

元親からの問い掛けに答えず、桜花は暫く黙ったままだった。
また機嫌を損ねてしまったかと、元親が思い始めた時――

「…………真名で呼べ。但し、私と2人っきりの時だけだ」

そう小さい声で答えた。
辛うじて聞き取れた元親だが、どうして2人だけの時なのかと言う疑問があった。

「? 何でだ?」
「あ、あまり知られたくない。それに星や鈴々辺りが絶対にからかいそうな気がする……」

なるほどと、元親はすぐさま納得してしまった。
特に星は前に桜花と一悶着があったので余計に心配である。

「分かった。2人だけの時だけだな?」
「ああ。約束だぞ?」

2人はまた互いに顔を見合わせ、笑顔を交わす。
そんな2人を川と森が見守っていた。

 

 

「むう……伯珪の奴、ご主人様と良い雰囲気だな」
「ふむ……警邏の疲れを取りに水浴びに来たのだが、思わぬ収穫が得られた」

元親と伯珪の背後――木々に上手く隠れつつ、星と水簾は2人の様子を眺めていた。
2人は街の警邏(見回り)を終わらせ、疲れを取る為に水浴びに来ていたのだ。
そしていざ水浴びと言う所で、元親と伯珪に遭遇――それからずっと様子を見ていたのである。

「伯珪の真名も聞き、主との抜け駆けの証拠も手に入れた。これは良い種になりそうだ」
「どうするんだ? 流石にこのままにしておくのは悔しい気がするが……」

星が怪しい笑みを浮かべる。

「決まっているだろう? 2人には愛紗達からの説教地獄を味わってもらう」
「ほお…………」
「伯珪は抜け駆け、主は無断外出とその他諸々、十分な物になるぞ?」
「少しだけ気の毒な気もするが、それは仕方ないだろうな」

2人は同時に頷いた。

「「皆に早速報せに行くとしよう」」

その言葉と同時に、星と水簾は森から出て行った。
その後、元親と伯珪は――――星と水簾の思惑通りになったとだけ記しておく。




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